目を開けた燐祢の眼前にどこまでも広がる浅い湖とその水面に映る無数の灯篭の中、そして見上げる程に巨大な赤い鳥居が見える。
「太陽が沈んで、夜がやってきます」
ヤチヨの声と共にログインしたと認識した燐祢は自身のアバターに視線を落とす。
燐祢のアバターは黒い具足とロングコートを掛け合わせたようなデザインの服を着て、それとは対照的な真っ白な髪と狼モチーフの耳と尻尾を付けている。
燐祢はそのまま両手を持ち上げるとぐっぱっぐっぱと手を動かし、さらにぐっぐっと腰を回して、
「何度も思うけど、本当にすごいな……」
生身の体のように滑らかに動くアバターに何度目か分からない感心を示しながら燐祢は鳥居の周囲に目を向ける。
目当ての人物はすぐに見つかった。着物とパーカーとベルトとブーツを合わせたストリート風ファッションに狐モチーフの耳と尻尾をつけた見慣れた後ろ姿。
「よう、いろさん」
アバターネームで声をかければピクリと肩を震わせながら彩葉は振り返る。
「さっきぶりですね、リンカさん」
「そうだな。かぐやちゃんは………まだチュートリアル中か」
周囲を見渡してもそれらしい人物が見つからないし、そうなのだろうと燐祢は思う。
「そうですね。今頃キャラメイクでもしてるんじゃないでしょうか」
「ああ、出かける前に、その恰好じゃつまらないっ!て奴な」
懐かしいねぇ、と燐祢は小さく目を細める。もう何年も前のことだと言うのに昨日のことのように思い出せるのはそれだけ印象深かったのだろう。
圧倒された幻想的な空間。その中に浮かび上がった美しい少女。そして……
「そういえば、リンカさんはツクヨミの最初期からログインしていたんですよね?」
「ん?ああ、そうだ。なんて言うのかな………初めて情報を知った時にこう、陳腐な言い方だがビビッと来たんだよ。こいつは何が何でもやらないとってな。そんで、貯めてたお年玉貯金でも足りなかったから必死にバイトしてなぁ……いやぁ、頑張った頑張った」
「……リンカさんも人のこと言えないじゃないですか」
「少なくともぶっ倒れるまで無理はしてないって」
むぅ、と言い返せない彩葉にケラケラと燐祢が笑っていると、背後の鳥居に光の波紋が広がる。
それに気づいた彩葉と燐祢が振り返ると同時に光の中心を切り裂いて、
「うわぁ!」
ギャルいかぐやが飛び出してくる。
かぐやは朱色と若草色のコーデで纏めており、三日月を模した髪飾りに背中には巨大な水引がついている。どうやらウサギがモチーフのようで、長い金髪に添うように兎の耳が垂れており、足元のスニーカーにも兎があしらわれている。
「ヴェェ」
そしてそのまま勢いのままに足元の水にダイブする。
「初ログインあるあるですよね。第一歩でコケる」
「え?俺はコケなかったけど……」
「……まぁ、リンカさん、運動神経いいですし。ほら、手ーかして」
「あ、もしや彩葉と燐祢」
「ここでは知り合いでも本名で呼ばないのマナーだ」
彩葉の手を借りて立ち上がるかぐやに燐祢が告げると、その足元を一匹の犬が駆け回る。
「ん?この犬って……」
「犬DOGE!連れて来れるんだね」
「いや、私も初めて知ったんだけど……リンカさんは?」
チラリと燐祢に視線を向け、彩葉は首を傾げる。彼は神妙な表情を浮かべながらまじまじとかぐやの顔を覗き混んでいたのだ。
「え、え、ど、どうしたの?燐祢」
顎に手を当てながら真剣な表情で見つめてくる燐祢にかぐやがまた何かやってしまったかと不安げな表情を浮かべていると、
「ふむ、いいな……」
その言葉に微かに彩葉の心がざわつき、かぐやの口元には嬉しそうな笑みが浮かぶ。
「いいって……えぇ、そう?そうかなぁ。そんなにかぐやって可愛い「いい髪飾りだな……うん」え?」
にやにやから一転、きょとんとした表情でかぐやは燐祢の顔を改めてみる。彼の視線が向けられているのはかぐやの髪の月を模した髪飾りだ。
ぷっ、と思わずと言うように彩葉は噴出し、かぐやは不貞腐れたように頬を膨らませる。
「どんだけアクセサリーのことしか頭にないんですか……」
「もう、燐祢!」
「す、すまん。えっと、その……何つうか………うん。あれだ。かぐやちゃんがその髪飾りを付けているのがいいと思ったんだ」
慌てたようにそう弁明する燐祢にかぐやは本当?と言う様にいぶかしげな表情を浮かべる。
「ほんとほんと。マジだって……そうだ。お詫びと言っちゃなんだが、今日、ツクヨミで欲しいものがあったら俺が買ってあげるよ」
「え、いいの!?」
「ああ。流石に高すぎるのはダメだけどな」
やったー、とはしゃぐかぐやに彩葉はぁ、と小さくため息をつき、
「いいんですか?あんなこと言って」
「ま、お詫びと初ログイン記念もかねてだ。それに、さっきちょっときつめに叱ったからな、こういう所で点数稼いでおかないとな」
肩をすくめる燐祢にやれやれとため息をつく彩葉を後目にかぐやは犬DOGEを抱き上げ、
「わー、すごいすごいすごい!これがツクヨミなの!?」
興奮したように目を輝かせる。七色に輝く夜景に目の前に広がっている太鼓橋。そしてファンタジック平安京とでもいうべき街並みは見る者の目をとらえて離さない。
何とも懐かしい反応に彩葉と燐祢は思わず笑みを浮かべる。
「ほら、行こ、かぐや。今日はあんまり時間もないから」
ツクヨミの街中は大勢のプレイヤーでごった返しており、露店で店を開いている者や、それを物色する者、中には空を泳ぐようにして移動している者もいるが、彼ら皆に共通している物がある。それは全員が笑顔だと言う事。
それらに目を輝かせながらかぐやが歩いていると、
『初ログインおめでとう!ツクヨミではみんなが表現者!君も何かをして人の心を動かしたら、運営からふじゅ~がもらえるよ☆』
空中にヤチヨの相棒であるウミウシのFUSHIが現れ、初ログインイベントが発生する。
ツクヨミ内ではふじゅ~と言う仮想通貨を使って様々な取引が行われている。おまけに現実の金銭に変換することも可能で、人気ライバーなどはそれだけで悠々自適な暮らしができる。実際彩葉もちょっとしたゲームの配信などで小銭を稼いだりしている。対し、燐祢はそういったライバー活動は一切していない。それでも十分楽しめているのだから燐祢としては文句はなかった。
無事イベントをこなしたかぐやを連れて燐祢たちは近くの喫茶店に入り、そこでパフェを食べているのだが、
「あむっ……むぐむぐ……味しーなーいー!」
「そういうのはまだ無理みたいよ。いつか天才科学者とかがやってくれるでしょ」
「まぁ、そしたらそしたで別の問題が出てきそうだけどな」
「そこは大丈夫なんじゃないですか?ちゃんとそういう生理現象を通達すれば……っと、時間だ」
「おう、じゃあ、楽しんで来い」
そう言ってひらひらと手を振る燐祢に彩葉は小さく顔を歪ませ、
「あの、リンカさん。やっぱり、一緒に見に行きませんか?この握手券付きのチケット、同伴者2名まで許可されてますし……かぐやも連れていけますから……」
それは今日のライブのチケットが当選したときにも提案していたことだ。ヤチヨの古参ファンでありながらくじ運の悪さから一度も当選したことがないと言う彼を日頃のお礼もかねて誘ったのだ。
もっとも、彼の返答は……、
「………あのな、いろさん。前にも言ったが、ファンがみんな推しに認識されたがっているというのは大きな間違いだ。中にはな、ファンだからこそ、自分を認知されたくないと考える奴だっている。俺はそのタイプだから、ライブを見るだけならまだしも握手なんてとてもとても」
「でも……」
「え、何々?燐祢どこか行くの?」
「ああ。ここからは別行動だ。いろさんとライブ、楽しんで来い」
「え~~!燐祢も一緒に行こうよ!」
かぐやが燐祢の腕をつかんで引っ張るが、燐祢は優しくその腕を外し、
「ごめんな。俺の信条的にいけないんだ。ライブ、楽しんで来い。彩葉さんも俺のことは気にしないで大丈夫だから。それじゃあな」
そう言って燐祢はそのまま人混みの中に消えて行ってしまう。
「あ……ねぇ、彩葉。燐祢行っちゃったよ?」
「はぁ、しょうがないわね……行きましょ、かぐや。リンカさんはああ言ったら聞かないし、私たちは私たちで楽しまないと、リンカさんにも失礼だわ」
そう言って彩葉はかぐやの手を取って燐祢とは反対方向に歩きだす。
「う~~~ん、今日のライブもよかったなぁ」
ツクヨミ内には五重塔を思わせる高層建造物やビルと言った建物が多く建てられているが、その内の一つに燐祢はいた。
そこはあまり人が寄り付かないが、今日のライブをよく見ることができる燐祢が見つけた231か所目の
遠目ながらもいつも通り燐祢は幻想的な光のコンサートを大いに楽しんだ。
「しかし……ヤチヨカップねぇ……また随分と面白そうなことを企画してくれる」
それは先ほどのライブの後にヤチヨから開催を宣言されたイベントの名前だった。
参加資格はツクヨミの全ライバー。明日からの一か月の間に獲得した新規ファンの数を競い、最も多く獲得した人が優勝。そして優勝者には主催者のヤチヨとのコラボライブの権利が進呈されると言う何とも豪儀なイベントだ。これはもう、しばらくはツクヨミは文字通りのお祭り騒ぎとなるだろう。
顎を撫でながら燐祢はどうなるかと思考を巡らせる。
まぁ、現実的に考えれば優勝候補はライブの後、ド派手に登場した知人のシスコン率いるプロゲーマーユニット、ブラックオニキスだが、果たして、このような大きなイベントに立ち会って、あの宇宙人は大人しくしていられるか……
明日からリアルも賑やかになりそうだ、と燐祢が笑みを浮かべていると、
「リンカ、見ーつけた」
後ろから聞こえてきた声に燐祢は悔し気に唇を曲げると振り返る。
そこに立っていたのは悪戯っぽい笑みを浮かべた少女だった。
風に揺れるようになびく長い銀のツインテールに深海魚をモチーフにした和服を身に着けた月の女神と見まごうばかりの美しい少女。月見ヤチヨその人が燐祢に笑いかけていた。
「ここも見つかったか。結構いい場所だと思ったんだけどなぁ」
「前も言ったでしょ?このツクヨミでヤチヨが知らない場所なんてないのです。ヤチヨからは逃げられないよ」
「これでかくれんぼは231戦0勝231敗か……ここまで負けが込んでくると流石に落ち込むなぁ」
「伊達に8000年かくれんぼはしてないからねぇ。年期が違うよ」
はぁ、とため息を吐く燐祢に気負いや緊張のようなものはなく、まるで長年の友人のように着やすい口調でヤチヨに話しかけ、ヤチヨ自身、それに気分を害した風もなく、むしろ楽し気に無邪気な笑みを浮かべながら、燐祢から少し離れた所に座る。
このような関係が始まったのは数年前、燐祢が初めてヤチヨのライブに行った時だ。
当時、持ち前のくじ運の悪さでチケットの抽選から落ちた燐祢は若気の至りか少しでもライブをいい場所で見ようとツクヨミ内を歩き回り、他に人のいない穴場スポットを見つけ、そこからライブを眺めていた。およそ人が寄り付かないような場所で、ここは良い穴場だ、と思っていたらライブを終えたヤチヨに見つかってしまった。
別に見つかっただけで特にお咎めはなかったのだが、次のライブで、別の穴場スポットを見つけてそこで見ていたらまたしてもヤチヨに見つかってしまった。
ならばとまた別の穴場スポットを見つけ、そこで見ていたらまたたしても見つかってしまい、ここまでくると燐祢としてはライブの観覧よりもヤチヨから隠れると言う方がメインになってきて、それにヤチヨはむしろノリノリで付き合うようになった。
そしていつの間にか、ライブが終わったらそのまま二人だけでかくれんぼをするのが定番になってしまっていた。
最初は一ファンとしてこの関係は良いのだろうかとも思ったが、当のヤチヨが乗り気だし、燐祢自身楽しいため、まぁ、良いかと受け入れてしまい、今ではすっかり友人のようになってしまっている。
「ふふ、でも、リンカの隠れ場所も悪くないよ。ヤチヨ以外だったら見つからなかっただろうね」
「それでも結局鬼に見つかってたら意味ないよなぁ」
頬杖を突く燐祢はそこで、あっと声をあげる。
「そうだ。またでかいことをやるみたいだな」
「うん、そうだよ。ヤチヨカップ!ツクヨミでも最大のイベントになると思うんだ。リンカも参加する?」
「いやいや、俺なんか参加しても負けるのが目に見えてるだろ。配信何てしないただのエンジョイ勢だぞ?せいぜい小遣い稼ぎにKASSENやってるだけで」
「でも、KASSEN強いじゃん。確か、プロにも誘われてたよね?」
「一時期な。でも、もうその話は無くなってるから。それに、それは俺が目指してるものじゃないからな」
「そっかぁ……頑張ってるね、リンカ」
柔らかく目を細めながら微笑むヤチヨにどこか気恥ずかしさを感じながら燐祢は立ち上がり、
「さてと、それじゃあ俺はログアウトしますか」
「えぇ、もう帰っちゃうの?」
「悪いな。ちょいと妹みたいな子ができてな。今回のイベントを知ってじっとしていられるとは思えないんだ。ま、そういう事で……」
不貞腐れたように唇を尖らせるヤチヨに苦笑を浮かべながら目を向け、不意に燐祢は首を傾げる。
「………どうしたの?」
「あ、いや………なんか……ヤチヨの顔に既視感が………」
そこまで言ったところで、燐祢はとっさに口を閉じる。そんな彼の目の前で、ヤチヨはみるみる表情が険しくしていき、
「えぇ、どういう事!?私以外の女の子に見とれてたの!?リンカの浮気者!私のファンって言うのは噓だったの!?」
「いや、ちが、そういう事じゃなくて!どこかで見たような……いや、それ言ったら現実でもそこら中にヤチヨの顔はあるし……気のせいか。ごめん。変なこと言った。今日はもうログアウトするわ。明日から忙しくなりそうだし」
「ぶ~~、逃げるの?」
「そうじゃないって。全く……またな、ヤチヨ。今度は負けないからな」
「………うん、またね、リンカ」
軽く手を振りながら燐祢がログアウト処理を進めると、アバターは青い光の粒子となり、消える。
それを見届けたヤチヨはホッとしたように息を吐き、直後に痛ましげに顔を歪め、
「.........もういいかい..........まぁだだよ........」
寂しげに呟いた。
リンカ
燐祢のツクヨミ内でのアバター名。ツクヨミ内ではライバーとしての活動はしておらず、完全なエンジョイ勢。KASSENの腕前はかなりの物だがプロになるつもりは一切ない。一時、あるプロゲーマーチームとの試合後、スカウトがあったのだが、ある時期を境にそれはパタリと無くなっている。
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