家族愛のかたち   作:布団は吹っ飛ぶのか

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前編

寒い寒い夜の事だった。黒猫がにゃあと鳴き、人力車が貴婦人を乗せて灯も殆ど無い街道をカラカラと運んでいる。その音なんか耳に入る位に二人の姉妹は静かに過ごしていた。姉の方は新聞を片手に原稿用紙に一心不乱に万年筆を押し付けていた。一方、妹の方は基督教なのかは良く判らないがこの国の物では無いだろう本を読んでいた。恐らく聖書の類だろう。最近この地に入ってきたその宗教は姉の方は興味が全くもって無かった為に無視していたが、妹の方は大いに心惹かれた様で、洗礼さえ済ませて熱心な信徒となっていた。

両親は外務省の仕事で英国の大使館へと旅立ち、ここ数カ月姉妹を見守る者は稀に訪ねてくる話好きな祖父母位の物であった。親が居なくなってから時間の経過と反比例する様に会話の量は減っていったものの、二人は特に苦にしてはいない様に思われた。

 

「お姉ちゃん。」

唐突に聖書から目を上げると向かい合って座っている姉に話しかける。その目は蒼く、去れども完全燃焼する焔がごとき熱が籠っている。

「どしたん?」

対する姉は何気なしに顔を上げるとその目の熱に一瞬たじろぎ、しかしまた真剣に向かいあった。

「将棋でもしない?」

「ええな。丁度休みたかった所や。」

そう軽く会話を交わすと、姉は紅茶を、妹は珈琲を淹れた。二人の趣向は完全に逆のベクトルを向いており、その瓜二つの容姿以外は全てが逆であった。珈琲と紅茶を淹れると、将棋盤を箪笥の上から取り出し、駒を並べて、将棋を始めた。生まれた順番など双子である為に殆ど関係ない物ではあるのだが、一応姉が王を、妹が玉を取って並べたのだった。

淡いガラス細工の照明に照らされて、将棋盤は橙色に淡く輝いていた。

「「よろしくお願いします。」」

将棋が始まったのである。

姉は居飛車、妹は四間飛車に振った。将棋盤は瑠璃の如く光り輝き古の時代、嘗て古い古い時代の事、ハンニバルとスキピオ・アフリカヌスが戦ったザマの戦いの如く、戦端が開かれた。

「お姉ちゃん。」

「なんや?」

姉は将棋盤から軽く上目となる態勢で妹の目を見た。―どこか焦点が定まっていない様に思えた。姉の将棋に集中していない事を咎めるような視線を他所に妹は話しかけた。

「私達、将来また闘う事になるかもしれないね。」

その詞は推量というよりかは予言に近く、予言というよりかは予見に近い響きを帯びて妙に忘れられない物と成った。

「せやな。ウチの立場と葵の立場は完全に真逆やし、対立は自明やろ。」

「そうじゃなくて、一勢力と一勢力の旗印として争う事になるんじゃないかって。」

茜は沈黙せざるを得なかった。葵の真剣な目の前には根拠も無くその託宣を否定する事は無粋である様に思われたからである。

「お姉ちゃんは嘆かわしいことに社会主義を支持している立場でしょう?」

「せやな。嘆かわしくは無いけれども。」

「神がおはすことを知覚できない事は嘆かわしいことだよ。」

「いや、神なんて存在しないから。」

議論は平行線となる他なかった。二つの硬く実直で真っすぐな信念は一度交わらなければ二度と交わることが無いと運命づけられている様ですらあった。

将棋盤では、角交換が成され、最低限の囲いを作りあげると茜は棒銀で実直に相手陣に殴り掛かった。一方、葵はその攻撃を半ば無視して桂馬と角を用いて茜の陣に奇襲を掛けていた。

勝敗はここを上手く裁ききれた者の方に訪れる。そう勝利の女神も囁いている様に思われた。

「ウチ、共産主義革命を起こしたら葵を断頭台に送るつもりや。」

「それはとても残酷な事だね。少しは神を信じて慈悲を与える積りは無いの?」

「無い。」

「そんなあ。」

発言内容はぶっ飛んでいてこの発言が漏れたら両親は失脚するだろうという確信さえあった。しかし、二人はそんな事を気にも留めず、唯戯れている様ですらあった。

「唯」

茜はその赤い目を少し不純物で曇らせると呟いた。

「断頭台に送る前に3分間位、二人で過ごしたる。革命の為に葵を生かしておくことは到底できなくても、それ位なら問題ない。」

―それに、葵はウチの大切な家族や。それ位の慈悲を惜しむつもりはない。

葵は言外に秘められた余韻に身入れられ、贈り物を貰ってこの上なく喜ぶ乙女の如く、にっこりと微笑んだ。

盤面は、自陣に突撃した桂馬に対して同玉と取ったことで茜の玉が無防備になる一方、茜は既に竜を作り、葵の飛車を追い込むなど、終盤戦の如き様相を帯びていた。お互いがお互いを打ち取らんと、熾烈に駒を動かしあっていた。

「お姉ちゃん。若し私が力を得たら、革命を止める為にお姉ちゃんを刑務所送りにする。」

「断頭台には送らないんか?」

「迷える子羊にも慈悲を与えるのが隣人愛、良きサマリア人という物でしょう?」

「ウチはそうは思わんけどな。迷える子羊を導く必要性には賛同するが無節操に慈悲を与えるのは功利主義に反する。」

「目的によって手段が正答かできると本当に思っているの?」

「勿論。」

茜は葵に初めて敵意を剥き出しにし、その目に焔を燈して宣言した。

「万国の労働者の為なら何でもする。」

葵は其れに答えて笑顔で囁いた。

「夢破れたとしても、毎日会いに来てあげるから。」

それを最後に二人の会話は途切れた。紅茶と珈琲を啜る音と駒を盤に叩きつける音を除いて如何なる音も存在しない、元の如く静かな空間に回帰していった。

何気なく戦場を見てみると、茜は大駒4枚を全て持っている物の、金銀が不足し葵が必死に茜の無防備な王を攻めている所であった。

―これを耐えれば勝ちや。

―これ以上攻めるのは難しい。一回受けねば。

相互の思惑のみが交錯する中、茜は自陣を強化し攻めに転じ、逆に葵は一度攻めを受けるべく銀を美濃囲いに寄せた。

「降伏勧告したるで、葵、共産主義に転向するんや。さもなくば世界人民らが鉄の拳を振るうで。」

茜は二枚飛車を用意し、万全の準備をした所でこの様に高らかに宣言した。

「いや、間違っている主義主張に従うのは教えに反する。徹底抗戦する。」

「なんで共産主義が間違っているという結論になるんや。」

「だって共産主義って都市の労働者という資産を持たない存在のみが土地を手にしないから革命を続けることが出来るという思想じゃん。」

「良く判ってるな。」

「でも、革命を先導した者たちがそうして財産を手にしたら新しい反動となって革命は鈍化するんじゃないの?」

「葵、其れは真の共産主義に移行するまでの過渡期の話や。プロレタリア独裁は必要だから行うだけで革命が遂行されたら直ちに民主的な選挙も行われる体制になるから問題ないんや。」

「随分疑わしい論理だねえ。」

「神なんていう空想上の存在を信じている嘆かわしい妹には負けるな。」

茜のティーカップは冷める事を恐れてか既に空になっていた。葵の珈琲は未だに半分ほどを残している。親の趣味で飾られている桜と梅の水彩画が今後来る未来を暗示している様にも思えた。梅の方は七分咲き、桜の方は満開であった。

戦局は明らかに茜有利に働き、二枚飛車に追いかけられて早くも美濃囲いはその片翼をもがれる事になった。茜の陣に葵が隙を見て攻勢をかける物の対処できる範疇に収まっており、茜の勝ちは揺るがない様に思われた。

「王手」

別に言う必要は無いが、ここで決めに行くという確信があった為、茜は竜と金を交換してそう宣言した。美濃囲いは完全にその機能を停止し、葵は負けを悟って降伏した。

「負けました。」

「ありがとうございました。」

かくして茜と葵の激闘は136手で茜の勝ちとなった。前哨戦が終わったのだ。

茜と葵は感想戦もすることなく、静かにまた各々の作業に戻っていった。茜はまた万年筆を手に取って原稿用紙に向かっていったし、葵は聖書に目を落として優し気な笑みを浮かべていた。

二人の間に会話は無い。しかしそんな空間でも、いや、だからこそこの空間は心地よいように二人は思えて仕方が無かった。

 

其の家から灯が消えたのはそれから暫くしての事だった。ある温かい冬の日の事だった。

 




次回投稿は明日の21時
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