家族愛のかたち   作:布団は吹っ飛ぶのか

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後編

野犬がワンと吠える時、琴葉茜は洗濯物を取り込んでいた。彼女が今住んでいるのはボロボロの一軒家である。かつては此処に一家が住んでいたものの、あの日を境にその日常ははたと消え去ってしまったのだろう。

夕暮れ時になると常にあの日の事を思い出す。あの日はいつも通り党本部に行って原稿を書いていた時の事だった。民主集中制の利点と軍国主義への批判について書いていた。

世間からの逆風は年々強まっていたもののまだまだあの日までは平和であったのだ。

そう、特高がガサ入れに来るまでは。

他の党員が出来る限りの妨害をしてくれたから、ウチは逃げきれたのだ。しかし逃げて、逃げて、逃げて、振り返ってみると誰一人同志はおらんかった。

後々新聞を熟読してみても、ウチと共に駄弁り、夢を語らいあった同志は全て牢屋に叩き込まれていた。つまり、ウチは一人になってしまったのだ。

―貴方は茜というのね。

―革命を起こせばソヴィエトの如く楽園を築く事が出来るのよ。

―奴が転向しやがっただと。

―自由と独立程尊い物は無い。

―今日を以て組織は活動を休止する。またこの旗の下に集える日を楽しみにしている。

 

結論から言えば、革命を成し遂げるためにはあらゆる物が足りていなかったのだろう。其れは、熱心な指導者や党員では無く、どちらかと言えば民主集中制が徹底されていなかったことや、時勢がウチ等に味方しなかった事や、この国を支える財・政・官の三位一体の権力構造はウチ等の予想より遥かに強く機能していた事などが挙げられるだろう。

そして失敗という二語のみがウチ等の通信簿として残った。革命の為にこの身を渦中に投じた結果、其れを除いて何一つ残りえなかったのだ。

「そういえば今日はクリスマス、キリストの誕生日らしいなあ。まあウチには関係ないんやけど。」

自分でも独り言が増えたとは思う。しかしそればかりはどうしようもない。親身に話す相手はもう居ないし、戦争が終わってからもウチは指名手配されているから迂闊に相談もできない。

今は紅茶を嗜む余裕も無い。

 

 

こんこん。

 

 

ウチの背筋はビクッと震え、視線は引き戸へ集中した。

 

こんこん。

 

恐らくは公安か何かだろう。戦前から目の上のたん瘤だったウチを遂に見つけて逮捕しに来たのだろう。

もう助からない、そう思うと自然と気が楽になった。自らの理想に殉じられるのならそれはとても美しい事である気がした。

 

「はい、琴葉です。」

言い終えてウチは愕然とした。警察がぞろりと来ているものだと思っていたらそこに居たのは、

 

「久しぶり、お姉ちゃん。」

 

悪戯が成功したかのように笑う葵だったからだ。

蒼の髪をたなびかせ、夕日を背に微笑んでいた。

 

 

葵はズカズカとウチの部屋に押し入るとウチの事情など知らぬといった素振りでウチの生活状況を観察していった。

『もうちょっと栄養のある物食べてよ。質素も良いけど蛋白質も取らないと。』

『目に隈がついているよ。ちゃんと寝ているの?』

『紅茶飲んでないの!?あんなに好きだったのに?』

『この家も少しは改築したら?雨漏りするでしょ。』

久々に妹に会った事の感傷に少しは浸ろうかと思っていたらこのザマである。最早乾いた笑みしか出てこない。

 

一通りこのボロボロの一軒家を蹂躙すると葵は畳の上に座り込み、ウチにも座るよう目線で要求した。

 

「なんで来たん?というよりも何故ここが分かったん?」

一通り観察して満足したのか寛ぎ始めた葵に向かってごくごく当然の質問をした。

あの後、葵は持ち前の宗教的知識や情熱を片手にとある宗教団体の地位を駆け上がり、この国に於いて一定の勢力を築きあげるなど成功を収めた上に、共産思想とも敵対しウチ等にとっては不倶戴天の敵となったのだ。

そんな敵対団体の首領が何故そしてどうして護衛も無しに此処を訪れたのかはウチにとって疑問でしかなかった。

「まず後者から答えると、熱心な信徒が報告してくれたの。私達の教えはこの国中に鳴り響いているから情報を統合すれば当たりを付けること自体は難しくなかった。」

―それに

「家族に会いに行く事に理由が必要かしら?」

―いや、無い。

 

ウチは至極当然の論理を肯定せざるを得なかった。

 

他愛も無い話にウチは飢えていたのだなあ。そう感じざるを得なかった。

「そういえばオトンとオカンは最近どうしてるん?」

「元気だよ。流石に外務省からは追放されたらしいけど。元気が過ぎて、私に結婚しろ、結婚しろとうるさいの。」

「葵ちゃんまだ結婚しとらんの?」

「それはお姉ちゃんもそうじゃない?まだ結婚してないの?」

「いやー、革命の為に子供を持つ事は弱みを持つ事になるから出来んのよ。」

「それじゃあ私と同じだね。私も皆に尽くしたいから子供は作らないことにしたの。」

「そうすると琴葉家も今代で断絶やなあ。何年の歴史だっけ?」

「結構古かった筈だよ。古くから大宰府で外交方面の補佐をやってたらしくて、伝統的に外交官の家系だったらしいし。菅原道真公にも仕えたことが有るらしいよ。その頃は梅の花の手入ればかりやっていたらしいけど。」

「なる程なる程、だけれども末代には思想家を二人も輩出して絶える訳か。」

「まあ、それもそれで面白いし良いんじゃない。」

「せやな。」

「葵ちゃんはどうなんや?」

「元気だよ。教えを広めるべく全国各地を練り歩いてる感じ。炊き出しもやってるからお姉ちゃんも来ていいんだよ。」

「そんな反動勢力の世話になんてならへん。」

「そんなあ。結構評判良いのに。」

「結局、大衆が求めているのは共産主義なんて大層なもんじゃなくて今日の食い扶持やったということか。」

「確かにそうかもね。でも、教えが有ればこそ明日に希望を持って生きられるんじゃない。」

「結局どちらも提供できた葵ちゃんの勝ちか。」

「まだ勝負は決まってないと思うけどなあ。ちょっと駒得なだけで。」

「せやな、入玉して持久戦の構えでいくで。」

「やだなあ。」

ひとしきり雑談して満足したところで葵は手提げのカバンからいそいそと何かを取り出した。

「どうせお姉ちゃんの事だから贅沢なんかせずに稼いだ金の殆どを党の再建にでも回してるんでしょう。」

ウチは苦虫を噛み潰した表情を作らざるを得なかった。

「だから御馳走、持ってきたよ。今日はクリスマスだしね。」

そう言って茜は沢山の料理を取り出した。

七面鳥の丸焼き

スタッフィング

クランベリーソースとハム

マッシュポテト

マカロニグラタン

それに掛けるグレービーソース

デザートとしてアップルパイ

この物資不足の世の中で良くもまあここまで贅沢な物を作れたものだ。そう呆れざるを得なかった。

「皆で作ったの。大切な人の事を大事にしないと隣人を愛する事も出来ないからね。」

葵は笑顔で微笑んだ。

「だから、食べよう。」

ウチはその言葉に無言で頷くと、さっと立ち上がってお湯を沸かしに行った。

「まってな、今お茶を用意したる。」

「この洋風の料理に?」

「ええやろ。」

「まあ、確かに飲み物も欲しかったけども。」

 

かくして夜は更けていった。

 

「そろそろ眠うなってきたな。」

「そうだね。じゃあ片付けたら寝よっか。」

その時ウチは大事なことに気づいた。

「そういえばお客さんが来るなんて思ってあらへんから布団が一組しかない。」

うっかりしていたことに自責の念を感じつつ、夜も遅い為葵を一人で帰すこともできない。ウチは畳で我慢するしかないかもしれない。冬だから寒いし風邪をひいてしまうかもしれない。そう思っていると、葵が良い考えを思いついたような顔をして言った。

「一緒に寝ればいいじゃない。」

「ええ。」

ウチは反射的に言った。

「いや、でもウチ等はもう大人やし。」

「別に姉妹だから恥じることなくない?」

「それはそうやけど…。」

「決まりね。」

そう言うと反論は許さないとばかりの勢いでテキパキと食器を片付けて布団を用意した。その速度は残像が見える程の物であった。

そしてウチは半ば強制的に布団に連れ込まれ一緒に寝る事になってしまったのだ。

 

渋々布団に入り、

「お姉ちゃんが今どうしてるかって色々と不安だったの。」

「…。」

「共産主義なんて危ない思想に染まって死んじゃってるんじゃないかって。」

「…。」

「でも、良かった。生きててくれて。」

「…。」

「おやすみ。」

「ああ、おやすみ。」

 

その夜は久しぶりによく眠る事が出来た。物置に仕舞われている将棋盤は月明りで鈍く輝いていた。

とある温かい冬の日の事だった。




忙しかったんや。
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