『悪人を掃除してほしい』
その難題に、彼女は……おそらく、地球に戻ってから初めてかもしれないぐらい、う~ん、と頭を悩ませた。
理由は考えるまでもなく、『悪人とは、どういう人物なのか?』という哲学的な基準が彼女には無かったからだ。
彼女は、この身体になる前の記憶がある。それも、成人して社会常識の記憶があるからこそ、考えてしまう。
『悪』とは、けして一方通行の存在ではない。
一方から見れば、それは間違いなく『悪』だ。
だが、一方から見れば、それは『悪』ではなく、誰かの救いに、誰かの『善』になっているというのは、けして珍しいことではない。
たとえば、極端な例ではあるが、窃盗などの犯罪で家族を養っている者がいたとする。
治安が悪く、大なり小なり犯罪に手を染めなければ生きていけない環境の中において、その者は間違いなく『悪』だろう。
しかし、悪だからといってその者を排除すれば、その家族は路頭に迷うわけで……そう考えれば、生まれ持っての貧富の差もまた悪を生み出す『悪』なのではないか……という疑念が過る。
また、もっと単純に考えてみれば、だ。
誰かを守るためにやむおえず、誰かを殺したとしよう。
殺さなければ、誰かは無残な最期になっていただろう……しかし、法に照らし合わせたら、助けた彼は問答無用で『悪人』である。
犯罪をしても善人なんて考えるのは極々少数、ほとんどの者は、その時点で悪人としてカテゴライズするのだ。
また、Aという国では犯罪とされる行為でも、Bという国では犯罪ではないという話はよくある事だ。
それこそ、他者をレイプしても罪には問われない国の者が、何百人をレイプしても、別の事で善人として扱われ、表彰され。
そんな事一度もしたことなく、犯罪らしい犯罪をしていないのに、女性とたまたま目があった結果不審者として捕まり悪人扱いされる。
それを正しい事だと判断するか、それを間違っていると判断するか……『悪の定義』は、それこそ、風向きのようにコロコロ変わってしまうものなのだ。
(どうしたものか、どこを参考にするべきか……)
麻薬一つ取っても、国境一つ跨げば問題ない……なんてのがある。それぐらい、基準も定義も国によって、その場所によって、バラバラなのだ。
だからこそ、彼女は悩むわけなのだが……けれども、既に購入されてしまった。
購入されてしまった以上は、なんとかせねばという気持ちがあるわけで。
とりあえず、彼女は広大なインターネットだけでなく、スパイロボットを駆使して、人々が考える『悪』に該当する者を調べ上げ、ピックアップしてみた。
(……あ~、まあ、うん)
その結果、人類の半数近くが掃除されてしまうという結果が出て、いやいやいやと彼女は待ったを掛けた。
と、いうのも、だ。
彼女が調べたのは、表向きの話ではない。
表向きは善人とされている人でも、その隠された裏の部分を隅から隅まで調べ上げている。
これ見よがしに正義を語り善人の立場で物を言う人が、裏では脱税して私腹を肥やし、なんなら違法スレスレのやり方を何食わぬ顔で行っていたり。
これ見よがしに子供を守れとアピールする善人が、裏では子供を何人も虐待してレイプしているだけでなく、〇〇たちは子供にとって害悪だと味方のフリすらしている。
当然ながら、人々の判断では誤魔化しが上手いだけな悪として判定され、掃除するわけが、その範囲を広めると、もっと人数が増える。
表向きは優しい妻として夫を、子どもを、支える女が、学生時代は何人もの同級生に誹謗中傷をぶつけ、時には暴力を振るって精神に多大な傷を負わせていたり。
表向きは善良なスポーツ少年だが、裏では何人もの人間をストレス発散と称して暴行し、時にはお金を巻き上げるといった行為を行っていたり。
これもまた、人々の判断では誤魔化しが上手いだけな悪として判断され、掃除するわけで……そして、それは前の事だからという話ではない。
そういった『悪』に対して厳しい態度を見せるのは、実際にそういった行為に手を染めていない者と、厳しい態度を見せることで誤魔化したい者。
逆に手を染めている者は非常に対応が甘く、それぐらい許してやれ、許さないのは〇〇だ……といった感じの……う~ん。
──考えれば考えるほど、ドツボにハマってしまう、というわけだ。
少なくとも、彼女自身の判断としては、半数は妥当だな……と思えてしまうからこそ、『いや、それはマズイんじゃないかな?』とも思えるわけで。
……。
……。
…………しばし考えた彼女は、そうだ、と閃いた。
「注文した子供の感性に従おう。子供が悪と定めた者が悪だし、善と定めた者が善なのだ」
それは、とても良い考えだと彼女は思った。
同時に、それが正しい事なのだとも彼女は思った。
だって、あくまでも購入した人の意思が大事なのだ。
パンを注文されて、それがどのパンなのかを確認しないパン屋が居ないように、彼女はまだ購入した子供が考える『悪人』を聞き取ってはいない。
ならば、聞くべきだと思った。
そして、出来るかぎりニーズに応えるべきだとも思った。そうするのが、購入した相手に対する礼儀だとも思った。
「よし、行くか」
さて、結論を出したのであれば、もう後は動くだけ。
(現地の時刻は2時17分か……ならば、大脳コンタクトを行って、直接確認するのが一番手っ取り早いし、負担が小さいな)
彼女は、必要な装置を『工場』より作り出し……さっそく、現地の、子どもの寝室へとワープしたのであった。
……。
……。
…………さて、そうして、さっさとやる事を済ませようとしたわけだが。
(……ふむ、これって、いわゆるネグレクト児童というやつでは?)
ベッドで寝ている子供を見て、彼女は首を傾げた。
と、いうのも、だ。
まず、子どもが寝ている部屋だが、どうも物が少ない気がするし、キレイとは判断しづらい状態にある。
勉強机と、勉強道具一式と、あとは……服が収まっているクローゼットに、テレビは……無い様だ。
PCの類は無い。ただし、スマホが勉強机に置かれている。
充電器が刺したまま置かれている……たぶん、寝たままさせないようにする対策だろう。
透視センサーにて部屋の内部を確認……やはり、私物の数が少ない。
それでいて、ベッド下の奥の方……いや、マットレスの下に上手く隠している封筒を発見。
半重力装置を使って子供ごとマットレスを浮かし……封筒を取り出す。センサーにて改めて確認すれば……そこには、男性と少年が映った写真が。
……ふむ。
表面的な部分しか確認していなかった己を戒め、改めて事前に収集していたデータベースより引き出した情報を照らし合わせ……なるほど。
どうやら、写真の男性はこの子の実父のようだ。
で、現在は母親と離婚し、母親が保護者になって引き取っているようだが……どうやら、かなり強引な形で引き取ったっぽい。
通院歴こそ無いものの母親はかなりのヒステリック気質のようで、事あるごとに少年に対して威圧的な態度を取っているようだ。
……なんで知っているかって?
そんなの、世界中に放っている極小スパイロボットからの情報で……話を戻そう。
彼女の判断からすれば父親の方がまともだから父親の方へと思ったのだが、どうやら父の職場がここから離れているようで、父の方へ行くなら引越しをする必要があるらしく。
環境が変わるのを良しとしなかった、表面上の通院歴が無いことから、母親の方に……と、なったようだ。
……で、だ。
息子を愛しているから引き取ったというよりは、元旦那に一矢報いるためだけに引き取った面が強いから、すぐに扱いが雑になった。
父親の方も動いてはくれているのだが、仕事柄一人にさせる時間が長いので……とのことで、役所が中々動いてくれず。
少年はかなり寂しい日々を、それでいて、抑圧的な日々を送らされているようで。
その間に、どうやら母親は新しい恋人が出来たようで、この少年は前以上に邪険な扱いをされるようになっている……というのが、現状のようだ。
(少年を元旦那に渡さないのは、子どもを捨てた女というレッテルを張られたくないからか……)
なんとも哀れな……とは思いつつも、ソレはソレ、コレはコレ。
己がこれからやることにはまったく関係ないので、装置の出力を加減して、再び元の位置へ。
それから、途中で起きないよう薬液にて睡眠を深めた状態で……頭部に装置を取り付け、メモリージャック。
うぃん、うぃん、うぃん。
耳を澄ませてもまず聞こえないぐらいの小さな稼働音と共に、深く眠りついた少年の意識を抽出し、読み取り……それを見て、なるほど、と彼女は頷いた。
(要は、口だけで実際には正反対の事をしていたり、表面的には良い人だけど、その裏側は悪い事をしている……というのが、この子にとっての『悪』、というわけか)
おおむね、事前に彼女が考えていた『悪』とそこまで変わりないが……しかし、より具体的に答えを出すには、己では不十分だ。
──なので、取り出したデータを基に、少年の思想思考知識に感情、様々な神経伝達物質の影響をも忠実にトレースしたAIを作る。
やはり、私の意見を混ぜてしまうと、どうしてもそれは私の意思が混じってしまう……それは、この場合においてはノイズでしかない。
だから、コレに判断させることで、出来うる限り少年の心を、願いを、反映してやりたい、というわけだ。
もちろん、たた無作為に判断はさせない。
ちゃんと、彼女の方から参考データを出したうえで、それを少年AIに読み込ませ、判断させる……というわけだ。
本当は少年自身を連れて行って判断させるべきなのだろうが、あいにくその時間は、少年が学校に通っている時間帯だ。
相手が成人しているならばともかく、子どものうちは学校に通いなさい……と判断するタイプの元人間、現ボナジェであった。
で、だ。
超特急で作るので、見た目は機械の塊にいくつもケーブルが刺さった……まあ、そのおかげで、ここには機械仕掛けの少年が出来上がるのだけれども。
(さて、そうなると、これまで使っている装置の出力を上げねばならんな……ろ過装置もさらに性能の良いやつを用意せねばな)
そう、今回の場合、これまででは効率が悪い。
また、おそらく邪魔をしてくる者が現れるだろう。
たとえ、人類が所有している軍隊全てが力を合わせてやってきたとしても、『掃除用円盤』はビクともしないだろう。
ただ、わずかばかり行動を阻害されるのは……1時間しかない以上、そういうタイムロスは事前に対策しておきたいわけだ。
少年の頭から装置を外した彼女は、痕跡の一切を残さないまま……ああ、そうそう、と少年のスマホに細工をする。
人は、逆恨みする生き物だ。
どんな形で少年へ逆恨みしてくるか分からない以上、対策を施しておく必要があるだろう。
既に少年はSNSに自分が当選したということを投稿しているようだが、問題はない。
既に、全世界のネットワークは彼女の手中にある。
世界中のネットワークを探査し、少年の投稿すべてを書き換え、合わせて、コメントを引用しているすべてを別のモノに差し替える。
同様に、個人の機器に保存しているそれら全ても書き換える。たとえ、スタンドアローンだとしても、問題ない。
ネットワークから隔離されているのであれば、物理的に書き換えてしまえば終わりだ。
同様に、何人か……意図的に広めようとしていたインフルエンサーとやらにも、『警告』を行っておく。
警告を聞いて一切取り上げずに沈黙するならばヨシ、無視して続けるのであれば、こちらも相応に動くだけのこと。
そう、彼女は、素早くそれらすべての作業を終えた。時間にして、おおよそ18秒程度。
……そうして、やる事を全て終えた彼女は、今度こそ……この場を後にしたのであった。