ゴブリン退治に向かう新人達とドワーフの話 作:お前の隣の後ろの斜め右
第九話 二人
ぬちゃり、と足元の水がはねた。
いつもより粘液質な感じがして、念入りに地面を踏みしめる。
「気をつけろ」
盾鉱人は後ろを振り返った。
魔術師が松明で足元を照らしながら、注意深く歩いている。
「ここに落ちたくはないものね」
彼女が視線を横にやる。
汚れた水が、足元の水路を静かに流れていく。
黒とも茶色とも言えない色だった。
「処理はされているらしい。病気にはならん」
「実害がなくても、下水には落ちたくないでしょ」
魔術師が真顔で応えた。
盾鉱人も、否定はしなかった。
盾鉱人達は下水道に来ている。
彼等が受注した依頼は、下水に大量繁殖した巨大鼠の退治。
ゴブリンほど悪辣でなく、しかし、それなりに報酬は貰える依頼。
「新人にオススメの依頼」として、しばしば受付嬢に薦められるものだ。
「装備の分も稼がないと」
魔術師が、革のコートの襟を整えた。
前を行く鉄兜と目が合う。
「何よ」
「いや」
盾鉱人は何も言わず、正面に向き直った。
彼女が、故郷への仕送りと青年戦士の治療に、依頼の報酬金を7割使っていることを盾鉱人は知っている。
けれど彼女は、それを言い訳に使わなかった。
なら指摘するのは野暮だ。
声に出さないように、盾鉱人は笑った。口角は髭が隠すだろう。
「……上物だ」
彼女の革のコートを横目で眺めて言う。
「引退するって人から、その場で買い取ったの」
魔術師がコートを撫でた。
小さな傷がいくつか走っている。
だが、手入れはされていた。
革は動きやすく馴染み、裏地が魔物の革なのか、ある程度の防御力は確保している。
「『若人のためなら』ってかなり安くしてもらったわ」
魔術師が微笑む。
そして、盾鉱人を向いた。
「貴方も新調したんでしょう?」
彼女の指は、盾鉱人の左手を指す。
「片方だけだが」
ちらりと、盾鉱人は自分の手甲を確認した。
革と鎖帷子の手甲の上から、鉄板が幾つか貼られており、それは肩の上まで続いている。
盾鉱人は、『爆発する短剣』で負傷した部分を中心に、左手全体を金属で強化した。
金を道具やポーションの補充に充てた、という部分もあるが、今の防具をあまりいじりたくなかったし、どうせなら盾と斧に金を使いたかった。
だからというべきか、盾には汚れ一つないし、斧の切れ味も空気を切り裂くのではないかと思わせるほど、鋭い。
「防具は後衛に、優先的に当てがう」
「なら、武器は貴方ね」
「私は杖とこれがあるもの」
魔術師は腰にかかったスリングを軽く叩いた。
二人はそれから、水路に逆らって進んだ。
奥に進むにつれ、匂いが酷くなり、魔術師は首元に巻きついた布を引っ張って、口を覆いだした。
「ひどい匂い」
盾鉱人は眉をひそめて頷く。
生活水が処理され終わったばかり、というのもあるが、この匂いは、下水に暮らす生物たちの出す、野生の物特有の匂いだ。それもかなり強烈な。
「依頼内容は巨大鼠五匹の討伐だ」
「この匂い、変異種がいるかもしれんが」
「『無理はしない』、でしょ?」
ああ、と盾鉱人は、魔術師と目を合わせて頷いた。
ザアザア、と水の流れる音が近くなってきた。
もうすぐ源泉で、敵がいるだろう。自然と歩みが、慎重になる。
水音に混じって、ちゅうちゅう、と鳴き声が聞こえてきた。
時折、カサカサ、と薄い何かが擦れる音もする。
「うわ……、大黒蟲もいるのね」
物陰に身を隠して、魔術師が身を捩りながら呟く。
二の腕の部分を手で擦る。
「嫌いなのか」
「昔、顔に飛び乗られたことがあって」
盾鉱人は顔をしかめた。
「でも依頼なんだから、やるわよ」
魔術師は表情を引き締めると、杖を両手で構えた。
コートの隙間から覗く胸元が、少し鳥肌ぎみだが、盾鉱人は見てみぬふりをする。
「まずは、鼠と黒蟲を分断する」
盾鉱人は、ゆっくりと、斧を鞘から抜いた。
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ちゅうちゅう、と金属を捻ったような、耳障りな鳴き声だ。
横道から覗く盾鉱人が小さくうなれば、隣で魔術師が、はあ、とため息をついた。
「巨大鼠二匹、大黒蟲五匹」
盾鉱人の言葉に頷いて、魔術師はスリングを腰帯から外した。
石を小石のポケットから取り出し、狙いをつける。
「打ったら、俺の後ろに」
「前衛は任せた」
いうが早いか、魔術師は石を飛ばす。
スリングの張力で勢い良く飛び出した石ころは、巨大鼠の一匹に命中した。
仕留めるつもりがないとはいえ、投石にはそれなりの威力がある。
石が当たった瞬間、びくっ、と身体を震わせて、衝撃の方向に目を向けた。
周りの鼠と黒蟲も、にわかに騒がしくなる。
鼠の黒い瞳と目が合う。
下手人を見つけた鼠が、一際鋭く鳴くと、駆け出してきた。
「来るぞ」
魔術師が盾鉱人の後ろに下がった。
下がるついでに、通路の入り口にポーションを撒く。
巨大鼠が、水路に飛び込む。
器用に泳いで、こちらに近付いて来ている。
大黒蟲は、水路の向こうで羽を震わせている。
彼等にちょっかいを出す前に、盾鉱人達は、水路を挟んだ対岸の通路に移動していた。
「水路を挟めば、蟲は遅れる」
加えて、通路にはポーションを撒いてある。
蟲は、薬臭さに敏感だ。飛んできたとしても、躊躇する。
効果時間は短いが、巨大鼠を相手どる隙は、充分に稼げる。
「高いけど、必要経費よね」
魔術師は不敵に笑う。
振り返り、杖を入り口に向けて、立つ。
ざばり、と下水から巨大鼠が上がってくる。後ろにもう一匹続いた。
盾鉱人は、入り込んだ道の少し奥で、盾を構える。
この通路は狭く、巨大鼠達は横並びには入れない。
つまり、擬似的な一対一、になる。
「来い」
巨大鼠は鋭く鳴くと、盾鉱人に突進してきた。
腰を落とし、衝撃に備える。
巨大鼠は勢いのまま、盾にぶつかるが、盾鉱人は一歩も動かず、受け止めた。
後ろに守るものがいる時、彼は引かない。
「巨人の一撃でも止めてやる」
小さく呟いて、斧を振り上げる。
突進の衝撃で硬直している巨大鼠の脳天に、振り下ろす。
肉と硬い骨を割る感覚が手に伝わる。
びくり、と痙攣して巨大鼠はその場に倒れた。
盾鉱人は、半身を引く。
「今だ‼︎」
「《矢ーーー射出》‼︎」《サジタ・インフラマラエ・ラディウス》
早口で、透明な声が通路に響く。
真言により、火の矢と化した魔力が、死体を縫うように、もう1体の巨大鼠に向かう。
巨大鼠の足に力が入る。
盾鉱人は手投げ斧を投げた。
斧は巨大鼠の眼球を外れ、頬骨に刺さる。
短い悲鳴の後、巨大鼠の身体が痛みにより硬直し、火矢がそのまま命中する。
甲高い悲鳴の後、巨体が炎に包まれる。
脂まみれだった身体が、勢いよく燃えた。
ふらふらと、水路に向かって歩んで、力なく通路に倒れ込んだ。
魔術師は、小さく息を吐いた。
「次だ」
盾鉱人は斧を鞘に収める。
燃えた一匹は下水に流し、もう一匹を通路に残した。
「何それ」
「奴らが入る隙間を塞いでる」
手伝おうとした魔術師を手で止めて、応えた。
「まだ来るぞ」
備えろ、と後ろに下がらせる。
ガサガサ、と耳障りな羽音と、何かが蠢く音。
魔術師の顔が少しだけ引きつった。
「ぬぅん!」
死体の隙間から顔を出した大黒蟲を、斧で切断する。
体液が飛び散る前に、斧を素早く抜いた。
盾には掛からなかった。
「わ、私も手伝うわ」
青ざめた顔で、魔術師が盾鉱人の隣に並ぶ。
盾鉱人は、挟まった死体を無理やり押し戻す。
「マスクをつけろ。体液は毒だ」
伝えながら、手投げ斧を手渡した。
分かってる、と首の布を口元に引っ張りながら、魔術師は手投げ斧を振るう。
ぐちゃ、と液体質な音で、斧が大黒蟲の頭に刺さった。
「うわっ‼︎」
体液がかかる前に、魔術師は飛び退いた。
魔術師の顔が、マスク越しでも分かるくらい青褪める。
「……休んでてもいいぞ」
「いや、やる」
魔術師は大黒蟲の死体から、斧を引き抜く。
「頼りっぱなしは、性に合わないの」
彼女は、蠢く大黒蟲の触覚を、切り裂いた。こすれるような悲鳴で、大黒蟲が引っ込んだ。
盾鉱人は、小さく笑った。
しばらく二人で大黒蟲と格闘していると、突然、声が聞こえてきた。
「ソこに、誰カ、イルのか」
たどたどしく、二重に聞こえる声で、こちらに問いかけてくる。
最初、二人は反応しなかった。
空耳だと思ったし、隙間から侵入してくる大黒蟲を迎撃するのに、手一杯だったからだ。
突然、羽音が止む。
不自然な静けさに、魔術師が気が付く。
「何かの、声?」
魔術師は、手投げ斧に付着した大黒蟲の体液を振り落としながら、怪訝な顔をする。
盾鉱人も動きを止める。
「ヤっと、気付イたカ」
「ほら‼︎」
魔術師が顔をこちらに向けてくる。驚愕と、少しの恐怖が瞳に浮かぶ。
「誰だお前は」
獣の唸り声のような、低い盾鉱人の声。
キリリリ、と蟲の鳴き声のような返事が返ってくる。
「オマエら、冒険者、だロ」
「コい。ボスニ、あわセル」
声が、ほんの少しだけ早口になる。
盾鉱人は鼻から息を、短くはいた。
「質問に答えろ。お前は、誰だ」
また、鳴き声がする。
一拍、静かになった。
盾鉱人は魔術師に目配せをすると、斧についた体液を荒く、布で拭った。
魔術師が頷いて、杖を構える。
生唾を飲み込んだ。
「待テ」
盾鉱人達の背後から、声が聞こえた。
考えるより先に、盾鉱人は動き出す。
盾を構えながら、即座に反転。魔術師の前へ躍り出る。
(蟲。……蜘蛛か)
低く構えたまま、盾鉱人は暗闇を睨む。
目の前の影は、特徴は蜘蛛だが、人型で、赤い複眼を爛々と輝かせていた。
「争ウ気はナイ」
蜘蛛の人型が、両手と思しき、脚を上げる。
脚の先端が細く、鋭い。残りの脚が暗闇で、蠢いた。
「信じられると?」
「襲うつモリなら話しカケンだロう」
脚をあげたまま、平坦に言う。
盾鉱人と、蜘蛛の人型が睨み合う。
「……貴方、蟲人ね」
沈黙を破ったのは魔術師だった。
盾鉱人の後ろから、青い顔を覗かせて、切長の目を蜘蛛の蟲人に向けている。
蜘蛛の牙が、かちり、と鳴った。
「知ってるのか」
盾鉱人は身じろぎする。
「学院で、少しだけ」
蜘蛛の蟲人が身体を震わせた。
「蜘蛛人ト蟲人を一緒クタにするナ」
「だが、マア良い。向こうノ仲間のコトば通り、ボスが会いタがっテいル」
案内しヨウ、と蜘蛛人は続ける。
「……」
「分かった」
「おい」
盾鉱人の後ろから出て、蜘蛛人に続こうとした魔術師の肩を、掴んだ。
翡翠色の瞳と目が合う。
「何よ」
「催眠にでも掛かったか」
彼女の目の前で、柏手を打った。
ぱあん、と小気味いい音が鳴る。
鼠の死体の向こうで、キリリリ、と別の蟲人が鳴き声をあげた。
魔術師は五月蝿そうに、顔を背けた。
「不意打ちなら、いつでもできたはず」
「それをしないってことは、今のところ敵意はない」
盾鉱人の手を丁寧に払う。
魔術師の顔が、盾鉱人に近付いた。
「……嫌な感じはする」
盾鉱人が口を開きかける。
「でも」
「ここで戦うのは危険よ」
挟み撃ちにされてる、と魔術師は矢継ぎ早に続けた。
盾鉱人の琥珀色の瞳が一瞬見開かれた。
そして、目線が下に向く。
蜘蛛人の赤い複眼が、じっと、二人を見つめていた。
盾鉱人は深く、ため息を吐く。
「選択の余地は無いな」
斧を鞘に戻しながら、盾鉱人は蜘蛛人に向き直る。
「案内してくれ」
蜘蛛人は、軋むような鳴き声をあげると、ゆっくりと反転した。
するどい脚が、下水道のレンガに当たって、こつこつと音を立てる。
「信用デきルかワカランが」
蜘蛛人が振り返って、盾鉱人達を捉えた。
「私タチはお前ラと同ジ、秩序側、ダ」
「証拠に、ワタシはチボ神様を信仰シテいル」
脚で器用に、懐から聖印を取り出した。
聖印に書かれてたマークは、女神官が身につけていたシンボルと一致している。
「信仰の詐称なんて、いくらでも出来る」
「……ソレもソウダ」
吐き捨てた盾鉱人に、少しだけ達観を混ぜて、蜘蛛人は応えた。
キリリリ、と鳴き声がした。
「イクゾ」
蜘蛛人が声をかけると、耳障りな羽音と共に、鳴き声が遠ざかる。
「マタ、後でナ」
遠ざかる直前に、死体の向こうから二重の声で、蟲人が声をかけてきた。
魔術師は顔を、少しだけ顰める。
そこから、案内された場所に着くまで、二人は無言だった。
盾鉱人は盾を、魔術師は杖を、握り込む。
蜘蛛人が軋むような声をあげる。
暗闇の向こうには、灯りが浮かんでいた。
余談ですがpixivとかで、今までのをまとめるかもです。