廃棄物保管所の中はひどく雑然としていた。
建物と建物の間の空間をフェンスで仕切った中は、所狭しと捻れた鉄骨、赤錆の浮いた大小の機械部品が危うい均衡の山脈を成していた。その合間を縫う通路……と呼ぶには余りにも手狭な間隙にも、転がり落ちたネジや金属片が散らばり、元の地面はほとんど見えぬ有様。中型航空機のショックウェーブにとって、音を立てぬように進むのは至難の業だった。
──やれやれ。ナイトストーカーに任せておくべきだったか。
身を捩って廃棄物の山をどうにかすり抜けながら、ショックウェーブは自身のサブスペースの中にカセットの姿で収まる秘書を思い苦笑した。
自身を追う追跡者の苦心など露知らず、橙色の小型機は廃棄物の中を軽々と進んでいく。進みながら時折足を止めると、ジャンクの山の中から幾つかの機械部品を掴み取り、ためつすがめつした後一つ二つを袋に放り込む。実に手慣れた様子だ。街中の市民たちの抑制された“迷いのなさ”とは違う、経験と知恵が導く手際の小気味良さ。しかし、同時にそれは彼がどれほどの長きにわたってこの生活を送って来たかをも物語っていた。
先ほど鍵を開けて見せた様子からしても、自身の能力を自覚していることは間違いない。推測するに、彼が持つのは機械操作系の能力だろう。問題は、どの時点でその能力を発現し、そして自覚するに至ったのかだ。ゴミ漁りをして生きながらえなければならない境遇が、この異端の能力に根ざしている可能性すらある。
……うっかり思索に耽り、注意を疎かにしたのが不味かった。
先を行く小さな背中を見据えながら歩む足元が僅かに沈み込む感覚を覚え、ショックウェーブはぴたりと足を止めた。が、遅かった……構造全体が脆くなっていたのか、ほど近いジャンクの山の頂が均衡を崩してきしりと音を立てた。そしてわずかに揺らいだ山から、たった一つ、ネジが転がり落ち……金属片が埋める地面の上、きん、と冷たく跳ねた。
瞬間、小柄な機体が弾かれたように振り返る。動作に煽られたボロ布が僅かにずれ落ち、暗く覆われていた顔がわずかに露わになった。
その容貌を捉え、ショックウェーブが息を呑むのと。
追跡者を視認した小型機が身を翻して駆け出したのは──ほぼ同時だった。
「……待ってくれ!」
虚しく呼び止める声を、慌ただしく蹴散らされたジャンクの騒音が掻き消した。橙色の背中がたちまち錆びた機械の列の向こうに消え失せる。闇雲に追おうと踏み出した足元で堆積した金属片が雪崩れ落ち、ショックウェーブの足を掬った。
手近な廃棄物の山に手をつき、無様に地面に投げ出されそうになるのをどうにか踏み止まる。そのまま全センサーの感度を最大限に上げ、周辺の様子をスキャンした。
遠ざかっていくはずの足音。その振動が感じられない。逃げているのであれば、足音が途切れることはないはずだ。つまり、立ち止まったか、あるいはどこかに潜んだか。
加えて、機体表面に感じる、ひりつくようなこの独特の感覚。まだ近くにいる。こちらを“見て”いる。
確信と共に、ショックウェーブは一歩足を踏み出した。そして、再度声を張り上げる。
「君!いるんだろう!」
返答はない。
「オレンジ色の君だ……安心してくれ、私は軍警じゃない。そもそも、
尚も己の声の反響のみがショックウェーブに応えた。
「君を叱ったり、軍警に突き出したりするつもりはない。ただ、ここは危ない……君のような小型機が事故に遭ったりしたらと思うと気になって、つい後をついてきてしまった。驚かせてすまなかった」
すまなかった。すまない。
そうだ、
──
先ほど一瞬だけ確かに見えた、目深に被ったボロ布の下の顔。冷たく聳える
──エンピュラータ刑。
政府の意図に沿わぬ者の顔を削ぎ、両手を落とし、粗悪な既製部品と置き換えて負の烙印と成す事実上の凌恥刑。セイバートロンの社会に今なお根付く、古く忌まわしい見せしめの刑罰。
何故予想できなかった。この都市にアウトライヤーがいたとして、これほどまでに抑圧的な市政において彼らが既に捕捉されていないと、弾圧の対象になっていないと何故無意識に楽観視していた。苛立ちの熱が胸のうちを焦がし、ショックウェーブは我知らぬうちに奥歯を噛み締めていた。
遅かった。間に合わなかった。……守れなかった。
──だが、せめて。
せめて、これ以上傷つけられる前に。
自分でも正体の分からない焦りに突き動かされ、再度呼びかけようと口を開いた、その時。
「……僕より、自分の心配をした方がいいんじゃないですか」
突然の声は、思いの外近くから響いた。トンネルの中を思わせるような冷たく金属質な反響を伴っている。その出所は判然とせず、ショックウェーブは咄嗟に身を翻して周囲を見回した。
「……よその人、ですよね。もう暗くなるし、“羽付き”の人はあんまり外にいない方がいいです」
続く言葉は先ほどよりも声量を抑えられ、ほとんど囁くような調子だった。その位置は──己の足元近く。
「戒厳令、かなりきつくなってて……市民の人でも、陽が落ち始めたら出歩かないんです。ここ、見て回るようなとこじゃないでしょう」
片膝をつき、ショックウェーブは慎重に視線を落として左右を見渡した。目に留まったのは、自身の左手側の壁面──表層のコンクリートが崩れかかり、大小の配管が露出した合間の暗がりだった。目を凝らして注視すると、燐光めいてぼうと光る眼差しがこちらを見返した。間違いない、先ほどの小型機だ。
有機植物の蔓のように縦横に走る配管の一本に鉤爪をかけ、橙の小さな機体が身を屈めていた。頭から被ったボロ切れの下で青い単眼がきとりと動く。
壁の亀裂の向こうは何らかの空間に繋がっているのか、その暗闇は見通せない。声に反響がかかっていたのは、この背後の空間のためか。両者の距離は、ショックウェーブの腕二本分ほど。
膝を落としたまま声の主に向けて身体を捻って向き直ると、動きに反応して小さな機体がはっと息を詰め、わずかに身を引いた。これ以上近寄ろうとすれば、即座に身を翻して闇の奥へと姿を消すだろう。
己を戒めるように深く一度、排気する。そして意識的に表情を緩めると、ショックウェーブは務めて人好きのする笑みを形作り、呼びかけた。
「私を心配してくれるのか、ありがとう。でも大丈夫、実は元はここの出身なんだ。こうして出歩く許可もちゃんと取っているから、そう簡単にまずいことにはならないと思うよ」
「ふーん……今はヴォス?」
「いいや。アイアコンにずっといた」
アイアコン、と確かめるように繰り返した声は警戒の色を宿しつつも、完全には棘になりきれない柔らかさをどこかに残していた。まだ稼働年数の浅い、少年と言って良い年頃なのだろう。冷たく乾いたターンの空を映したような、どこか掠れて寂しげなその響き。
「遠い街だ。そんなとこから」
「ああ。ここには仕事で少しの間だけ帰ってきてるんだ。久方ぶりの里帰りといったところだな」
そう話しながらも、ショックウェーブは幼さの残る声音に奇妙な懐かしさを覚えていた。R音に軽く混じる巻き舌、柔らかに滑る子音。ターンの市井の人々の言葉だ。遥か昔、ターン市中で起動して間もない若き日に、日常として耳にしていた言葉。
先ほどまでの市政要職者や軍人たちの話す言葉も確かにターン訛りを残していたというのに……よもや、このような暗がりで名も知らぬ少年の声に忘れていた郷愁を呼び起こされるとは思いもしなかった。
懐かしさに駆られ、彼は少年機に向かって更に言葉を続けた。
「君さえ良かったら、少しだけ話さないか。こっちの市民の人と話すのは久しぶりなんだ……ターンの言葉が懐かしくてね。君、名前は?」
「……言わない」
「そうか。……私は、ショックウェーブと言うんだ」
名を告げたのはひとつの賭けだった。これほどまでに統制が厳しいターン市中において、外部の高官の訪問を市政が公表しているかはかなり怪しい。よってこの少年が己の名からその素性に思い当たる可能性は低かったが、“政府側”の者であると勘付かれれば、彼の心証を損ねることは想像に難くない。
一か八かの名乗り、果たして一縷の親近または相容れぬ不信、そのどちらに転ぶか。だが少しでも良い、彼との縁を残しておきたかった。
やや息を詰めて反応を窺う議員の前、少年はどこか居心地が悪そうにもぞもぞと身体を揺らした。配管に添えていた手の塗装の剥がれかかったあたりを気にしてか、もう片手の爪で毟るようにしている。
「ショックウェーブさん。僕と話しても、面白いことなんて何もないと思いますけど……」
「ああ、困らせてしまったか、すまない。そんなに難しく考えなくていいんだ、そうだな……私の知らなそうな、最近の
ふん、と子どもは釈然としない様子で唸る。
「最近……最近かぁ」
「例えば、君が住んでるあたりはどんな感じかな。どこのあたりに住んでるのかな」
「いろんなところ。あっち行ったり、こっち行ったり……ショックウェーブさんはどのへんに住んでたんですか」
「私かい?私はこの近く──第二区画のやや
「第二区。軍人さんがいっぱいいるところだ。軍人さんだったんですか?」
「……そうだね。正確には、“なるところ”だった。第二区の士官学校に通っていたんだよ」
答えながら、ショックウェーブの胸には僅かな苦味が滲む。自分が生まれた頃はまだこれほど露骨な強権支配ではなかったが、ターンの軍国主義は今に始まったものではない。戦車、装甲車両、銃火器、そして航空型。生まれ落ち起動した瞬間に軍人としての徴用が決まる宿命は、若き日の自分とて例外ではなかった。
そんな胸中をよそに、橙の小型機は頭から被った古布の端を捻りながら「いいなぁ」とひとりごちるように呟いた。
「軍人になりたかったのかい、君」
「軍用型なら、もっとマシな暮らしができるから。でも僕は……」
どこか逡巡するような間に続き、
「“ダメ”、だって」
── 自ら口にすることすら古傷を開くような痛みがある。そんな印象を伴う、かけそく消え入るような言葉だった。
ショックウェーブは、虚をつかれて言葉を失う。
能力、適性、それらを切り分ける冷静な評価ではない。己の存在価値そのものへの疑いを浴び続け、最早痛みすら摩耗しつつある者の疲弊がそこには滲んでいた。
……しかし。
「……もし別の生き方ができるとしたら」
考えるより先に、咄嗟に口が言葉を紡いだ。項垂れていた子どもも、怪訝そうに顔をもたげる。
「今より別の生き方を選べるとしたら、君は……どうする?」
「……?」
「今の生活に満足しているわけではないんだろう。想像はできる──ターン市は“戦力にならぬ者”に対しあまりにも冷たい」
軍人として重用されるのは、大型車や銃火器ばかり。小型の機体格の者ともなると、軍のポストは一気に狭まる。斥候や歩兵になれたとしても昇進は望めず、もし今後戦が起これば前線で使い潰される日が待っている。
「だが、その価値基準はターンのみでの話だ。航空都市ヴォスでは空翔ける速さが至上の価値。商業と文化の華たるプラクサスでは知と教養こそが真の強さだ。──ひとところでの“価値”は、人ひとりの存在を真に形容するにはあまりにも狭い。それは、あくまでもその場所だけでの物差しにすぎないんだ」
知らぬ間に言葉に力がこもり、相対する少年はおろ、と周囲を見回す。理解が追いつかないのか、それとも目の前の見知らぬ大人の言葉から押し寄せる熱量に戸惑っているのか。
事実、今自分が告げていることはあまりにも危うい。ターン市の在り方はもちろん、機能主義そのものへの疑念と取られかねない内容だ。ここがアイアコンの議会であれば、場内は騒然としていたことだろう。
だが構うものか。ここにいるのは自分とこの子の二人だけ。これは『アイアコンの議員』でも『ターンのショックウェーブ』でもないただの『ショックウェーブ』の、たった一人の相手に向けた言葉だ。
「君はまだ、世界を知らない。ここでの“価値”は、ここ以外の世界における君の可能性の否定には繋がらない」
今分からずとも良い。
どこか祈りめいた気持ちで、ショックウェーブは言葉を重ねた。この一欠片でも胸の内に残れば。今日、明日ではなくとも、いずれ、いつか。
……彼を胸の内を照らす
「君は、見てみたいとは思わないか。外の世界には何があるのか。そこでは、自分が何者たれるか」
言葉を切り、余韻に任せるように口を閉じると、ショックウェーブは淡い青の眼差しで黙りこくったままの少年を見つめる。両者の間に、沈黙が流れた。
「……“外”か。考えたこともなかった」
ぽつり、と少年の声が静けさを破った。そこに先ほどまでの警戒の色はない。
「ヴォスやプラクサス。アイアコン。名前は知ってても、どんなところかは全然知らないし」
「そうだろうね。ターンの外は、ここの中からでは想像もできないような場所ばかりだ。軍用型もいれば、そうでない者の方が多い街もある」
「……軍用型以外の人も、普通に生活してるんですか」
表情こそ窺いにくいが、子どもの声には年相応の好奇心が宿り始めている。それにどこか安堵を覚えつつ、ショックウェーブは大きく頷いてみせた。
「ああ。仕事も役割も、街ごとにまるで違う。ここでは“意味がない”とされている能力でも、他所では長所になることだってある。……君にも、そういった力があるかもしれないんだよ」
最後は意図的に含みを持たせ、ショックウェーブは相手の反応を待つ。
しかし少年は、そっと息をつくと小さくかぶりを振ってみせた。
「……僕には、ありえない話です」
未練を漂わせつつも、あらゆる期待を冷たく切り離す刃が落ちた。
「この街を出ることなんて、出来っこない」
……ああ、やはり。
ターンの防壁は、街だけを包むのではない。その内に住まう者の胸の内にも、こうして頑なに乾いた殻を築いてしまう。自ら夢見ることを禁じた者の諦念の果てが、そこにはあった。
予想はしていた。覚悟はできていたはずだった。
──それでも、胸の奥が小さく軋むのを止められないまま、「そうか」とだけショックウェーブは呟いた。
いつの間にか、廃棄物保管所のフェンス越しに緋色の光を投げかけていた夕陽は温度を失いつつあった。深紫の闇の紗が積み重ねられた廃棄物から成る歪な塔や、その合間にかがみ込む議員の影から輪郭を奪う。夜が近い。
それを感じ取ってか、少年が意を決したように口を開いた。
「僕、もう行きます」
「そうかい。……随分引き留めてしまったね。すまなかった」
名残惜しいが、今日はここまでか。見切りをつけつつ、ショックウェーブはサブスペースの中から一枚のカードを取り出した。
「話に付き合ってくれたお礼だ。良かったらこれ、貰ってくれないか」
「……?」
「あ、こっちではあまり使われてないのかな。チャージ式の貨幣カードだよ。そんなに多くはないけどまだいくらか残高があるから、好きに使ってくれ。それとも、現金の方が使いやすいかな」
「……大丈夫です。換金できるところ、知ってる」
「そうか、良かった」
破顔し、ショックウェーブは続いて取り出した小さな封筒にカードを納め、少し考えてからフラップの裏部分にペンを走らせる。折り返して閉じたそれを地面に置いて軽く勢いをつけ、相手のいる壁の亀裂に向けて滑らせた。ざらついた舗装の上を軽い擦過音と共に滑ってきたそれを、鉤爪の手がさっと押さえて止める。ナイスキャッチ、と朗らかに呼びかけた声に、少年は曖昧に頭を傾けて応じた。
「封筒の中に私の連絡先を書いてある。……もし他に聞きたいことや、困ったことがあったらいつでも連絡してきてくれ。こちらには明後日の昼頃までいる予定だから」
「ありがとうございます」
「こちらこそ。今日はありがとう、久々にターンの人と話せて楽しかったよ」
礼を告げながら、ショックウェーブは会話の終わりを示すように立ち上がった。
「……じゃあ、気をつけて。出来れば、また会えると嬉しい」
オレンジ色の機体も小さく頷き、屈めていた体を起こした。そのままくるりと踵を返して歩み出し──ふと、足を止めた。一瞬だけ迷いを浮かべ、見送るショックウェーブを肩越しに振り返る。
「あの。僕の名前、さっきは教えなくてごめんなさい。……名前を教えてもらったなら、自分も教えるべきですよね」
どこか言い訳めいた前置きの後、
「──僕の名前、ダムスっていいます」
小さく、己の名を告げた。
思わぬ置き土産に一瞬目を見張った後、ショックウェーブは目を細めて笑う。
「ダムス。そうか、ダムスというのか。……ありがとう。良い名前だ」
その返答を聞き届け、軽く会釈を返すと少年──ダムスは再びその身を翻した。配管の帳の向こう、その小柄な背中はすぐに暗がりに飲み込まれて見えなくなる。だんだんと遠ざかる小走りの足音に耳を傾けつつ、ショックウェーブは
「──では、頼んだよ」
ギゴガゴ、と小さな変形音がそれに応えた。カセット型のままサブスペースに収められ会話の様子を見守っていた忠実な秘書は、地面に降り立つと長い尾を一つ揺らす。そして、すぐさま壁の亀裂へと機体を潜らせた。
漆黒の機体は見送る暇すら与えず暗闇に溶け込み、一人夕闇が深まる廃棄物置き場に残された議員の耳には、今度は足音の残響すら届かなかった。
ダムスの情報を得ることは存外に容易かった。名前、オレンジ色の小型機、そして何より──エンピュラータ受刑者であること。手掛かりとなる特徴は充分だった。
ことに、市治安局の高官との夜の会食は思わぬ収穫に繋がった。治安維持の話題からそれとなく話を広げ、現在市内在住のエンピュラータ受刑者のリストを入手できたのだ。
リストに連なる名前の数は思いの他多かった。内心で眉を顰めるショックウェーブをよそに、相手は「不安分子は常に管理しております。良き統治とは徹底された管理より成るもの。アイアコンに遅れは取りません」と底冷えのする笑みを浮かべてみせた。
……時代遅れの見せしめ刑で摘み取った首の数を外部の者に向けて誇るか。やはり、この街は狂っている。
沸き起こる不快感は事務的な笑みで押し殺し、アイアコンの議員は決意を新たにした。このまま彼を──ダムスをこの場所に置いていくことはできない。
逗留先として案内された迎賓館の一室で腰を落ち着けると、ショックウェーブは早速戦利品のデータを開く。長く伸びる名前の列の中から橙の少年のものを手際よく見つけ出し、資料に目を落とした。
エンピュラータ刑に処された際の日付、そして罪状に続いて起動年月。
「あの子は……そう、だったのか」
データパッドを持つ手に知らずに力がこもり、金属のフレームが僅かにきり、と音を立てた。白い指先で文字列をなぞる。どこか傷ましいものを撫でるように触れた、その言葉。
『ポイントワンパーセンター』。
かつてこの街で、軍人以外の道を固く封じる理由がオルトモード以外にももう一つ存在していたことを彼は思い出す。
自身の機体の奥深く宿る、サイバトロニアンの生命の核──スパーク。通常は淡く青く輝くそれは、彼においては世にも珍しい翡翠色をしていた。
“
「ダムス。君も……そうだったのか」
名だたる戦士を輩出してきたその稀性に、若きショックウェーブも未来の航空戦力としての将来を嘱望された。だが当の本人は、軍人としての訓練にも、故郷の盾たれとの教育にも、どうしても馴染めなかった。
否やを申すことすら許されず、半ば諦めて敷かれた道をなぞる日々。その道から抜け出せたのは、偶然アイアコンより視察に来ていた師ジアクサスが己を見出したからだった。機能主義の縛りを抜け出し、自らの心のままに生きられるように──そんな思いを込めて作り上げた学園の名に師の名を与えたのは、そうした背景もあった。
先ほどの少年の様子が頭をよぎる。軍人になりたかった、と語り、肩を落とした少年。
──でも僕は、“ダメ”だって。
翡翠色のスパーク。それは発見の時点で余りある期待を寄せられる。起動前の彼もそうであったはずだ。だがそのスパークを核に形成された機体が軍用規格に満たない小型機であり、大型外殻を操縦する特性の“ロードベアラー”ですらなかった時、周囲の落胆はいかほどであったろうか。あまつさえ機能主義社会では異端となる力を持っていると分かった時、落胆が忌避へ、そしてやがて嘲弄となって彼に浴びせられたであろうことは想像に難くない。
──僕には、あり得ない話です。
そう、まるで街を出られないことが確定しているような。エンピュラータ刑による社会的スティグマ、ターン市の出市規制の厳しさを懸念したとしても、彼が即座に自身の夢想を否定してみせた理由は。
……彼は理解していたのだ。軍用型としては用を成さず不都合な異能を持った個体でも、ポイントワンパーセンターという稀有なスパークを持つ以上、ターン市が己を大人しく他所の都市にくれてやろうはずもないことを。
短い邂逅の中でダムスが見せた、あまりにも深い諦観──全ての辻褄が噛み合うように合わさっていく。
資料を閉じ、ショックウェーブは座したまま天井を仰ぐ。そのまま、深く長く排気した。
ダムスをこのままここに残していくことはできない。それは既に決めたことだ。だが。
「さて。どうしたものか……」
問題は、いかにしてターン市にダムスを手放させるか、だ。
他都市であれば通常の出市手続きを行わせ、連れ出すだけで良い。しかしここはターン市──市民の出市は厳正に管理されており、移住は勿論、旅行を目的とした移動も制限されている。今朝方見せた出入国の厳格さを見る限り、知らぬ顔で連れ出そうとしても必ずやチェックが入る。市政公認の上での出市が不可欠だ。
加えてダムスはポイントワンパーセンターだ。現状戦力とはみなされずいつ野垂れ死んでもおかしくはない環境に捨て置かれているとはいえ、アイアコンがターン市民のワンポイントパーセンターを“横取り”して何かを企んでいると嫌疑をかけられては新たな都市間の火種になりかねない。南方情勢の緊張を考えると、ターン市を刺激し今後に禍根を残すことは避けたい。
……何より、今回は肝心の本人の同意を得るのも中々に手強そうだ。既に権威に傷つけられ、不信と諦念に縛られた彼を如何にその気にさせられるか。
こちらでの公務や予定をこなしつつ、ダムスのジアクサス誘致に向けて根回しを行うとなると、移動や合間の時間をフルに活用したとしてもとても手が足りない。ターン市の警戒を避けるため、随伴の部下や身辺警護要員を最小限にしてあることもここにきて仇となる。そのうち一人をダムスの追跡にすでに割いてしまっているとなると尚更だ。士官学校時代の知己を頼ることも頭をよぎったが、今回の条件を考えると軍部関係者との接触は最小限にしておくべきだ。
片手で顎を撫でながら考えを巡らせた議員の頭の中、ふとある可能性が浮かび上がってきた。
……学校。学校といえば。
ジアクサス学園は現在は学期間の休暇中。その間の過ごし方は、生徒達の自由に任せてある。
先の学期末、公務の合間を縫って訪れた学園、楽しげに休暇中の予定を話す生徒達の中に、確か。
「ここは一つ、“彼”に頼ってみるか」
意を決して立ち上がり、ショックウェーブは通信端末を開いた。登録された連絡先の中、該当の人物のものを選び出す。音声通信の呼び出し音は、幾許もしないうちに相手の声へと切り替わった。
《……先生。どうしましたか》
素早い応答は真面目な彼らしい。口元に笑みが浮かぶのを感じながら、ショックウェーブは教え子の名を呼んだ。
「……スキッズ。少し、相談がある。時間はあるかな」