──ターン市第三居住区画、辺縁。
無骨ながらも定規で引いた線のように整然と配置された区画中央に対し、汚れた外壁が噛み合わせの悪い歯並びのように複雑に噛み合う街並みの中を行く小柄な影があった。
市を囲む山が翳す早い夕闇は既に深まり、宵の色濃い墨があたりを満たしつつあった。が、その暗さを和らげる街灯の光も、家々の窓の光も一つとしてない。昼間の光に慣れた目が最も視力を失う薄暮から宵にかけてのわずかな間の闇こそが、小柄な影──ダムスの数少ない味方であった。
昼間は軍警や街頭の監視カメラの動きが活発で、表立ってゴミを漁るなどもっての外。しかし本格的な夜になると今度はそれらが抑えていた、ターンの裏社会のより危険な者達が動き出す。彼らとの鉢合わせを避けるため、ジャンクや廃棄物漁りは早朝と黄昏時の僅かな間に済ませるようにすること。それがダムスがこの街で生きるためにつけた知恵だった。
あたりを窺い、周囲に何者もいないことを確認すると、ダムスはさっと通りを横切った。辿り着いた反対側、傾いた建物の基盤が作る楔状の隙間に小さな身体を更に縮めて潜り込む。匍匐前進するようにして奥へ、奥へと進んだ先は急に地面が落ち込み、配管や雑多に絡んだケーブルが成す小さな洞窟状の空間になっていた。大きさは小型機の彼でも膝を抱えて座ってやっと天井に頭が触れないか、といったところ。
周辺の配管の中を流れる温水で夜でも比較的暖かく過ごせるこの場所が、現在のダムスの寝床だった。だが、設備点検等で見つけられる、あるいは他の浮浪者に場所を横取りされるなどして追い出されるまで、あと幾日ここで過ごせるだろうか。
ジャンクが詰まった袋を傍に置き、膝を抱えて座り込む。サブスペースの中に手を差し入れ、取り出したそれは──小さな封筒だった。彼の手のひらより一回り小さいそれは、先ほど出会った風変わりな大人から受け取ったものだ。封筒の口を軽くめくってみたが、かろうじて己の手先が確認できる程度のこの暗がりでは、そこに書かれた番号の羅列は読み取れなかった。
──ショックウェーブ。
アイアコンから来たという、見知らぬ人。
物音に振り返った視界にその人が立っているのを認めた時は、スパークが停止しそうになるほど驚いた。この街を仕切る軍用型の黒や鈍色、迷彩色に慣れた目に眩しく映る、輝かんばかりに磨き上げられた機体。エンピュラータで見苦しく作り替えられたこの姿を認めて尚、逸らされることなくまっすぐに見つめる優しく淡い薄氷色の瞳。まるで新雪で作られた彫刻のようなその姿は、胸が痛むほどに美しかった。
あんなきれいな人、初めて見た。
温水が流れる配管の一つに寄りかかり、その温もりに身を預けながらダムスは片手でそっと胸を抑える。
こうして先ほどの邂逅が現実であったことを示す証拠が手元になければ、白昼夢だったのではないかとすら思えてくる。
そして何より……久しぶりだった。あんなに優しげな声で話しかけられたのは。
だから思わず、逃げ出そうとする足を止めてその場に留まってしまった。どこか切羽詰まったように自分に呼びかける声に応えてしまった。黄昏時が過ぎる前に“収穫”をしなければならないのに、つい我を忘れて話し込んでしまった。夢も希望も信じることをやめたはずなのに、彼の語る言葉の果て、外の世界へ思いを馳せてしまった。
「……大丈夫。信じてない。」
ふと、自分に言い聞かせるように口にしていた。
信じていない。心まで許したわけではない。
……だから、騙されることもない。
冷え切った鉤爪の先を握り込みながら、手足を縮こめるようにして身体を丸める。この街の夜は長い。少しでも体力を温存して、朝にはまた出かけなければ。
ふと、周囲を繭の糸のように巡るケーブルの向こうから微かに乾いた爪音と何者かの気配を感じたように思い、ダムスはほんの少しだけ頭をもたげて耳をそばだてた。しかしそれ以上の物音は届かず、小さく肩をすくめて再び身を丸めた。きっと、小動物か何かだろう。
配管から伝わる僅かな温度に身を寄せるようにしながら、オプティックの光を落とす。束の間の微睡が、彼を包んでいった。