翌朝、以前カルに教わった店を回った。
裏通りの奥、看板のない扉。亜人たちが密かに共有してきた場所だ。ヴォルフが入ると、店主は顔を上げ、一瞬だけ目を細めた。人狼だと分かっている。分かった上で、何も言わなかった。
消耗品を揃えた。包帯、乾燥肉、火打ち石、薬草の圧縮錠。傭兵が長距離を移動するときの基本装備だ。鉈の刃は研ぎ直した。刃こぼれが二カ所。遺跡の中で硬いものを斬った跡だ。
金を置いた。店主は受け取り、釣りを返した。それだけだった。
断られない。追い返されない。値を吊り上げられない。
それだけのことが、カルドレクでは珍しかった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
宿に戻る途中、気配があった。
振り返ると——ヴァーレンがいた。
廊下の角に立っている。待ち伏せではない。確認しに来た、という立ち方だった。槍は持っていない。武装していないヴァーレンを見るのは初めてだった。
何も言わなかった。
ヴォルフも何も言わなかった。
目が合った。一秒ほど。ヴァーレンの目には、初めて会ったときの嫌悪とは違うものがあった。嫌悪が消えたわけではない。その上に、別の何かが乗っている。名前のつかない感情だ。言語化を拒むように、ヴァーレン自身がそれを抑えていた。
ヴォルフは歩き続けた。
ヴァーレンは止めなかった。
すれ違いざまに、短く。
「——気をつけろよ」
小さな声だった。それ以上でも以下でもない、ただそれだけの声だった。認めてはいない。しかし死んでほしいわけでもない——その狭間だけが、声に出た。
ヴォルフは振り返らなかった。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
宿を引き払った。
荷物は少ない。背嚢ひとつ。鉈。それだけだ。来たときと変わらない。
石畳を歩いた。朝の市街は人が少ない。すれ違う者がいても、目を逸らされるだけだ。声をかける者はいない。送り出す者もいない。
カルドレクは最初から、そういう場所だった。
門が見えた。
守衛が顔を見た。出ていく者を止める理由はない。通した。
門をくぐった。
外の空気が変わった。壁の内側と外側で、風の匂いが違う。人間の生活の匂いが消え、土と草と、遠くの水の匂いだけになる。
三歩ほど歩いたところで——鳥が降りてきた。
一羽。
門の外壁の上から滑るように降下し、ヴォルフの二歩先の地面に着地した。小さい。暗い羽色。鴉か隼の系統に近い。
動かない。
ヴォルフを見ている。正面からではなく、片目だけをこちらに向ける角度で。
嘴に何かを咥えていた。
小さく折り畳まれた紙片。鳥はそれを地面に置いた。丁寧に——という表現がおかしいほど正確に、ヴォルフの足元へ。
置いた瞬間、飛び立った。低く、速く。壁を越えて市街の方向へ消えていった。
紙片を拾った。開いた。
小さな字。癖のある筆跡。
『東に向かうなら、二日目の川沿いに宿場がある。使える。
三日目にアイゼンガル。近づいたら鳥を探して。先に飛ばしてある。
——風の噂より』
それだけだった。
名前はない。署名もない。「風の噂」——初めて会ったとき、リヴィルが自分の情報源をそう呼んだ言葉だ。
企業秘密だったはずのものが、今は連絡手段として差し出されている。
紙片を畳んだ。懐に入れた。
東の空を見た。雲が薄く流れている。風は乾いていた。三日と五日。リヴィルが言った距離だ。渡り鳥が来なくなった都市。別の強力な異形が動いている方角。
セヴェルは終わった。
しかし同じようなものが、まだいる。同じようなことを、まだしている。
復讐は果たした。呪いをかけた相手は死んだ。怒りの行き先は見つからなかった——しかし、次の標的は見えている。セヴェルと同じ存在が、別の場所で、別の誰かの人生を壊している。
それを止める義理はない。英雄的な使命感もない。
ただ——目の前にいるなら、殺す。手が届くなら、潰す。それだけだ。
復讐の延長線上に、次の敵が立っている。
歩き始めた。
振り返らなかった。