黒鉄の顎に戻ったのは、日が落ちる前だった。
斧を作業台に置いた。店主は炉から顔を上げ、斧を一目見て、それからヴォルフの脇腹を見た。
「言った通りだろう」
ヴォルフは答えなかった。
「で、それを使ったのか」
「通る」
「通った上で帰ってきたってことは、足りなかったんだな?」
店主は斧を持ち上げた。重さを確かめ、柄の長さを見て、刃の厚みを指で弾いた。
「悪くねえ。だがバランスが悪くて重い。だから振りが遅え」
「軽くできるか」
「軽くはしねえ。軽くしたら壊す力がなくなる」
店主は柄と刃の接合部を指で叩いた。
「柄を取り替えて、バランスを取る。そのうえで機構を入れる。柄をスライドさせる」
「スライド?」
「伸ばせば今のまま。長い間合い、重い一撃。縮めれば片手で振れる。振りは速くなるが、一撃の重さはすこし落ちる」
店主は作業台に簡単な図を描いた。
「切り替えは手動だ。握りの根元を捩れば噛み合いが外れる。あとは振り回すなり引っ張るなりすりゃあ伸びる。戻すときは柄の尻を叩きつけて押し込め」
「壊れないか」
「馬鹿にするな。スライドに使う機構部品は、搬送機やプレス機に使うのと同一規格のパーツだ。毎日何千回も動く前提で作られてる。それでも壊れなかった実績のある規格を選んでる。俺が今ここで一から設計したものより、実績のある規格のほうが信用できる。半日よこせ」
店主は前掛けを締め直し、炉に向かった。
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半日後。
斧が戻ってきた。
見た目はほとんど変わっていない。だが柄の中ほどに薄い継ぎ目が入り、握りの根元に仕掛けがが追加されている。
「やってみろ」
握った。仕掛けを捩った。
——カチリ。
金属の噛み合いが外れた。
店主の言葉通り、柄の尻に手を叩きつけた。
ガシャン。
鉄と鉄が擦れる重い音。刃が手元に近づき、長柄の斧が手斧になった。
重心が変わった。先端に寄っていた重さが、手元に近づく。振れる。速い。
「戻せ」
今度は柄を引っ張った。
ガシャン。
柄が伸びた。元の長柄。重心が先端へ戻る。重い一撃が出せる位置。
伸縮。二つの形態。長柄の破壊力と、手斧の速度。切り替えは一拍。
「音は出る。強度を殺してまで消音にする意味はねえ」
「気にしない」
「だろうな」
店主は鼻を鳴らした。
「うちから出る品には名前をつける。お前がつけねえなら俺がつける」
「好きにしろ」
「
ヴォルフは斧を振った。短柄。長柄。切り替え。一拍で形が変わる。
悪くない。
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翌朝、フェルノスへ戻った。
崩れた鉄柵の隙間から入った。二度目。空気は同じだ。甘ったるい煤煙。機械音。腐りかけた肉の匂い。
通路に装甲兵が立っていた。前回と同じ場所。
斧を構えた。手斧。
踏み込んだ。
手斧の速度で、狭い通路でも振り切れる。装甲の肩口へ。陥没した。もう一撃、胸の中央。崩れた。
前回は三撃かかった。今度は二撃。
奥から二体目。通路が狭い——手斧のまま。肩を潰し、脚を壊し、動かなくなったところで胸を叩き割った。
三体目は角の向こうにいた。搬送広場に出る手前。
長柄に切り替えた。ガシャン、と金属音がする。間合いが一歩分伸びる。角を曲がりざまに横薙ぎ。装甲の腹を叩き、よろめいた隠に踏み込んで縦に落とした。
通路の先が開けた。
前回はここまでだった。ここから先は、まだ踏み込んでいない。
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搬送広場の先に、高炉を中心とした工業地帯が広がっていた。
天井がない。空が見える。煙突とクレーンと搬送路の鉄骨が、空を細かく区切っている。
足を踏み入れた瞬間、何かが動いた。
頭上。クレーンのアームが横に旋回した。
無人のはずだ。装甲兵は地上にいた。クレーンの操縦席には誰も——いないのに動いている。
横に跳んだ。アームが通過した場所の地面を、吊り荷の鋼材が叩いた。金属格子がひしゃげた。
続けて、右手の壁から蒸気が噴いた。排熱弁が開いている。通常の排気ではない。ヴォルフの回避先を狙って噴かされた。
工場そのものが攻撃してきている。
見上げた。
高炉の上。監督台。あの巨体が、まだ同じ場所に立っていた。
「おっ、また来たのか!」
声が降ってくる。前回と同じ太い声。だが今度は嘽笑ではなく、面白がっている声だった。
「しかも斧を改造してきやがったな! 下の連中を三体。やるじゃねえか! だが……」
異形が監督台の手すりに掌を押し当てた。黒い筋が掌から手すりへ流れ、配管を伝って工場の下層へ消えた。
「不適格品は焼却だ!」
足元の配管が鳴った。排熱弁が一斉に開き、工場のあちこちから蒸気と熱風が吹き上がった。空気が焼ける。回避先を潰すように、熱が地面を覆っていく。
異形が片手を振った。
「加工してやるよ!」
クレーンがまた動いた。別のアームが、別の角度から。同時に、搬送路の上から鋼材が転がり落ちてくる。
一つ一つは単純な攻撃だ。だがタイミングが噛み合っている。回避した先に次が来る。逃げ場を潰すように、工場全体が連動している。
あいつが差配している。高所から全体を見て、設備を腕のように操っている。
「自己紹介がまだだったな!」
監督台の上で、巨体が腕を広げた。煙越しに、初めて輪郭がくっきりと見えた。太い腕。膨れた腹。資源を溜め込んで膨張した、梨のような体型。
「掌口のラサン様だ! このフェルノスの現場監督だよ! 覚えとけ!」
チンピラめいた調子で、自分から名乗った。名乗りながらクレーンの方向を変えている。話しながら手を動かす。職人ではなく、現場で怒鳴り散らす親方のそれだ。
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距離がある。装甲兵と違って、本体は手が届かない場所にいる。
銃を抜いた。
監督台へ向けて撃った。
ラサンは動かなかった。弾が飛ぶのが見えている。高所からなら、予備動作が丸見えのはずだ。
ラサンが掌を前に出した。
弾丸が掌に吸い込まれた。
手の中央に口があった。肉の裂け目のような、歯の並んだ開口部。弾丸をそのまま飲み込んだ。
掌口。名前の由来がそれか。
「ギャハハ! 飯が来たと思ったぜ! もっと撃ってくれよ! 腹減ってんだ!」
ラサンは掌の口を開閉させながら笑った。
銃では削れない。撃てば食われる。距離が離れていれば予備動作が見える。高所にいる限り、銃は通らない。
斧も届かない。クレーンを避けながら監督台まで登ろうとしても、途中で工場全体に叩き潰される。
正面突破はだめだ。
ヴォルフは工場の構造を見た。
監督台。搬送路。高炉。それらを支えている支持部。鉄骨。接合部。
店主の言葉が浮んだ。
構造物ごと壊さなきゃならんかもな。
あいつを降ろす必要がある。なら、あいつが立っている場所ごと、落とす。
斧で支持部を壊せるか——太さと、
やれなくはない。
問題は、ラサンが黙って見ているわけがないことだ。支持部を狙った瞬間に、クレーンと排熱と装甲兵が全力で来るだろう。
だが——それしかない。
ヴォルフは斧を長柄に切り替え、最も近い支持部へ向かって走り出した。