ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第5話

アイゼンガルに着いたのは昼過ぎだった。

 

煤煙の匂いが薄れ、空気が変わった。アイゼンガルの工房街が近い。

 

右肩に金庫。左手に斧。全身に煤と血と侵食液の跡。右腕は腕を突っ込んだ際に侵食液で焼けた痕が残っている。

 

精算の貯金はまだ残っている。身体強化を維持したまま歩いても、金庫の重さは問題にならない。

 

身体強化と言っても、ただ踏ん張りが効く程度の話じゃない。

骨格がきしみ、筋が太くなる。背骨の奥で熱が回り、皮膚の下を毛が押し上げる。

 

喉の奥に獣の呼吸が混じった。鼻が利く。視界の輪郭が鋭くなる。

それでも外形は崩さない。耳も爪も、今は出さない。必要な部分だけを獣に寄せる。

 

工房街の入口を通った。

 

最初に気づいたのは、搬送路の脇で休んでいた若い作業員だった。ヴォルフの姿を見て立ち上がり、それから肩の金庫を見て固まった。

 

「……何だありゃ」

 

声が聞こえたのか、隣の作業場から別の男が顔を出した。同じように固まった。

 

歩き続けた。

 

通りに出ると人が増えた。工区帰りの職人、炉番、整備士。すれ違うたびに足が止まる。振り返る。ついてくる。

 

「また何か持ち帰ってきやがった」

 

「あの大きさ……何だ?」

 

「血まみれじゃねえか。フェルノスから来たのか」

 

野次馬が増えていく。だが誰も近づかない。金庫の重さと造りが只事ではないことは、見れば分かる。特に古参の職人や整備士ほど顔色が変わっていた。重さだけではない。金庫の表面に残る噛み跡と腐食痕を見て、何かを察している。

 

ヴォルフは足を止めなかった。

 

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黒鉄の顎。

 

工房の前に立った。扉は開いていた。炉の火が見える。

店主は炉の前にいた。ヴォルフの気配に顔を上げ、肩の金庫を見た。

 

眉が動いた。

 

ヴォルフは金庫を工房の床に下ろした。重い音が響いた。床の鉄板が軋んだ。

 

「開けられるか」

 

それだけ言った。

 

店主は金庫の前にしゃがんだ。表面を指でなぞった。噛み跡。腐食痕。侵食液が乾いた黒い筋。だが、それらの下にある機構部——継ぎ目、圧力弁、封印の刻印——には傷ひとつない。

 

店主の目が細くなった。

 

「……ラサンの胃袋を通り抜けてきたか」

 

噛み跡をもう一度なぞった。腐食の深さを確かめるように。

 

「噛み跡も腐食痕もある。だが肝心の機構には傷ひとつ付いてねえ」

 

店主は一度、息を吐いた。

 

「……ただ待ってるのも暇だろう。こいつが何なのか説明してやるよ」

 

店主は語り始めた。

 

この金庫は、単なる堅いだけの箱じゃねえ。

 

外に漏らすことの出来ないような技術を封じるために作られた保管庫だ。

時代の進歩に合わせて、弁も封印も、内側の隔壁も——何度もアップグレードしてきた。必要なら新造して、古い型を飲み込ませてでも“技術”を守ってきた。

 

触れることを許されたのは、アイゼンガルでも指折りの職人、筆頭だけだ。過去も今も。そしてこれからも。

 

で、当時その筆頭が——俺だった。

 

鼻を鳴らした。呆れと、隠しきれない満足が混じっていた。

 

「俺の最高傑作だ」

 

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工房の外に人だかりができていた。

 

店主は立ち上がり、入口の方を見た。若い職人、高炉整備士、炉番、仕事帰りの作業員。覗き込むように集まっている。

 

店主は人だかりに向けて、吐き捨てるように言った。

 

「これはただの箱じゃねえ」

 

金庫の表面を叩いた。

 

「都市ごと奪われる事態を想定して、絶対に外へ渡せない技術と設計を封じるために作った保管庫だ。専用工具と解放手順を知らなきゃ開かねえ。機構を理解できる職人の手でしか開けられねえ代物だ」

 

野次馬の中から声が上がった。

 

「あの金庫か……? 工房街の奥に置いてあった——」

 

「使われたことなんてなかったろう」

 

「ラサンに襲われたとき、消えたと思ってた」

 

店主は答えなかった。

 

奥の棚から工具箱を持ち出した。見たことのない形の工具が並んでいる。通常の鍛冶道具とは明らかに違う。精密で、小さく、それぞれが特定の機構にだけ対応する専用品。

 

金庫の前に膝をついた。

 

最初の圧力弁に工具を当てた。捩った。

低い金属音。弁が一つ解放された。

 

二つ目。三つ目。順番がある。店主だけが知っている手順。

 

工房の中が静まった。外の人だかりも黙った。工具が弁に触れる音と、金属が軋む音だけが響いた。

 

最後の弁。

店主の指が止まった。一拍。

 

捩った。

 

——プシュッ。

 

乾いた蒸気音とともに、扉が開いた。

 

ラサンの侵食液に、数日か、あるいは数週間——どれほど漬かっていたのかすら分からない。

 

それでも破れなかった扉が、店主の指先ひとつで開いた。

 

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中から反射の光が漏れた。

 

鈍い、銀に近い白。

 

結晶体だった。拳ほどの大きさ。厳重に固定された台座の上で、微かな熱を帯びている。高純度白燐硝石。

 

その隣に、折り畳まれた図面。広げると、銃弾と砲弾の設計図だった。未完成。だが構造は明確に読み取れる——異形の装甲や生体中枢を焼き切ることを想定した、高熱・高貫通弾の設計。

 

空気が変わった。

 

野次馬のざわめきが消えた。驚きが沈黙に変わった。

 

誰も声を出さなかった。

事情を察した古参の整備士が、低く漏らした。

 

「……残ってたのか」

 

金庫の中身そのもののことではない。中身が意味するもの——ラサンに奪われ、消えたと思われていたアイゼンガルの技術と資源が、まだ存在していたということ。

 

店主も一瞬だけ言葉を失った。

 

図面を手に取った。広げた。目が走る。設計の意図を読み、素材の純度を確かめ、弾頭の構造を頭の中で組み立てている。

 

「材料は揃った」

 

図面から目を上げた。ヴォルフの腰の短銃を見た。

 

「だが、このままじゃお前の銃では撃てねえ。装薬が重すぎる。反動で手首が飛ぶ」

 

図面から目を離し、ヴォルフを見た。

 

「……使うよな?」

 

わざわざ訊くまでもない。ラサンの腹から金庫を引きずり出して、そのまま担いで帰ってきた男が、中身を使わないはずがない。

 

店主は鼻を鳴らした。

図面を掴み直した。

 

人だかりの方を向いた。

 

「見てるだけの奴は帰れ!」

 

声が工房の外まで届いた。

 

「飲んだくれてる高炉の整備士どもを叩き起こせ! 数日以内に全部動くようにしろ!」

 

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工房街が動き出した。

 

高炉整備士が休止炉の復旧に走った。搬送役が使える資材の回収に散った。職人たちは工具と圧力系統の再点検に取りかかった。

 

黒鉄の顎の炉が、いつもより高い温度で燃えていた。

 

その日のうちに、一つだけ妙な報せが回った。

 

休止炉の基礎区画——ラサンが侵食液で塞いでいた配管群の奥——から、古い石造りの空間が覗いた。

 

工業設備の下に埋もれていた遺構。壁面には、工房街の規格とは違う刻印と、黒く焦げたような円環状の跡。

 

誰も「何だ」と言わなかった。

 

言えば、思い出す。

 

この街の地下にも、遺跡がある。——そして、あいつらが“何かを動かす”ために使う場所が。

 

店主は聞かなかった。聞かずに、炉へ背を向けた。

 

店主は図面を作業台に広げ、ヴォルフの短銃を横に置いた。設計図の数値を読み、銃の機構を見比べ、赤い炭で図面に修正を書き込んでいく。装薬の配合。弾頭の重量。反動制御の機構。すべてをヴォルフの銃、ヴォルフの腕、ヴォルフの戦い方に合わせて組み直している。

 

「反動はギリギリまで殺す。だがそれでも消しきれねえ。そもそも撃った瞬間に手応えがなきゃ、お前は次の動きに入れねえだろう?」

 

ヴォルフは答えなかった。店主は答えを待たずに作業を続けた。

 

工房街のあちこちから音が聞こえた。炉の唸り。金属を叩く音。搬送車が走る音。怒号。指示。

 

フェルノスを奪われてから、止まっていた音だった。

 

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翌日の夕方。

店主がヴォルフを呼んだ。

 

作業台の上に、銃と弾が並んでいた。

 

元は質は良いが量産品の短銃だった。握りの形は変わっていない。ヴォルフの手に合わせたまま。

 

ただ、違う点もある。

 

銃身が太くなり、機構部に新しい部品が追加されている。

六連の回転機構は殺されていた。銀燐弾は一発ずつ、単装填で撃つための形に寄せられている。

 

弾は五発。鈍い銀色の光を帯びている。型式そのものは通常弾と同じだ。だが重みが違う。指で触れるとかすかな熱を感じた。

 

銀燐重装爆裂弾(シルバーバレット)。着弾と同時に白燐硝石が起爆する。異形の装甲だろうがなんだろうが、ぶち抜いて、中から焼き切れる。適当に撃っても辺り一帯を火の海にできる」

 

店主は弾を一発つまみ上げた。

 

「ただし、近距離で撃てば射手も焼ける。素材が希少で量産もできねえ。撃った後は銃身が熱を持つ。冷えるまで次は撃てねえ」

 

弾を戻した。

 

「銃の名前もつけた。強襲の遠吠え(ハウリング・アサルト)。文句があるなら自分でつけろ」

 

ヴォルフは銃を手に取った。重さを確かめた。構えた。抜いた。戻した。

前より重い。だが、握りは変わらない。抜く速度も変わらない。

 

いい出来だ。

 

何も言わなかったが、店主には通じたようだ。

 

鼻を鳴らして、自慢げだった。

 

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工房を出た。

 

工房街は、まだ動いていた。炉の火は落ちていない。職人たちが残って、フェルノス復興用の資材や消耗品を作り続けている。

 

宿に戻ると、手紙が届いていた。

 

筆跡で誰からか分かる。リヴィルだ。

 

『この手紙が届く頃には、フェルノスの用事は片付いてるかな。気が早いかもしれないけど、先に次の話をしておく。

 

アイゼンガルから見て、南東のルナール。知ってるか? 昔は守護神がどうとか言われてた街だ。最近、あそこがおかしい。入った人間が戻ってこない。商人も旅人も、街に踏み込んだきり消息が途絶える。

 

鳥経由の間接情報だから裏は取れてない。でも、嫌な予感がする。

 

興味があるなら、詳しいことは会ったときに。』

 

手紙を畳んだ。

 

ヴォルフは宿を出た。足はもう南東を向いていた。

 

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