ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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3部 監視都市・ルナール
第1話


アイゼンガルの煙は、背中に残った。

炉の息。槌の音。怒鳴り声。まだ街が生きているという騒がしさ。

 

北東へ。

歩くほどに、それらが薄れていく。

 

煤の匂いが抜け、風の輪郭が固くなる。地面の湿りが消え、夜の冷えが骨に届く。

腰にはノコギリ鉈。

 

背に断重の鉄塊斧。

懐に短銃——強襲の遠吠え。

 

銀燐弾は五発。布越しにも重みが分かる。

 

リヴィルの手紙を思い返した。

北東のルナール。

 

入った人間が戻ってこない。

誰かが見てる。というより、街全体が見てる。

 

情報としては薄い。

だが薄いほど、現場の匂いは濃い。

 

約一週間。

途中の宿場は二度だけ使った。屋根と火種がある場所。誰かが用意した乾燥肉と水差し。

 

借りは増える。返すかどうかは、あとで決める。

最後の夜、風がやけに静かだった。

 

虫の音がない。獣の遠吠えもない。

静けさだけが、土地を覆っている。

 

翌朝。

丘を越えた先に、ルナールがあった。

 

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静かだった。

壁も門も、閉ざすための威圧ではなく、ただの境界としてそこにある。

 

壊れていない。崩れていない。整いすぎている。

ヴォルフは門をくぐった。

 

人影がない。

声もない。

 

靴底が石を叩く音だけが、やけに大きい。

通りはまっすぐで、建物は均されている。

 

汚れも、崩れも、生活の痕も薄い。

廃墟ではない。——管理されている。

 

壁面に配管が走っていた。

一本ではない。街の至る所で、壁を這い、路地を横切り、建物と建物を繋いでいる。

 

金属のはずなのに、脈を打っている。

近づいた。

 

手袋越しに触れると、温かい。

生き物の体温だ。

 

視線を感じた。

窓からではない。路地の陰でもない。

空気そのものが、こちらを向いている。

 

柱の表面に、丸い膨らみがあった。

眼球の形。

開いている。

 

……見られている。

 

ヴォルフは歩いた。

音を立てず、急がず、ためらわず。

 

——この街は、静かすぎる。

 

それだけが、確かなことだった。

 

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柱の表面に、丸い膨らみがあった。

眼球の形。

 

開いている。

……見られている。

 

足は止めない。止めれば、その瞬間に取り返しのつかないことになる。……そんな気がした。

 

壁面を這う配管は金属のはずなのに脈を打ち、路地を跨いで建物へ繋がり、触れなくても温かさが伝わるほどに生き物じみていた。視線は窓でも影でもない。空気の厚みそのものが、こちらを向いている。

 

ヴォルフは歩いた。音を立てず、急がず、ためらわず。

 

何かを踏み越えてしまった気がした。

 

踏んだ感覚はない。だが空気が変わった。配管の脈動が速まり、街中に散った眼が、一斉に赤く染まる。

 

音はない。怒鳴り声も、宣言も。

ただ、見られている。

 

赤い点が増える。柱、壁、路地の角、高所。逃げ道を探す視線すら掴まれて、先回りされる。

 

配管が鳴った。金属が擦れる音じゃない。肉が動く音だ。

遠くで、規則的な射出音がした。ひとつ、ふたつ、数が増える。

 

地面の格子の下が割れて、そこから何かが這い出てくる。壁面の継ぎ目が裂け、配管の接合部が開き、吐き出される。

 

軽い。

速い。

数が多い。

 

一体目を鉈で割った。青白い血が跳ねる。

二体目、三体目。斬る。壊す。倒す。

 

倒した端から、補充される。

力は通る。

 

だが意味がない。

短銃に手をかけた。

 

懐にある強襲の遠吠え。銀燐弾の重みが、布越しでも熱を持って伝わってくる。

撃てば道は開く。数体まとめて焼ける。——退くか。

 

一瞬だけ迷った。

だが、退いても終わらない。

 

おそらく、この街は追ってくる。どこまでも。足が外へ向く前に、赤い視線がその先を塞ぐ。撃って逃げれば、その瞬間に捕捉はもっと深くなる。銀燐弾は切り札だ。切っても追われるのなら、ここで使う意味が薄い。

 

ヴォルフは銃から手を離した。

代わりに斧を抜く。断重の鉄塊斧。短柄ではなく長柄へ。

 

路地が狭い——それでも、薙げる角度はある。

振り抜いた。

 

鉄塊が肉を砕き、骨を潰し、胴が折れて飛ぶ。血が飛び、脚が転がり、まだ動くものの上に別のものが重なって押し寄せる。

 

それでも増える。

背後から、違う音。

風を裂く一本。

 

反射で身を捩った。攻撃だと思った。

 

だがワイヤーはヴォルフを狙っていない。背後の量産型の核を貫いて止まった。青白い血が散った。

 

声がした。

女の声。低い。命令口調。

 

「……いい反応だ。死にたくなければ、そのワイヤーを掴め!」

 

一拍。

計算。

 

このまま地上にいれば、削り殺される。数は尽きない。

ヴォルフはワイヤーを掴んだ。

 

巻取り機が唸った。

視界が引きちぎられる。

 

路地、壁、配管、赤い点——すべてが後ろへ流れ、身体だけが地下へ引きずり落とされる。

 

暗転。

岩盤の隙間を抜ける。配管と石の狭い通路。

 

ある深さで、視線が途切れた。

赤が消え、脈動が遠ざかる。

石の床へ落ちる。

 

その寸前にワイヤーが巻き取られ、着地の衝撃はほぼなかった。

湿り。冷え。

 

喉の奥の獣の呼吸だけが残る。

周囲に人影があった。数は多くない。だが近い。

外套ではない作業着。腰に巻取り機。手にワイヤーフック。

 

するどい眼だった。

見られている。今度は街じゃない。人間の警戒だ。

 

「動くな」

 

声は低い。

ヴォルフは動かなかった。

 

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