ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

17 / 29
第2話

「動くな」

 

声は低い。

湿った石の匂いの中で、言葉だけが真っ直ぐ刺さってきた。

 

ヴォルフは動かなかった。

周囲に人影。数は多くない。だが近い。

 

腰の巻取り機が並んでいる。ワイヤーフックが何本も向けられていた。やろうと思えば躱せる。どうとでもできる。だがやれば、ここが戦場になる。

 

——見られている。今度は街じゃない。人間の警戒だ。

 

ヴォルフは息を整えた。喉の奥の獣の呼吸は、まだ抜けない。

 

「武器に触るな」

 

別の声。

同じ女だ。

命令口調。

ヴォルフは手を膝の横に落としたまま、視線だけを動かした。

 

石造りの広間。

 

壁は黒い。積み方が荒い。ルナールの整いすぎた石材とは違う。配管は途切れている。赤い眼もない。

 

ここは、監視の外。

女たちはそのことを知っている。

知った上で、声を張らない。

 

「名前」

 

女が言った。

ヴォルフは答えない。

 

空気が硬くなる。

ワイヤーが僅かに鳴り、金具が揺れた。

 

奥から足音。

重い。静かだが重い。

 

人が現れた。

男。

 

若くはない。だが老けてもいない。

顔に余計な感情がない。群れの中心が歩いてきた。

 

女たちが道を開けた。

男はヴォルフの前で止まった。

 

視線が一度だけ、外套の裾、腰、背中へ流れる。

武装を読む視線ではない。状況を読む視線だ。

 

「こいつが例の……?」

 

女が答えた。

 

「そう。上で囲まれてたのを連れてきた。……変身したって」

 

男は頷いた。

それで十分だというように。

 

「人狼だと聞いている」

 

ヴォルフは眉も動かさない。

男は続けた。

 

「ここで獣を出すな。出せば殺す」

 

脅しではない。規則だ。

女たちの目が一斉に動く。ワイヤーが僅かに締まる。

 

「出さないなら話ができる」

 

ヴォルフは頷かない。

ただ、武器に触れない。

 

男が訊いた。

 

「何をしに来た」

 

ヴォルフは短く。

 

「殺す」

 

女たちの空気が一段固まった。

男は怒らない。

 

「誰を」

 

ヴォルフは地上を指さない。

名も知らない。

だが中心は一つだ。

 

「この街を動かしてる奴」

 

男は一拍だけ黙った。

その沈黙が、値踏みだった。

 

「……俺はカイトだ」

 

名乗りが遅い。

先に相手を測ってから、自分の名を置く。

 

カイトは言った。

 

「この街は、斬っても終わらない」

 

ヴォルフは答えない。

女が口を挟む。

 

「上で見ただろ。倒した端から増える」

 

ヴォルフは一拍。

 

「減らない」

 

女が息を吐いた。

カイトが頷く。

 

「それがルナールだ。敵は数じゃない。街そのものだ」

 

沈黙。

遠くで、脈動。

 

石の奥を叩くような、規則的な低音。

女たちが顔を上げる。

 

カイトは、振り向かない。

耳で聞いている。

 

「……時間がない」

 

最初の女が言った。

声の端が、僅かに切れていた。

カイトは頷いた。

 

「動くな、と言ったのは殺したくないからだ。だが、今ここで揉める余裕もない」

 

足音。

金属が擦れる音。

 

女が入ってきた。

作業着。腰の工具。手は油で黒い。

 

立ち方が違う。現場を仕切る人間の立ち方。

女がヴォルフを見た。

 

一拍で武装を読む。

懐のあたりで視線が止まった。

 

「……その銃」

 

次の瞬間、女は思い直したように顔を上げた。

カイトが低く呼びかけた。

 

「エリス、今は見るな。撤退が先だ。脈が近い」

 

カイトが言った。

 

「敵対しない。それだけ決めろ」

 

ヴォルフは短く返した。

 

「しない」

 

エリスが、釘を刺した。

 

「そのヤバそうな銃、撃たないでね? 見た感じ、なんかすごいの撃つためのものでしょ?」

 

「……あんまり派手に音や光を立てると、追われやすくなる」

 

そう言って踵を返す。

 

「移動する。次の層へ入る。走れ。止まるな」

 

ヴォルフは動いた。

女たちが先導する。

ワイヤーが壁の穴へ滑り込み、巻取り機が唸り、古い石の扉が押し開かれる。

 

通路だ。狭い。湿りがかび臭く鼻を突く。一段、二段、さらに下。

途中で、空気が変わった。

 

背中の皮膚から、視線の感触が抜ける。

赤がない。

脈動が聞こえない。

 

完全に、遮断された。

 

息を吐いた。

暗い。

静かだ。

 

それでも、終わっていない。

次に行く。

 

レジスタンスの拠点へ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。