ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第3話

遮断。

 

それが分かった瞬間、背中の皮膚が軽くなった。

 

さっきまで貼りついていた視線の感触が、すっと抜けた。赤い点もない。配管の脈動も聞こえない。

 

息を吐く。

熱い。

 

地上で燃やしかけた肺が、ここでようやく落ち着き始める。

 

だが暗い。

明かりは最低限だ。

 

石壁に埋め込まれた小さな灯りが、湿った床を鈍く照らしているだけ。

 

先を行く足音は多い。

 

ワイヤーの擦れる音、工具の金属音、息。

 

それでも誰も喋らない。

 

喋れば音が残る。

残れば、上に届く。

「止まれ」

前から低い声。

カイトだ。

隊列が止まった。

ヴォルフも止まる。

 

カイトは振り返らない。

 

「ここで一度だけ、やり方を合わせる」

 

エリスが横に立った。

 

手を上げ、後ろの女たちを制する。

 

「地上の視線は、ここには届かない」

 

エリスが言う。

 

「でも安心しないで。上に戻れば、すぐ捕捉されちゃう」

 

ヴォルフは答えない。

エリスは続けた。

 

「視線って、目じゃないの。仕組み。……だから癖がある」

 

「赤く染まる前。捕捉される前に、必ず一拍ある」

 

ヴォルフの頭に、さっきの感触が残る。

 

踏んだ感覚がないのに空気が変わった、あれ。

 

エリスが言った。

 

「その一拍で、逃げ道を変えるの。角は曲がらないで。曲がるなら、曲がった先を先に消して」

 

女たちの一人がワイヤーフックを回した。

 

金具が鳴り、巻取り機が短く唸る。

 

「ワイヤーは攻撃じゃないよ」

 

エリスが言う。

 

「移動、撤退、救出。……生き残るための道具」

 

ヴォルフはワイヤーを見る。

 

地上で見たときは、ただの線だった。

 

だが今は違う。

 

打ち込む角度、張り方、巻取りの速度。全てが技術だ。

 

エリスがヴォルフを見た。

 

「あなた、力でどうにかしようとする癖があるでしょ。ここだとそれ、死んじゃうよ?」

 

ヴォルフは目を動かさない。

 

カイトが言った。

 

「お前が前に出るのはいい。だが、勝手に前へ行くな。こちらに合わせろ。力押しにもタイミングというものがある」

 

ヴォルフは短く。

「分かった」

 

女たちが一瞬だけ静まった。

 

カイトが歩き出した。

「行くぞ」

隊列が動く。

 

通路はさらに細くなる。

 

石が新しくなる。

積み方が変わる。

 

古い遺構から、後で付け足した通路へ移った。

 

途中、縦穴。

上へ繋がる。

だが上は行かない。

 

エリスが壁の刻印を指でなぞった。

 

「ここから先、拠点が近い」

 

通路の空気が少しだけ変わった。

 

湿りに混じる匂いが、油と鉄に寄る。人が長く居る匂い。

 

カイトが言う。

「最後に一つ」

 

「獣を出すな。出すにしても、出す場所を選べ」

 

エリスが続けた。

 

「もしその必要があっても、必要なとこだけにしてね。脚だけ、とか」

 

ヴォルフは短く答えた。

 

「わかった」

エリスが頷いた。

「よし」

先で灯りが増えた。

 

石の壁の継ぎ目がほどけ、通路が広がる。

 

扉。

今度の光は白くない。

 

炉の光に似た、鈍い橙。

 

カイトが手を上げた。

隊列が止まる。

 

扉の向こうから、細い声。

 

工具の音。

水の音。

生きている音。

エリスが言った。

 

「……ここが私たち、サイトレスの拠点だよ」

 

扉が内側から開いた。

 

炉の熱が、頬を撫でた。

 

扉の向こうは、地下の湿りとは違う。

 

油の匂い。鉄の匂い。濡れた布の匂い。焼けた煤。

 

人が長く居た匂い。

狭い。

だが、詰んでいない。

棚。

工具。

ワイヤー。

巻取り機。

水桶。

布。

簡易の寝床。

誰かの咳。

小さな笑い。

金属を叩く音。

生きている。

 

ヴォルフは無言で視線を動かした。

 

入口。背後。横穴。天井の梁。奥へ抜ける通路。

 

逃げ道を数える。

カイトが言った。

 

「ここで息を整えろ。だが休むな」

 

エリスが肩をすくめる。

 

腰の鞘が小さく鳴った。上等なショートソードの柄が覗いている。

 

「休んでると、死ぬからね」

 

誰かが水を差し出した。

 

ヴォルフは受け取らない。

 

喉は熱い。だが、受け取る動きが遅い。

 

カイトはそれを咎めない。

 

「上だ」

カイトが言った。

短い。

目的だけ。

 

「心臓部は上層にある」

 

ヴォルフの視線が少しだけ動く。

 

エリスが続けた。

 

「近づくほど、眼が増える。密度が上がる」

 

「ここみたいに静かに歩けるのは、最初だけ」

 

「そのうち、どうにもならなくなる」

 

ヴォルフは短く。

「押し切れば良い」

カイトが頷いた。

 

「そうだな。それしかないところがある」

 

エリスは指を立てた。

 

「でも最初から押したら、終わる」

 

「見つかったら終わり、じゃないの。見つかったら始まる」

 

「増える。追われる。逃げ道が消える」

 

ヴォルフは答えない。

 

エリスがワイヤーフックを机に置いた。

 

金具が鈍く鳴る。

「だから、これ」

「教えてあげる」

女たちが集まる。

 

空間が少しだけ広くなる。

 

誰かが灯りを足す。

エリスが言った。

「基本は三つ」

 

「打つ角度。張り方。巻き取る速さ」

 

「それと、音。金具を鳴らしたら負け」

 

女の一人が笑う。

「負けって言うなよ」

 

エリスが笑い返さない。

 

「負けだよ。見えてなくても音でバレちゃう」

 

ヴォルフはワイヤーを見る。

 

金属の紐。

 

強く、しなやかでそう簡単には切れないだろう。

 

エリスが壁の梁を指さした。

 

「まず打つ。浅いと抜ける。深いと割れる」

 

「張る。張りすぎると鳴る。緩いと落ちる」

 

「巻き取る。速すぎると振られる。遅いと見つかる」

 

ヴォルフが手を伸ばした。

 

エリスが手を叩いた。

「待って」

 

ヴォルフの手が止まる。

 

「まずはお手本を見せるね。見てて」

 

エリスはワイヤーを打った。

 

——乾いた音。

 

金具が梁に刺さり、次の瞬間、巻取り機が鳴らない速さで回る。

 

身体が浮く。

 

靴底が床を離れ、壁沿いに滑るように移動する。

 

静かだ。

着地。

エリスが言う。

「これが撤退」

「次」

女が二人一組で動く。

一人が打つ。

 

もう一人が合図を出す。

 

ワイヤーが伸びる。

「救出」

「やってみて」

 

ヴォルフがワイヤーフックを受け取った。

 

重い。

 

だが嫌いじゃない重さだ。

 

ヴォルフは一度だけ息を吐き、梁へ狙いをつける。

 

打つ。

——音が鳴った。

 

金具が梁の表面を削り、火花が散った。

 

女たちが息を止める。

 

エリスが即座に言った。

 

「今の、最悪」

 

ヴォルフは眉も動かさない。

 

「力で刺そうとしたでしょ」

 

「さっきも言ったでしょ?死んじゃうって」

 

ヴォルフが短く。

「浅い」

エリスが頷く。

 

「浅い。だから角度を変える」

 

「刺すんじゃない。噛ませる。……余裕があるなら巻き付かせても良いんだけど、今やったら死んじゃうからね」

 

言い方が若い。

だが、言葉は正確だ。

ヴォルフは二度目。

打つ。

今度は音が小さい。

金具が梁に噛む。

「張って」

エリスが言った。

ヴォルフが引く。

 

ワイヤーが鳴りかける。

 

エリスが指を立てる。

「止めて。……音」

ヴォルフが止める。

 

エリスが肩をすくめた。

 

「あなた、どうとでもできるでしょ。でも、音だけは誤魔化せない」

 

ヴォルフは息を吐いた。

 

巻取り。

身体が浮く。

壁沿いに滑る。

着地。

エリスが頷いた。

「よし」

 

女たちが小さく息を吐く。

 

ヴォルフはワイヤーフックを見下ろした。

 

片手が塞がる。

鉈。

斧。

銃。

持ち替える。

遅れる。

ヴォルフが言った。

「邪魔だ」

一拍。

 

「……適当に剣でも付けられないか」

 

エリスの目が一瞬だけ変わった。

 

「……それよ」

笑いじゃない。

現場の顔。

「できる。たぶん」

 

「ワイヤーと刃、両方を握れる形にする」

 

「でも必要。上層は、歩くだけで捕捉される」

 

ヴォルフが眉を僅かに寄せた。

 

エリスが続ける。

 

「あなたの脚と、それが合わされば——」

 

言いかけて、止めた。

 

「……うん。多分いける。でも今する話じゃないね」

 

エリスは視線だけを工具台に向けた。

 

並んだ工具と金具を見て、指先が空中で線を引く。製図でもしているかのように。

 

今すぐ形にしたいというのが、指の動きだけで分かる。

 

……この『道具』の使い方は、だいたい分かった。だが身体に馴染ませるには、繰り返すしかない。続けたいが——

 

切り上げ時だ。客が来た。

 

カイトが近づいてきた。

 

「お前の力を最大限に叩きつけるための『タイミング』を決めたい」

 

「作戦会議だ」

ヴォルフは頷いた。

工具の音が増える。

炉が鳴る。

 

ワイヤーが引き出される。

 

次は、力の使い方を決める時間だ。

 

……それを他人に預けるのは、多少不安が残るが。

 

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