火は、まだ生きていた。
炉の奥で、赤が呼吸している。
油の匂いと、鉄の匂い。
布の湿り。
人の体温。
「作戦会議を始める」
カイトの声が、空間を締めた。
集まる。
視線が一点に寄る。
まず、言葉が揃えられた。
「……あれの名を、共有しなければならない」
カイトが言う。
女のひとりが答えた。
「ルナールを、この都市の守護者を乗っ取った時に、一回だけ名乗った」
短い記憶。
それでも、重い。
「背眼のシレ」
口にしただけで、喉が乾く音がする。
ヴォルフは眉も動かさない。
名に興味はない。
だが、合図と共有には要る。
カイトが言った。
「以後、あれはシレと呼ぶ」
頷きがいくつか。
次。
カイトが床に地図を広げた。
紙じゃない。
布。
油で汚れた、繰り返しの跡。
簡易の模型が置かれる。
針金。
石。
木片。
「心臓部は上層の塔だ」
「近づくほど眼が増える」
カイトの指が上へ滑る。
「密度が高すぎる。なので一定以上の距離からは、どうやっても見つかる。回避はできない。異形が無限に呼び出される……ように、見える。」
「実際はそうではない。呼び出される異形の数が無限に見えるのは、そう見えるだけだ」
ヴォルフが言った。
「限度がある?」
カイトが頷く。
「ある。投射口にも、反応にも、回転に上限がある」
「だから一人でまとめて追われると無限に見える」
「だから、散らす」
エリスが口を挟む。
「分散させれば、密度が落ちる」
カイトが言う。
「この段階の目的は殲滅じゃない。囮だ」
「密度を下げて、本命で刺す」
模型の石が二つ、指で離される。
針金が引かれる。
「聞いていたな? 囮は俺たちがやる」
カイトの言葉は短い。
だが、そこに決定がある。
「囮を始める合図は照明弾を使う」
「ただの火薬玉じゃない」
エリスが横から言った。
「発光を魔法で増して、音も少しだけ盛る。反応を引っ張るのが目的なら、その方が早い」
「火力はない」
カイトが続ける。
「眩ませて、鳴らして、位置を誤認させるだけだ。だが囮にはそれで十分だ」
誰かが笑って言った。
「派手だな」
カイトが返す。
「派手でいい。囮が目的だ」
「反応を最大化できる」
エリスが肩をすくめた。
「走る方も、最初だけは軽く底上げする」
「強化魔法か」
「初歩のやつだよ。脚が少し軽くなる程度。長くは持たないし、殴り合いの役には立たない。でも最初に散るには十分」
カイトがヴォルフを見る。
「お前は、心臓部ギリギリまで近づけ」
「だが、見つかる寸前で止まれ」
ヴォルフは短く。
「分かった」
「合図から、ほんの少し遅れて動けば良いんだな?」
カイトは頷いた。
「そうだ。俺たちが散らす。その間に、お前が刺す」
ヴォルフの喉が鳴る。
「力の使い方は決まった」
——それを他人に預ける。
多少の不安。
だが、必要。
カイトが言った。
「合図は照明弾。俺が最初の一つを上げる。上がったのを見たら全員で上げろ。それが突入開始の合図になる」
「迷う余地はない」
エリスが小さく笑った。
「迷ったら死ぬね」
会議は長くない。
必要な線だけ引いて、終わる。
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小休止。
作戦のための準備が静かに、しかし確実に始まった。
まずは照明弾が配られた。
続いて、照明弾が不発したときのための発光筒。
ワイヤーの予備。
金具に、巻取りの油。
準備が着々と、あるいは粛々と進んでいく。
エリスはその間も、視線だけを工具台に向けていた。
並んだ工具と金具。
指先が空中で線を引く。
製図でもしているかのように。
今すぐ形にしたいというのが、指の動きだけで分かる。
ヴォルフが言った。
「剣はどうする」
「そのあたりに転がってないか」
エリスが顔を上げた。
「試作なら、それでいい。でも本番はだめ」
「できれば……用意できる最高の素材を使いたい」
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「まず、やってみる」
手近な刃とワイヤーフックを並べる。
くっつけるだけ。簡単だ。
だが持ってみると、重心が狂う。
「……扱いづらい」
ヴォルフが言う。
エリスが頷いた。
「剣も、フックも、両方使いづらい」
そう言いながら、エリスは試作品のワイヤーを射出した。
突き刺さる。
「でもワイヤーの射出は安定してる」
次。
「先端に剣を付けて、フック代わりに射出してみる」
剣の柄。そこに射出の機構を仮で噛ませる。
刀身が飛んだ。
だが、回る。
狙いがずれる。
刺さらない。
壁を削って、跳ねる。
「……ダメね」
エリスが吐く。
「重量バランスが崩れちゃう」
「飛翔が不安定。回転して狙いが狂う」
「これじゃ、フックの役割を果たせない」
だが。
エリスの目が変わった。
「でも、剣としてのバランスは、むしろ整ってる」
「つまり、一点で付けるのが悪いのね」
「じゃあ、重さを散らせばいい」
エリスの指が空中で線を引く。
「巻取りは鞘に入れる」
「射出機も柄に入れる」
「そうすれば、剣の中に入るのはワイヤーだけになる」
「それなら、剣のバランスは崩れない」
「問題は伸ばしたワイヤー全体のバランス」
「ってことは——」
工具が鳴る。
「剣をバラせばいい。輪切りね」
細い指を立ててみせた。
指二本。その長さの刃片にする。
「それを、ワイヤーに分散して付ける」
「そうすれば、全体の重量バランスが取れる」
ヴォルフが言った。
「戻るのか」
エリスが頷いた。
「巻き取れば、一本に再構成できる」
「……たぶん」
できる。
たぶん。
ヴォルフは眉を寄せた。
エリスが息を吐く。
「決定ね。細かい部分は実際に図面に起こさないとわからないけど」
エリスの声が震えている。言いたくないことでもあるかのように。
「……さてと。さっきも言ったけど、本番には最高の素材を使わなきゃ」
腰から、震える手でショートソードを抜いた。
女たちが息を呑む。
「アイゼンガル製の最高級品」
「叔父さんからの贈り物。だけど……」
エリスは笑って言った。
「これが今用意できる最高の素材。なら、使わなきゃ」
「それが、最高の職人ってものなの」
鞘ごと工具台へ置いた。
金属が、低く鳴った。
炉が火花を散らす。
ワイヤーが引き出される。
刃が、輪切りにされていく。