配管の裂け目へ、ヴォルフの身体が吸い込まれる。
アイゼン・ラピッドのワイヤーが張る。
巻き取る。
身体が前へ引かれる。
足場はない。
あるのは割れた配管と、崩れた壁と、都市そのものの脈動だけだ。
背後で、心臓部の警報がなおも鳴っている。
その音が、街じゅうへ広がっていく。
崩壊が始まった。
壁の内側を走る配管が裂け、赤い液が噴く。
路地の下では、生体部品が連鎖的に痙攣し、潰れ、爆ぜていた。
上から落ちてくる。
下からも割れる。
止まっていれば、街ごと喰われる。
だが前には、シレがいる。
制御装置を抱えたまま、細い配管の列を滑るように逃げていく。
眼球。
神経節。
それだけの塊なのに、妙に速い。
背眼だったころより小さい。
だがそのぶん、狭い隙間へ平然と入り込んでいく。
大きな目玉が一瞬だけこちらを向き、すぐに前を向いた。
「振り切れないか……!」
初めて、はっきり叫んだ。
声がひび割れている。
ヴォルフは答えない。
梁の残骸へフックを射出。
刺さる。
巻き取る。
距離を詰める。
シレが配管の曲がり角を折れた。
その瞬間、足場が崩れた。
ヴォルフは落ちる。
いや、落ちる前に撃つ。
アイゼン・ラピッド。
壁へ。
刺さる。
巻き取る。
落下が横滑りに変わる。
そのまま外壁を蹴る。
また前へ。
警報が大きく響いている。
街の奥で、何かが倒れる重い音。
それでもシレは止まらない。
「まだ着いてくるのか……!」
制御装置を抱える神経節が、さらに締まる。
「死にたくない!」
その抱え方に執着がある。
ただ持っているだけではない。
あれが、止めるべきものだ。
ヴォルフは追う。
頬に、冷たいものが当たった。
ひとつ。
ふたつ。
すぐに数が増える。
雨だ。
外壁を伝い、剥き出しの配管を叩き、砕けた石を濡らしていく。
ハウリングアサルトの銃身にも、水滴が散った。
白い熱が、そこで短く鳴いた。
崩れた橋の上。
割れた回廊。
潰れた塔の外壁。
足場が崩れるたびに、アイゼン・ラピッドで次を掴む。
短く。
速く。
近づくたびに、刃片が鳴る。
だが構わない。
もう隠れる段階は終わった。
シレが背後へ何かをばら撒いた。
小さい。
赤い。
脈動する肉片。
配管へ当たる。
張りつく。
次の瞬間、爆ぜた。
爆風。
破片。
熱。
ヴォルフは腕で顔を庇い、壁へ身を預ける。
その隙に、シレがまた距離を取る。
「なんで私がこんな目に!」
叫びが、もう監視者のものではない。
ただの悲鳴に近い。
━━━
前方の高所。
細いワイヤーが走った。
壁へ刺さる。
巻き取られる。
跳んだ人影がひとつ。
エリスだ。
着地と同時に叫ぶ。
「見つけた!」
「あいつが持ってるの! このルナール全体の制御キー!」
「信号を出してる!多分情報秘匿用の崩壊信号!動いてる限り、崩壊が進む!」
ヴォルフは短く。
「まとめて壊す!」
「そう! ……ああもう!あたしじゃ追いつけない!」
エリスも走る。
だがすでに遅れ始めている。
ヴォルフと比べて、身体能力が違いすぎる。
一方で、シレ本体は軽い。
細い。
そして必死だ。
死にたくないものの速さで、文字通り必死に逃げている。
「こっちにくるなぁ!」
シレが振り返らずに叫ぶ。
その声と同時に、制御装置から赤い光が脈打った。
街のあちこちで、また爆発。
崩壊の速度が上がる。
エリスが歯を食いしばる。
「……私は避難を回す!」
「あんたはあれを止めて!」
ヴォルフは頷きもしない。
もう前しか見ていない。
シレは高架の残骸を抜け、外壁沿いの長い逃走路へ出た。
遮るものがない。
だが足場も悪い。
崩れた石と、剥き出しの配管が斜めに走っている。
逃走経路が見えた。
一直線。
その先へ。
ヴォルフの耳に、違う音が混じった。
カシュン。
圧力弁の開く音。
ハウリングアサルトの側面から、白い蒸気が短く噴く。
冷却が終わった。
二発目。
ヴォルフは走りながら銃口を上げる。
狙うのは背中ではない。
少し先。
シレが次に通る場所。
引き金を絞る。
轟音。
銀燐重装爆裂弾が、逃走路の先で炸裂した。
直撃ではない。
だが十分だ。
爆炎が配管を吹き飛ばす。
石が裂ける。
衝撃でシレの身体が跳ねた。
制御装置を抱えたまま、空中で姿勢を崩す。
「ぁ——」
言葉にならない声。
そこへ。
アイゼン・ラピッド。
射出。
巻き取る。
ヴォルフの身体が、爆炎の中へ突っ込む。
右手に鉈はない。
持ち替える時間が惜しい。
左手のワイヤーを巻き戻す。
刃片が列をなし、一本へ戻る。
エリスの、元は最高級品のショートソード。
アイゼン・ラピッド。
爆炎を抜けた先で、シレが振り向いた。
恐怖だけが、その眼球にあった。
ヴォルフは踏み込む。
振り抜く。
一閃。
制御装置ごと、断った。
神経節が裂ける。
眼球が弾ける。
制御装置の赤い光が、途中で途切れた。
シレの身体が、遅れて崩れる。
配管の上へ。
ずるりと。
落ちる。
それでも街は止まらない。
遠くでまだ崩れる音がする。
爆発も続く。
慣性で進み始めた破壊までは、止めきれない。
だが。
警報の質が変わった。
さっきまでの切迫した連続音ではない。
途切れ途切れだ。
失速している。
ヴォルフは、真っ二つになったシレを見た。
脈動は弱い。
まだ生きている。
だが、もう逃げることはできない。
長くない。直に死ぬだろう。
終わりだ。
破壊した制御装置が、小さく火花を上げていた。