ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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4部 垂直都市・アイビス
第1話


ルナールは、まだ死にきれていなかった。

 

崩れた塔の断面が空へ晒されている。

 

割れた外壁の隙間を、白い蒸気が細く吐く。

 

配管は街のあちこちで剥き出しになり、潰れた眼球めいた監視器官が泥と瓦礫に埋まっていた。

 

あの警報は、もう鳴らない。

 

だが静かになったわけでもない。

 

遠くで金属が軋む。

どこかで石が落ちる。

 

生き残った連中の怒鳴り声と、負傷者を運ぶ足音が、通りを絶えず行き来していた。

 

数日。

 

それだけ経っても、街はまだ後始末の途中にある。

 

ヴォルフは崩れた路地の端に立ち、その光景を眺めていた。

 

眺めているだけだった。

 

手伝いはしない。

 

再建にも、封鎖にも、避難にも加わらない。

 

必要なだけ滞在し、必要がなくなれば出る。

 

最初からそのつもりだった。

 

羽音がした。

高くはない。

 

建物の骨組みの間を縫うように、黒い影が一つ降りてくる。

 

鳥だった。

 

ルナールの瓦礫に一度だけ爪を掛け、それからヴォルフのすぐ近くへ降りる。

 

人を怖がる様子がない。

 

脚には細い筒が括りつけられていた。

 

ヴォルフはしゃがむ。

鳥は逃げない。

筒を外す。

封筒が入っていた。

 

差出人の名を見るまでもなかった。

 

ヴォルフは封を切る。

紙は薄い。

 

癖のある、だが崩れていない字だった。

 

『しばらく姿が見えなかったみたいだけど、生きてるかい?』

 

『まあ生きてるだろうから、その前提で手紙を書くよ』

 

『死んでいたら届け損だ。運び賃は君に請求できないしね』

 

そこで一度、文が切れている。

 

軽い。

 

だがその先は軽くない。

 

ヴォルフは黙って読み進めた。

 

アイビス方面に動きがある。

 

残存するインベイダー拠点の一つが、あの垂直都市にまだ根を張っていること。

 

ルナールで崩れた観測網の穴を埋めるように、周辺で流れが組み替わり始めていること。

 

そしてカルドレク側もまた、その周辺で慌ただしく動いていること。

 

救援。

治療。

物資支援。

 

名目はいくらでもある。

 

だが善意だけで動く連中ではない、と文面は遠回しに示していた。

 

『君なりに、ルナールで何かは拾っただろうし、こちらでも色々と情報は掴んでる』

 

『ただし全部は書かない。紙の上で親切すぎる情報屋は長生きできないからね』

 

『要点だけ言えば、次に見るべき場所はアイビスだ』

 

『カルドレクも、そちらへ手を伸ばす』

 

『君がそれをどう扱うかは任せるよ』

 

最後の一行だけ、少し癖が強かった。

 

『放っておけば面倒になる。もっとも、君は面倒の方へ歩いていく手合いだけど』

 

読み終えて、ヴォルフは紙を折る。

 

鳥はもういなかった。

 

いつ離れたのかも分からない。

 

エリスが口を開いた。

「何か来た?」

 

ヴォルフは封筒をコートへしまう。

 

「アイビスに行く」

 

エリスはすぐには返さない。

 

視線だけが動く。

崩れた街へ。

負傷者を運ぶ担架へ。

仮設の封鎖線へ。

 

それから、ヴォルフへ戻る。

 

「……もう少し残るって線は」

 

「ない」

それで終わりだった。

説明もしない。

 

ルナールがどうなるか分かっていないわけではない。

 

外から何が入ってくるか、想像できないわけでもない。

 

それでも残らない。

 

ここで殺すべきものは、もう殺した。

 

次があるなら、そちらへ行く。

 

エリスは溜め息を飲み込むように鼻で息を吐いた。

 

「だと思った」

 

責める声ではなかった。

 

諦めきった声でもない。

 

ただ、そういう人間だと知ったうえで確認しただけの声だった。

 

「カイトには?」

「まだ」

 

「じゃ、先に言っとく。あいつ今、南区画の再封鎖見てるから」

 

ヴォルフは頷かない。

歩き出す。

エリスもついてきた。

 

街路の半分は瓦礫で埋まり、残った半分を人が縫うように通っている。

 

サイトレスの構成員が、疲れ切った顔で指示を飛ばしていた。

 

誰もが手を動かしている。

 

ヴォルフだけが、その流れの外を歩いていた。

 

━━━

 

南区画の封鎖線は、歪んだ鉄骨と引き倒した荷車で組まれていた。

 

その前にカイトがいた。

 

地図を広げ、数人に指示を出している。

 

視線がヴォルフとエリスを捉える。

 

すぐに部下への説明を切り上げ、こちらへ来た。

 

「休んでる顔じゃないな」

 

エリスが言う。

 

「休めてたら苦労しない」

 

カイトはそう返してから、ヴォルフを見た。

 

「行くのか」

話が早い。

ヴォルフは短く返す。

「アイビス」

 

カイトは眉一つ動かさない。

 

止める言葉を探す顔でもなかった。

 

「何か決まったか」

 

「殺すべき相手がいる」

 

「そうか」

 

カイトは封鎖線の向こうへ一度だけ目をやった。

 

焼け跡の先で、まだ白煙が昇っている。

 

「こっちは、残る人間で回すしかない」

 

「ルナールは残った。だが空いた穴も残った」

 

「外は必ず嗅ぎつける」

 

「カルドレクも含めて」

 

ヴォルフは黙って聞く。

 

カイトは続けた。

 

「……別に、お前に後始末の責任があるとは言わない」

 

「最初からそういう契約でもない」

 

「だが、ここから先はもっと面倒になる」

 

「それでも行くなら、せめて次の火種くらいは踏み抜いてこい」

 

ヴォルフは短く。

「そのつもりだ」

 

カイトはそこで初めて、わずかに口元を歪めた。

 

笑ったというより、呆れたに近い。

 

「そう言うと思った」

会話はそれで足りた。

 

引き止めも、送り出す美辞麗句もない。

 

現場の人間同士の確認だった。

 

━━━

 

準備に時間はかからなかった。

 

アイゼン・ラピッドを確認する。

 

刃片の噛み合わせ。

ワイヤーの張り。

巻き取り機構の応答。

 

ハウリングアサルトの冷却系。

 

残弾。

 

ノコギリ鉈の刃こぼれ。

 

断重の鉄塊斧の固定。

 

必要なものだけを見る。

 

余計な物資は持たない。

 

長居するつもりがない装備だった。

 

作業台の向こうで、エリスが工具を拭きながら言う。

 

「アイゼン・ラピッドは今のところ問題なし。無茶な引き方したわりには、まだ保ってる」

 

「ただし次も同じくらい酷使するなら、帰ってきたら一回ばらす」

 

ヴォルフは武器を収める。

 

「分かった」

「それと」

エリスの手が止まる。

 

「アイビスは高低差がえげつないって話。ワイヤー使うなら、落ちる前提で動くといいよ」

 

「似たようなこと、もうやったかもしれないけど」

 

「一応、言っとく」

 

ヴォルフは何も言わない。

 

エリスもそれ以上は言わなかった。

 

少ししてから、工具を置く。

 

「……ルナールのことは、あたしたちが見る」

 

「あんたはあんたの用を済ませて」

 

「中途半端に気にされる方が邪魔」

 

声音は実務そのものだった。

 

だが、それで全部でもなかった。

 

ヴォルフは扉へ向かう。

 

背中に、最後の一言だけ飛んだ。

 

「死ぬなとまでは言わない」

 

「でも、それ。できれば大事にしてね」

 

アイゼン・ラピッドを指さして、言った。

 

ヴォルフは足を止めない。

 

「……善処しよう」

 

それだけ返して、外へ出た。

 

━━━

 

ルナールの門を出る頃には、空は曇っていた。

 

崩れた監視都市が背後にある。

 

振り返る必要はない。

残るもの。

入り込んでくるもの。

奪い合うもの。

 

全部、そこに置いていく。

 

ヴォルフは前だけを見る。

 

アイビス。

 

縦に積み上がり、金属とガラスと梁で組まれた都市。

 

まだ見ていない。

 

だが、高い場所に巣食う厄介事の匂いだけは、もうしていた。

 

風が変わる。

 

ルナールの血と煤の匂いが薄れ、その先に冷えた鉄の気配が混じる。

 

次の戦場が、遠くで口を開けていた。

 

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