ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第2話

見えた。

上だ。

 

ルナールは横に広がる都市だった。

 

配管が街路を這い、眼球が壁に張りついていた。

 

だがアイビスは違う。

梁が上へ。

壁が上へ。

塔が上へ。

 

何もかもが縦に積み上がり、頭の上に続きがある。

 

ヴォルフは外縁の崩れた石壁を背に、全体を見上げた。

 

金属の梁が幾重にも渡されている。その隙間をガラスの壁面が埋め、空を鈍く反射している。外壁には搬送路が走り、保守用の足場が段々に張り出している。本来は人が通るための構造だ。あるいはそうだったはずだ。

 

今は違う。

 

高所の壁面に、何かが張りついている。

 

遠すぎて細部は見えない。

 

だが脈打っている。

それだけは分かる。

 

上を取られていると、下から何も届かない。

 

一度だけ、視線を降ろした。

 

地表側の入り口。石と金属が入り混じった低層区画。人の匂いが残っていない。

 

何年か前まではここに暮らしていた連中がいたはずだ。

 

今はいない。

 

ヴォルフは外套を直し、上へ向かった。

 

━━━

正面からは入らない。

 

大通りは頭上に射線が通りすぎる。迎撃するなら上から落とすのが正解で、下を歩く人間は遮蔽物を探す暇もなく潰される。

 

外壁の端を使う。

 

梁の下面に沿って横移動する。

 

アイゼン・ラピッドを射出した。

 

梁に噛む。

巻き取る。

 

身体が斜めに引き上がる。

 

次の梁。

また射出。

 

着地ではなく、移動のまま次へ繋ぐ。

 

この都市とアイゼン・ラピッドは、悪くない相性だ。

 

足場は多い。上下に分厚い。梁と壁と搬送路が入り組んでいる分、ワイヤーを噛ませる場所には事欠かない。

 

ただし。

 

高所の遮蔽物の陰から、赤い光がふたつ、動いた。

 

来る。

巡回の末端個体だ。

人の形をしていない。

 

四肢のバランスが狂っている。余分な関節がある。皮膚が甲殻に移行しかけた、半端な状態の何かだ。

 

ヴォルフはワイヤーを逆に引き、身体を梁の下側へ引き込む。

 

末端個体が通過する。

気づかない。

 

視覚系が簡略化されているのか、あるいは真下という死角があるのか。

 

どちらでもいい。

 

通り過ぎたところで、鉈を抜かずに首の付け根へ拳を叩き込んだ。

 

音なく落ちる。

 

足場の下、遠い地表へ。

 

落下音は遠すぎて聞こえなかった。

 

━━━

 

二層、三層と上がるごとに密度が増した。

 

巡回の末端個体の数が増える。

 

射出口が増える。

 

梁の陰や搬送路の曲がり角に、固定の迎撃器官が埋まっている。肉と金属が混ざった、砲台とも生き物ともつかないものだ。正面を向いた眼球が赤く光っており、射線内に入ると何かを吐き出す。

 

ヴォルフは射線の外を選んで動いた。

 

直線ではなく、梁伝いに迂回する。

 

時間はかかる。

 

だが騒ぎを起こすよりはいい。

 

ここはルナールではない。

 

ルナールは眼球の数で支配していた。見ることが力だった。

 

アイビスは違う。

射線。

制圧。

落下。

 

高さそのものが武器になっている都市だ。

 

見つかれば上から一方的に叩かれる。

 

だから見つからないまま、高所へ近づく。

 

━━━

 

四層を越えたあたりで、壁面の質が変わった。

 

もともとの石材や金属の構造物に、肉と膜が混ざり始める。

 

壁から突き出た管。

 

その管に繋がった、脈打つ塊。

 

圧送音がする。

低く、規則的に。

 

血か、それに近い何かを送っている音だ。

 

触れなかった。

 

刃を当てれば簡単に潰れるだろうが、それをして何かが変わる可能性がある。

 

巣の内側に来た、という感覚が強くなる。

 

この都市全体が、何かの一部として組み込まれている。

 

ヴォルフは管を避け、上へ続く搬送路の外縁を進んだ。

 

━━━

 

五層の高さで、変化があった。

 

迎撃が止んだ。

 

巡回の末端個体が来ない。

 

射出口の赤い眼が、閉じている。

 

全部が止まったわけではない。

 

遠くではまだ動いている。

 

だがこの区画だけ、静かになった。

 

不自然だ。

 

ヴォルフはアイゼン・ラピッドを構えたまま、梁の陰に背を付けた。

 

音を立てない。

呼吸を落とす。

見られている。

確信ではない。

 

だが、何かがいる感覚だけはある。

 

迎撃を止めたのは、機能が落ちたからではない。

 

必要がないと判断したからだ。

 

来るなら来い、という静けさだった。

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

搬送路の先に、空間が開けた。

 

吹き抜けだ。

 

幾層もの梁と金網が、縦に積み重なっている。各層の搬送路が交差し、中継塔がその中心を貫いている。外壁のガラスが三方を囲み、残る一面は剥き出しの金属骨格だ。

 

射線は通る。

どこからでも。

 

だが遮蔽物も多い。梁の下面、金網の折り重なる陰、中継塔の背後。

 

地面に当たる面積が少ない。

 

落ちれば遠い。

 

脈打つ肉塊が、ここにもある。

 

中継塔の節に、肉塊が半ば生えていた。管が繋がり、脈打っている。塔の一本ではなく、複数に。壁面にも張りついている。まるでこの空間に血管を通したように。

 

これが巣の中枢に近い場所の見え方だ、とヴォルフは理解した。

 

中継塔の上層。

影が動いた。

五本。

脚が五本ある。

 

人の動きではない。奇数の配置で、壁から梁へ、梁から中継塔の外面へと、予測を外すように移る。速い。重そうな見た目に反して、動くたびに支点を変え、軌跡が読めない。

 

腕の部分に、何かが畳まれている。

 

外殻の内側に。

 

ヴォルフはノコギリ鉈を抜いた。

 

来る前に、理解する。

 

ここはあれの縄張りだ。

 

━━━

動きが止まった。

中継塔の上層。

 

五脚が固定され、こちらを向いている。

 

視線という概念があるなら、今はそこにある。

 

静かだった。

音を立てない。

 

あれがこの都市のどこに何があるかを知っているように、ヴォルフが今どこにいるかも知っている。だから急かない。逃げ場がないと分かっているから。

 

ヴォルフは金網の端へ移動した。

 

梁の下面を選ぶ。

 

落下方向に死角を作る。

 

射線の数を絞る。

できることをやる。

 

外殻の内側で、何かが動いた。

 

畳まれていたものが、開こうとしている。

 

その瞬間。

轟音。

上から来た。

 

ガラス壁面の一区画が弾け、金網が焦げる。

 

雷だ。

 

白い閃光が縦に走り、着弾点の金網が熔けて丸まった。

 

五脚の動きが止まる。

ヴォルフも止まる。

第三者が来た。

━━━

降りてきた。

 

搬送路の上層から、一人。

 

槍を持っている。

 

雷が、その周囲をまだ散っていた。余熱だ。足場の金網に流れ、じじじと焦げ続けている。

 

ヴァーレンだ。

 

全体を一瞥しただけで、状況を把握している顔だった。

 

ヴォルフを見る。

 

それから五脚の異形を見る。

 

どちらも、視線の温度は同じだった。

 

「先に着いていたか」

声は静かだ。

感情的ではない。

だが硬い。

 

「カルドレクの部隊は下層で足場を固めている。この高さに上がれるのは、今は俺だけだ」

 

ヴォルフは答えない。

ヴァーレンが続けた。

 

「セルヴァンは前線から退いた」

 

「今は俺が、ここの判断をしている」

 

「異形も、お前も、もはや見逃さない」

 

それだけだった。

長くしない。

激情もない。

 

ただ、決定として告げた。

 

セルヴァンがいた頃とは違う。

 

あの頃の硬さは命令を守る者の硬さだった。

 

今のこれは、自分が判断する者の硬さだ。

 

━━━

 

中継塔の上層で、五脚が動いた。

 

外殻の内側から、ゆっくりと展開する。

 

肉と外殻の境目が、裂けるように開く。

 

血が散る。

射出口がせり出す。

 

その動作に感情はない。

 

処理として行われている。

 

声が出た。

低い。

反響する。

 

どこか機械的な整い方をした発声だった。

 

「私の名はクロヴ。五つ脚のクロヴ」

 

「貴公らは私のテリトリーに侵入している」

 

「排除する」

 

それが宣言なのか、処理の開始音声なのか、区別がつかない。

 

どちらにせよ、意味は同じだ。

 

腕部の射出口が脈打った。

 

充填されている。

 

「アシンメトリー・ドライブ、ロード」

 

五脚が動いた。

壁へと跳ねる。

梁へと飛びつく。

 

更には中継塔の外面へ。

 

着地するたびに支点が変わり、次の軌跡が読めない。速い。重さを感じさせない速さで、この空間を縦横に移動している。

 

ヴォルフはアイゼン・ラピッドを構えた。

 

ヴァーレンが槍を構えた。

 

どちらも、主眼は同じ場所にある。

 

クロヴが壁面を蹴り、空間の対角へ跳んだ。

 

その軌跡の先に、さっき見た脈打つ肉塊がある。

 

━━━

射出口が膨らんだ。

充填が終わった。

 

「スカーレット・ラジアル、ロード」

 

腕部の外殻が大きく開いた。

 

血と肉片が散る。

五連。

放射状。

 

偏った射角で、安地をずらすように飛んでくる。

 

ヴォルフは梁の下へ。

金網の裏へ。

 

直撃ではない。だが一枚、腕をかすった。

 

鋭い。

刃として飛んでいた。

 

ヴァーレン側でも雷が走った。

 

迎撃だ。

 

二本を弾いたが、残り一本が搬送路を削った。

 

三者がそれぞれに動く。

 

クロヴはその肉塊へ飛びつき、一瞬だけ接続しつつ同時に次の軌跡へ移る。

 

ヴォルフはワイヤーを射出し、クロヴの移動先を先読みして位置を取ろうとする。

 

ヴァーレンは雷光のように、直線的な動きで跳ね回る。クロヴとヴォルフの両方を視野に収めて隙を伺っている。

 

誰の計算も、少しずつ狂っている。

 

一対一なら読める。

三者では読めない。

 

それがこの空間の現実だった。

 

ヴォルフは鉈を握り直した。

 

正面から抜けるしかない。

 

クロヴが接続を終え、再び動き始めた。

 

ヴァーレンの雷が一本、梁を伝って流れた。

 

次が来る。

 

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