ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第4話

痛みで、足場の距離が狂う。

 

近いはずの梁が遠い。

 

遠いはずの金網が、顔の前へ迫る。

 

ヴォルフはワイヤーを撃った。

 

噛む。

巻き取る。

身体が引かれる。

 

その勢いだけで、次の足場へ転がり込む。

 

着地ではない。

 

落下の途中を、無理やり別の落下に繋いでいるだけだ。

 

肺の奥が焼けている。

まだ雷が残っていた。

 

一息ごとに、胸の内側で棘が擦れる。

 

立ち止まれば死ぬ。

だから動く。

 

上では、まだ戦いの気配がしていた。

 

クロヴが完全に退いたわけではない。

 

ヴァーレンも、まだあの巣の中にいる。

 

だが追ってはこない。

追えないのだろう。

それで十分だった。

 

ヴォルフは外套の内側を押さえた。

 

奪った器官が、布越しに固い感触を返す。

 

温かい。

 

生きているのか、熱が残っているだけなのか、区別はつかない。

 

どちらでもよかった。

 

今はただ、落とさないことだけが先だった。

 

━━━━━━━━━━━

 

追ってきたのはクロヴでもヴァーレンでもない。

 

末端の迎撃体だった。

細い脚。

軽い外殻。

数だけは多い。

 

まともな時なら鬱陶しいだけの雑魚が、今は死ぬかどうかの線にいる。

 

ヴォルフは短銃を抜いた。

 

撃つ。

落とす。

 

近づいた一体を、ノコギリ鉈で叩き割る。

 

クリムゾンデューティ。

 

奪う。

押し戻す。

 

焼けた内側へ、無理やり血を流し込むみたいに、崩れかけた身体を繋ぎ止める。

 

治ってはいない。

 

ただ、壊れる速度が少し遅くなる。

 

それだけだった。

もう一体。

撃つ。

落とす。

また一体。

 

足場の端から蹴り落とす。

 

最低限。

それ以上は狩らない。

狩る余裕がない。

 

ただ、死なないぶんだけ奪う。

 

その繰り返しで、どうにかアイビスの外縁まで降りた。

 

上を見上げない。

見ても戻れない。

戻れば死ぬ。

 

今のヴォルフにできるのは、持ち帰ることだけだった。

 

アイゼンガルへ戻った時には、空の色が変わり始めていた。

 

灰色。

 

熱と煤で濁った、あの街の空だ。

 

壁より先に煙が見える。

 

鉄の匂いがする。

 

焼けた油の匂いがする。

 

生きている街の匂いだった。

 

工房街へ入る手前で、一度だけ足が止まった。

 

視界が揺れたからだ。

壁に手をつく。

 

そのまま崩れかけたところで、横から声が飛んだ。

 

「ちょっと」

若い女の声だった。

 

ヴォルフが顔を上げる。

 

見覚えがある。

シスターズの一人だ。

名前までは知らない。

 

だが、エリスの近くにいた顔だった。

 

向こうもすぐ気づいたらしい。

 

目を見開く。

 

次に、驚くより先に傷を見た。

 

「うわ」

素直な声だった。

 

「生きてるのが不思議なくらいじゃん」

 

ヴォルフは答えない。

 

代わりに、まだ立っていることだけを示す。

 

女は呆れたみたいに息を吐き、それから背後へ向かって怒鳴った。

 

「エリス!」

 

少し離れた路地の奥で、金属箱を抱えていたエリスが顔を上げた。

 

一拍。

 

その顔から、いつもの気の抜けた軽さが消える。

 

すぐにこっちへ来た。

「ひどいね」

軽い口調だった。

 

だが軽くは聞こえなかった。

 

ヴォルフは答えない。

 

エリスの横にいたシスターズの女が、持っていた包帯と薬液を押しつけてくる。

 

「座って」

「いらん」

「いらなくない」

 

エリスが先にヴォルフの腕を取った。

 

壁際へ寄せる。

乱暴ではない。

 

だが反論は受けつけない動かし方だった。

 

「今は倒れないための方を優先」

 

シスターズの女が包帯を裂く。

 

胸ではない。

まず腕。

次に脇腹。

 

止血というより、崩れないように縛るだけの処置だった。

 

それでもさっきよりはましになる。

 

「なぜここに?」

ヴォルフが短く聞く。

 

エリスが手を止めずに答える。

 

「ルナールは、ひどい」

「でも終わってはない」

「カルドレクが救援の顔して入って、そのまま居座り始めてる」

「だから逃げ出してきた」

 

シスターズの女が引き取る。

 

「こっちも、持てるものは持ち出したよ」

「使える機材も、資材も、いくらかは」

「ルナールのリソースが結晶化したものも、少し」

 

ヴォルフは顔を上げた。

 

「抜いたのか」

「抜いた」

それだけだった。

 

誰も誇らしげには言わない。

 

ただ、そうするしかなかった現場の報告として置かれる。

 

エリスが肩をすくめる。

 

「あんたがいなかった分、こっちはこっちでやったってこと」

 

責める口調ではない。

 

だが、それで十分だった。

 

ヴォルフはそれ以上何も言わなかった。

 

言うことがない。

 

自分が切った線の先で、誰が何を払ったかだけは、黙っていても残る。

 

━━━━━━━━━━━

 

エリスの視線が、そこで初めてヴォルフの外套の内側へ落ちた。

 

「で、それ」

 

ヴォルフは黙って、奪った器官を出した。

 

包帯の白の上へ、白っぽい骨の芯が乗る。

 

その周囲には、乾きかけた血と肉がこびりついていた。

 

シスターズの女が露骨に顔をしかめる。

 

「うわ」

「そうなるよね」

 

エリスは逆に、少しだけ顔を寄せた。

 

疲れていた目つきが、そこだけ変わる。

 

「……これ」

指先はまだ触れない。

見ているだけだ。

 

それでも、何かを追っている顔だった。

 

「ただの残骸じゃない」

 

ヴォルフは短く言う。

 

「捨てるつもりだった」

 

「だろうね」

 

エリスは器官の輪郭を目でなぞる。

 

骨質の外殻。

角ばった稜線。

 

生体のはずなのに、妙に整理された流れがある。

 

「これ、何するもの?」

 

脳裏に、クロヴの血の刃の赤さがよぎった。

 

「血を飛ばしていた」

「なるほど」

 

ほんの少しの沈黙を挟んで、エリスが言った。

 

「……ちゃんと見たい」

 

シスターズの女が呆れたように言う。

 

「今?」

「今」

「ここ路地だよ」

 

「分かってる。だからここじゃ無理」

 

そこでエリスはようやく器官から顔を上げた。

 

「設備がいる」

 

ヴォルフは聞き返さない。

 

エリスがそう言うなら、そうなのだろう。

 

「行く場所がある」

 

それだけで十分だった。

 

ヴォルフは器官を外套へ戻す。

 

エリスが先に歩き始める。

 

シスターズの女が肩をすくめた。

 

「知ってたけど、そうなるよね」

 

「なる」

 

短く返して、エリスは振り返らない。

 

ヴォルフは壁から身体を離した。

 

痛みはそのままだった。

 

それでも足を出す。

 

行き先があるなら、そこまで持てばいい。

 

━━━━━━━━━━━

 

黒鉄の顎。

 

看板は相変わらず煤けている。

 

炉の熱が、外にまで漏れていた。

 

ヴォルフにとっては見覚えのある店だ。

 

エリスにとっては、それだけではないらしい。

 

ためらいがない。

 

勝手知ったる足取りで扉を押し開ける。

 

ここへ来るまでに、説明はなかった。

 

だが、その歩き方だけで十分だった。

 

他人の工房へ入る足ではない。

 

扉を開ける。

店主は奥にいた。

金属音が止まる。

 

気配だけでこちらを見たらしい。

 

次に、実際に顔を上げた。

 

最初にヴォルフを見る。

 

次に、エリスを見る。

 

そのあとで、ヴォルフの持っているものへ目が止まった。

 

「……何持って帰ってきやがった」

 

歓迎ではなかった。

 

呆れと嫌悪と、職人の興味が、全部いっぺんに混ざった声だった。

 

エリスが先に言う。

 

「ただいま、叔父さん」

 

ヴォルフはそこでようやく理解した。

 

身内だ。

 

それも、顔見知り程度ではない。

 

言い方に遠慮がない。

 

店主の方も、驚きはしていなかった。

 

嫌そうな顔をしているだけだ。

 

「帰って来るなり危険物持ち込むやつがあるか」

 

エリスはヴォルフを指さして言った。

 

「危険物って、これ?」

 

「そうに決まってんだろ」

 

返しも早い。

 

その噛み合い方で、もう一つ分かる。

 

ただの親族ではない。

職人同士だ。

 

エリスに技術を叩き込んだ相手がこいつなのだと、そこで腑に落ちた。

 

ヴォルフは外套の内側から器官を出した。

 

作業台に置く。

硬い音がした。

骨。

金属ではない。

 

だが、肉より先にそう感じる質感だった。

 

白い骨の芯。

 

そのまわりへ、乾きかけた血と肉がこびりついている。

 

店主は数秒、黙った。

 

それから、エリスではなく先にヴォルフへ言う。

 

「燃やせ」

即答だった。

 

「今すぐだ。うちは肉屋じゃねえんだぞ」

 

エリスが横から口を挟む。

 

「やだ」

 

店主の目つきが悪くなる。

 

「お前な」

「見て」

 

「見てじゃねえ。危険物だぞ」

 

「見れば分かる」

 

「見なくても危険なのは分かる」

 

短い沈黙。

 

エリスは器官を見下ろしたまま、少しだけ顔を寄せた。

 

「……これ、ただの骨じゃない」

 

店主は黙る。

 

「中に流してる。多分」

 

「何をだ」

 

「血。圧力をかけて。切り替えもしてる」

 

エリスの目が、さっきまでとは違っていた。

 

疲れているのに、そこだけ妙に冴えている。

 

ヴォルフはその顔を知っていた。

 

面倒なものを見つけた時の顔だ。

 

「生体なのに、流路が整理されてる」

「溜めて、切り替えて、撃つ」

「どう見てもそういう用途がある」

 

店主が鼻を鳴らす。

「だから何だ」

 

「だから、真似できるかもしれない」

 

そこで店主の眉が寄った。

 

一瞬、怒るより先に考えた顔になった。

 

その変化を、エリスは見逃さない。

 

「ほら」

「ほら、じゃねえ」

 

「今、ちょっと乗った」

 

「乗ってねえ」

「乗った」

 

「危険物を前にして計算しただけだ」

 

「それを乗ったって言うんだよ」

 

店主は露骨に舌打ちした。

 

顔をそらして、それでヴォルフの方を向いた。

 

「……んん?」

アイゼン・ラピッド。

そこへ視線が止まる。

嫌な間が空いた。

 

「お前……それ見せろ!」

 

ヴォルフから鞘ごとアイゼン・ラピッドを奪い取り、鞘から抜いてじっと見つめている。

 

しばらく眺めて、鞘に納めた。

 

今度はエリスを指した。

 

「護身用の細身剣一本渡したはずなんだが」

 

エリスは平然としている。

 

「うん」

 

「お前……なんでこんなことした!」

 

「必要だったから」

 

「必要だったからで贈った剣を輪切りにするな!」

 

「使える最高級素材がそれしかなかったし、性能も出た」

 

「いや……だが……」

 

「客の要望にも完璧に応えてる」

 

「そうかもしれないが……!」

 

エリスは肩をすくめた。

 

「それが、最高の職人ってものでしょ?」

 

それを言われると、店主は一拍だけ詰まる。

 

ヴォルフは二人のやり取りを黙って見ていた。

 

いつものことらしい。

 

いつもより、少しだけ殺気が強いだけで。

 

店主は不機嫌なまま、器官へ視線を戻した。

 

「ここで雑に割って終わりにするならできる」

 

「それはもったいない」

 

「だから気に入らねえんだよ、その発想」

 

だが否定しきってはいない。

 

エリスもそれを分かっている。

 

「ちゃんと見れば、この流し方が分かる」

「圧のかけ方も、切り替えも」

「生き物でやるのは狂ってるけど、構造だけなら別」

 

店主は作業台へ手をついた。

 

器官を睨む。

白い骨の芯。

角ばった稜線。

 

そこへこびりついた血肉。

 

異形の残骸のはずなのに、たしかに工業部品じみた整い方をしていた。

 

「……こんな流し方を生体でやってるのか」

 

吐き捨てるような声だった。

 

エリスはそこで初めて、少しだけ笑った。

 

「でしょ」

「嬉しそうに言うな」

「面白いから」

「危ないんだよ」

「危ないから面白い」

 

店主は本気で嫌そうな顔をした。

 

「育て方、間違えたかもしれんな……」

 

エリスは即答する。

 

「そのへんはだいたい元から」

 

ヴォルフはそこで初めて、短く聞いた。

 

「使えるのか」

 

二人の視線が、同時にこっちを向く。

 

店主が先に答えた。

「そのままは無理だ」

エリスが続ける。

 

「でも、流れは拾える」

 

店主はなおも不機嫌だった。

 

「再現できるとは言ってねえ」

 

「完全再現じゃなくていい」

 

エリスは器官の骨質の部分を指先で示した。

 

「溜める」

「流す」

「切り替える」

「撃つ」

「これが分かれば、武器にはなる」

 

ヴォルフはそれを聞いて、少しだけ考えた。

 

クロヴの血刃。

安地をずらす射線。

 

金網の向こうから飛んでくる血の刃

 

厄介だった。

 

本当に、それだけは身体が覚えている。

 

「要は同じことをすればいいだけ。構造まで一緒にする必要はないでしょ?」

 

店主が顔をしかめる。

「軽く言うな」

「出来ない?」

「まさか」

 

店主は小さく息を吐いた。

 

少しだけ呆れが漏れる。

 

それでも目はまだ死んでいない。

 

「確認、いるね」

「いるな」

「中身、見る?」

 

「見るしかねえだろ、こんなもん持ち込まれたら」

 

店主はそう言ってから、ヴォルフを睨んだ。

 

「お前、今日は何もすんな」

 

「……」

 

「死にかけの面で立ってるだけでも邪魔だ」

 

ヴォルフは答えなかった。

 

だが座りもしない。

 

店主は諦めたように息を吐く。

 

「好きにしろ」

 

エリスが器官を持ち上げた。

 

重い。

 

生き物の部位とは思えない重さだった。

 

「これ、いいね」

「よくねえ」

「でも、刃になる」

 

店主はすぐには返さなかった。

 

器官を見ている。

怒っている。

嫌がっている。

 

それでも、完全には否定していない。

 

その沈黙だけで十分だった。

 

ヴォルフは壁にもたれたまま目を閉じた。

 

痛みは消えない。

 

アイビスも終わっていない。

 

クロヴも、ヴァーレンも、まだ残っている。

 

それでも手ぶらではなかった。

 

作業台の上には、潰し損ねた敵の残骸がある。

 

次に戻る時、それはもう残骸では済まないかもしれない。

 

炉の熱が、静かに鳴っていた。

 

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