ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第5話

翌朝になっても、器官は作業台の上にあった。

 

白い骨の芯。

角ばった稜線。

 

そのまわりへ、乾いた血と肉がこびりついている。

 

異形の残骸だった。

 

だが、ただの残骸ではないことも、もう全員分かっていた。

 

店主は朝一番から不機嫌だった。

 

最初からだ。

 

前掛けを締める音まで苛立っている。

 

「何度でも言うが、うちは肉屋じゃねえんだがな……」

 

ぼやきながら、器官を裏返す。

 

金属製の探針でこじる。

 

切る。

剥がす。

肉を落とす。

 

骨質の外殻だけが、少しずつ露わになっていく。

 

ヴォルフは壁際にいた。

 

前日よりましだ。

だが治ってはいない。

 

胸の奥にはまだ収束雷の焼け跡が残り、深く息を吸うたびに鈍い痛みが返ってくる。

 

それでも立っている。

 

店主は何度か睨んだが、もう追い出そうとはしなかった。

 

エリスは最初から作業台の横にいる。

 

眠そうな顔をしているのに、目だけが妙に冴えていた。

 

「見えてきた?」

「うるせえ」

「見えてきたんだ」

店主は舌打ちした。

だが否定しない。

 

骨質の外殻の内側には、たしかに整理された流れがあった。

 

細い管。

圧を受ける袋状の室。

切り替え用の弁。

 

ただの生き物の臓器なら、もっと曖昧に絡み合っているはずのものが、妙に機械じみた順番で並んでいる。

 

「流路、圧送、切り替え」

 

エリスがつぶやく。

 

「臓器っていうより、生体機械だね」

 

店主が鼻を鳴らした。

 

「だからって、そのまま人間の武器に落とせるかは別だ」

 

「別だね」

「圧が足りねえ」

「なら足せばいい」

「耐久が足りねえ」

 

「なら骨格を作ればいい」

 

「流すもんはどうすんだ」

 

「それは」

 

エリスが一瞬だけ詰まる。

 

考えている。

「水とか?」

 

「誰がそれを運ぶんだよ。水樽を武器と一緒に運ぶ気か?」

 

「……」

 

「真似できるかもしれない、で済む話じゃねえんだよ」

「武器にするなら、何を流す、どう溜める、どこで切り替える、どこに逃がすかまで全部要る。どうやって使うかもだ」

 

「分かってる」

 

「分かってる顔じゃねえ」

 

エリスは器官の中を覗き込みながら言う。

 

「でもこれ、絶対に何かになる」

 

店主は答えなかった。

 

その沈黙は、否定ではない。

 

もう半分は思考の中に入っている。

 

━━━━━━━━━━━

 

その日の昼には、器官は半ば分解されていた。

 

店主は構造を紙へ起こす。

 

エリスは横から別の線を足す。

 

ぶつかる。

消す。

書き直す。

 

ヴォルフには詳しいことは分からない。

 

だが、揉めている場所だけは分かった。

 

「刃にするなら、まず骨格だ」

 

店主が炭で図面を叩く。

 

「この圧を受ける基部が要る。刀身の根元で逃がす場所も要る。弁も要る。排圧も要る」

 

エリスがすぐ返す。

 

「でも安全に逃がしたら、威力は死ぬ」

 

「死なねえために逃がすんだよ」

 

「死ぬ気でやんないと勝てない相手なんでしょ」

 

店主の手が止まった。

 

それは怒ったからではない。

 

言い返せないからだった。

 

ヴォルフは壁にもたれたまま言う。

 

「使えて、殺せるならいい」

 

店主が睨む。

「雑な条件だな」

「それで足りる」

 

「足りねえからこっちは頭抱えてんだよ」

 

エリスが笑う。

 

「でも条件は分かりやすいじゃん」

 

「お前は黙ってろ」

 

そう言いながらも、店主はすでに図面の線を増やしていた。

 

安全弁。

保持構造。

耐圧骨格。

 

圧を全部通すのではなく、生き残る最低限を残しながら、必要な時だけ一本へ寄せる形。

 

そこへエリスが別の考えを差し込む。

 

「低負荷と高負荷、分けよう」

 

店主が露骨に嫌な顔をした。

 

「言うと思った」

 

「常用と決戦で分ける」

 

「つまり安全設計を付けた上で、それを殺す切り替えも入れるって話だな」

 

「うん」

「馬鹿か」

「必要でしょ」

 

店主はしばらく黙っていた。

 

やがて、深く息を吐く。

 

「……必要なのは分かる」

 

認めたに等しかった。

 

━━━━━━━━━━━

 

夕方。

 

店主が現実的な話を持ち出した。

 

「圧力はまあ、いい。こいつが使うなら適当に握りしめるなりで圧をかければいいだろう」

 

「で、何を流す」

 

そこで初めて、作業台のまわりの空気が少し変わる。

 

エリスも黙る。

 

図面の上で止まっていた指先が動かない。

 

店主はもう一度言う。

 

「話を聞く限り、元は血を使ってた。なら代用品が要る」

「油か、水か、別の媒質か」

「何を流す」

 

ヴォルフは短く答えた。

 

「あてがある」

二人が見る。

「俺の血だ」

 

「ブラッドボーン、と呼んでいる。血と、代償。血を受ければそれを力と命に変えられる」

 

「逆も当然、できる」

 

そこで、今度こそ空気が止まった。

 

エリスの目がわずかに細まる。

 

店主は眉間を押さえた。

 

「……量は」

 

そのあたりにおいてあったジョッキを指さす。

 

「例えば、このジョッキでどの程度だ」

 

感情より先に、必要量を見積もる声。

 

職人の聞き方だった。

 

ヴォルフは少しだけ考える。

 

「少しなら問題ない」

「一杯二杯で動きは鈍らない。おそらく二十は行ける」

「もっと抜けば貧血になる」

「抜きすぎれば死ぬ。大体四十くらいか」

 

店主が顔をしかめる。

「雑すぎる」

 

「目安にはなるでしょ」

 

「お前は何で嬉しそうなんだ」

 

「話が進むから」

 

店主は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「墓場にも進んでねぇか?」

 

ヴォルフは肩を動かした。

 

「死なない程度ならいい」

 

「よくねえよ」

 

だが、そこから先は止めなかった。

 

もう設計の前提が固まってしまったからだ。

 

主動力はヴォルフ本人の力。

 

流すのはヴォルフの血。

 

器官構造から拾うのは、流路、圧送、切り替え、射出。

 

そこへ店主の安全設計と、エリスの過負荷発想が噛み合う。

 

正常ではない。

 

だが武器としては成立しうる。

 

それが分かってしまった。

 

━━━━━━━━━━━

 

次に持ち込まれたのは、義姉妹たちがルナールから持ち出した結晶だった。

 

透明ではない。

濁りがある。

 

内側にかすかな光が沈んでいる。

 

エリスがそれをつまみ上げる。

 

「せっかくだから、これも使おう」

 

店主は即座に言った。

「やめろ」

 

「でも相性は悪くない」

 

「だからやめろ」

 

エリスは聞いていない。

 

「ヴォルフの〈ブラッドボーン〉、純粋な魔法じゃないんでしょ」

「血と代償と、あっち側の理屈が混ざってる」

「なら術式寄りの核を噛ませる意味はある」

 

店主が舌打ちする。

「主動力にするなよ」

「しない」

 

「圧の維持、液体の操作、威力の底上げ、そのへんまでだ」

 

「分かってる」

 

「分かってて言うから質が悪い」

 

ヴォルフは結晶を見た。

 

何に使うかまでは知らない。

 

だが、全てではないがパストルの、あるいはそれに類するものの力が混じったものを、刃に織り込む。

 

その意味だけは、何となく分かった。

 

━━━━━━━━━━━

 

夜になって、ヴォルフがもう一つだけ条件を足した。

 

「ついでだ」

 

店主が嫌そうに顔を上げる。

 

「まだあるのか」

 

「予備の血を少しだけ仕込めるようにできないか」

 

エリスの目が動く。

 

店主はすぐに理解したらしい。

 

理解した上で、深くため息をつく。

 

「保険か」

ヴォルフは頷く。

 

ヴァーレンの不意打ち。

 

収束雷槍。

一度、死にかけた。

 

あれがもう少し深く入っていたら終わっていた。

 

その実感だけが、まだ身体の奥に残っている。

 

「もしもの時に、死なないぶんだけ要る」

 

エリスがすぐ図面へ線を足す。

 

「予備血チャージ、保持構造、切り替え統合」

 

店主が頭を抱えた。

 

「お前ら二人とも気が狂ってる」

 

「今さらだね」

「今さらで済むか」

 

それでも、また止めない。

 

安全弁を設計する。

保持機構を増やす。

 

低負荷では薄く広く流す。

 

高負荷では弁を殺して一本へ押し込む。

 

予備血は最低限だけ仕込めるようにする。

 

別装備にはしない。

 

刀そのものへ統合する。

 

そこまで決まった時には、もう引き返せなかった。

 

━━━━━━━━━━━

 

数日が過ぎた。

火。

圧。

蒸気。

金属音。

 

炉の色が何度も変わる。

 

骨格材が赤くなり、叩かれ、冷やされ、また火へ戻される。

 

流路が埋め込まれる。

弁が入る。

結晶が固定される。

 

ヴォルフは待っているだけではなかった。

 

血を抜く。

量を見る。

流す。

試す。

 

店主が「止めろ」と言う量の少し手前で止める。

 

エリスはその流れ方を見て、図面へ修正を足す。

 

店主はその修正を見て、さらに別の安全弁を増やす。

 

二人の設計思想は最後まで噛み合いきらなかった。

 

だが、噛み合わないまま、武器だけは仕上がっていく。

 

ヴォルフの傷も、その間に最低限までは戻った。

 

完治ではない。

それでも動ける。

 

また殺しに戻るには足りる。

 

━━━━━━━━━━━

 

完成した時、店の奥の空気が少しだけ変わった。

 

長い刀身だった。

 

だが普通の大刀とは違う。

 

刃そのものが、流路を内側に抱えている。

 

骨格は金属だ。

 

けれど、ただの金属では終わっていない。

 

クロヴの器官から拾った異様な理論が、そのまま武器の形へ組み替えられていた。

 

店主が持ち上げる。

重さを確かめる。

 

それからヴォルフへ差し出した。

 

「抜け」

ヴォルフは受け取る。

握る。

馴染みはしない。

だが、拒絶もない。

血を少しだけ流す。

 

強めに握って圧を掛ける。

 

低負荷。

 

刀身の表面で、赤い膜が薄く伸びた。

 

水が流れるようにしなやかな音がする。

 

事前に用意された金網の前に立つ。

 

刀を振る。

 

金網へ触れた瞬間、刃が薄く流れた。

 

隙間を抜ける。

 

その向こうの木片を断つ。

 

店主が低く言う。

 

「設計通り、低負荷は常用だ」

 

エリスが続ける。

「で、こっち」

高負荷。

 

店主が露骨に嫌そうな顔をした。

 

「多用するなよ」

「試すだけ」

 

「その“だけ”で死ぬんだよ」

 

ヴォルフは自分の血ではなく、代替流体となる油の入った容器を繋ぐ。

 

全力で握りしめて圧をかける。

 

弁が閉じる。

空気が張る。

 

次の瞬間、爆ぜるような轟音が鳴った。

 

刀身へ、一気に圧が集まる。

 

低負荷とは別物だった。

 

重い。

 

まともに通せば、装甲も障壁もまとめて裂けそうな暴力の形をしている。

 

店主が即座に止める。

「十分だ」

 

エリスは満足そうだった。

 

「使いどころさえ合えば、殺せる」

 

店主は吐き捨てる。

 

「殺せる前に、使い手が死ぬ」

 

ヴォルフは刀身を見た。

 

使えるかどうかだけを見る。

 

答えは、もう出ていた。

 

━━━━━━━━━━━

 

「名前は?」

 

エリスが当然みたいに聞く。

 

店主は一瞬だけ嫌そうな顔をした。

 

だが考えていなかったわけではないらしい。

 

「血と復讐の刃」

エリスがすぐ続ける。

 

「ブラッド・アンド・リヴェンジ」

 

二人の声が、妙に噛み合った。

 

「どっちだ?」

「両方でいいでしょ」

 

「血と復讐の刃と書いて?」

 

「そう読む。いつもの感じだよね?」

 

危険思想ではあれだけ揉めたのに、そこだけは息が合う。

 

ヴォルフは刀を見下ろした。

 

血と復讐の刃(ブラッド・アンド・リヴェンジ)。

 

悪くない。

 

それだけで十分だった。

 

━━━━━━━━━━━

 

同じ頃、アイビスでは戦いが止まっていなかった。

 

ヴァーレンは中層へ足場を築いていた。

 

雷を巡らせ、索敵を回し、クロヴを逃がし切らない距離で圧を掛け続ける。

 

クロヴは奥へ引く。

 

器官を一つ失ったまま、それでも縄張りの深い方へ誘い込み、迎撃を繰り返す。

 

決着はついていない。

 

消耗戦だけが続いている。

 

待てば有利になるわけでもない。

 

それは、ヴォルフが戻る理由として十分だった。

 

━━━━━━━━━━━

 

出る時、店主は最後まで不機嫌だった。

 

「死ぬなよ」

短い。

だが、それで足りた。

エリスはもっと軽い。

 

「壊したら持って帰ってきて」

 

「縁起でもねえこと言うな」

 

店主が怒鳴る。

エリスは笑った。

 

シスターズの女たちは、止めはしない。

 

止めても行くと分かっている顔だった。

 

ヴォルフは背中へ斧を掛ける。

 

もう一方へ、新しい刃を背負う。

 

交差する。

重みが増える。

悪くない。

 

工房街の空は、相変わらず鉄色だった。

 

熱と煤の匂いがする。

 

その下で、ヴォルフはもう一度だけ新しい刃へ触れた。

 

今度は、残骸を持ち帰るためではない。

 

終わらせるために戻る。

 

アイビスはまだ脈打っている。

 

そこへ向けて、ヴォルフは歩き出した。

 

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