ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第2話

 消耗品が減っていた。

 弾。

 保存食。

 手入れ用の油。

 包帯。

 針と糸。

 

 どれも、足りなくなってから探すものではない。

 

 ヴォルフは朝のうちに宿を出た。

 

 空気は軽かった。

 気温の話ではない。

 

 カルドレクの街を歩いていて、前より肩に力が入らない。

 前は、通り全体が誰かの信仰に握られている感じがあった。

 今はもう少し、ただ人が生きている街の空気に近い。

 

 もちろん、穏やかになったわけではない。

 見回りはいる。

 白い外套も見える。

 祈りの声も消えていない。

 

 ただ、以前より息がしやすかった。

 

 それで十分だった。

 

 ヴォルフは店を三つ回るつもりでいた。

 一つ目で油と針。

 二つ目で保存食。

 三つ目で残り。

 

 そこまで決めて、最初の角を曲がったところで声がした。

 

 「実に実務的だね」

 リヴィルだった。

 

 通りの壁際に立っている。

 左肩に、掌に収まる程度の小さな鳥が一羽とまっていた。

 暗灰色の羽毛。目だけが妙に落ち着いている。

 逃げるでも騒ぐでもなく、最初からそこが定位置みたいな顔をしていた。

 最初からいたような顔だった。

 

 「何をしている」

 

 「見れば分かるだろう。散歩だよ」

 

 「嘘だな」

 「うん」

 

 リヴィルはあっさり認めた。

 

 そのまま、当然のようにヴォルフの横へ並ぶ。

 

 追い払うのも面倒だった。

 

 「買い出し?」

 「そうだ」

 「夢がない」

 「必要なものだ」

 「それはそう」

 

 朝の通りは、人の流れが完全には固まっていない。

 露店を開く準備。

 荷を運ぶ人足。

 教会の方へ向かう人間と、市場へ向かう人間が半端に混じっている。

 

 露店の一つでは、吊した肉の下に小さな青白い火が浮いていた。

 燃やすためではない。乾燥と虫除けを兼ねた生活魔法だ。

 

 別の店先では、水差しの口に薄い冷気が張りついている。

 冷やす力そのものは弱い。

 だが朝から半日くらいなら、それで十分らしい。

 

 リヴィルはそのどれにもぶつからずに歩いた。

 翼持ちの癖に、妙に人混みの抜け方が上手い。

 

 「どこから回るつもりだったんだい」

 

 「決めている」

 「聞いてる」

 

 ヴォルフは少しだけ鬱陶しくなったが、無視しても面倒そうだった。

 

 「油を先に買う」

 「へえ」

 

 「先に重いものを済ませる」

 

 「夢がない」

 「さっきも聞いた」

 リヴィルは笑った。

 

 「ヴォルフはもっとこう、趣味で変な店に寄ったりしないのかい」

 

 「しない」

 

 「地図とか、古い金具とか、珍しい刃物とか」

 

 「必要なら見る」

 「必要がなければ?」

 「見ない」

 「徹底してるね」

 「お前は暇なのか」

 「今日は少し」

 

 リヴィルはそう言って、通りの向こうへ目をやった。

 

 「それに、こういう時の君は珍しい」

 

 「何がだ」

 

 「何も殺しに行かずに、針と油を買いに行くところ」

 

 ヴォルフは答えなかった。

 

 言われてみれば、そういう時間は長くなかった。

 だからといって、感慨があるわけではない。

 

 必要なものを揃える。

 それだけだ。

 

 最初の店は、前を通った時より物が増えていた。

 

 棚に空きはまだある。

 だが、完全に抜けたままではない。

 補充は遅いが、止まってはいない。

 

 ヴォルフが油の瓶を手に取ると、横からリヴィルが覗き込んだ。

 

 「そっち?」

 「悪いのか」

 

 「悪くはないけど、少し粘度が高いよ。寒い日には重い」

 

 ヴォルフは瓶を見た。

 次に、隣の瓶を見る。

 「知っているのか」

 

 「情報屋を何だと思ってるんだい」

 

 「面倒な鳥」

 「ひどいな」

 

 店主が微妙な顔でこちらを見ていた。

 会話に入るべきか迷っている顔だ。

 結局、入らなかった。

 賢明だった。

 

 ヴォルフは隣の瓶を手に取った。

 粘りが軽い。

 寒い時期にはこちらの方が扱いやすい。

 

 「……こっちにする」

 「そうするといい」

 

 リヴィルは満足そうに頷いた。

 

 腹立たしいことに、正しかった。

 

 店を出る。

 「今のは偶然だ」

 

 「そういうことにしておいてあげるよ」

 

 ヴォルフは答えなかった。

 

 次は保存食だった。

 乾燥肉。

 固焼きのパン。

 塩漬け。

 水さえあれば戻せる類のもの。

 

 ヴォルフは棚を一つずつ見た。

 値段より先に、保存の利き方を見る。

 匂い。

 乾き具合。

 包みの雑さ。

 余計な香辛料の有無。

 

 横からリヴィルが覗き込む。

 

 「その見方をする人、初めて見た」

 

 「見るだろう」

 

 「普通は味か値段から入る」

 

 「先に腹を壊したくない」

 

 「夢がない」

 「またそれか」

 

 リヴィルは楽しそうだった。

 人の買い物の何がそこまで面白いのかは分からない。

 

 「ちなみに」

 「聞いてない」

 

 「この干し肉はやめた方がいい」

 

 ヴォルフは手を止めた。

 

 「理由は」

 

 「昨日から同じ場所に積んであるのに、一番上だけ妙にきれい」

 

 ヴォルフは棚を見る。

 

 言われてみればそうだった。

 売れて補充された感じではない。

 見える場所だけ入れ替えたような並びだ。

 

 包みを一つ持ち上げる。

 軽い。

 乾いているというより、抜けすぎている。

 

 「……当たりか」

 「当たり」

 「何で分かる」

 「見てたから」

 「何を」

 

 「店主がさっき裏から持ってきた時の顔」

 

 それはもう買い物ではなく観察だった。

 

 ヴォルフは包みを戻した。

 隣の、見た目の悪い方を取る。

 

 こちらは包みが雑だった。

 だが乾き方はまともだ。

 

 「そっちは?」

 「食える」

 「雑だね」

 「十分だ」

 

 「ヴォルフの基準、だいたい生存に寄りすぎてるんだよ」

 

 「必要な基準だ」

 「否定はしないけど」

 

 リヴィルは棚の端から、妙に鮮やかな色の砂糖菓子をつまみ上げた。

 

 「で、こういうのは?」

 

 「いらない」

 「即答」

 「必要ない」

 

 「必要があれば食べる?」

 

 「必要なら」

 

 「必要な砂糖菓子って何だい」

 

 「思いつかない」

 

 リヴィルは吹き出した。

 

 「それはそう」

 

 そう言いながら、リヴィルは砂糖菓子を戻さなかった。

 

 「じゃあ、これは私が買おう」

 

 店主の顔が少しだけ明るくなる。

 

 「お前が食うのか」

 

 「たまには甘いものも食べるとも」

 

 「見えないな」

 「失礼だね」

 

 会計を済ませると、リヴィルは包みから一つ摘まんで、その場で口に放り込んだ。

 肩の鳥がじっと見ている。

 

 「ほら」

 

 次の一つを、今度はヴォルフの方へ差し出す。

 

 「いらない」

 「味見」

 「必要ない」

 「警戒心が強いな」

 「食う理由がない」

 「私が勧めている」

 

 「それは理由にならない」

 

 リヴィルは少しだけ目を細めた。

 怒ってはいない。

 面白がっているだけだ。

 

 「じゃあ、鳥にあげよう」

 

 小さく砕いて、肩の鳥へやる。

 鳥は迷いなく啄んだ。

 

 さらに、もう少し小さな破片を指先で弾くように通りへ撒く。

 しばらくすると、軒先や窓枠にいた鳥が二羽、三羽と近寄ってきた。

 

 ヴォルフはそれを見た。

 

 市場にも、通りにも、鳥は前からいた。

 だが今は、さっきまでただの街の背景だったものが、

 少しだけ意味を持って見える。

 

 「餌付けか」

 「交流だよ」

 「大差ない」

 

 リヴィルは肩をすくめ、それから口笛とも鳥の鳴き真似ともつかない、短い音を二つ鳴らした。

 

 近くにいた鳥が首を傾ける。

 もう一羽は、地面を跳ねながら距離を詰める。

 

 会話しているように見えた。

 少なくとも、ただ餌をやっているだけの感じではない。

 

 「今のは何だ」

 「企業秘密」

 「またそれか」

 「便利だからね」

 外へ出る。

 

 朝より人が増えていた。

 市場の声も上がっている。

 荷車が通るたび、人の流れが少しずつ歪む。

 

 以前のカルドレクなら、こういう雑多さの上にもう一枚、信仰の膜が張っていた。

 今はそこが少し薄い。

 

 人が、ただ暮らすために急いでいる。

 

 それは悪くなかった。

 

 「少し、普通の街っぽくなったね」

 

 リヴィルが言った。

 

 同じことを思っていたらしい。

 

 「普通ではない」

 

 「うん。でも前よりは」

 

 それは否定しなかった。

 

 次の店では雑貨を見た。

 

 紐。

 留め具。

 小さな研ぎ石。

 替えの火打ち。

 

 リヴィルは途中から、ほとんど見物人だった。

 口は出す。

 だが、本当にいらないものを押しつけるほど無責任ではない。

 

 その代わり、妙にどうでもいいものを持ち上げてくる。

 

 「これは?」

 

 木でできた小さな笛だった。

 

 「いらない」

 「護身用に」

 「どんな護身だ」

 

 「気分が明るくなるかもしれない」

 

 「ならない」

 「絶対?」

 「ならない」

 「残念」

 

 まったく残念そうではなかった。

 

 だが、そういうどうでもいいやり取りをしている間、

 ヴォルフは自分が前より少しだけ肩の力を抜いて歩いていることに気づいていた。

 

 その少し前を、暗灰色の肩の鳥が当然のような顔で見ている。

 さらに通りの向こうでは、別の鳥が二羽、一定の距離を保って付いてきていた。

 

 最初から、町中にはいた。

 屋根の上。

 軒先。

 窓枠。

 石壁の出っ張り。

 

 ただ、今はそれがリヴィルの景色の一部に見えた。

 

 ひと通り買い終えた頃には、日が少し上がっていた。

 

 荷は増えたが、重すぎるほどではない。

 ヴォルフ一人なら、このまま宿へ戻って終わりだった。

 

 「少し休まないかい?」

 

 リヴィルが言った。

 「疲れたのか」

 

 「君ほどじゃないが、甘いものを食べたあとに水くらいは欲しい」

 

 それはもっともだった。

 

 通りから少し外れた、小さな店に入る。

 酒場というほど騒がしくなく、食堂というほど腹を満たす場所でもない。

 薄い茶と硬い菓子を出すだけの、半端な休憩所だった。

 

 そういう場所は悪くない。

 長居する人間が少ない。

 

 窓際の席へ座る。

 リヴィルの肩の鳥は、慣れた様子で椅子の背に移った。

 しばらくすると、窓枠にも別の鳥が一羽とまる。

 店主は気にも留めない。

 この街では、それがもう珍しくないのだろう。

 

 薄い茶が来た。

 リヴィルは残っていた砂糖菓子を一つ摘まみ、今度は何も言わずに自分で食べた。

 

 「賢明だな」

 「何がだい?」

 「勧めてこない」

 

 「二回断られたからね。三回目はさすがに押し売りになる」

 

 ヴォルフは茶を飲んだ。

 薄いが、喉は潤う。

 それで十分だった。

 

 しばらく、取り留めのない話が続いた。

 市場の値段。

 保存食の当たり外れ。

 この店の茶が驚くほど薄いこと。

 

 そういう、本当にどうでもいい話だ。

 

 その途中で、リヴィルの視線が一度だけヴォルフの手元へ落ちた。

 

 「それ」

 短い声だった。

 

 ヴォルフは無意識に、コートの内側へ触れていた手を止めた。

 

 固い感触。

 指輪の輪郭。

 「癖?」

 「……そんなものだ」

 

 リヴィルはそれ以上すぐには言わなかった。

 聞けば答えが返るかを測っている顔でもない。

 ただ、そこに何かあると受け取っただけの沈黙だった。

 

 「大事なものなんだね」

 

 ヴォルフは茶器を置いた。

 

 否定はしない。

 肯定もしない。

 

 それで済むなら、その方がよかった。

 

 リヴィルは少しだけ目を細めた。

 

 「取らないよ」

 「聞いてない」

 

 「そういう顔をしてる」

 

 「気のせいだ」

 

 「そういうことにしておく」

 

 軽い声だった。

 だが、踏み込みすぎない距離は守っていた。

 

 その判断はありがたかった。

 

 ヴォルフは窓の外を見た。

 通りを鳥が一羽横切る。

 別の一羽が窓枠へ降りて、リヴィルの肩の鳥と二、三度短く鳴き交わした。

 

 リヴィルが、ほとんど息を混ぜるだけみたいな小さな音を返す。

 鳥が飛び去る。

 「今のも企業秘密か」

 「今のはただの挨拶」

 「便利だな」

 「だろう?」

 

 リヴィルは少しだけ笑った。

 

 「便利なだけじゃない。大事なものでもあるのさ」

 

 そう言ってから、リヴィルの視線がもう一度だけヴォルフの手元へ落ちた。

 

 「君も、そういうのを持ってるじゃないか」

 

 「何を」

 

 「そうやって、何でもないふうに身につけてる大事なもの」

 

 ヴォルフは答えなかった。

 

 答えないままでも、たぶん十分だった。

 

 窓から入る風は弱い。

 茶は薄い。

 菓子は甘すぎる。

 

 それでも、悪くない時間だった。

 

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