ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第4話

翌朝、宿を出た瞬間に何かが足元に落ちた。

 

折り畳まれた小さな紙だった。音も気配もなく、ただそこにあった。

 

顔を上げた。鳥が数羽、軒先から飛び立つところだった。向きを変え、すぐに視界から消えた。

 

紙を拾い、開いた。

 

約束の店の情報だよ。うまく使ってくれたまえ。

 なぜ教えるかって? 君が断られ続けているのを見てたから――それが一つ。

 カルに近づく機会があれば私にとっても都合がいい――それがもう一つ。一石二鳥さ。

 カルという。犬系の亜人。場所はここ――下層の、この路地を突き当たりまで行って、右に折れた先にある建物。看板はない。

 

隠す気のない打算だった。だからかえって信じた。

 

その日の午後、ヴォルフは下層に向かった。

 

下層は静かだった。

 

上層の往来の騒がしさとは質が違う。人の数は変わらないかもしれない。しかし音が違う。上層では声が多い――商売の声、説教の声、会話の声。下層では声が少ない。人々は目的を持って歩き、用が済めば引っ込む。余分な音を出さない習慣が、通りに染み込んでいた。

 

信仰の都市の下層は、信仰を最も本気で生きている。

 

そのことをヴォルフは歩きながら確認した。壁の染みた染料でパストルの紋章を描いた建物。路地の角に置かれた小さな供物台。擦れた布地の中年の女が、通り過ぎながら額に手を当てた。祈りの動作が日常になっている人間の動き。

 

ここにいる人間たちは、宗教組織に搾取されていることに気づいていない。

 

あるいは気づいていても、疑う方法を持っていない。どちらにせよ、この信仰は本物だ。本物の信仰が、本物の搾取の上に乗っている。それを知った上でここに来ていることが、ヴォルフには少し不愉快だった。いや。不愉快、とは言いすぎかもしれなかった。単純に、無駄な複雑さを感じた、という程度のことだ。

 

リヴィルが言った路地を見つけた。

 

突き当たりを右に折れると、建物があった。

 

看板はない。扉が重い。開けると鈍い音がした。

 

内部は薄暗かった。棚が並び、瓶や布が雑然と積まれている。倉庫に近い空気。店と呼ぶには整っていないが、物はある。必要な種類の物が、確かにある。

 

奥に人がいた。

 

腰を下ろし、何かの道具を手入れしていた。作業の手を止めずに、視線だけ上げた。

 

耳の位置が少し後ろにある。犬歯が、口を開けていなくても輪郭として分かる。体格は中肉中背。疲労と諦めが顔に刻まれているが、座り方に腰が引けていない。背中が直立している。すでに動作が完了した後のような、無駄のない姿勢。

 

「そろそろ来ると思ってた」

 

声は端的だった。感情のない低さではなく、感情はあるが出さない、という低さ。

 

「リヴィルから?」ヴォルフは言った。

 

「それと、単純に臭いで」男は手入れの手を止めた。「君みたいな臭いの人間はあまりいない。血の濃い臭い。昨日か一昨日に大きい戦闘があった後の臭い。城門の外で暴れた人間だな」

 

「そうか」

 

「職業病さ」

 

男は立ち上がった。ヴォルフより少し低い。しかし一歩踏み出したときの重心が安定していた。戦う人間の動き方をしている。戦闘者ではなく、戦いに慣れざるをえなかった人間の動き方。

 

「カル」と言った。「君の名前は聞かなくていい。どうせ教えてくれないだろう?」

 

「……」

 

「必要なものを言え。出せるものは出す。一点だけ――今すぐ全部渡すのは無理だ。在庫があるものとないものがある。あと、ここに来るのは昼間より夜明け前の方がいい。宗教組織の人間の目が減る」

 

実務的だった。値段も、理由も、礼儀的な前置きも、最低限だった。必要なことだけが、必要な順番で出てくる。

 

ヴォルフは必要なもののリストを言った。

 

カルは棚を確認した。出せるものを取り出し、出せないものを別の棚から似たものに替えて確認した。一点だけ「明後日なら入る」と言い、他は今日渡せた。

 

受け取った物を確かめた。品質に問題はなかった。傷口を縫う糸は細さが一種類しかなかったが、用途に合う太さだった。

 

代金を渡そうとした。

 

「いい」

 

「……」

 

「金は受け取らない。今日だけ」

 

ヴォルフはカルを見た。カルはヴォルフを見なかった。棚の整理に戻っていた。背中を向けた作業の仕方で、話を続けるつもりがないことを示していた。

 

「理由は」

 

「ない」カルは言った。間を置いて、「強いて言うなら」と続けた。「組織の外からここを通ってくれる奴が、うちのグループには都合がいい。それだけだ」

 

計算の言葉だった。しかし計算の言葉を使うとき、人間は少し余分な間を置く。余分な間がなかった。だから計算ではない、とヴォルフは判断した。

 

受け取った。

 

帰り際、扉に手をかけたところで背後から声が来た。

 

「一つだけ言っておくよ」

 

ヴォルフは振り返らなかった。

 

「……ちょっと嗅いだことのない臭いがする。血の臭いじゃない。なんというか――ピンピンしてるのに、明日には死んでそうな奴の臭いだ。何の臭いかは、俺にも分からん」

 

「……」

 

「向かう場所があるだろう。その臭いの出所が分かっているなら、一つだけ言う。準備は多めにしろ」

 

ヴォルフは少しの間、扉の前で止まった。

 

「分かっている」

 

「そうか」カルは言った。今度は間があった。「気をつけろ。死んだらもったいない」

 

軽い口調だった。それまでの端的な物言いとは、少しだけ質が違う。今の台詞が冗談だったのかどうかは、背中しか見えないから分からなかった。

 

扉を開けて出た。

 

路地の外に出ると、昼の空気が戻った。

 

明後日、残りの一点を取りに来る。それで消耗品は揃う。

 

ヴォルフは荷物の重さを確かめながら歩いた。情がどうこうという話ではなかった。利害が一致した、というだけの話だ。カルが「都合がいい」と言ったことは本当かもしれないし、本当ではないかもしれない。どちらでも構わなかった。

 

物は手に入った。それで十分だ。

 

そう思いながら、一度だけ路地の方を振り返った。

 

振り返った理由は、自分でも分からなかった。左手が、気づけばコートの内側に触れていた。固い感触。確かめて、手を離した。

 

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宿へ戻ってから、ヴォルフはノコギリ鉈を膝に置いた。

 

油を薄く引く。

刃の根元へ指を当て、ごく弱い熱を流す。

火を出すほどではない。ただ、冷えた油を少しだけ伸ばし、水気を飛ばしやすくするための初歩魔法だ。

 

刃を傾ける。

欠けはない。

だが細かい歪みはある。そこだけ布を当て、もう一度だけ熱を入れてから磨く。

 

手入れと言っても大したものじゃない。

現場で覚えた、使えなくならないための最低限だ。

 

消耗品は揃った。武器の手入れも済んでいる。

 

リヴィルから受け取った情報を頭の中で整理した。情報が来なくなった都市の方角と距離。その先に広がる荒野の性質。目当てのものがいるであろう場所の輪郭。点と点が、一本の線に収まっている。

 

方角は分かった。距離は分からない。それで十分だった。

 

カルドレクに留まる理由は、もうなかった。

 

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朝の早い時間に宿を引き払った。

 

荷物を背負い、石畳を歩いた。街は動き始めていたが、まだ声が少ない。霧が薄く残り、上層の尖塔が白みかけた空に溶けていた。

 

誰にも別れを告げなかった。送り出す者もいなかった。

 

門を抜けた。

 

城壁の外に出ると、空気が変わった。石と煤の臭いが薄れ、草と泥と、名前のない腐敗の混じった荒野の臭いが代わりに入ってくる。足元が石畳から土に変わり、舗装の感触が消えた。

 

振り返らなかった。

 

情報が来なくなった方角――そこに向かって歩いた。

 

 

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