ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第7話

 しばらくのあいだ、水没都市は妙に静かだった。

 

 風はある。

 水も動いている。

 それなのに、さっきまで戦場そのものに張りついていた圧だけが、きれいに消えていた。

 

 ヴォルフは倒れたガベルを見た。

 

 動かない。

 

 呼吸も、殺気も、もうない。

 終わったのだと、それだけ確認する。

 

 左腕の雷光の楔は沈黙したままだった。

 熱だけが残っている。

 排熱も再充填も、すぐには済まない。

 最初から一戦一発。

 想定通りではある。

 

 ヴォルフは一度だけ腕を振って具合を確かめた。

 痛む。

 だが折れてはいない。

 他も打ち身と浅手ばかりで、動けなくなるほどではなかった。

 

 それから、周囲を見る。

 

 すぐ道が開いたわけではない。

 昇降機らしき構造物も、まだ大部分は水の下だ。

 

 ただ、流れが変わっていた。

 

 さっきまで中枢区画へ押し込まれ続けていた水が、今は逆に引いている。

 最初は錯覚かと思う程度だった。

 だが崩れた柱の根元に刻まれた水線が、見ているうちに少しずつ下がっていく。

 

 ガベルが止まったからだ。

 

 この水没そのものが、あいつの制御下にあった。

 今になって、ようやく実感がついてくる。

 

 ヴォルフは露出しかけた基壇へ降りた。

 引き始めた水の下から、人工的な直線が覗いている。

 ただの遺構ではない。

 巨大だ。

 だが何なのかまでは、まだ分からない。

 

 分からないものを、ここで一人で眺めても仕方がない。

 

 ヴォルフは短く息を吐き、中枢区画を離れた。

 

 帰路でも、水は引き続けていた。

 来るときには半分沈んでいた街路が、帰る頃には石畳の輪郭を見せ始めている。

 高い壁面に残った水位の跡が、あらためて異常の規模を物語っていた。

 

 あれだけの水域を、一人で維持していたのか。

 

 ガベルは強かった。

 己の庭で戦い、己の庭そのものを牙に変えていた。

 

 強かった。

 ただただ、それだけが印象に残った。

 

 

 カルドレクへ戻った時には、もう夜が近かった。

 

 門をくぐるなり、先に見つけたのはリヴィルだった。

 待っていたというより、最初から出迎える位置に立っていたような顔をしている。

 

 「生きて帰ってきたね」

 

 「見れば分かるだろう」

 

 「そこはほら、たまに見た目ほど無事じゃないこともあるから」

 

 軽い口調だったが、その目はヴォルフの傷と装備を素早くなぞっていた。

 左腕の固定具。

 乾ききっていない血。

 濡れた外套。

 そして雷光の楔が、使い切られたまま沈黙していること。

 

 「ガベルは?」

 「殺した」

 短く返す。

 

 リヴィルは頷き、それ以上そこには触れなかった。

 

 「で、どうなったんだい?」

 

 「水が引いてる」

 

 その一言で、リヴィルの表情が少しだけ変わる。

 

 「……本当に?」

 

 「目に見えて。すぐ全部というほどではないが、引き続けている」

 

 ヴォルフは現地で見たものを順に話した。

 ガベルを倒した直後に流れが変わったこと。

 中枢区画の水位が時間差で落ち始めたこと。

 広場跡の下に、ただの遺構ではなさそうな巨大構造物が見え始めたこと。

 

 リヴィルは途中で一度も口を挟まなかった。

 聞き終えると、すぐ踵を返す。

 

 「人を集めよう。これはもう、こっちだけで抱えていい話じゃない」

 

 「今からか」

 

 「今からだよ。むしろ遅いくらいだ。そもそもあのまま水が広がり続けていたらどの都市も危険だった」

 

 言いながら、もう別の段取りを頭の中で回している顔だった。

 

 「カルドレクには補給を。アイゼンガルには技術者と解析班を。私は観測記録と情報網をまとめる形で進めようか……。ほかも声をかけよう」

 

 「そうか」

 

 「君が帰ってくる前から、半分くらいはそのつもりだったからね」

 

 その言い方に、ヴォルフは少しだけ眉をひそめた。

 

 「死んでたらどうするつもりだった」

 

 「その時はその時で、もっと面倒な話になってたろうさ」

 

 リヴィルは肩をすくめる。

 

 「でも帰ってきた。なら次へ進める」

 

 それから数日は、妙に慌ただしかった。

 

 ヴォルフはその中心にはいない。

 だが、止まってもいられなかった。

 

 カルドレク側は物資をかき集める。

 完全には立ち直っていない街で、最低限の補給線だけを無理やり繋ぐ。

 セルヴァンは表に出ないまま実務を回し、文句を言う暇も惜しんで人と物を動かした。

 

 アイゼンガル側からは技術者が来る。

 店主本人こそ来なかったが、癖の強そうな職人と記録読みの人員が寄越された。

 エリスも顔を出し、ヴォルフの左腕を見てまず最初にため息をついた。

 

 「まあ、そうなるよね」

 

 「壊れてはない」

 

 「壊れてないだけで褒めてほしいの?」

 

 そう言いながらも、手つきは早い。

 固定具の歪みを見て、焼けた部材を外し、次に使える状態かどうかを黙々と確かめていく。

 

 リヴィルは記録と鳥を飛ばし続けた。

 水位低下の速さ。

 露出面積の変化。

 各地から集まる断片情報。

 それらを束ね、現場へ流し込む。

 

 まだ安定していない。

 だが止まってもいられない。

 

 そういう足並みだけは、奇妙なほど揃っていた。

 

 再び水没都市へ集まった時、中枢区画の景色はもう前とは別物になっていた。

 

 水はかなり引いている。

 かつて広場だったらしい空間の輪郭が見える。

 沈んでいた階段は途中まで姿を現し、基壇の縁も露出していた。

 崩れた柱列の下から、さらに太い人工構造が突き上がっている。

 

 最初に見た時は、塔かと思った。

 

 だが違う。

 縦に深い。

 上へ伸びるためではなく、下へ続くための構造だ。

 

 アイゼンガルの技術者たちが、露出した壁面と接合部を見て何か言い合っている。

 石の継ぎ目。

 埋め込まれた金属。

 排水路とも違う太い溝。

 

 その横で、リヴィルが紙束を押さえながら口を開いた。

 

 「鳥網から上がってきた地形記録と、カルドレク側に残っていた古い断片、それにアイゼンガルの構造知識を重ねた」

 

 「それで?」

 「ほぼ間違いない」

 

 リヴィルは露出した巨大構造を見上げる。

 

 「これは記録によると、絶界の昇降機と呼ばれているものらしい」

 

 その場にいた何人かが、言葉を失った。

 

 昇降機。

 

 ただ降りるための穴ではない。

 ただの塔でも、坑道口でもない。

 地上の水没都市から、地下古代首都へ至るための、最初からそういう用途で作られた巨大施設。

 

 ヴォルフは無言でそれを見た。

 

 なら話は繋がる。

 

 ガベルは扉そのものの管理者ではなかった。

 扉に至る門を、物理的に閉じる最後の門番だったのだ。

 侵入者は結局ここへ来る。

 だからあいつは動く必要がなかった。

 あの中枢区画を、自分の庭ごと閉じていればよかった。

 

 「厄介な配置だねえ」

 

 リヴィルが半分感心したように言う。

 

 「門番ひとりで上の入口を塞ぎ、水位そのものまで変えて近づきにくくする。分かりやすい」

 

 「分かりやすく殺しに来てたな」

 

 「実際、死にかけてた顔をしてるよ」

 

 ヴォルフは答えず、露出した構造の縁へ近づいた。

 

 下はまだ暗い。

 深さも分からない。

 だが見えてしまった以上、もう見なかったことにはできない。

 

 ここから先が本番だ。

 

 その感触だけは、嫌というほどはっきりしていた。

 

 周囲では、技術者たちが次々に測定と確認を始めている。

 どこまで安定しているか。

 起動に何が要るか。

 そもそも人が乗れる状態か。

 

 ヴォルフはその細かい話には加わらなかった。

 今必要なのは、自分が次も動けるかどうかだけだ。

 

 武器はまだある。

 雷光の楔は整備と再充填が要るが、他は生きている。

 身体もまだ終わっていない。

 

 なら進める。

 リヴィルが隣へ来る。

 「門番は倒した」

 「ああ」

 

 「でも、やっと入口だ」

 

 「見りゃ分かる」

 

 「分かってるならいい」

 

 軽く笑ってから、リヴィルもまた昇降機を見下ろした。

 その顔には、いつもの余裕だけではない硬さがある。

 

 誰にとっても、ここから先は未知だ。

 

 水位はさらに落ちていく。

 崩れた駅前広場の下に隠れていた全景が、少しずつ姿を見せる。

 巨大な縦構造。

 人の都合で組まれた階層。

 下へ向かうための、明らかな意思。

 

 ヴォルフは目を細めた。

 

 勝ったから終わりではない。

 

 勝ったから、ようやく次が見えた。

 

 門番は倒した。

 だが、まだ入口に立っただけだ。

 

 露出しきっていない昇降機の黒い口が、その先を黙って待っていた。

 

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