ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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6部 地下古代首都
第1話


 絶界の昇降機が完全に姿を見せるまで、数日を要した。

 

 そのあいだ、誰も警戒を解かなかった。

 

 長く休めたわけではない。

 だが傷を塞ぎ、武器を整え、次へ進むだけの時間はあった。

 休息というより、決戦前の準備期間に近い。

 

 ヴォルフは露出した基壇の脇に腰を下ろし、武器を順に確かめた。

 ノコギリ鉈。

 断重の鉄塊斧。

 短銃。

 血と復讐の刃。

 どれも生きている。

 雷光の楔だけが、他とは少し違う重さで左腕に収まっていた。

 

 左腕の固定具は一度ばらされ、焼けた部材もいくつか交換されている。

 結晶内の再充填にも時間を食ったが、数日をかけてようやくもう一度だけ実戦投入できるところまで戻してあった。

 次に撃てば、またしばらくは死ぬ。

 それでも「使える」状態まで戻ったこと自体が大きい。

 

 近くでは、アイゼンガル側の技術者たちが露出構造の継ぎ目を洗っていた。

 泥を落とし、古い金属を露出させ、何かを照らし合わせる。

 励ましの言葉はない。

 必要な工具の名と、測定値の確認だけが飛び交う。

 

 エリスがヴォルフの左腕を見て、短く言った。

 

 「固定具は持つ。排圧も再充填も通した。次も一発だけなら撃てる」

 

 「分かってる」

 

 「ただし前みたいに雑に使ったら、今度こそ基部ごと持っていかれる」

 

 そう言いながら、彼女は手を止めない。

 交換した留め具を締め直し、ずれた装着位置を戻し、排圧経路の最終確認まで済ませる。

 

 「無茶するのは勝手だけど、今度は壊れる順番くらい考えて」

 

 「考えた結果だ」

 「それでこの顔か」

 

 ヴォルフは答えなかった。

 

 少し離れたところでは、補給品の仕分けが続いている。

 包帯。

 水。

 干し肉。

 替えの薬品。

 カルドレク側の人間まで、前線の後ろ働きに駆り出されていた。

 

 その中に、見覚えのある顔があった。

 

 カルだ。

 

 食料袋を二つ抱えたまま、ヴォルフを見つけると眉を上げる。

 

 「またとんでもねえ顔してるな」

 

 「お前こそ、なんでここにいる」

 

 カルは肩をすくめた。

 

 「向こうも前みてえに、黙ってりゃ回る感じじゃなくなった。運べる奴が運んでるだけだ」

 

 袋を置き、包帯束を別の箱へ移し替えながら続ける。

 

 「前よりは少しマシだ。全部片付いたって顔は、まだ誰もしてねえけどな」

 

 それだけ言って、また持ち場へ戻る。

 

 大した会話ではない。

 だがパストルを倒したあと、カルドレクの末端にまで何かが変わり始めていることだけは、妙にはっきり伝わった。

 

 リヴィルはそのあいだも観測を切らさなかった。

 

 鳥を飛ばし、戻った記録を受け取り、露出した昇降機の図と照らし合わせる。

 紙と地図のあいだを行き来しながら、それでも口調だけはいつも通り軽い。

 

 「とはいえ、私が把握してる異常はだいたいなんとかなっているようだね」

 

 誰にともなく、そんなことを言う。

 

 「いつまで経っても古代の首都とやらが見つからないのは不気味だが、このまま平和になってしまうんじゃないかと思ってしまうんだ」

 

 珍しい。

 

 ヴォルフは顔だけ向けた。

 

 「お前がそんなこと言うのか」

 

 「たまには言うとも。ずっと嫌な予感ばかりしてると疲れるからね」

 

 軽く笑う。

 周囲の空気も、それにつられてほんの少しだけ緩んだ。

 

 その直後だった。

 

 昇降機の底で、低い振動が鳴った。

 

 全員の視線が一斉に落ちる。

 

 露出した縦構造の奥。

 古い金属と石の噛み合わせのどこかで、何かが動いた。

 次いで、基壇に刻まれた溝へ淡い光が走る。

 

 アイゼンガルの技術者が叫ぶ。

 

 「起動してる!」

 

 「認証が通ったのか?」

 

 「いや、こっちが触ったからじゃない、これは下から……」

 

 振動が強くなる。

 昇降機はただの穴ではなかった。

 巨大な機構だ。

 地下のどこかと噛み合い、長く眠っていた構造そのものが目を覚まそうとしている。

 

 同時に、リヴィルの肩へ一羽、また一羽と鳥が降りた。

 いや、降りたというより叩きつけられるように戻ってきた。

 

 様子がおかしい。

 

 翼を乱し、呼吸を荒げ、伝達札を嘴に噛んだまま、落ちるように戻る。

 

 リヴィルの顔から笑みが消えた。

 

 札をほどき、目を走らせる。

 次の一枚。

 さらに次。

 「……まずいね」

 「何がだ」

 

 「周囲で異形が湧いてる」

 

 短く返ってくる声に、さっきまでの軽さはない。

 

 「しかも一か所じゃない。水没都市を中心に広がるみたいに、反応が増えてる」

 

 「昇降機が動いた途端か」

 

 「断定はできない。けど、無関係と言うには出来過ぎてる」

 

 技術者の一人が振り返る。

 

 「まだ完全に安全確認が終わってない!」

 

 別の誰かが言う。

 

 「この状態で入るのか?」

 

 ヴォルフは昇降機の口を見た。

 下へ続く暗闇。

 今まさに目を覚ましつつある機構。

 動かした途端に地上側で増える異形。

 

 関係している可能性は高い。

 なら、ここで立ち止まる理由はない。

 

 「動かせ」

 ヴォルフが言った。

 

 エリスが先に振り向く。

 

 「なんで!?」

 

 「動かした途端にこれだ」

 

 ヴォルフはそれだけ答える。

 

 「関係してる可能性が高い」

 

 リヴィルが紙束を握ったまま、目を細めた。

 

 「偵察のつもりかい」

 「まずはな」

 

 そこで少しだけ間を置く。

 

 「可能なら、そのまま元締めを殺す」

 

 誰かが止めるより早く、ヴォルフは昇降機の縁へ歩いた。

 

 「おい、一人で行く気か!」

 

 技術者の声。

 

 「まず動けるのは俺だ」

 

 ヴォルフは振り返らない。

 

 「とりあえず先に行く。来たいやつは後で来い」

 

 独断だった。

 熟慮の末というほど立派なものでもない。

 ただ、今この場で一番早く動けるのが自分だと分かっている。

 なら先に入る。

 それだけだった。

 

 リヴィルが一歩だけ前に出る。

 

 「向こう側へ入ったら、こっちの手は薄くなるよ」

 

 「最初から当てにしてない」

 

 「嘘つきだなあ」

 

 そう言いながらも、止めはしない。

 

 エリスが舌打ち混じりに言う。

 

 「死ぬならせめて、何で死んだか分かる死に方にして」

 

 「善処する」

 

 「今の、絶対しないやつの返事なんだけど」

 

 ヴォルフはそこで初めて、ほんのわずかに口元を動かした。

 笑ったと呼ぶには薄すぎるが、完全な無表情でもない。

 

 昇降機の床は、露出した基壇の中央で静かに待っていた。

 古い石と金属が組み合わさった円形の足場。

 周囲の縁には、手すりというには不安な高さの壁がある。

 

 ヴォルフが踏み込む。

 

 足元で鈍い音が鳴った。

 

 地上の風が、まだ届く。

 水の匂いも、石の匂いもある。

 だが、それが少しずつ遠ざかっていくのは、動き出してからだった。

 

 昇降機が沈む。

 ゆっくりと。

 だが確実に。

 

 地上の光が上へ離れる。

 基壇の縁に立つ人影が、だんだん小さくなる。

 リヴィルも、エリスも、技術者たちも、最後には黒い輪郭だけになる。

 

 本当に降りるのか。

 

 その感覚は、地上が遠ざかってから急に重くなる。

 

 ヴォルフは上を見上げたあと、すぐ視線を前へ戻した。

 今さらだ。

 

 昇降機の周囲の壁は、ただ深いだけではなかった。

 

 降りるにつれて、構造が変わる。

 地上側の石組みから、もっと古い、もっと巨大な何かへ噛み合っていく。

 壁面には意味の分からない溝が走り、ところどころに鈍く光る鉱物質が埋まっている。

 風はないはずなのに、下から冷たい空気だけが上がってくる。

 

 音もおかしい。

 

 昇降機の軋みとは別に、遠くで何かが擦れている。

 あるいは、長く閉じていたものが、どこかでゆっくり開き続けているみたいな音だ。

 

 地下遺跡ではない。

 文明の底だ。

 そう思った。

 

 壁面には古い汚れが残っていた。

 煤とも、乾いた血とも違う。

 もっと長い時間をかけて染みついた、説明のつかない残滓。

 ところどころに、不自然な爪痕じみた削れもある。

 

 封じられていたものの気配が、まだ消えていない。

 

 昇降機がかなり降りた頃、上から小さな影が落ちてきた。

 

 鳥だ。

 

 ただの伝書鳩ではない。

 速い。

 異様なほど速く、一直線にヴォルフの肩へ降りる。

 

 リヴィルが普段から手元に置いている、最速級の伝令鳥だった。

 

 脚に結ばれた小さな筒を外し、紙を抜く。

 走り書きだが、要点は明確だった。

 

 各地の扉が連鎖起動を始めている。

 地上では今までにない規模で異形が溢れ出している。

 水没都市を中心に、その波が広がっている可能性が高い。

 

 そしてもう一つ。

 

 中枢の主を止めれば、この連鎖起動ごと抑え込める見込みがある。

 

 ヴォルフは紙を畳んだ。

 

 戻る、という選択肢が頭をよぎらないわけではない。

 だが現実的ではなかった。

 

 今さら昇降機を上り直して地上へ戻ったところで、起き始めた連鎖全部に間に合うわけがない。

 原因が下にあるなら、下を潰すしかない。

 

 戻れない。

 それだけではない。

 進むしかない。

 

 ヴォルフは鳥を肩へ戻し、短く息を吐いた。

 

 個人的な決着だの、元締めを殺すだの、そういう話だけではなくなった。

 だが言葉にする必要もない。

 やることは最初から変わらない。

 

 下まで行って、殺す。

 それだけだ。

 

 やがて、昇降機の速度がわずかに落ちた。

 

 底が近い。

 

 上を見ても、もう地上の光は見えない。

 あるのは下から滲む、死んだような白さだけだ。

 

 昇降機が最後に一度、重く鳴る。

 鈍い衝撃。

 到着だった。

 

 正面の壁が、横へ滑るように開いていく。

 

 その先には、地上とは噛み合わない静けさが広がっていた。

 

 ヴォルフは立ち上がる。

 武器の位置を確かめる。

 左腕の重さも、もう気にしない。

 

 門は越えた。

 

 ここから先が、本当の最終舞台だった。

 

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