ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第3話

 椅子に腰かけた背中は、しばらく動かなかった。

 

 映像の光だけが、その輪郭を白くなぞっている。

 舞台の方を向いているのに、視線の先にあるのは舞台そのものではない。

 壁面いっぱいに流れる、古い映像の断片だ。

 

 喝采。

 別れ。

 処刑。

 終幕。

 

 掠れた音が混ざり合い、何かの終わりだけを妙にはっきり伝えてくる。

 

 ヴォルフは客席通路をさらに進んだ。

 最前列まで、あと少し。

 そこで足を止める。

 伏兵の気配はない。

 背中はまだ振り返らない。

 

 やがて、その人物が口を開いた。

 

 「劇、というものは素晴らしいわね」

 

 声はやわらかい。

 女の声だ。

 だがその柔らかさの奥に、最初から決められた調子がある。

 

 「この世界の人間も、それを理解しているのはとても良いことだわ」

 

 一拍。

 

 「終わりを、終わりとして飾ろうとする」

 

 映像の光が、頬の線だけをうっすら浮かべる。

 

 「別れを、別れとして残そうとする」

 

 まだ振り返らない。

 

 「そういうところは、本当に愛おしい」

 

 ヴォルフは黙って聞いていた。

 相手もまた、返事を求めていない。

 最初から自分の間で話している。

 

 やがて、その人物が椅子から立ち上がった。

 

 ここで初めて正対する。

 

 パーティドレスを纏った、貴婦人めいた姿だった。

 上品だ。

 所作にも無駄がない。

 遠目に見れば、完成された一人の女に見える。

 

 だが近くで見ると、何もかもがわずかに噛み合っていなかった。

 

 肌の質感。

 首の角度。

 視線の焦点。

 笑みの置き方。

 

 人間として成立しているようで、その成立そのものが一枚薄い。

 皮膚の下に、別の理屈があるような違和感が消えない。

 

 女はやわらかく微笑んだ。

 

 「はじめまして」

 

 それは社交の場の挨拶みたいに自然だった。

 

 「私の名前は、征服のカエサル」

 

 名乗ったあとも、座り直すことはない。

 そのまま立ったまま、ヴォルフを見ている。

 

 征服のカエサル。

 

 やはりここが中心だった。

 

 ヴォルフは短く息を吐く。

 

 「ずいぶん趣味の悪い出迎えだ」

 

 カエサルは少しだけ楽しそうに首を傾げた。

 

 「そうかしら。私は気に入っているのだけれど」

 

 視線がヴォルフの武器へ落ちる。

 ノコギリ鉈。

 斧。

 銃。

 左腕の雷光の楔。

 

 それらを一つずつ見たあと、カエサルは小さく笑った。

 

 「それにしても、あなたのそれは実に面白いわね」

 

 「何がだ」

 「猿真似よ」

 

 あまりにもあっさり言うので、一瞬だけ言葉の意味が遅れた。

 

 カエサルは続ける。

 

 「向こう側の原理を借りて、こちら側の手で無理やり形にしている」

 

 「借り物の理屈。模倣。継ぎ接ぎ。とても美しい猿真似」

 

 ヴォルフの目が細くなる。

 

 「気に入らない言い方だ」

 

 「勘違いしないでちょうだい?」

 

 カエサルはすぐにほどくように言った。

 

 「バカにしているわけではないの」

 

 そして本当に、そうらしかった。

 侮蔑ではない。

 むしろ興味と評価が先にある。

 

 「だって、あらゆる演技は猿真似から始まるもの」

 

 「他者の仕草を真似る。声を真似る。役割を真似る。そこからしか、劇は始まらない」

 

 笑みが深くなる。

 

 「猿真似にしてはあまりに上出来」

 

 「借り物の理屈でここまで辿り着いたのなら、もう立派な役者でしょう?」

 

 ヴォルフは答えない。

 だが否定もしない。

 こいつは原理を軽んじている。

 それでも、使い手としてのこちらを低く見てはいない。

 そのねじれた評価だけは分かった。

 

 カエサルはふと、視線を横へ滑らせた。

 劇場の闇に向かって、誰かの名を呼ぶみたいに。

 

 「セヴェル。ラサン。シレ。クロヴ。そして、ガベル」

 

 静かに、一人ずつ。

 

 「あの子たちは、本当に素晴らしい演者たちだったわ」

 

 個別の思い出を長々と語ることはしない。

 ただ、その一言に十分な重みがあった。

 道具を数える調子ではない。

 役者の名を舞台裏で確認するみたいな響きだった。

 

 ヴォルフはそこへ初めて口を挟む。

 

 「お前にとっては、連中も芝居の駒か」

 

 「駒?」

 

 カエサルは少しだけ目を瞬かせた。

 それから、やんわり否定する。

 

 「違うわ」

 

 「支配は、奪うことじゃないもの」

 

 客席をゆっくり見渡す。

 誰もいない席へ向けて話しながら、その言葉だけは真っ直ぐだった。

 

 「役を与えること」

 「導くこと」

 

 「そして最後まで見届けること」

 

 「それが支配の責任よ」

 

 責任。

 

 愉快犯の言葉ではない。

 支配そのものに酔っているだけでもない。

 それを当然の義務として引き受けている声だった。

 

 カエサルは微笑みを崩さないまま続ける。

 

 「私たちは、みんな向こうから来たものだから」

 

 ヴォルフの眉が動く。

 「……待て」

 

 「向こうから来た、だと?」

 

 カエサルはそこで初めて、少し楽しそうに笑った。

 

 「ああ。そこから説明した方が良いかしら」

 

 客席最前列の椅子に片手を置いたまま、言葉を整える。

 

 「扉は、ただの転移門ではないの」

 

 「もともとは古代人類が築いた、生産施設網の一部」

 

 「世界の深いところから力を汲み上げて、各地へ配るための構造だった」

 

 ヴォルフは黙って聞く。

 クロヴの縄張り中枢で見た、訳の分からない保守記録。

 アイビスで拾った断片。

 扉の残骸。

 制御盤。

 

 あれらが頭の中で繋がり始める。

 

 カエサルはその反応すら見えているように話を続けた。

 

 「でも接続する機能がある以上、逆向きの往来も成立してしまう」

 

 「力だけじゃない。向こう側にいるものも、こちらへ来られる」

 

 「アイビスなんて、都市としてはとっくに死んでいたわ。残っていたのは扉系統だけ」

 

 「クロヴはそこへ後から入り込んで、開いた扉ごと侵略地を維持する巣に変えた」

 

 なら。

 

 ならやはり、各地に散った扉は末端でしかない。

 もっと深い場所に、統括系統がある。

 

 ヴォルフが薄く察していたことを、カエサルは平然と肯定する。

 

 「そう。系統の根はもっと深い」

 

 「ここ。首都の中枢へ繋がっている」

 

 そして、わずかに顎を上げた。

 

 「古代人類は、扉の向こうから来る存在を」

 

 そこで一度、区切る。

 

 「侵征する者たち《インベイダー》と呼んだわ」

 

 その言葉は妙に古く、妙に馴染んだ。

 名前だけが長い時間を越えて、今ここへ落ちてきた感じがある。

 

 「古代人類がつけた名よ」

 

 「でも文明が途切れるあいだに、その語も意味も失われた」

 

 「今の人間は名前も由来も知らないまま、ただ異形として怯えている」

 

 哀れみ半分。

 嘲り半分。

 

 カエサルは本当に、その両方を同時に持っていた。

 

 「あの子たちも、ただの侵略者ではないわ」

 

 今度は幹部たちの名が、役割と共に置かれる。

 

 「セヴェルは休眠中の扉を起こして回った。何もないところから最初の一歩を始める役」

 

 「ラサンは開いた扉群へ資源を流し込んだ。侵食と兵站を止めないための役」

 

 「シレは観測。圧力、流入量、接続状態を見て、必要なものを上へ渡す役」

 

 「クロヴはすでに開いた土地を治めた。侵略地を安定させる役」

 

 「そしてガベルは入口を閉じた。ここへ至る導線を物理的に封じる最後の門番」

 

 全部、配役だ。

 

 それぞれが単独で暴れていたわけではない。

 扉システム全体を動かし、維持し、守るための役割として置かれていた。

 

 ヴォルフは低く言う。

 「よく喋るな」

 

 「せっかくの対面だもの」

 

 カエサルは気軽に返した。

 

 「舞台裏を少しくらい明かした方が、観客も喜ぶでしょう?」

 

 それから、ふと思いついたみたいに問う。

 

 「ねえ」

 

 「……あの子たちの中で、いちばん印象的な演者は誰だったかしら?」

 

 口元が愉快そうに歪む。

 

 「主演最優秀賞を決めようと思うの」

 

 ヴォルフは即答しなかった。

 少しだけ考えてから、短く言う。

 

 「セヴェルだ」

 

 カエサルの目が細くなる。

 

 「まあ」

 「理由は?」

 

 ヴォルフは視線を逸らさないまま答える。

 

 「あいつだけ、何も整ってなかった」

 

 「ラサンにも、シレにも、クロヴにも、ガベルにも、それぞれ自分に有利な舞台があった」

 

 「でもあいつは違う」

 

 「有利な場所でもなければ、構造もなかった。あいつ本人だけで理不尽だった」

 

 言っていて、今さらその感触が蘇る。

 準備された舞台なしで成立していた、あの一人分の圧。

 

 「もしあいつに、有利なテリトリーまであったなら」

 

 ヴォルフはそこで少しだけ息を吐く。

 

 「今でも勝てたかどうか分からない」

 

 カエサルは楽しそうに笑った。

 高くはない。

 だが本当に愉快そうな笑いだ。

 

 「いい答えね」

 

 「見世物じゃなく、ちゃんと中身を見ているわね」

 

 その言葉に嫌味は薄い。

 むしろ満足している。

 ヴォルフが「あの子たち」を実質で見ていたことを、素直に受け取った顔だった。

 

 やがてカエサルは、椅子の脇に置かれた映像記録機械へ手を伸ばした。

 

 指先が触れる。

 

 壁面の映像が止まった。

 

 拍手が消える。

 音楽が消える。

 笑い声も、別れの台詞も、途切れた。

 

 劇場が完全に暗転する。

 

 正面には、何も映っていない巨大な黒だけが残った。

 

 「古い物語も悪くはないけれど」

 

 カエサルが言う。

 

 「新しい劇のほうが好きだわ」

 

 会話を終えたその流れのまま。

 カエサルは暗がりの中を舞台へ向かって歩き始めた。

 

 ヴォルフはついていかない。

 客席側に残る。

 

 カエサルだけが、一人で舞台へ上がる。

 それだけで場の支配がさらに強くなる。

 

 暗闇の中から、声だけが落ちる。

 

 「では」

 

 「まずは、あの子から始めましょうか」

 

 セヴェル。

 

 さっきの問答が、ここで次へ繋がる。

 

 舞台へ上がった、その瞬間だった。

 

 初めてスポットライトが灯る。

 

 白い光が、カエサルだけを真上から切り出した。

 

 映像の光。

 暗転。

 そしてスポットライト。

 

 過去の劇を消し、新しい劇だけを始めるための儀式みたいだった。

 

 光の中で、カエサルが客席側を向く。

 ドレスの裾が静かに揺れる。

 その姿だけは、もう完全に舞台の主役だった。

 

 「さあ、舞台の幕を上げましょう」

 

 声が、劇場全体へ澄んで落ちる。

 

 「演目は……終末の物語《World Ender》」

 

 一拍。

 小さく、楽しそうに笑う。

 

 「ふふ」

 「楽しみね」

 

 その宣言の直後、ヴォルフが動いた。

 

 ついていくのではない。

 自分から飛び込む。

 

 客席の段差を蹴り、舞台へ跳ぶ。

 着地の音が、空の劇場へ鋭く響いた。

 

 カエサルは歩いて舞台へ上がった。

 ヴォルフは飛び上がって舞台に入った。

 

 質の違いが、そのまま動作に出ている。

 

 ヴォルフはノコギリ鉈を引き抜いた。

 

 舞台の上に、二人が揃う。

 

 劇はもう始まっていた。

 

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