「終幕のアブソリューション」
名が落ちた瞬間、劇場の圧が変わった。
今までの再演は一つずつ読めた。
セヴェルなら弾道。
ラサンなら捕食の起点。
シレなら落下点。
クロヴなら射角。
ガベルなら正面からの重み。
だが今は違う。
区切りが消えた。
セヴェルの弾丸が逃げ道を作り、その先へシレの爆撃が落ちる。
着地を変えればラサンの口が足場を食い、退路をクロヴの刃が狭め、最後にガベルの重みが真ん中から叩き潰しにくる。
複数の演目が、一つの濁流になっていた。
ヴォルフは反撃を差し込めない。
ただ防ぐ。
避ける。
受け流す。
致命傷だけを外し続ける。
ノコギリ鉈が、飛び込んできたラサンの顎を払う。
その返しに肩を沈め、セヴェルの弾丸を紙一重で外す。
椅子列を蹴って軌道をずらした先へ、シレの影が落ちる。
爆発の前に身を捻る。
そこへクロヴの血刃。
斧で受ける。
火花のように血が散る。
受けた拍で、ガベルの一撃が舞台床ごと押し込んでくる。
重い。
だが重いから危険なのではない。
そこへ至る流れそのものが、もう閉じている。
逃げ道があるように見えて、全部同じ場所へ繋がる。
構造だ。
これは高火力で押されている戦いではない。
逃げる先、受ける形、立て直す拍。
その全部が最初から狭められている。
ヴォルフは舞台端まで押し込まれた。
そこで飛ぶ。
客席へ。
だが飛んだ先にすでにシレの爆撃が落ちる。
空中で身体を折り、爆風を肩から滑らせる。
その着地をセヴェルが撃つ。
撃たれる直前に椅子の背を盾代わりにし、破片ごと抜ける。
間に合っている。
だが間に合っているだけだ。
攻めるための余白が、どこにもない。
舞台へ戻る踏み込みを、今度はラサンの手が食いにくる。
斧で叩き潰す。
潰したその下から蒸気が噴き、視界が白む。
その白を裂いてクロヴの刃。
防いだ瞬間、横合いからガベルの重み。
衝撃が胸まで抜ける。
息が詰まった。
同時に、最初のヴェールで刻まれた傷がまた冷たく疼く。
汚染が進んでいる。
ただ殴られ、裂かれ、焼かれているだけではない。
傷口ごと、終わりへ向けた処理が重ねられていく。
再生が鈍い。
熱が戻らない。
無理やり繋いでいる身体のどこかが、じわじわ死んでいく感触がある。
幕引きのヴェールは前触れではなかった。
あれ自体が、ずっと続く処刑だった。
アブソリューションの圧はさらに増す。
ヴォルフは一歩、二歩と押し戻され、それでも前に出た。
舞台中央へ戻る。
引けば完全に閉じられる。
なら、せめて中心で噛みつくしかない。
セヴェルが撃つ。
シレが落とす。
クロヴが裂く。
ラサンが食う。
ガベルが潰す。
連なった死の手つきだけが、淀みなく完成されている。
どれほど続いたのか分からない。
数瞬だったのかもしれない。
だが体感としては、長かった。
不意に、全部が止んだ。
弾丸も。
爆撃も。
血刃も。
水も。
劇場に、ありえない静けさが落ちる。
ヴォルフは膝をつきかけた身体を、斧で支えて立て直した。
荒い息を吐く。
視界の端が少し暗い。
スポットライトの下で、カエサルが感嘆したように拍手した。
「素晴らしい」
本当に嬉しそうだった。
皮肉ではない。
怒りでもない。
「ここまで耐えるなんて見事だわ」
「やはりあなたは、舞台を完成へ導く役者なのね」
称賛。
そのまま処刑宣告になる声音だった。
カエサルが両腕を軽く広げる。
舞台の上だけではない。
客席。
天井。
劇場そのものが、その仕草に応じるみたいに微かに震えた。
「喝采のオベーション」
拍手はない。
観客もいない。
なのに、場そのものが喝采した。
照明が変わる。
幕の影が伸びる。
背景の暗さが深くなり、同時にカエサルの輪郭だけが異様にはっきりする。
視線誘導まで含めて、劇場全体がより高精度に敵対化していく。
強化だ。
直接殴る技ではない。
だが最悪だと、一目で分かる。
カエサル自身と、この劇場空間の完成度が一段上がった。
さっきまでですら詰んでいた構造が、さらに研ぎ澄まされる。
ヴォルフは奥歯を噛みしめた。
次に来る。
そう思った瞬間、カエサルが何気ない調子で片手を払う。
「幕引きのヴェール」
同じ名。
だが同じ技ではなかった。
速い。
軽技の域を逸脱している。
ヴォルフはほとんど獣じみた反射で半歩だけずれた。
完全回避は無理だと、見た瞬間に分かった。
だから致命だけを外す。
ヴェールが脇腹を裂く。
深い。
さっきまでの汚染とは比べものにならない。
肉が開き、冷たい終幕の処理がそこから一気に流れ込む。
体勢が大きく崩れた。
普通の人間なら即死している。
ヴォルフは倒れながらも、舞台床へ肩から流し、衝撃を殺す。
それでも視界が飛びかける。
立たなければ終わる。
立ち上がりかけたところで、カエサルは追撃しなかった。
「なぜここででとどめを刺さなかったのか、わからない?」
穏やかに言う。
「そんなところで死なれたら、つまらないもの」
ヴォルフは荒い呼吸のまま顔を上げた。
カエサルは本気だった。
戦術的な油断ではない。
思想として、そこで殺すのが気に入らないのだ。
「主役が、そんなモブみたいに落ちたら興が冷めるわ」
「最後はもっと劇的に、もっと美しく散ってもらわないと」
ふざけた話だった。
だがこいつにとっては、勝敗よりそちらが上にある。
その隙を、ヴォルフは見逃さない。
右手が血と復讐の刃へ伸びる。
そこに仕込んでいた少量の予備血を切る。
前払いしていた代償を、逆に回収する。
熱が戻る。
全快ではない。
傷は深いまま。
汚染も消えない。
だが戦闘続行に必要な線までは、無理やり引き戻せる。
ヴォルフは息を吐き、膝を立て、立ち上がった。
カエサルはそれを見て、満足そうに微笑む。
「そう。そうでなくてはいけないわ」
気に食わない。
だが同時に、分かることもあった。
武器はまだ失っていない。
手はある。
身体も、まだ動く。
それでも。
強化後の通常技ですら、この威力だ。
幕引きのヴェール一つで、まともに当たればそれで終わる。
ならば、再演の威力もまともな火力ではありえないだろう。
ここから普通に削り合って勝つ道はない。
どうやっても、普通には攻略できない。
その結論へとたどり着くのは必然だった。。
なら戦い方を変えるしかない。
消耗戦ではない。
じわじわ詰める戦いでもない。
一度きりで通す。
そのために、全部を切る。
ヴォルフは武器の重さを順に確かめた。
ノコギリ鉈。
断重の鉄塊斧。
アイゼン・ラピッド。
血と復讐の刃。
雷光の楔。
強襲の遠吠え。
まだ残っている。
だが残っているからこそ、順番に死ぬことも分かる。
カエサルはスポットライトの中で、楽しそうにこちらを見ている。
次に何をしてくるかではない。
次に何を捨てるか。
戦いはそこまで来ていた。
ヴォルフは深く息を吸い、前へ出る。
負けないためではない。
殺すために。
ここから先は、そういう戦いだった。