ワールドエンダー 終末の物語   作:ニカン

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第8話

「俺は人間だ」

 

呟いて、少しだけそのままでいた。

 

壁に手をついている。荒い息がゆっくり落ち着いていく。蓄積のダメージはまだ完全には引いていない。内側のどこかが滲んでいる感触——出血ではない。もっと深い層の、何かが削れた跡だ。

 

立てる。

 

それだけ確認して、壁から手を離した。

部屋を見た。

 

セヴェルは死んでいる。床に伏している。最後まで動作に無駄のなかった存在が、今は静物と同じだ。

 

奥に通路があった。

さらに奥へ続いている。

 

セルヴァンへの依頼は「発生源を潰せ」だった。それは終わった——たぶん。意図したわけではないが、結果として潰した。

 

しかしここは終点ではない、という空気が漂っていた。

通路の先が、そう言っている。

 

歩き始めた。

 

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通路は下へ傾いていた。

 

足元の石が細かく削られている。目的があって削られた跡だ——ただの通路ではなく、何かを運ぶために整備された道だ。何を運んだのか、それは分からない。壁に燭台の跡がある。今は空だ。明かりは手持ちの分だけ。

 

呼吸の音だけが続く。

 

蓄積の残りがじわじわと消費されていく感触がある。動いている間は代償が払われ続ける。止まっても、少しずつ。オーバードラフトを使い果たした後の、清算の尻尾だ。

 

気にしても仕方がない。動き続ける。

 

通路の途中に一度、横穴があった。

覗いた。暗い。崩落している。入れない。

 

先に進んだ。

 

変質した者の気配はなかった。

 

セヴェルが死んだことと関係があるかもしれないし、元から深部にはいなかったのかもしれない。理由は分からないが、静かだった。

 

静か、ということがかえって落ち着かない。

戦っていた方が分かりやすい。何かを処理している間は、他のことを考えずに済む。

 

「俺は人間だ」と、さっき呟いた。

さっきはあまり信じられなかった。今も、あまり信じられない。

 

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通路の先が広がった。

 

天井が高くなる。空気の質が変わった——遺跡の内側にいる感触とは違う。もっと古い。積み上げてきた時間の量が、この空間では違う。

 

広間だった。

 

ただし、セヴェルのいた部屋とは性質が違う。あちらは「儀式を行う場所」だった。ここは違う。

 

保管するための場所だ。

 

壁に沿って、棚が並んでいる。

 

石を削り出した作りだ——棚も壁も一体になっている。その上に、板状のものが並んでいた。石板だ。一枚一枚に、何かが刻まれている。

 

文字だ。

 

読めない文字ではなかった。古い書体だが——判読はできる。傭兵仕事で古い遺跡を渡り歩くうちに、かじった程度の知識はある。

 

一枚、手に取った。

 

重い。

 

表面の刻み跡を指でなぞった。細かい。刻んだ者は時間をかけた——残す気があって刻んでいる。

 

読み始めた。

 

難解だった。単語は拾えるが、文脈が飛ぶ。何かを省略しながら書かれている——書いた者が前提を共有している相手にだけ向けた記録だ。

 

それでも、いくつかの単語は繰り返し出てきた。

 

血。贄。羊。牧する者。

 

最後の言葉が、引っかかった。

 

牧する者。

 

別の石板を取った。また別のものを取った。同じ言葉が出てくる。そして別の言い方も——牧羊者。血と贄を貪る牧羊者。

 

知っている言葉によく似ている。

 

牧師。パストル——カルドレクの宗教組織が「守護神」と呼ぶ存在の通称。

 

しかし、ここに刻まれている名は違う。

 

血と贄を貪る牧羊者。

 

一度、石板を置いた。

 

壁を見た。棚を見た。並んでいる石板の数を目で数えた——数えきれない。この広間にある記録のすべてを読む時間はない。

 

読める分だけ読んだ。

 

「守護神」として現代の人間が信じているものの、正式な名称がここに書かれている。それが何を意味するか——まだ分からない。

 

ただ、「牧師」と「血と贄を貪る牧羊者」は、同じ存在を指す別の名だと確信できた。

 

なぜ名が二つあるのか。どちらが真実か。

持ち出せる量ではない。頭に入れられる分だけ入れた。

 

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広間の奥に、また通路があった。

 

短い。

突き当たりに、部屋があった。

 

小さな部屋だった。

 

中央に、それがあった。

 

台座の上に据えられた、石の構造物。形はセヴェルのいた部屋の床の文様に似ている——ただし、あれは床面全体に展開されていた。こちらは立体だ。球を半分に割ったような形。内側に向かって溝が走り、複雑な経路を描いている。

 

儀式装置。

 

セルヴァンが言っていた「発生源」は、おそらくこれだ。

 

近づいた。

 

台座の石に手をついた。表面が冷たい。空気が乾いている。何かが起動しようとして、止まった跡がある——溝の中に、焦げたような変色が残っている。セヴェルが途中まで動かしていた。完成しなかった。

 

完成していれば、何が起きていたかは分からない。

 

ただ、止まっている今は——静かだ。

 

沈黙している。動く気配はない。壊れているわけではない——だが、途中まで動いた形跡がある。完成まで何かが足りなかった、というだけだ。

 

その問いを持ち越したまま、部屋を出た。

 

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石板の広間を抜けた。

 

来た道を戻る途中で、壁の一部に気づいた。

 

石の継ぎ目が違う箇所がある。後から塞いだ跡だ。人間の作業ではない——岩を組んだものでもない。何かの力で固めた跡。最近のものでもない。

 

その向こうに何があるか——壁を見ただけでは分からない。

ただ、ただの崩落や補修ではないことだけは分かった。隠している、という意志だけが残っていた。

 

塞がれた理由も分からない。

 

ヴォルフは立ち止まり、しばらくそれを見た。

それだけだった。触れなかった。壊さなかった。

 

残っているものには、残っている理由がある。その理由が分からない間は、動かさない方がいい——そういう判断ができる程度には、今の自分は消耗している。

 

踵を返した。

上へ向かった。

 

通路を登る。脚の感触が鈍い。蓄積のダメージの残りが、じわじわと動きを重くしている。止まって休む気にはなれない。遺跡の中で力尽きるのは最悪の選択だ。

 

出口まで持てばいい。

それだけを考えて、歩いた。

 

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外に出た。夜だった。

 

冷気を感じる。遺跡の中の空気と、外の空気の違いが肺で分かる。深く吸った。蓄積の残りがまだある。今夜は動かない方がいい。

 

遺跡の外壁に沿って、風が当たらない窪みを見つけた。そこに背を預けた。動けるようになるまで待つ。

 

空を見た。星が出ている。

血と贄を貪る牧羊者。

 

頭の中でその言葉を繰り返した。

 

「守護神」がそういう名前を持っているということと、現代の人間が「牧師」と呼んでいることの間に、何かある。それが何かは——まだ分からない。

 

セルヴァンへの報告に使える話かもしれない。あるいは使わない方がいいかもしれない。

 

判断は後でいい。

 

しかし、ひとつだけ確かなことがあった。

石板のうちの一枚に、はっきりと書いてあった。

 

神話時代の人間が儀式を行った。扉を開いた。向こう側にいた何かを、自分たちの世界に招き入れた——正確には、招き入れてしまった。記録の書き手は「招いた」とも「解放した」とも書いていない。使った言葉はただ一つ、「呼び出した」だった。

 

呼び出した側の人間は、もういない。

呼び出された側の何かは、今もいる。

 

姿は見えない。声も聞こえない。

しかし、いる。

 

「守護神」でも「牧羊者」でもない——人間が呼び出した、元締が。

 

今は、生きて戻ることだけ考える。

夜明けとともに立ち上がった。

 

往路は迂回と探索で二日かかった。戻りは道が分かっている。一本道を急げば一日で戻れる。

 

カルドレクへ向かって歩き始めた。

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