雨が機体を叩く音。俺は機体を変形させ、基地に突入した。港に面した海上に黒い魚のような姿が見える。深海棲艦どもはまだ活動を続けている。基地の連中も戦っているようだが、やはり攻撃しても効果は無いようだ。
「こちら白鳥。深海棲艦を確認。殲滅する」
桜木の声はもう聞けない。俺が榊副司令に頼んで彼女を司令部に転属させてもらった。
「…俺は、守れなかったから」
自分の口が何か呟いた気がするが、気にしない。それよりも奴らを倒す方が先だ。
脚部のスラスターを吹かす。人型になった白い機体が急降下し、体当たりのように敵にぶつかる。勢いもそのまま、右手に増設したばかりのブレードを一閃。一隻を早々に撃破。
「…そうだな」
倒した敵の死骸を盾にそのまま突入。機体の左手が同胞の骸ごと2体目を貫く。赤い目の光が点滅し、消えた。振り向き、照準を最後の敵に合わせる間もなく、周辺に水柱が立った。敵弾が一発、胸部に当たる。
「…俺には、まだ何か出来るのかな」
衝撃は俺の体を叩いたが、機体は無傷だった。俺の願いとは裏腹に、防壁は正常に作動している。2つ、3つ、機体がまた揺れた。この機体の防壁出力は敵のそれよりも強化されているから。着弾する数も増えているのに、機体は黒い煤に塗れているだけだ。
「どうせ守れやしないのに」
弾薬庫らしい場所に白い拳を撃ち込む。一瞬遅れ、爆発音が雷のように鳴り響く中、爆炎の中から機体を出した。カメラから港の様子がよく見える。兵士が兵士を運んでいた。頭から血を流している者。腕や足が無い者。何人も、死んでいた。
「うぇっ…」
腹から何かがこみ上げてくる。シート下から袋を出し、そこに吐いた。胃液しか出てこなかった。袋をしまい、バイザーを降ろした。
「……全救援要請地の支援完了…帰投する」
無機質な機械の完成音を他所に、機体を再度変形させ、飛び立つ。モニターに反射するヘルメット姿の自分は、どんな表情をしているのか分からない。
「疲れたな…」
そう呟く。世界から逃げるように、俺は目を閉じた。
――― ――― ―――
真っ暗闇の中。聞こえるのは俺の足音だけだ。
「ここは…」
自分の周囲には何も見えない。全てが黒く塗りつぶされている。いや、自分の足跡は別だ。真っ赤な足跡が続いていた。
と、目の前に急に水飛沫が上がる。魚の姿。漆黒の金属質な体。紅い目。
「深海棲艦!」
咄嗟に腰の拳銃を向けようとしたが、体が動かない。俺が苦しむ間にも奴は俺に向かって高速で泳いでくる。全てを飲み込むように口を大きく上げながら。それを見て、俺は動かそうと悪戦苦闘していた体を止めた。唯一動く瞼を閉じ、痛みに備える。
しかし、予想していた衝撃は来なかった。
「颯!?」
あの人が、死んだはずの颯が俺の前に立っていた。深海棲艦はそちらに標的を変えたのか、颯に飛びかかる。口の中の暗闇が大きくなった。
「やめろ!やめてくれ!」
俺は颯の顔さえ見ることが出来なかった。そのまま颯が食いちぎられるのを見ているだけだ。深海棲艦に颯が喰われるや否や、俺の前に今度は桜木が現れる。だが、また目の前で殺された。生暖かい液体が俺の頬を濡らす。長屋。榊副司令。いろんな人が、死んでいく。俺は何もできない。見ることしか。目の前が怒りに染まる。何も出来ない自分に。壊し続ける奴らに。
「……殺す!壊してやる!お前達を!」
ついには誰も現れなくなった。俺の周りにはバラバラになった体と赤い血、そして深海棲艦だけが残っている。
と、赤い目がこちらを向いた。奴がこちらにまた迫ってくる。
「…死んでしまえ!」
体が急に動いた。自分でも驚くほど滑らかな動きで初弾を装填。大きな体だ。狙う必要さえない。
叫び声。
銃声が、闇に響いた。
――― ――― ―――
「殺してやる!」
自分の声で目が覚める。目の前には白鳥のモニター。オートパイロットは正常に動作している。
『それが残された者の使命ではないのかね…』
声が聞こえた気がした。思わず右手で左手首を掴む。縋るように。自分も痛めつけるように。
「颯のため…」
もう俺は失いたくない。桜木も、長屋も。でも、守ることが出来なかったのに。俺に出来ることはあるのだろうか。
……いや。違う。守れなかったのは奴らのせいだ。俺は守ろうとしたのに。奴らが全てを奪ったんだ。奴らを殺さなくては。俺から全てを奪うより先に。
「奪って、壊して、喰らい尽くしてやる…。全てを…」
ああ。そうだ。颯のために。颯の仇を取る。奴らをすべて壊してやらなけりゃ、あの人も浮かばれないんだ。
煤で黒くなった白い機体は、暗い海上をただ奔った。
――― ――― ―――
一晩泣いて、朝まで眠ったら、少しだけ胸の中にある煙は薄れた。
時雨は提督の執務室のソファから身を起こした。空はいつの間にか晴れている。時雨の、神浜の雰囲気とは反対に。
……いや、真反対とまでは行かないかも知れない。
時雨自身が驚くほど、彼女は自身が生きていることに、時雨を生き残らせてくれた彼女に冷静に感謝出来ていた。
「有難う、雪風。僕は…生きるよ」
(雪風の分まで…僕は…雪風のために…)
呟いた。彼女の言葉は、朝靄の思考中ではっきりと聞こえる。時雨は部屋のシャワーを借りた後、制服に着替えた。ポケットから取り出した双眼鏡の紐で髪を結ぶ。彼女のトレードマークとも言うべき、三つ編み。
「まだ全部整理は出来ない。でも、やることはやらなきゃ。そうだよね」
雪風は、最後に時雨に向けて笑った。その微笑みはきっと時雨が、仲間が生きていることへの喜びだったのかも知れない。時雨はかつて沢山の仲間を見送った雪風だから。
時雨に生きてほしいと、願ったのかもしれない。
そう想いたい。前に進むために。
まだ、守らなければならない物は沢山あるのだから。
艤装の整備は昨日終わらせた。入渠中の白露達は明日の最後の船で船渠ごと発つ。時雨の任務がその船の護衛である以上、もうやることは神浜の姿を目に焼き付けておくことぐらいだった。
と、黒鳥の整備を終えたのか、機械油で頬を汚した提督が入ってくる。
「おはよう、提督…。って、その髪は…」
彼は特徴的な黒く滑らかな長髪を切っていた。いつもつけている簪も手に握りしめてある。
思わず問いかけた時雨を提督は心を許したような優しい笑みで眺めた後、こちらにその簪を差し出してきた。事前にきれいにしたのだろう手に乗った綺麗な簪。何故男の提督が持っているのかいつも気になっていたそれ。
「……こっちの方が動きやすいんだ。それより、もうこの髪じゃ使わないから、時雨にやろうと思ってな。受け取ってほしい。お守りにはなるだろ」
引っ掛かる言葉はあったが、提督からの贈り物を断る理由は時雨には無い。何より、提督からどうにも受け取るのを断れないだった。時雨はわずかにはにかんだ。嬉しかったのだと、自分でも分かる。
「…ありがとう、提督。……どう、似合うかな?」
三つ編みを簪で留める。提督はじっと時雨の方がを見つめているだけだった。時雨の向こうにいる誰かを懐かしむかのように。
「……よく似合っていると思う」
そんな落ち着いた、しかしかえって無機質な言葉に少し引っ掛かる。と、時雨は急に恥ずかしくなってきた。昨日の夕べ。自分の泣き顔を見られたことを。自分の弱い姿を見せてしまったことを。しかし、それと同時に、今は彼への感謝があった。今自分がこうして落ち着いていられるのは、全てを受け止めてくれる人がいたからだ。そう感じたからだ。
「提督…昨日は、ありがとう。僕のことを、受け入れてくれて」
素直に伝える。そうしたかったから。理由なんて必要ないだろう。
提督は何処か自嘲するように笑った。時雨の頭に手が置かれる。昨日と変わらない、温かい手。いつも時雨を安心させてくれる大きな手だ。
「……守りたいものがある。それだけで人は戦える。だから、出来ることなら見失うなよ。その気持ちを、憎しみで消してしまうなんて事は…悲しいから」
俺のように。もし続きがあったならそんな言葉が来ただろう。彼はただ笑っていた。自分も、世界さえ捨ててしまったように。
戸惑う時雨をよそに、提督は話を切り替えるように言った。
「まだ、気持ちは整理できないだろう。でも、いつかきっと…前に進めるのかも知れない。俺にもまだ分からないけど」
清々しい話し方。いつもの提督と違う姿。時雨はそんな姿を見て、あることを思いついた。提督の傍に寄り、腕を掴む。
「…提督。ちょっとだけ、散歩しようか」
デート、とまでは言えない。けれど、どうせこの基地で過ごすのは最後なのだ。これくらいは許されるだろう。
提督は頷いた。寂しそうな笑みを浮かべたまま。
――― ――― ―――
ひたすらに歩いた。もう設備の輸送船は出発し、軍関係者も次々に船に乗っている。人はあまりいなかった。
店を閉める直前の駄菓子屋で草団子を買う。店主のお婆さんは孫を見るかのような目で、一つ団子をおまけしてくれた。
始めて顔を合わせた医務室。皆が集まっていた宴会場。艤装を整備した工廠跡。
あんなに人がいた場所にはもう誰もいない。世界に入るのが彼と彼女だけであるかのように。
提督は時雨の横をゆっくり歩く。時雨は提督に寄り添うように歩く。ぎこちなくて、でも少し互いの体温を感じて。
いつまでも、こうしていたかった。
「ほら、この場所だよ。僕と、雪が…」
海上の演習場を見渡せる高台。そこにある長椅子に座り、時雨は指さした。
雪風と時雨が始めて戦った場所。あの時を思い出した。あのときはこんな風になるなんて思ってさえいなかった。いつまでも、こんな日常が続いてくれると思っていた。
「…もう、誰もいない。皆。どうしてかな…」
まただ。また、目の隙間から涙が零れ落ちた。雪風に生きていてほしかった。笑っていてほしかった。今はあの笑顔が見えない。それが、とても悲しい。
と、不意に暖かい感触が彼女を包んだ。気がつけば、視界は白い制服に染まっている。少しの機械油と、石鹸の香り。背中に回された手が、少し痛かった。
「……大丈夫だ。時雨には皆がいる。まだ、守るべき人が沢山いる。守ってくれる人が沢山いる。だから、これからも生きていてほしい。笑って生きて欲しい」
白い軍服の背中に手をやる。もう縋るのではない。包み込むように。彼を安心させるように。
「…ありがとう。提督…僕は…」
その先の言葉は言えなかった。思いは寒くなりつつある空に溶け、消えていく。
「…戻ろうか。最後の便の確認をしないと」
2人は戻り、仕事に戻ることにした。互いに傍に居続けた。
――― ――― ―――
ずっと傍らにいた温もりが無くなった。
時雨は、再び執務室で目を覚ます。
「あれ…僕は…」
秘書艦として最後の仕事を終え、時雨は執務室で寝た。提督も時雨が寝るまでは隣に来てくれたはずだが…。
空はまだ暗い。時計を見るとまだ午前の4時半くらいだった。薄暗い部屋を見回してみるも、提督の姿は無い。ただ、執務机の上に今まで無かった封筒が3本、置いてあった。
「何だろう…これ…」
ともかく部屋の電気を点け、封筒を見る。
「!これ…」
世界が止まった気がした。時雨の耳にはもう何も聞こえない。世界に1人取り残されたかのように。
と、第三格納庫で重い音が響く。時雨は我に返り、すぐに走って格納庫に向かった。
しんと静まり返った部屋。机に並んだ封筒。そのうちの一つにはこう書かれていた。
遺書 斬雲玲