激しい揺れと同時に目の前のモニターが黒煙で染まる。継いで再び衝撃。モニターの視界の半分から海中が見えたのに気づいて、始めて自分機体が海面で倒れているのが分かった。
状況を知るや、すぐさま機体のエンジン出力を挙げ、黒鳥を立たせる。海中に没しつつあった人型が水面に再び浮かび上がるとともに、水面が荒立ち、激しい波が機体を揺らすのを感じた。幸いにもホバリング機能にも問題はないようだ。
『海中より敵襲!数は2!来るぞ!』
水中から黒い影が飛び出す。俺に向かって砲撃した後に、深海棲艦は再び海中に消えた。機体を前方に押し出し、何とか回避した瞬間に、敵の接近を伝えるアラート。よろめいた黒鳥は、なすすべなく爆炎を体に纏うしか無い。
「……ん?」
何かがおかしい。脳裏をよぎる違和感に従い、敵の様子を探るべく、機体を動かす。長屋の声をどこか上の空で聴きながら、海中からの砲弾を回避。周辺に、また海と塩の混じった柱が立ち、黒鳥の装甲を濡らした。
……敵の戦術が変わっている。海中からの一撃離脱と撹乱。以前はこんな機動は取らなかったのに。
……まずいな。
俺はちらりと視界の右端に崩れた崖を捉える。そこで未だ動きを見せない機体を見るや、朱雀に通信を入れた。
「長屋、後方支援を。火竜を防護しながら敵位置を送れ」
『ちょっ…待…』
返答をぶった切りながら、ライフルへの充電を開始。弾倉をペイント弾から徹甲弾へと変更しながら、スラスター出力を極端に上げる。機体は稲妻のように加速し、敵の包囲網から抜けた。
「迷うな……」
今は敵を倒す。
自身の安全など頭には無い。
奪わせないために。
壊すために。
武装の最大出力を示す高い音。俺はレールライフルをぶっ放した。が、光の矢が当たる直前に、深海棲艦は身を捩る。俺の弾はただ水柱を高く上げるだけに終わった。顔をしかめたのも一瞬、次弾を発射。こちらも敵は悠々と回避し、こちらに砲撃を続けてくる。
「戦わないと……」
再びコクピットに、被弾を伝えるアラートが鳴り響いた。
高度を上げようとしたが、再度の砲撃でそれもかなわない。片割れの支援砲撃の合間を抜け、もう片方の深海棲艦がこちらに向かってくるのが見えた。
「舐めるなぁぁ!」
レールライフルで水面を撃ちながら、機体を変形。水柱を目眩ましにしながら、空中に向かってスラスターを吹かす。対空砲を紙一重で回避しながら、変形のレバーを引き、敵の直上に遷移する。トリガーを引く感触の後には、照準には1つの醜い屑鉄だけがあった。
機体を航空機に戻し、離脱。敵を再度攻撃するべく機動を取る。聞こえる荒い吐息が、俺のものだと始めて気づき、我に返る。俺は通信機のスイッチを入れ直し、咳き込みながら声を出す。
「敵脅威度を更新。……火竜は現空域を離脱。こちらは格闘戦に移行する。朱雀は……『やれます!』」
敵の戦闘能力が未知数な状況では、駿川は足手まといだ。しかし、俺の声は奴自身の叫びでかき消された。どこか使命感に駆られるような声が、針のように刺さり、俺の神経を逆撫でた。
『俺だって訓練は受けてるんだ!やらせてください!弾除けにはなれます!まだ「黙れ!退避しろ!」』
何も知らない癖に。何も見ていないのに。
何も救えや、しないのに。
怒鳴る間にも敵に迫る。機体を立たせようとしている火竜を一瞥し、腕部のブレードを構えさせた。こちらに砲口を向ける黒い魚に全神経を集中させる。
それが、まずかった。
ザザッ!
敵の出現を示すアラート。背後からの波の音。
レーダーに急にフリップが増えた。海中に隠れていたらしい深海棲艦が浮上してきたのだ。
回避も間に合わない。無防備な背中への砲撃を覚悟し、俺は操縦桿を握りしめ。
『やめろぉぉぉ!』
爆発音と駿川の叫びが聞こえる。俺は意識を保っていることを不思議に思いながら目の前の黒い魚を切り裂き、反転する。
機体は無事だった。背中にも被弾は無し。機体は。
陸が、赤い。固い装甲と、コンクリートで覆われているはずの弾薬庫が、工廠が、司令部施設を火の舌が、ちらちらと舐めている。
また1つ、基地に砲弾が飛び込んだ。それは港の桟橋を砕き、停泊している護衛艦をも鉄屑にする。聞こえないはずの、悲鳴が聞こえた。いや、これは絶叫だ。駿川の。
呆然としたのは数秒だけ。俺はすぐに意識を戻し、執拗に基地への砲撃を続ける一体に向け、加速しようとする。冷たい血液が、心臓に入ってくる気がした。火竜の方向を見つめる俺の視線と同じように。
「俺達は!」
諦めろ。
俺は、何も、守れない。
スロットルを押し出すが、機体は前に進もうとしない。脚部異常のアラートで、初めて深海棲艦に噛みつかれていることに気がついた。脚部が砕かれ、鈍い音が聞こえる。俺は基地が砲撃されるのをただ見ることしか出来ないまま、次の悲鳴を待った。
奴の声が、聞こえた。
『うぉぉぉぉぉぉ!』
火竜が防壁を最大出力にしたまま、基地に突撃していく。庇うように。着弾。灰色の機体に、次々と炎の花が咲いたのが見えるが、奴は一歩も動こうとはしなかった。
「……何故だ」
何故、絶望しない。諦めない。
守れなかったのに。
俺は。諦めるしかなかったのに。
灰の巨人は倒れない。ただひたすらに、砲撃に耐えている。奴の眼差しのように強く。
「お前は!」
脚部に噛み付いていた深海棲艦を、黒い拳で打ち砕き、加速する。長屋が張った弾幕に蹈鞴を踏んだ敵を、叫びとともに腕で叩き潰した。至近距離で発生した爆発に弾かれ、俺は浅い海底に無様に膝をつく。
『隊長!大丈夫ですか、隊長!』
奴の声は聞きたくない。俺は機体の通信を切り、火竜を見上げた。
海水に濡れた灰の装甲が、日光と火に照らされ、白く光る。俺とは対照的な、純白。視線をそらさずにはいられない。
……ああ。やはり、苦手だ。
俺は、基地に向かってゆっくりと機体を動かす。瀕死の兵士のために用意している鎮痛剤を取り出す。いつものように、背負う覚悟を決めた。死神のように。
それしか、出来なかった。
――― ――― ―――
「時雨!今戻ったっぽい!」
「皆、護衛お疲れさま。執務室にいる長門さんに報告しといてね」
朝の海は少し肌寒い。時雨は護衛任務から帰投した夕立らとすれ違いながら、新規着任艦がいる格納庫に向かった。
この一ヶ月で、海軍全体での艦娘保有量は増加した。深海棲艦建造基地のデータを応用した、という噂がまことしやかに語られているものの、真偽は明らかではない。彼女はそんな事を考えながら、扉を開け、中に入る。
いつも以上に騒がしい格納庫の音が、時雨を迎えた。駆逐艦娘の割合が多いからだろう、高い声が響く中、一人の戦艦娘がこちらに話しかけてくる。
「時雨、お久しぶりデスネー!これからの作戦も、よろしくお願いしマース!」
護衛部隊の旗艦、金剛だ。彼女は数日前までガ島攻略戦での命令違反を疑われ、中央まで出向していた。取り調べも受けたと聞いているが、それでもニコニコと笑う姿は、時雨の不安を少しだけ溶かした。
「うん。また大変な作戦だけど、頑張ろう。……皆のためにも」
時雨達にはまだやらねばならない事がある。黒鳥によって電磁砲台は破壊されたが、それも一次的なこと。あと四カ月以内に再稼働不可能なまでに奴を破壊する必要がある。最前線のこの基地に艦娘が集まってきているのも、それが理由だ。
(……失敗したら、雪にも提督にも顔が立たないからね……)
戦い抜く。それが彼女の決意だ。そんな時雨を金剛は妹を見るような目で見つめ、そっと頭を撫でた。
しかし、彼女が続けた話は、その優しい表情とは正反対のことだった。
「……次の作戦、気をつけてくださいネ。特に、大和には」
金剛は彼女の艤装の元へと歩いていった。疑問に顔をしかめさせた時雨を置いて。
「……大和さん?」
どういう意味かは分からないが、時雨はそれを頭に留めておくことにし、作業に戻った。考えるよりも先にやらねばならないことがあったから。
――― ――― ―――
一日の業務を終え、床についた時雨は、久しぶりに朝の光と共に起きた。
久しぶりに夜に寝ることができたのは、時雨にとっても僥倖だった。執務的な意味でも、精神的な意味でも。
なにか音がした気がする。
彼女はふと自分の机を見た。一人用のそれに朝日が差している。彼女を待っているように。
「……ああ。そうだね。今なら」
あれを、読むことができる。そう、思った。
静かに立ち上がり、鍵のついた引き出しを開ける。収められていた一つの封筒を取り出し、遺書とう文字をなぞるように、指で撫でた。
ざらりとした感触が、不思議に心地よかった。
数ヶ月放っておいたはずの紙は、手の温もりで温められている。時雨は封筒を開け、なかの紙を慎重に取り出した。紙は軽い。そう感じた。
もう、指は震えない。彼女は椅子に座り、薄い紙を広げた。
遺書、といってもそこまで多くのことは書いていない。軍人は人によって遺書に書く内容の差が大きい、と聞いていたが、彼は口数と同じように、多くの文字を書くのが苦手なようだった。桜木中将や整備班長への感謝は直接本人たちに見せるべきだろう。そんな事を思いながら紙をめくっていた時雨の指が、唐突に止まった。
遺書の一番最後に、走り書きで比較的新しい文字があった。走り書きだったのだろうか、筆跡が相当荒れている。
時雨へ
息が止まった。
これまでよりも速く、紙をめくる。あの人の背中を、追い求めるように。
そこにあった短い文章、息を呑む。驚きではない。怒りに。哀しさに。
『また会えるまで、生きようと思えた。
俺のことは、忘れていいから。
生きてくれ』
意味がわからない。それでも、時雨は提督を殴り倒したい、と感じた。
(提督を忘れることなんて、出来るはずがない)
時雨達のために戦い、死んだ記憶を忘れろと。記録さえ残らない者を、いなかったことにして生きろと。
そんなこと、出来るはずがない。
それは、共に戦った者への冒涜だ。提督自身への、時雨への裏切りだ。
そう、強く思った。
「……ごめん。提督」
時雨は丁寧に紙を封筒にしまい、立ち上がった。遺された簪を握りしめ、白い特一種軍服を羽織った。胸ポケットに遺書を入れる。
「……僕は、絶対に忘れない。貴方が生きた事を。戦い抜いたことを」
(いつか、誇れるように)
「……僕は、戦う。戦い抜いて、貴方の生きた先まで行く」
(提督が、守ろうとした世界のために)
深呼吸し、決意を固める。まだやるべきことは沢山ある。止まってはいられない。
「……行こうか」
時雨は廊下に出る。朝日が照らす中、歩き続ける背中には、揺らぎは全くなかった。
――― ――― ―――
俺は、黒いカードを握りしめたまま、ベッドの上に横たわっていた。周りには誰もいない。山城が置いていった音声再生のための端末が、机の上で冷たく光を反射しているだけだ。
「……俺は」
聞きたくない。怖かった。責められるのではないか。俺が生きている事を。生きてしまっていることを。……でも。
生きる理由がほしい。もしかして、颯が俺に理由を与えてくれるかもしれない。生きている理由を教えてくれるかもしれない。
震える手でカードを挿入しようとする。何回か、入れる方向を間違えてしまったが、何とか入れる事ができた。再生ボタンを強くおしこむ。
『……聞こえてるか……俺は……颯』
ノイズ混じりの声がスピーカーから飛び出した。どうやら作戦前に録音したものらしく、波の音が遠く聞こえた。俺は、端末を握りしめた。縋るように。
内容はどうやら遺言のようだった。軍人ならいつも持っているはずの遺書。懐かしいあの人の声。俺は腕の震えを無視しながら、意識を音に集中させ。
世界が止まった。自分の耳を疑った。聞いた自身の選択を、呪った。
嘘だ。嘘だ。それなら……なぜ。
奴は、何のために死んだ。
何のために、殺したんだ。
もう一度、最初から音声を聞く。だが、彼の言葉は、銃弾のように容赦なく、俺の耳に突き刺さった。
『玲……お前のことだ。変に勘違いしないように言っておく。
お前は生きろ。……できることなら軍を辞めて欲しい。俺が死んでも、仇なんか撃たなくて良い。敵を倒す必要はない』
再生を止めれば良い。そんなことは等の昔に分かっている。でも、俺は、出来なかった。そんなことさえ。優しい声は止まらないまま、続く。
『戦わなくて良い。そうだな…ただ、好きな女でも抱いて、やりたい事を見つけて。幸せに布団の上で死ねるならそれで良い。……何なら、俺の事なんか忘れてもいいから』
戦ってきたのは。壊したのは。失ったのは。
颯のためだったのに。
頭が痛い。割れるようだ。俺は端末を放り投げる。中をとんだそれは、画面にひび割れを作りながら、壁に激突した。鈍い音が部屋に響き、人が飛び込んでくるのが分かる。
「……戦わなきゃ。……俺は、戦わなきゃならないんだ」
ぽつり、と呟いた。
拳を作り、額を叩く。視界の白い布が赤く染まっていたが、気にならなかった。
何のために戦ったんだ。何のために失ったんだ。何のために捨てたんだ。
戦いたい。申し訳がない。このまま生きているのは。のうのうと息を吸っている自分が。これまでの俺自身が。
戦わなければ。
俺は戦う。強く、誓った。
俺の居場所は、そこにしかないから。
そこでしか、死ぬことができないから。
もう、ここが敵地でも何でも良かった。
俺が氷室に復帰願を出したのは、その日のことだった。