機体をハンガーに格納し、整備も済ませてしまえば、今の俺がやらなければならないことは殆ど無い。手についた血を洗い、自室に戻ろうと廊下を歩いた。
手紙らしき物を読みながら俯いて歩く隊員とすれ違ったが、見向きさえしない。
……葬式やら何やら言っていたな。規定により本土に行かせることは出来なかったが。
そんな事を思いながら歩く暗い廊下にはひんやりとした空気が漂っていて、思わず身震いする。温かさを求めて、体は自然と自販機のある休憩室に向いていた。
誰もいない部屋に、ぼんやりとした光と低い稼働音。夜の風は感じないはずだが、木枯らしでも吹いているような寂しさが、少しだけ心地よい。
タッチパネルで緑茶を選び、掌で温もりを味わう。そうしていたのもつかの間、苦い味を口の中に含ませ、飲み込む。……苦い。
もたれかかる壁から感じる冷たさと裏腹に、腹に熱いものがすとんと落ちていく。
「駿川……」
基地を守りきった、あの新人を思い出した。生まれつきだという白い髪と、茶色の瞳の彼。俺とは似ても似つかない、青年の顔。
彼は、何故戦えるのだろう。守ると誓ったものを、失ってなお。
「……分からない」
ひたすらに熱い液体を啜り、呟く俺の耳に、足音が、一組聞こえた。噂をすれば、と言うべきなのか、あの一歩ずつ踏みしめるような足音は、駿川のものだ。俺は思わず奴が来るのとは反対側の扉に隠れた。今は、会いたくなかったから。
隊長として、部下を恨む様な真似はしたくなかった。
「……隊長ー!?あれ…いないな……こっちにいるって聞いたのに…」
駿川は部屋の中を見渡したが、気配を消して隠れている俺を見つけることは容易ではないだろう。彼は諦めたように溜息をつき、自販機で何かを買い、座る。部屋の椅子に少し哀しい目をしながら座っているその男は、いつもの姿からは想像できないほど、疲れ切っていた。……戦闘による疲労だけではないのだろう。
「……守れなかったな」
呟く声は、いつもの彼からは想像できないほどちっぽけで、ゆっくりだった。しかし、溜息を吐いたのもつかの間、彼は自分の頭を軽く叩きながら再び呟く。
「次は、絶対に守ってみせる。……何があっても」
鋭い眼差しが、弓の弦のように張り詰められた。揺るがない目が、怖かった。きっと俺には、もう手に入られない。
俺は逃げるようにその場から離れようとした。震える脚は思ったよりも高い音を、部屋の床に作った。もちろん駿川が気付かない訳が無い。
「……誰だ…?」
もうこうなっては仕方がない。俺は物陰からゆっくりと出る。きっと今の俺は、苦虫を噛み潰したような顔をしているのだろうな、とぼんやり思った。
「…隊長!整備部の皆さんが呼んでましたよ!すぐに来てくれって。……隊長?」
彼はまくし立てるように俺に話しかけてくる。今分かったが、その顔にはオイルの跡が付いていた。
「……隊長。聞いてもいいですか?」
大方、機体整備の手伝いでもしていたのだろう、と考えていた俺に向かって、駿川は問いかけてくる。
俺が一番されたくない疑問を。
「隊長が戦う理由って、何なんですか?」
颯のため。そんな簡単な言葉は、喉元に引っ掛かって出て来ない。
「隊長は、回避できる場合でも回避していませんでした。……まるで」
やめろ。聞きたくない。お前からは。
そんな思いとは裏腹に、奴の口は動き言葉を紡いだ。
「敵を倒して、隊長も死にたがっているみたいに……」
……ちがう。俺は壊すだけだ。救うために。お前は間違っていると、そう笑い飛ばすつもりだった。
そう言えばよかった。
そう言えればよかった。
「なら!」
でも、口から出てきた言葉は、全く違った。怯えを見せた顔に、そのまま言葉を叩きつける。
「お前の戦う理由は何なんだ!人を救う…?救えなかったじゃないか。それでも、守ろうとする訳は!」
守れなかった。壊せなかった。死ねなかった。自分の戦う理由を失って、何を支えに戦う。守る。
俺の剣幕に、駿川は押し黙ることしかできない。俺はそんな様子を見て、視界を狭めた。
だが、奴は閉じた瞳を再び見開く。これまで以上に強い視線が、俺を射抜いたのが分かった。
「……自分は。…俺は…」
駿川は口を開き、次の言葉を発しようとする。怯えるのは、こちらの番だった。
思わず、掌で顔を庇おうとするが、耳には声が届いてしまう。後退りしながら、言葉を待つしかなかった俺の耳を、腰につけた通信機のコール音が突き刺した。
幸いにと通信を開く。だが、俺はそれを後悔した。長屋が伝えた内容は、それ以上の悪夢だったから。
『玲!ヤバい!クロウ6……柳が機体奪って脱走した!』
『柳の奴、姉が本土にいるって……頼って亡命するつもりかも…』
通信機に隊の連中の声が入ってくる。
それを聞くやいなや、俺はすぐさまに格納庫に駆け出す。予想していたよりも綺麗なままの格納庫のタラップを横目に、黒鳥のコアに火を入れた。操縦桿を握る手は、いつもより強かった気がする。
『玲!今回は駿川を連れてけ!お前じゃ説得しきれん!』
……説得?何のことだ。そう問おうとしたが、言葉は出なかった。既に機体を立ち上げていた長屋が、朱雀の頭部をこちらに向ける。ゴーグルの下にある人間の様な2つ目が、俺を睨んでいた。
緑色の光を前に、俺は押し黙りこくったまま、駿川が火竜のコクピットに消えるのを見ていた。
――― ――― ―――
『……発見しました!クロウ6です!』
柳の機体を見つけるのは、容易かった。相当慌てていたのか、IFFを出したまま飛行していたのだ。見つけられない阿呆はいない。
『柳!クロウ6!戻れ!今なら訓練扱いにしてやる!』
『うるさい!そんなこと言って!どうせ銃殺刑にするつもりだろ!もう僕は騙されないぞ!』
長屋の説得も虚しく、柳は威嚇射撃を繰り返している。俺はそんな声を聴きながら、照準を固定した。この位置からなら外さない。
……敵になるなら、殺すしかない。
思わず手に力が入る。トリガーがこんなに重かったのだと、初めて知った。
初弾は装填済み。腕に力を込め、引き絞ろうとした瞬間、俺の機体に衝撃が走った。背後からの機体の衝突。駿川が火竜をぶつけてきたのだ。
『隊長!俺が説得します!動かないでください!』
……お前も敵か。そう呟く事を、どうにか俺は堪えた。
黒鳥を追い越す灰色の鳥を見上げ、剥き出しになっていた爪を噛む。攻撃を紙一重で回避しながら火竜は人型に変形。海上を滑空しながら、柳の機体を押し倒す。
『駿川……君もか!君も僕を殺すのか!母さんを殺した深海棲艦みたいに!』
『落ちつけ!頼むから!俺の話を聞いてくれ!』
浅い海底に機体を埋めながら、2機は通信を続ける。火竜どうしが密着している以上、攻撃はできないことは事実であったから、俺は仕方なく周辺警戒を行うしかなかった。
2機を纏めて撃破することは、しなかった。
『僕は、母さんを守るために軍に入ったんだ!もう母さんがいないのに、あんな奴らと戦うのはまっぴらだ!』
柳の声に、俺は思わず機体を変形させた。黒い人型は、ライフルを下ろしたまま、立ちすくんでいるのだろう。俺の、少しの優越感を乗せたまま。
だから。
奴の声はコクピットに響いた。
『柳。俺も守れなかった』
『!』
その声の主は、聞かなくともわかった。
『だけど……だから、俺は戦うんだ。誰かが流した涙を、もう他の誰かに流させはしない。お前にも、俺の妹にも!』
『それが、俺が戦う理由だ!だから、お前も…。…!』
駿川の機体が、変形し急に加速する。
『裏切ったな!僕を!』
『違う!』
駿川は叫びながらパニックのままにライフルを乱射する柳の脇を抜け、機体の人型を取り戻す。柳のライフル弾と、敵の砲弾が直撃し、機体の灰の装甲は爆炎で見えなくなった。朝と同じように
『……見捨てない!』
深海棲艦が長屋の正確無比な狙撃で破壊される中、煙からは火竜が飛び出した。駿川の火竜は、柳にカメラアイを向けた。いや、柳を見つめたに違いない。
『俺は、仲間を絶対に見捨てない!見捨てないために、皆を守るために……君の、君たちの力がいるんだ!だから!』
『駿川……僕は……』
俺は何も言えなかった。ただ、自分が腕を駿川のほうに向けていたことに気づいただけだ。
通信を切り、逃げるように機体を反転させる。
駿川は、俺とは違う。似ても似つかない。
俺なんかとは。
柳は戻ってきた。駿川と共に。
俺は柳の一件を上官に報告しなかった。
出来なかった。
――― ――― ―――
朝の海はいつも通り凪いでいる。時雨は之字運動のための方向転換を妖精に伝えさせ、周辺の索敵に戻った。
時雨の後ろには、駆逐艦娘たちが連なっている。陽炎と不知火からの了解を伝える信号を確認。時雨は一番後ろを航行する夕立と一瞬だけ眼を合わせた。
彼女らが目指すのは、神浜基地。廃棄された基地をわざわざ運用するために戻るのには、理由があった。
『電磁砲台破壊作戦のためにも、我々は橋頭堡を手に入れる必要があります』
作戦室での桜木中将の声を思い出した。凛とした声は、記憶のなかでもよく響く。
大規模侵攻を行うためには、補給線の構築が不可欠となる。電磁砲台が修復中の現状では、むしろ心配するのは電磁砲よりも深海棲艦の反攻だろう。簡易基地の構築は、この作戦では重要となる。
『本作戦では飛び石のように基地構築を行います。第一の橋頭堡にするのは…旧神浜基地です。癪ですがね』
時雨は溜息をついた。一度慌てて破棄した基地をわざわざ再利用する、というのはどうにも情けなかったが、その不満は上層部にぶつけるべきものであり、今問うべきではないのだろう。
『神浜には深海棲艦の斥候部隊が潜伏中であり、それらの排除が今回の作戦の目的です』
事前に出した偵察隊によると、敵は軽巡1、駆逐4の小規模艦隊。それらに殴り込みをかけるのが今回の作戦目的だ。
苦々しい思いのまま、彼女は目の前の懐かしく、苦しかった島を見つめた。
砲を構え、初弾を装填。6つの気持ちの良い音が海上に響く。
「……総員、魚雷発射管用意。陽炎、不知火、海風、春雨は軽巡に砲火を集中。駆逐は僕と夕立がやる」
神浜の港が見えた瞬間、酸素魚雷を斉射。艦娘のために作られた酸素魚雷は、航跡を残すこともなく、魚の形をした敵を貫いた。
「ホ級1、イ級2撃沈っぽい!敵さんは残り3!」
「本隊より通信!到着まで残り15分!急いでください!時雨姉さん!」
時雨と夕立は港に向かって突入。酸素魚雷の一撃離脱をかけ、抜錨さえしていない駆逐艦に炎の華を咲かせる。残りは1。
時雨の周りに、砲火による水柱が上がった。駆逐艦が砲だけをこちらに向け、出航しないまま砲撃してくる。
「その程度で!」
「負けるわけはないっぽい!」
2人は同時に砲撃。見事に両方とも敵砲塔に着弾。弾薬庫に点火したのか、最後のイ級は内部から爆発しながら、沈んでいく。
「……周辺に敵影なし。神浜の艦娘ってやっぱ練度たっかいわね……」
「陽炎が言えたことではないでしょう。格闘戦を好む変わり者という所は、あまり変わりがありません」
ともかく、作戦は無事成功した。時雨は周辺の警戒と着底した深海棲艦の回収を命令しつつ、久しぶりに見る神浜の海を眺める。
「時雨姉さん?どうしたんですか?」
春雨の声に手を振る。しかし、時雨の思いは春雨とは別の場所にあった。
帰ってきた、そう思った。すると、言葉が口から自然と零れ落ちていた。
「ただいま」
やはり、朝の風は少し冷たかった。
――― ――― ―――
「……はい。まあねぇ…戦闘にも問題はないでしょうね。アタシとしてはお勧めはしないけど」
獅子屋夏彦の名前の通り、彼の顔だちと性別は男だった。……女言葉を除いては。
性格から分かる通り、化粧品やらにも詳しいらしく、物資が少ない中でのお洒落やらを艦娘に教えているらしい。
「……ありがとうございました」
艦娘からの愛称が『お姉様』の男は、少し困ったようにこちらを見た。
俺はその視線を無視し、傍らに掛けてあったパイロットスーツを手に、立ち上がった。
「……アンタ、本当に戦場に出るつもりなの?私としては自殺行為にしか思えないんだけど」
「2ヶ月も休んでしまった。戦わないと…」
傍らを歩く山城に応えながらも、前しか見ていない。見る必要もないだろう。
向かう先は第一格納庫。そこには、俺の愛機が待っているはずだった。
重い扉が開き、機体が収められているハンガーが見えた。
「……なんだこれは」
フードをかぶった魔術師、というのが機体を一番よく表している言葉だろう。全身に灰色の装甲装甲と得体のしれない部品を取り付けられた機体は、その細身なシルエットを蹂躙しているようにも思えた。
「何って、アンタが乗ってた機体よ。多少形は変わっているけど」
多少どころではないだろう。山城に顔を向けたのもつかの間、そんな反論を飲み込みながら機体を見あげる俺に、整備班らしき制服の女が近寄ってきた。豊かな胸元には可愛らしい書体で『里野海香』と書かれた名札が光る。
「ふーん?君が機体をここまで苛め抜いたドSさん?白鳥ちゃんもかわいそうにねぇ…」
こちらを睨めつけながらも、この茶髪の女は言う。口元だけが笑っている様子が、可愛らしい顔つきとは正反対の不気味さを感じさせた。胸元には
「黒鳥だ。……機体の状況は?」
俺の訂正に、彼女はこちらを疑うような目線をしつつも、機体の諸元を渡してくる。メカマンは似たような人間が多いらしい。機体を自慢げに見つめながら、囀るように語った。
「貴方の機体の可変機構はボロボロのボロちゃん。だから機能を封印して、人型での機動性を上げたの。大量にエンジン積んで無理やり機体を飛ばす機体に仕上げたよ」
なるほど、全身に付いているのはエンジンパーツか。装甲もエンジンも、おそらくはもともと基地にあったものなのだろう。その装甲の形は、俺にとっては見慣れたものだった。
「装甲とエンジンはこの基地に輸送された予備機のを使ったの。名前は…」
「火竜改三。初の量産型コア搭載型可変戦闘機……」
奴の機体と同じ。そう呟いた俺を、彼女は物珍しげに眺めていた。
「……遠距離兵装がないな」
機体に装備していたワイヤーアンカー射出口がふさがれているのを見て、呟いた。里野の苦笑を見て、溜息をつく。近寄らせなければ、安全に処理できる。近距離兵装しかないのはそういうわけだ。
「信用されてないな。当然だが」
コクピットに座り、機体を立ち上げる。コアシステムの起動音だけが俺の言葉に答えてくれた。
「……構わないさ。戦えるなら」
黒鳥の機体は、これまでよりも格段に重かった。苦労しながら、ハンガーから出す。目の前には、海だけが見えていた。
「黒鳥。発進する」
自身の頬の冷たい感触にさえ、俺は気づけなかった。