「坊主。お前は俺が預かることになった。というわけでさっさと来い。」
俺は敵によって機体と身柄を拘束された。本来はテロリストとして処刑されると覚悟し、半ば期待していた俺にとっては僥倖だ。残念だが、ちょうど良い。生き延びてできるだけあいつらを殺してやる。そうすれば俺は神に報いて悪魔どもを葬り去る事ができる。機会がやってくるのを待っていれば必ず…。
機会を待つ。俺は取り敢えずこの男に従うことにした。俺の機体を撃墜したあの機体のパイロット。名前は…斬雲颯だったか。悔しいが、その名前と顔はどこか合っていた。薄く髭を伸ばした、細長い顔。目は鋭い光を放っているが、どこも見ていないようだ。一目でずぼらだと分かる顔だが、刃物のような鋭さを感じる。
まだ反抗しない方が得策だろう。俺は無言で男の後ろを歩く。まずは慎重に情勢を確かめ、時期を待つ。悪魔どもを殺すために。
「坊主、晩飯は食いたいものはあるか?」
牢の建物から出され、手錠を外される。つい目を狭めた俺には奴は夕日を影に笑っているように見えた。どこか優しいと感じてしまうような。奴はのんきにもこちらに話しかける。取り敢えず俺は無視した。敵の思惑は分からないがそれに従うつもりはなかった。
「全く無口というか、無視というか…まあ仕方ないか…。取り敢えずカレーでも買っていくか…」
そこで奴は口ごもった。まだ何かあるらしい。が、俺は無視した。自身の僅かな誇りが、許さなかった。
「まだ無視してるうちはいいけどな、お前が敵やら何やら言って俺やら人やらを殺そうとしたなら…殺すしかなくなるからな。俺に子ども殺しの経歴を増やさせるなよ。」
目が、鋭くなる。怖い顔だった。痛い。本能的にそう感じた。日本に伝わる修羅とかいうのはこんな顔をするのかもしれない、そう思った。
「俺はお前みたいな子どもが戦場に出るのはまっぴらごめんだ。そのせいで処刑されるのもな。だから俺はお前を拾った。今お前は俺達を悪魔か何かと思っているだろうが、そんな都合は知らん。お前が普通の子どもになるまでが俺の役目だ。そのために俺はお前を絶対に殺させないしお前にも殺させない。俺の自己満足のためにな」
俺は取り敢えず無視をした。男はそれを見て諦めたように息を吐いた。刀の様に厳しい顔を緩めると、俺に話しかける。
「…まあいいさ。そのうち平和の良さが分かるだろ。それより、いつまでも坊主ってのも呼びにくいしな、名前…、は無いんだったか。となると、どうしたものか…」
この男は何を言っているのだろう。人の名前なんかわざわざつける必要もないのに。あるだけ覚えるのが面倒になるだけなのに。
そんな俺の困惑とは裏腹に、奴は顎の剃り残した髭を撫でる。この様子だと勝手に俺の名前を付けてしまいそうなだった。
「…玲。玲にするか。」
敵からの名前なんか要らないと無視を決め込む。どうでもいい。何の意味もないことにコイツはどうして頭を悩ませるのか。ま、取り敢えず奴の調子をよくして非常時に隙を生むことはできるから良いか。
…本当にそうだろうか。それだけだろうか。
名前なんか必要ないと、鼻息を立てる。
でも…何故か俺はその名前を甘んじて受け入れることにした。理由は分からなかった。
オレンジ色の夕日が、暗闇に慣れた視界に痛くて、温かかった。
――― ――― ―――
「うわぁっ!」
爆発音が鳴る。時雨は敵の直撃弾を受けていた。機関部は避けたものの、魚雷発射管が片方使用不可。全身は真っ赤に染まっていた。
敵の予想進路に弾を撃つもあっさり避けられる。明らかにこちらの射線が読まれていた。
「雪風、右舷5時!」
僚艦の雪風に警告を送る。魚雷の航跡が迫っていた。
「雪風は簡単には沈みません!そこぉ!」
雪風は避け、反撃の砲弾を放つ。が、雪風のそれも当たらず、弾は水柱を立てるだけだった。
(僕のも雪風のも当たらない…。このままじゃ!)
敵は3隻。2隻の駆逐艦が互いにカバーし合えば、数的不利な今の状況での突破も不可能ではない。今の敵とは違って、向こうが互いに協力しないならばだが。
「雪!あれをやるよ!」
「了解です!」
2人はすぐに集まり、背中合わせになる。瞬間、回転しながら残った魚雷と砲弾を発射。全方位に火線が飛びかった。
「着弾!雪、とどめを刺す!」
着弾の水柱。それを見た時雨は猛禽を思わせる俊敏さで接近。わざと外して砲撃。相手の視界と動きを制限する。雪風も同様に敵に接近している。これなら敵は対応出来ない。連装砲を旋回。砲塔後部をナックルガード代わりにして殴りかかる。
「これでも喰らえ!」
艦娘の力を全力で叩き込む。狙うは頭部。雪風が砲撃し作った隙は、相手を逃さない…
はずだった。
ドォン!
殴りつける刹那、敵は艤装の魚雷発射管を盾にした。安全装置が外されていたのか、魚雷は爆発。自身もろとも時雨に致命傷を負わせいた。時雨の腕が真っ赤に染まる。
「グハッ!」
視界が次々に朱に染まる。全身の痛みが止まらない。時雨は海上に倒れ、冷たい海に身を任せるしか無かった。
(僕が…ごめん、雪風…)
彼女は、残った雪風が包囲され、攻撃される様子を見ることしかできなかった。彼女の白い制服も赤色にまみれている。と、雪風の背後から敵が接近。主砲を構え、発砲。
彼女の艤装。海軍特有のグレー。
誇りの黒鉄を、赤のペイント弾が塗りつぶした。
――― ――― ―――
ビー!
演習終了を告げるホイッスルが青空に響いた。
「やれやれ…また負けちゃった…。ペイント弾気持ち悪いな…。痛いし…」
時雨は真っ赤に染まった体を起こす。もう制服の色が分からない程に彼女は砲弾を受けていた。
「まだまだ動きに無駄が多いですよ。敵の予想外の動きにもできるだけ対応しないと実戦では生き延びることはできません。というわけで、このあと艤装を解除した後、陸上演習場を3周してください。」
やんわりとした声で恐ろしいことをサラッと言うのは、神浜基地遊撃部隊、火蜂の小隊長、川内型軽巡洋艦の神通である。
「分かりました…」
時雨は素直に従う。この1週間のうちに、もう時雨はこれをつらいとさえ思わなくなっていた。始めは筋肉痛やら疲労やらで断つことも難しかったのだが。
ちなみに演習場は1周3kmほどである。時雨は重い体に鞭打ち演習場に急いだ。
(自分が情けない…神通さん達のほうが装備は上なだけじゃない…。練度に差がありすぎるんだ…。もう少し、戦闘の無駄を無くさなきゃ…)
取り敢えず、今日は演習場を5周することにした。
――― ――― ―――
この1週間で色々な事があった。演習場で走りながら時雨は考える。敵深海棲艦の本土侵入に対し、司令部は索敵や警備増強の他、敵基地への反抗作戦を行うことを決定。それに伴い、神浜基地においても部隊の再編と訓練の強化が行われることになった。
時雨は雪風と共に火蜂に編入。基地でも一、二を争う熟練の川内型との演習を繰り返していた。これまでの戦績は全20戦のうち勝利は5回。それも全て辛うじて相打ちかどうかというところであった。
ちなみに、提督の黒鳥も何故か演習に参加することもあった。その際は完膚なきまでに時雨達が負けることとなるのだが。
そんなこんなで走り終えた時雨は執務室に戻る。時刻はすでに21時を回っていた。
食堂や間宮はすでに店を閉じている。時雨は空きっ腹を抱えながら執務室に向かった。秘書艦の仕事上、執務室の隣には台所と食材が備わっていた。
「提督、入るよ。」
時雨は執務室の扉を開け、入った。いつも提督は執務室中央の机で書類仕事をしている。
…が、音がしない。いつもならペンを走らせる心地の良い音がするはずなのだが…。
彼女は顔を上げた。机に突っ伏している白制服の男。息が荒い。反応までいつもの提督より薄かった。
「提督!?大丈夫!?」
時雨は急いで駆け寄る。顔が赤く体に熱がある。素人判断だが、おそらくは疲労。最近の編成変更などによる無茶が祟ったのだろう。
「取り敢えず寝かせて…。熱を冷まさなきゃ…」
時雨は急いで布団を用意し、提督を寝かせる。
(やっぱり逞しい体してるね…。でもそれにしては軽いな…。力が入っていないのか…)
「…これでよし…。次は」
そんな事を思いながら、寝かせたあとは食事の用意だ。執務室には食器やそれを片付けた跡がなかった。おそらく朝から何も食べていない。
「食事は…まあお粥かな」
部屋の戸棚から米を引っ張り出し、備えつけられた台所へ移動。手早く卵粥を作る。単純な飯に比べて、粥は食べやすいが、そのぶん丁寧に作ると手間がかかる。時雨は自分の食事を済ませると、提督の分をラップで包み、机の上に置いた。これなら提督が起きたらすぐに気づいて食べてくれるだろう。幸いなことに、提督も今は呼吸は安定してきていた。
(この様子じゃ大丈夫そうだね…。体は明日洗えばいいかな。良かった)
ホッとした彼女が自室に戻ろうとした。と、提督の声が聞こえる。静かで暗い部屋に、泣くような声が聞こえた
「…置いていかないで。俺を…」
時雨は振り返り、提督を見る。苦しそうな顔。どうやらうなされているようだ。悪夢でも見ているらしい。手が、何かを掴むように握り締められ、また開かれた。いつもと違う、提督の声。どこか、助けを求める様な。
(提督…。僕がなんとかしてあげたいけど…僕に出来ることは…)
振り返り、足を進めた。彼女は提督の枕元に座る。彼の空いた手に手を重ね、指を絡めた。提督の頬を撫でる。小さな子どもを安心させるように。
(いつもとちょっと違う雰囲気…。かわいらしい…)
「大丈夫だよ、提督。僕がそばにいるから」
そう言いながら、手を頭に伸ばす。時雨の手が、触れた手のひらを固く握り締める。
(いつもの提督は、どこか怖い)
提督の髪に、手をやる。滑らかな黒い髪が、手から流れ落ちた。
(簡単に壊れそうな危うさが。すべて失ったような、空っぽな感じが。でも、今はどこか…子どもみたいだ。行く道を無くした迷子の様な…)
「僕はどこにも行かないよ。提督の傍にいる。大丈夫…」
提督に呼びかける。ただ、彼女は静かに提督の頭を撫で続けた。彼女自身が夢に落ちるまで。
――― ――― ―――
「頭痛い…」
斬雲は静かに布団から起き上がる。どうやら疲労で寝込んでいたらしい。起き上が牢として、手と頭に変な感触を感じた。どこか温かさを感じる。
「…何だ、これ」
暗闇の中で目を凝らす。瞬間、動きを止めた。
時雨が自分の布団の隣で眠っている。しかもその手は斬雲の頭を抱いていた。手さえ握りあっている。
何があったか提督は瞬時に察する。が、経緯は分かっても、現状は変わりようがないのだ。
「…俺は、どうすれば…」
このまま知らなかったとして朝まで寝るか、深夜に寮に忍び込んで時雨を送り返すか。
斬雲が自分がどうするべきか、神浜に来て以来一番悩んだのは別の話。