…あれから二年。俺は目の前の無精野郎一人さえ殺せないでいた。
隙がない。いつ近づい奴に俺のいる場所を相手に把握されている感じがする。いや、されている。この状態ではナイフ一本刺せやしなかった。
仕方なく俺は付近の情報収集から始めることにした。取り敢えずあの野郎の後をついて回り、周囲の地形や建造物を調べる。監視の目が絶えなかったが、まあ保護したガキが1人ついて回っても問題はないと判断したのだろう。そうして俺は数ヶ月にわたり、周囲と自分の状況を確認した。
俺達が住んでいるのは軍の居住区域。しかもそのうち周囲をコンクリートの厚い壁で囲まれた半ば収容所のような場所である。これでは単独での脱出は不可能だろう。おまけに俺は中央からの監視員かあの野郎からの監視を常に受けている。
あの男は特に訓練以外はしていないようだ。毎日朝5時頃に訓練棟と思わしき場所に向かい、23時に帰ってくる。その間の監視は例の中央の人間が行う。俺の世話役兼監視の兵士は女士官で、名前は桜木橘。いわゆる美人に入る顔立ちだ。体つきは華奢に見えるが、軍人としての筋肉はついているだろうし、訓練も相応に受けているだろう。何より、真面目だ。一瞬たりとも俺から目を離さなかった。
ちなみに、どうやら桜木とあの男は恋仲にあるようだ。ある夜、情事の誘いを邪魔したときは気まずそうだったが、俺の知ったことじゃない。
というわけで、俺は破壊工作どころか間諜さえ出来ないまま最初の一年を無駄に過ごす羽目となったのだ。
幸いなことに、俺の素性は一部の人間しか知らないようだった。あの男の隠し子と思われたのは甚だ不愉快だったが。
いや、不愉快はあの男だろう。いつもあの男は、
「玲、ゲームするぞゲーム!」
やら、
「家の前の木にカブトムシがいるぞ!」
やら話しかけてきた。
全く何の意味があるのか分からないが、何故か俺はそれを受け入れした。不愉快だが、何故か嫌とは言わなかった。
そんな生活が、2年続いた。そんな中、脱出の機会は、突然やって来た。
「玲、お前の乗ってた機体が新しくなってやってきたぞ!見に行こうぜ!」
能天気にあの男が話しかけてきた。俺はもう反抗の意思なしと判断され、ある程度は奴と一緒に基地内を動き回れる様になっていた。
これは好機だと思った俺はその言葉に従い、奴について格納庫に向かった。
――― ――― ―――
球が音を立てながら転がる。それは進行方向にあった白いピンの群れに突っ込み、1つを残してなぎ倒した。
「あっ!1つ倒せなかった!じゃあもう1回!」
ゴトン。
少女のコントロール虚しく、無情にもボウルはガーターに入り、漆黒の闇へと消えていった。
「あーもう悔しい!お姉ちゃん負けちゃうよー!」
ぶんぶんと腕を振りながら元気に騒ぐのは白露型駆逐艦の長女、白露である。と、そこに、
「白露ちゃん、次は私の番っぽい!場所を開けるっぽい!」
と、これまた元気いっぱいに話しかけるのは同じく白露型の夕立である。
「いっけぇー!夕立の!」
そう叫びながららボウルを投擲する夕立。本来は床を滑るはずの球は、何故か空中を舞い、ピンをまとめて吹き飛ばした。
「やったっぽい!ストライク!」
「夕立ー。出禁になりかねないからやめなよー」
半分笑いながら村雨が妹に呼びかける。それを見ながら、時雨はただ見つめていた。
ドン引きである。艦娘とはいえ、あのボウリングのボウルを投げてピンに当てるような芸当は色んな意味で簡単にはできなかった。
そう、今時雨は姉妹たちと基地の外にあるボウリング施設に来ていた。別に訓練をサボっている訳では無い(サボろうものなら、神通からの鉄拳と激しい戦闘訓練があることは間違いない)。
昨日、神浜基地の艦娘に休暇が言い渡されたのだ。この状況での休暇はつまり、今が作戦前であることを示していた。
『いつ死ぬか分からないから、今のうちに心残りをなくしておけ』
そういうことだろう。提督も病み上がりで体調を整える必要があったため、まあタイミングとしては良い塩梅ではあった。
「僕はこんなことしてていいのかな…?」
なんとなく口からこぼれ出た。不安だった。提督もそうだが、自分自身に。
自分のミスで仲間を殺すかもしれない。自分が沈むかもしれない。何回出撃しても慣れない緊張。時雨はそれに締め付けられていた。
と、そこに、
「時雨ー!次あんたの番だよー!」
白露から呼びかけられる。時雨は返事をしてコースの前に立ち、ボウルを投げる。
ゴロゴロ…ガタン。
ボウルは見当違いの方向に向かい、虚しくガーターに落ちた。
「しまった…。」
息を整えてもう1回。だが、今回もボウルはギリギリでガーターに落ち、闇の中に消えていった。
――― ――― ―――
「おいこら起きやがれ玲!お前一応回復したんだろうが!機体が整備待ってんだよ!」
何の恨みがあるのか、病み上がりの病人を叩き起こした鬼畜を、斬雲は睨みつけ、布団に潜った。
「おーまーえーはー!お前が機体整備は自分でやるっていうからこっちは準備してんだろうが!お前だけだぞ終わってないの!こら!布団に潜るな!馬鹿野郎!」
布団を引き剥がされる。ついこの鬼畜の整備班長に対し、斬雲は呟いた。これではまるで…
「お母さん…」
「誰がお母さんだこの野郎!」
殴られた。理不尽だと斬雲はぼやきながら着替え、格納庫に向かう。
「今回は装備は防衛戦仕様と偵察仕様を両方装備したほうがいいだろ。お前さんの愛するブレードは外すぞ」
「いやだね。あれは燃費が弾薬より良いんだ。継戦能力はある。節約になるし」
「そのせいで整備班は激務なんだがなぁ!?いい加減自覚しろ馬鹿!」
そんな会話を繰り広げながら格納庫に向かう。道中、整備班長がいやに真剣な表情になった。
「…お前の機体のログ調べたけどよ、あの嬢ちゃん、やっぱ当たりだな。機体反応値が一致してた」
「当たり前だ。……彼女は忘れてしまっているだろうがな。俺は忘れない。忘れるものか」
「…やっぱ伝えなくて良いのか?嬢ちゃんだってそのうち…」
「彼女は忘れている。完全に。今更俺が突っ込んで不幸にするわけには行かないんだ。」
「…そうか」
「…今日は作業終わったら、あそこに行くけど、来るか?」
「もう俺は行ったぜ、中佐殿。あと、お前一人で行くべきだろ」
2人は並んで歩く。その背中は何か寂しさをたたえていた。
――― ――― ―――
「というわけで、カンパーイ!」
白露の音頭と共に、缶ジュースがぶつかる音。ボウリングを終えた時雨達は基地内の食堂で少し豪華な食事を取っていた。
盆の上にはざるそばと寿司が山の様に積まれている。寿司のネタは新鮮さが見て取れる鮮やかな色だ。その他にも海老の天麩羅や茶碗蒸しなど…。どれも今の状況では、高級品だ。
ちなみに、今回の食事費用は全て白露持ちである。これは、白露が姉として自分から言いだした…訳は無く、ただ白露がボウリングで四人の中で最低点数を叩き出したからだった。
「いただきます」
時雨は蕎麦を麺つゆに付け、音を立てずに啜る。
本来は蕎麦は音を立てないものだったか思い出していた時雨は、唐突に白露に話しかけられた。ニマニマした意地の悪い笑顔が、こちらを見つめている。
「時雨、あんたねぇ…否定しときながらやっぱり提督とそういう関係なんじゃないの。基地内で噂になってるわよ。提督とあんたが同衾したって」
むせた。麺つゆに溶けたワサビが鼻にツンと来た。
手を振り、時雨は慌てて否定する。
「いや、そうじゃなくて…この前は疲れてたから…看病してるうちに寝ちゃっただけで…。何も起きてないし…」
そうなのだ。なんなら提督の横で寝てしまったことに気付いた時雨は、彼女自身が起きるや否や、提督を両手で殴打。執務室から逃走した。
「じゃああんたは提督に何もそういう感情は無いの?」
「…無いよ。」
…嘘だ。少し提督がかっこよかったと思うことはあったし、逆にかわいらしいと感じることもある。だから、そんな思いは、はきっとすこしは、ある。…かもしれない。提督のことを考えると、知らず知らずのうちか、せわしなく両手の人差し指をつつきあっていた。顔が少し暑い。顔を思わず激しく振った。それを聞いた白露は、見透かした様に、言う。
「ふーん。あんたがそういうならまあ、そういうことにしてあげる。」
時雨は少し赤くなった。ついつい髪飾りをいじる。2人の間が急に静まり返った。
と、そこに、
「白露ちゃん、何の話っぽい?」
夕立達がが入ってきた。白露はにやりと意地の悪い笑顔を浮かべる。こんなときの白露はろくなことを考えていないのだ。時雨は思わず体を引き、身構えた。
「どーしよっかなー。言っちゃおうかなー。この支払い半分負担してくれたら考えるけどなー」
…どうやらこの姉には一生勝てなさそうだった。時雨は財布を確認する。金額が足りることを確認したとき、唐突にあることを思い出した。
(あ…提督にさっきの件謝るの忘れてた…。)
仮にも上官に暴力である。相手への感情もあり、時雨はすぐにでも謝りに行きたくなる時雨だった。
(まあ、帰ったら真っ先に向かおうか…。謝って済むといいけど…)
しかしここは姉妹たちの前。時雨は夕立と話しつつ、心にそう決めた。
周りの喧騒の中に、静かな思いを混ぜた。