とある暗部の才人工房   作:雨宮ヒトシ

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Phase14「禁忌 -サブジェクト-」

(PM6:40)

 

 夕暮れの茜色が空を染め、街全体がゆっくりと夜の表情へと切り替わっていく。第七学区の病院近くにある小さな公園は、すでに子供たちの姿もなく、代わりに街灯の明かりが芝生をぼんやりと照らしていた。

 警策看取と弓箭猟虎は、その公園のブランコに並んで座っていた。病院を出てきたばかりの二人の間に、すぐに会話はなかった。けれど、沈黙は不自然ではない。気まずいのでも、距離感を感じているわけでもない。ただ、お互いに――言葉を選んでいた。

 

 やがて、警策がぽつりと口を開く。

 

「……あのコ、『リコ』って名前、アンタたちがつけたんだよね?」

 

 弓箭は静かに頷いた。

 

「本人が何も覚えてなかったらしいです。名前どろか、自分が何者かも」

「……ふぅん。何らかのショックで記憶を失ったパターン、ってワケか」

 

 警策がしばらくブランコをゆらゆらと揺らしながら、思案に沈む。

 その沈黙を破ったのは、今度は弓箭だった。

 

「……あなたは、リコさんについて何かご存知ですよね? もしよければ、教えていただけないでしょうか」

「ま、私が知ってるのも――ごく一部の情報でしかないケドね」

 

 警策は目を伏せ、記憶を探るように少し考えたあと、

 

「――単刀直入に言おう。アンタ、『才人工房(クローンドリー)』の被験者だよね?」

「え、どうしてそれを…」

 

 不意を突かれた弓箭は、目を大きく見開いた。驚愕というより、戸惑いに近い反応。

 だが、警策はその様子にも動じず、さらりと続ける。

 

「私も――あそこの被験者だったのよ。……まあ、アンタとは違う研究室だったケドね。アンタが第三研究室で、私がいたのは第二研究室だった」

「……そう、でしたか」

 

 恐るべき偶然よりも、弓箭には気になることが他にあった。

 

 警策がわざわざ『才人工房(クローンドリー)』の話を持ち出したということは、つまり――

 

「……やっぱり、リコさんも…」

 

 警策は、間髪入れずに頷いた。

 

「ええ。あの子も『才人工房(クローンドリー)』にいたのよ。アンタとも、私ともまったく違う研究室だったというか……」

 

 言いかけて、警策は弓箭の目をじっと見た。

 

「アンタも被験者なら、『才人工房最大の禁忌』って噂、聞いたことあるでしょ?」

 

 弓箭はごくりと固唾を呑み、言葉の続きを待った。

 警策は、ゆっくりと歌うような調子で、かつて被験者の間で囁かれていたその『禁忌』を語り始める。

 

「――曰く、それを手に入れた者は、学園都市の能力開発に革命をもたらす。

 曰く、それを正しく使える者は、現存する超能力者の順位を覆す。

 曰く、それが解き放たれた時――学園都市そのものが揺らぐ、と」

 

 語り終えたあと、警策の声色がふっと低くなる。

 

「……最初は、私も荒唐無稽な作り話だと思ってた。ケド――」

 

 警策は目を細め、遠くを見つめるようにして言った。

 

「その存在を確信したのは、とある少女のために私が情報室に侵入して、データベースを一から漁ってたときだった」

 

 そう語る警策の表情は、どこか複雑だった。

 その顔には、わずかだが自責や後悔の色がにじんでいるように、弓箭には見えた。

 

「……あの時は他に優先事項があったから、深く考えなかったけどね。もし、あれを交渉材料にしていたら……(あのコを、助けられたかもしれないのに…)」

 

 最後にか細く呟かれた声は、弓箭の耳には届かなかった。

 けれど――その横顔に浮かんだ、どこか悲しげな表情だけは、確かに見て取れた。

 

「――それはそうと」

 

 警策はすぐに気を持ち直すと、何事もなかったかのように話を切り替えた。

 その声色には、さっきまで見え隠れしていた感情の揺らぎなど微塵も感じられない。

 

「あの医者からも聞かされたと思うケド、アンタ、『木原一族』についてどこまで知ってるかな?」

 

 突然の問いに、弓箭は少しだけ考え込んだあと、おずおずと答える。

 

「……えっと、確か『イカれたマッドサイエンティストの集団』って噂は聞いたことありますけど、それ以上はあまり…」

「その認識でおおむね合ってるわ」

 

 警策はあっさりと頷くと、続けて付け加えた。

 

「――その『木原』の中でも、一番の古株にして最凶のジジィがいた。木原幻生って名前よ。頭のおかしさは、曲者ぞろいの『木原』の中でも群を抜いてたわ」

 

 そこで一拍置いて、彼女はふと視線を遠くにやった。

 

「ま、とにかく――私は諸事情があって、そのジジィの下で働いてた時期があってね」

 

 弓箭は黙って耳を傾けた。

 マッドサイエンティストの下で働いていたという突飛な話にも、特に驚いた様子を見せない。

 やはり、『暗部』の端くれとはいえ、場数を踏んできた者といったところか。

 

「あれは――たしか、今から一ヵ月前のことだったかしら」

 

 警策はふっと目を細め、視線を遠のく空へと投げた。

 まるで、その先にある過去の景色を見つめるかのように。

 

 

     ◇

 

 

「――警策君って、確か『才人工房(クローンドリー)』出身だったよな?」

 

 9月某日。

 とある学区に建てられた『別荘』の一室。

 『妹達(シスターズ)』の捜索任務にあたっていた警策は、手元のタブレット端末で『暗部』の情報網を検索していた。その時、不意にそんな声が横からかけられる。

 

 声の主は見ずともわかる。

 白衣を羽織った、いかにも学者然とした老人が、本棚の本を丁寧に並べ直していた。綺麗好きな性格なのだろう。

 

 木原幻生。

 少年院に収容されていた警策を、自らの手引きで出獄させた張本人。

 今では彼女の能力と人柄を買い、ある種の『ビジネスパートナー』として共に動いている。

 

 警策はタブレットから視線を外すことなく、淡々と応じた。

 

「そうだけど、それが何か?」

「いや、ただの世間話とでも思ってくれたまえ。僕だって雑談に興じることくらいある。退屈は嫌いでね」

 

 警策のぶっきらぼうな態度にも、老人はまったく動じる様子はない。本を一冊手に取って背表紙を指でなぞりながら、さらりと続ける。

 

「――実は僕も、かつては『才人工房(クローンドリー)』の研究者を担当したことがあってね……まあ、厳密に言うと……その『前身』に関わっていた、と言うべきかな」

「へえ、そうなんですか」

 

 少しだけ興味を引かれたのか、警策は視線をわずかにタブレットから上げた。

 手に取った本をざっくりめくりながら、幻生は世間話でもするような調子で、問いかけてくる。

 

「警策君は、『才人工房(クローンドリー)最大の禁忌』って噂、聞いたことあるだろう?」

「……もちろんありますよ。――ていうか、情報室で見ちゃったんですから」

「ほう、『外装代脳(エクステリア)』と『量産能力者(レディオノイズ)計画』だけじゃなく、他にもいろいろ見たようだな? 何を見たのか、聞かせてもらえるかね?」

 

 幻生はいかにも興味深げに、視線は本に落としたまま口元だけで笑う。

 警策はしばらく黙ってから、

 

「……『素養格付(パラメータリスト)』、『プロデュース』、『暴走能力の法則解析用誘爆実験』……他にも、いろいろありましたね」

「おや、それなら話は早いな」

 

 並べられた単語の中に聞き覚えのある言葉でもあったのか、幻生はぱたりと分厚い本を閉じて振り向いた。

 

「その『プロデュース』というのは、具体的に何か知ってるかい?」

「さぁ? そこまで深くは覗きませんでした」

「――端的に言うなら、『置き去り(チャイルドエラー)』を使って実験開発を行っていたチームの一つさ」

 

 警策が小首を傾げると、幻生はさらりと続けた。

 

「被験者は、『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』が脳のどこに宿るのかを調べるためにね、まるでクリスマスケーキのように脳を切り分けられたそうだ。四肢を切断しても能力は保たれるのか。腹部を摘出しても変化はあるか。胸部、延髄、脳下垂体、視床下部、海馬、大脳、小脳――。部位ごとに切除しながら、数ヶ月に渡って、数多の犠牲者を使った凄惨な実験が繰り返されたという」

 

 警策は無言のまま、それを聞いていた。

 倫理などとうに踏みにじられた異常な実験。それが『学園都市』という街の実態であることを、改めて突きつけられる。

 しかし幻生は気にも留めず、話を続けた。やはり、彼もまたマッドサイエンティストの一人なのである。

 

「――で、そこまでして判明したのは、一つ。『霊魂と呼ぶべき何かが宿った肉体に、能力は宿る』という、オカルトまがいの結論。そしてもう一つ、『体が小さくなればなるほど、能力の出力は下がる』という事実だ」

「……話が見えませんね。それが私たちの『目的』と、何の関係があるというんですか?」

 

 警策はやや興が覚めたように、ぴしゃりと問い返す。

 幻生はそれを意に介するでもなく、駄々をこねる孫をなだめる祖父のように、ゆるく笑った。

 

「――大いに関係があるのさ。何しろ、その理論を元にして『絶対能力進化(レベル6シフト)』を目指した連中がいたからな」

「っ……!」

 

 警策はわずかに息を呑み、目を見開く。

 

 とある超能力者(レベル5)の少女を絶対能力(レベル6)へと進化させ、その力でもってこの街を――学園都市を――跡形もなく吹き飛ばす。

 それが、彼女たちに共通した『目的』だった。

 

「その『プロデュース』に所属していた菱形という研究者がいてね。彼は『二つ目の結論』を利用して、巨大な肉体を作り出すことで、人工的に絶対能力(レベル6)を生み出そうとしたらしい。だが――結果は失敗だった。もし成功していたら、この街は今ごろ、地図の上から跡形もなく消えていただろう」

 

 その声には、どこか残念そうな響きすらあった。

 話の全容がうっすらと見え始めた気がして、警策はおそるおそる問いかける。

 

「……じゃあ、『一つ目の結論』を利用してた連中も、いたってことですか?」

 

 幻生はに口角をわずかに吊り上げ、にやりと笑う。

 

「その通り」

 

 それだけ言って、一度言葉を切る。もったいぶるように、一拍置いてから、声の調子を変えた。

 

「――警策君は、『人の意識』って、どこにあると思う?」

 

 その言葉は唐突だった。あまりに話題が飛躍していて、一瞬、警策は面食らったようにまばたきをする。

 

「……意識、ですか?」

 

 視線を落とし、考える仕草を見せた後、

 

「そりゃ、頭……脳でしょ」

「脳というのは、つまり脳細胞の集まりだ。――その細胞には『微小管(マイクロチューブル)』という、構造を支える骨格がある」

「……チューブって、管のことですよね?」

「そう。直径わずか25ナノメートル。空洞の、極めて細かい管だ」

 

 幻生は人差し指と親指をほんのわずかに開き、その微細な大きさを示す仕草をする。

 そして、言葉を続けた。

 

「これは量子脳理論に基づく仮説にすぎないが――その管の内部には、あるものが『封じられている』と考えられている」

「……何が、入ってるんですか?」

 

 警策がそう問い返すと、幻生はゆっくりと視線を上げ、わずかに目を見開き、真正面から彼女の目を見据えた。

 その瞳には、抑えきれない興奮と、どこか危うい陶酔が滲んでいた。

 

 

 

「――『光』さ」

 

 

 

「……ひか、り?」

 

 戸惑いの色を滲ませながら、警策はその言葉を繰り返すと、幻生は小さく頷く。

 

「『光』――光子の揺らぎ、それが人間の『タマシイ』の本質ではないかという考えが、量子脳理論というものさ」

 

 幻生は静かに、しかしどこか誇らしげに語る。

 その声音には科学者の冷徹な客観性というよりも、『何か』を信じて疑わぬ者特有の確信がにじんでいた。

 

「そこで、もしその『光』に干渉することができれば――能力そのものを意のままに書き換えることもできるんじゃないかと考え始めた者たちがいた」

 

 ごくり、と警策は無意識に唾を飲み込んでいた。

 話が飛躍しているのは分かる。分かるのに――その飛躍が、どこか理に適っているようにも思えてしまう。

 

(……ありえない。でも、そんな話――)

 

 学園都市の技術水準と、そこで行われてきた『実験』を知る警策にとって、その突飛な理屈は単なる妄言で片づけられるものではなかった。

 つい先ほど幻生が語ったように、『プロデュース』なる組織は、非人道的な実験の果てに、『霊魂のような何か』が宿ることで能力が成立する――そんな結論を引き出していたという。

 

 能力の源である『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』。

 それがどこに宿るのか、未だに明確な答えは存在しない。

 

 その証拠に――かつて、とある超能力者(レベル5)の少女のDNAマップをもとに、彼女の軍用クローンを量産する計画が実行された。

 だが、まったく同一の遺伝子情報を有するはずの彼女たちは、能力の発現において決定的な『差』を見せつけられることになる。

 

 コピーには、決して『本物』に及ばない壁があった。

 つまり、『自分だけの現実(パーソナルリアリティ)』は、DNAという物質情報だけでは規定できない『何か』に由来する。

 

「……もしそれが、『タマシイ』と呼ぶべき何かだとして」

 

 思考の奥から、警策は自分でも気づかぬほどの小さな声でつぶやいていた。

 その『タマシイ』の正体が――『光量子ネットワークの集合体』だというのなら。

 そしてその『光』に直接干渉できるとすれば……。

 

(能力を変えることも、強めることも……あるいは、失わせることすら……)

 

 幻生は、まるで警策の思考を読み取っていたかのように、ゆっくりと頷いた。

 

「そう。理屈の上では、何だって可能さ。神の領域にだって、届くかもしれない」

 

 その声音は淡々としているのに、どこか恍惚とした熱を帯びていた。

 警策は、うっすらと寒気を覚えた。

 

 目の前の老人が口にしているのは、夢物語でも、空想科学でもない。

 ――それを、現実にしようとしてきた者たちが、いたのだ。

 

「それで、その理論を実現しようとした者って、ひょっとして……」

 

 警策の言葉が途切れる。

 だが、その続きを語るまでもなく、彼女の視線が真っすぐに幻生を貫いた。

 

 老人は、その推測を肯定するように、どこか含みのある笑みを浮かべた。

 それは、真実を暴かれたことへの動揺でも、開き直りでもない。――むしろ、誰にも理解されないはずの『理想』を共有できたことへの、ささやかな喜びにさえ見えた。

 

 

 

「そう。僕さ」

 

 

 

 たった一言。

 その告白は淡々としていて、まるで天気の話でもするかのようだった。

 

「…………」

 

 警策は言葉を失っていた。

 幻生は沈黙を責めることもせず、自然な調子で話を続ける。

 

「――発端は、先ほど言っていた『光子の揺らぎ』――すなわち『量子意識(クァンタムマインド)』を、ミクロの視点で観測し、アクセスする能力を持つ少女が、ふと目に留まったときかね」

 

 言葉の途中でふと目を細め、幻生は窓の向こうに視線をやる。

 都市の光の彼方――そこに、彼だけが見る記憶の残像が浮かんでいるかのようだった。

 

 その横顔を、警策は無言のまま見つめる。

 老人の背には、科学者としての理想と、何かを失ってきた者の影が淡く揺れていた。

 

「彼女の能力が『発見』されたのは、小学校入学直前の、たった一度の身体検査(システムスキャン)だった。瞬く間に学園都市内部の特殊観測チームの目に留まり……表向きには『選抜型特別支援プログラム』への編入という名目で、ある小学校へ――いや、正確には小学校を偽装した研究施設に送られることになった」

 

 幻生の声は、過去を語るにはあまりに淡々としていた。

 だが、その裏には幾重にも重なる『何か』があることを、警策は肌で感じ取っていた。

 

「さて――ずっと僕が一人で喋り続けるのも味気ない。ここで、警策君にひとつクイズを出そうか」

 

 言いながら、幻生は振り返り、意地悪そうな笑みを浮かべる。

 

「その施設、何だったと思う?」

 

 問いかけの意図を即座に読み取り、警策は息を飲む。

 考える時間は――必要なかった。

 

「――『才人工房(クローンドリー)』、ですかね?」

 

 幻生の目が細められ、口元が満足げに緩んだ。

 

「ビンゴ!――まあ、正確にはその『前身』である、『主観干渉(サブジェクト)』という研究施設だがね。それを立ち上げたのは僕ってわけさ」

 

 言葉の端々に、かつての誇りと陶酔が滲む。

 まるで過去の過ちを『成果』として語ることに、一片の躊躇もないようだった。

 幻生は自分の回想に酔うように、どこか楽しげに語りを続けた。

 

「そこで数々の――楽しい『実験』を行っていた。……というのは、例の少女をプロジェクトの中枢に据えて、他の被験者たちに能力を使わせてみた、という話さ」

 

 その語り口は淡々としていたが、その実、熱を孕んでいた。

 まるでそれが、かつての自分の『輝かしい実績』でもあるかのように。

 

「するとどうだ。たった数分間ではあるが、彼女たちの能力は明確に――飛躍的に上昇した。……いやあ、あのとき僕が覚えた喜びは、今でも昨日のことのように思い出せるよ」

 

 その『喜び』という言葉が、どれほど歪んだ意味を孕んでいるか。

 

「…………」

 

 警策は黙っていた。

 俯いたまま、目を伏せて、何も言わずに。

 

 情報の多さに圧倒されていた、というよりも、頭の中で猛烈な勢いで思考が働いていた。

 飛び交う断片を瞬時に繋ぎ合わせ、過去の出来事と照合し、再構築する。

 

 そして――導き出されたのは、ひとつの結論。

 顔を上げた警策の目に、戸惑いはなかった。

 

「――その子こそが、『才人工房(クローンドリー)最大の禁忌』だというんですか?」

 

 鋭い問いに、幻生の口元がふっと緩む。

 

「さすが警策君。理解が速くて助かるよ」

 

 それは、まるでテストで満点を取った孫娘に飴玉でも与えるような声音だった。

 だがその目は、窓の外からゆっくりと警策へと向けられ、じっと射抜くように見据えていた。

 次に発せられた言葉は、それまでと違って低く、どこか沈んでいた。

 

「――しかし、『実験』は失敗だった」

 

 常に飄々としていた老人の声色が、そこで初めてほんの僅かに沈痛な色を帯びる。

 とはいえ、それは反省や後悔とは違った。むしろ、『計画通りにいかなかったこと』に対する純粋な不満でしかない。

 

「あの力でもってすれば、絶対能力(レベル6)の誕生も夢ではないと思っていたが……結局のところ、あれは――とんでもない『欠陥品』だったな」

 

 まるで使い古された乾電池でも放り捨てるかのような、冷酷な口調だった。

 

「一時的な強化こそ可能だったが、持続時間があまりに短く、さらに解除後の反動が激しすぎる。……そんな中途半端な出来では、僕の目的を達成するには、あと二百年はかかってしまうだろうと悟ったよ」

 

 そこで幻生は、微かに肩を竦め、皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

「だから、少しでもその『工程』を速めようとしてね――あることを思いついた」

 

 警策の表情は動かない。だが、眼だけが鋭く光る。

 

「……何らかの『触媒』でも使ったんですか?」

 

 冗談めかした口調ではあったが、そこには確信めいた響きもあった。

 その問いに、幻生はほんの一拍だけ間を置いて、驚いたことに静かに頷いた。

 

「――当時、『暴走能力の法則解析用誘爆実験』で入手した産物結晶――『体晶』のファーストサンプルを、大量に、彼女の体内に投与したのさ」

 

 

     ◇

 

 

「――リ、リコさんに、そんなことが!?」

 

 思わずブランコから立ち上がった弓箭の声が、しんと静まり返った夜の公園に小さく響いた。

 静かに警策の話を聞いていた彼女の表情には、驚きと、どこか信じたくないというような困惑な色が混ざっている。

 

 ぎゅっと胸の前で手を握りしめる。けれど、硬くなった喉が言葉をうまく通してくれない。

 声を絞り出そうとするものの、どうにも口が動かない。

 

「……まあ、当の本人は記憶を失ったから、覚えてないでしょうケド」

 

 ブランコに身を預けたまま、警策は変わらない口調でぽつりと答えた。

 その横顔には、どこか距離を置いた無表情が貼りついている。

 

 空を仰ぐと、さっきまで茜色に染まっていた空はすっかり夜に沈み、薄雲の合間から、やわらかな月が顔をのぞかせていた。

 

 夜風が、わずかに警策の髪を揺らす。

 その視線は夜空に浮かぶ月をとらえていたが、焦点はどこか遠く――夜闇を思わせる、深い瞳には映っていなかった。

 

「――先月の大覇星祭のあと、あのジジィとは手を切ったんだけど……」

 

 と、警策はいつもの調子で語りはじめる。

 

「こないだ、『才人工房(クローンドリー)最大の禁忌』に興味を持った友人から、あのコの捜索を頼まれてね。それで、あのジジィが関与してた研究施設を片っ端から洗ってみたんだけど――結局、これといった手がかりはなかった」

 

 弓箭は何も言わず、ただ黙って聞き続けていた。

 

「――で、そろそろお手上げかと思ってた矢先、ファミレスでアンタたちの話を偶然耳にして、ワンチャン関係あるかもって思った。運試しのつもりで調べてみたら……まさか本当にそこにいたとはね――それも、外ならぬ『才人工房(クローンドリー)』の関連施設だったとか……皮肉な話だよね」

 

 自嘲気味に肩をすくめる警策。だが、その瞳の奥には確かな驚きが隠れていた。

 

「彼女を解放しようとした矢先に、時ヶ谷――遊園地でアンタたちと戦ってたあの女――が現れてさ。アイツをあの場でぶっ倒せば、あのコについて有益な情報が得られるかもって思ったんだけど……」

 

 そこまで語ると、警策は一度、ふうっと息を吐いた。

 

「……戦ってる最中、冷凍睡眠させられてたあのコが、突如として目を覚ましたんだ」

 

 警策は、あのとき目撃した光景を、今でもどこか信じきれないような眼差しで語り継ぐ。

 

「――覚醒したあのコが、いきなり『破壊の閃光』を撒き散らして、施設ごとぶっ壊したのよ。目の前で、あっという間に」

 

 言葉の端に、わずかな動揺がにじむ。だが、すぐに皮肉気味な調子へと戻った。

 

「そのまま、どういうわけか――よりによってアンタたちのところに転がり込んだのね」

 

 言い終えると、彼女もブランコから立ち上がって、さっきまでとは一変した気軽な口調で締めくくった。

 

「――以上が、私の持ってるあのコに関するすべての情報。ほかに何か聞きたいことは?」

「……いいえ、だいぶ分かりました。包み隠さず教えていただいて、ありがとうございます」

 

 弓箭がぺこりと頭を下げて礼を言う。だが、その「包み隠さず」という言葉が、警策の胸にほんのわずかに棘のように刺さった。

 

(――そういや、一つだけ言ってないことがあったっけね)

 

 ふと思い出す。

 

 あのジジィ――木原幻生が関わっていた、川沿いの研究施設に潜入したときのこと。

 そこで、『アイテム』という暗部組織が突如乱入し、続けてその動きを追っていた弓箭の姿を、警策は偶然目撃している。

 混乱の最中、命を落としかけた彼女を、警策は――誰にも知られないように、静かに助けたのだった。

 

(ま、別に感謝されたくて助けたワケじゃないし、教える義理はないっか)

 

 

 

(PM7:10)

 

 夜の帳が降りきった病院の廊下を、少年と少女の二人組が並んで歩いていた。

 

 一人は茶色い髪の少年。上は野暮ったいジャージ、下はジーンズといういかにもな格好で、顔つきもどこかアホっぽいチンピラそのもの――実際、アホなチンピラである。

 ただし、つい最近、レディ用拳銃一丁で学園都市第四位の超能力者(レベル5)を撃破したという、信じがたい快挙を成し遂げたことを除けば、だ。

 

 その隣を歩くのは、見た目12歳ほどのボーイッシュな少女。肩につくかつかないかの茶髪ボブに、セーター地の丈の短いワンピース姿。細く白い太ももが大胆に露出しており、見ていて危なっかしいほどだ。

 

「滝壺さん、やっと意識を超取り戻して、超安心しましたよ」

 

 小さく口を開いたのは、その少女――絹旗最愛。

 小さな体に似合わぬ落ち着いた声色には、安心と喜びの色がほんのりと滲んでいた。

 

「ああ。あのカエル顔の医者はもちろん、『体晶』の治療に協力してくれたあのメガネのお姉さんにも礼言っとかねぇとな」

 

 返すのは、隣の茶髪の少年――浜面仕上。

 口調こそ軽いが、その目にはほんのわずかに安堵の色が宿っていた。自分なりに、仲間の無事を心底喜んでいる証拠だ。

 

 二人は、この病院に入院している少女――滝壺理后のお見舞いに来ていた。

 今は面会時間も終わり、夜の病院の廊下を並んで歩いているところだ。

 

 先日、滝壺は『体晶』の使用による反動で昏倒し、この病院へと搬送された。

 担当医師であるカエル顔の医者、そして『体晶』に関する専門的な知見を持つ柊木という女性の連携によって、命に別状はなく、意識も無事に回復した。

 治療は順調だと説明を受けている。だが、誰よりも近くで滝壺の苦しみを見てきた浜面にとって、それだけでは足りなかった。

 

 肩を並べて歩きながら、浜面仕上はポツリとつぶやく。

 

「……滝壺が退院したらさ、三人で……どっか行こうか」

 

 「三人」と口にしてから、浜面はほんの一瞬だけ言葉を飲み込んだ。

 それは――無意識のうちに、自分でも気づかぬほど自然に、「二人足りない」ことをまだ受け入れられていない証だった。

 

 かつての『アイテム』は四人だった。

 だが今は、麦野は消え、フレンダは――。

 

「……そうですね」

 

 浜面の言外の想いを汲んだのか、隣を歩く絹旗最愛が小さくうなずいた。

 彼女の声もまた、いつもよりわずかに柔らかかった。

 

 普段なら、もっと元気でまくしたてるように喋る彼女が、それをせずにいる。浜面の心情に、彼女なりに寄り添ってくれているのだ。

 そんな沈黙を破るように、ふと思い出したように絹旗が口を開いた。

 

「……あ、そういえば最近、超ラッキーなことに映画のチケットを二枚ゲットしました。ラノベ原作のやつで、金髪の爆弾魔と、貴族出身のレーダー分析官が、怪物兵器を超派手にぶっ壊すという、超すごい内容です」

「金髪の爆弾魔、ね……」

 

 その言葉に、浜面は自然と視線を落とした。

 頭の中に浮かんだのは、あのふざけたような口調と、どこか子どもっぽい笑い声。お菓子と爆薬と悪ノリが似合う、どこか憎めない金髪の少女――フレンダ=セイヴェルン。

 

 もう、どこにもいない。

 それでも、あの頃の空気が、絹旗の口からこぼれた言葉の中にまだ少しだけ残っているような気がして。

 

 浜面は、言葉を返す代わりに、小さく息をついた。

 ほんの少し、肩の力を抜くようにしてから、いつもの調子で口を開く。

 

「……ま、たまにはそういうのも悪くねぇか。退院祝いにちょうどいいしな」

 

 その言葉に、隣を歩いていた絹旗最愛がふと立ち止まり、小さく唇を尖らせる。

 

「でもですねぇ、チケットは二枚しか超持ってませんけど、どうしましょうかね…?」

 

 わざとらしく考えこむような素振り。

 それから、にやりと何かを思いついたような顔で、いかにも『今ひらめいた』という演出を添えて口を開いた。

 

「浜面は超浜面で、滝壺さんと二人きりで超行ってください」

「……は? お、お前は?」

 

 唐突な提案に、浜面は思わず間の抜けた声を漏らす。

 チケットの数を踏まえれば確かに理屈は通っている。それでも、自分だけが滝壺と二人きりで、という展開にはどうにも照れくささがついて回った。

 

「私は超問題ありません!」

 

 胸を張って断言する絹旗は、どこか楽しげだった。

 

「浜面が超ヘタレですからね。こういう時ぐらい、超サポートしてあげないと! ほら、滝壺さんが元気になったら、二人で映画でも一緒に見に行ってください。超大事な時間ですよ?」

 

 そう言ってウインクするような仕草を見せる彼女の笑顔は、どこか姉のような優しさすらあった。

 自分だってきっと、滝壺と一緒に映画を見たかったはずなのに、それを見せない。あくまで明るく、押しつけがましくならないように――それが絹旗のやり方なのだろう。

 

 浜面は口元をかすかにゆるめ、ぽりぽりと頬をかいた。

 

「……お前、たまにそういうとこ大人だよな」

「『たまに』って言い方は超失礼ですね。私は最初から超大人です」

 

 そう言い返す声は、どこか拗ねたように聞こえた。

 二人の足音は並び、夜の病院のエレベーターへと向かってゆっくりと進んでいった。

 

 やがて、「チン」と乾いた電子音とともに、エレベーターの扉が音もなく開いた。

 中から柔らかい明かりが漏れ出し、二人はごく自然にその中へと足を踏み入れる。

 

 他愛もない世間話を交わしながら、エレベーター内の先客と入れ違う。

 その先客は何か考え事でもしていたか、まるでこちらの存在に気づいていないように、目線も合わせずすっと脇を通り過ぎていく。

 

「……!?」

 

 足が、ぴたりと止まる。

 心臓が一瞬、妙な跳ね方をした。

 何かを見間違えたのか? けれど、その背格好、あの髪型――

 

 無意識に振り返った。

 だが、遅かった。無情にも、エレベーターの扉はすでに音もなく閉じていた。

 まるで、最初からそこには何もなかったかのように。

 

「どうした?」

 

 下へと降りていくエレベーターの中で、隣に立つ浜面が怪訝な顔を向けてくる。

 

「……いや、今なんか、超幽霊を見た気がしまして」

 

 素直にそう答えると、案の定というべきか――

 

「……幽霊? 今、誰かいたっけ? てかお前、C級ホラーの見すぎで頭やられたんじゃ――げぶぅっ!?」

 

 言い終える前に、浜面の尻がぐしゃりと重い音を立てた。

 絹旗の鋭い蹴りが、容赦なくめり込んだ結果である。

 

「超バカな浜面に超言われたくないですっ!!」

 

 頬を膨らませて睨みつける絹旗に、浜面は悶絶しながら半笑いで呻いた。

 

「……超ありえないです」

 

 吐き捨てるように言ったその声に、冗談めいた軽さはなかった。

 絹旗は数秒間だけ黙り込んだ後、静かに記憶をたどるように口を開いた。

 

「――例の『暗部抗争』の三日前、私たち『アイテム』は、ある依頼で川沿いの研究施設に超侵入していましたけど……」

 

 語られるのは、数日前の出来事だった。

 

「その任務中、思わぬ横やりが超入ってきて、状況は一気に超混乱。フレンダさんがいきなり超狙撃されて――こちらは第三者の乱入をまったく想定していなかったので、しばらく超防戦一方でした」

 

 唇を噛みながら語る彼女の表情に、浜面は言葉を差し挟まずに耳を傾ける。

 

「でも、最後は皆で超協力して、どうにかスナイパーの位置を割り出して……ようやく反撃に転じることができました」 

 

 何かを思い出したように、浜面の眉がぴくりと動いた。

 

「あ、それ。前にファミレスでも話してたよな……『スクール』の暗殺用のスナイパーを仕留めたって」

 

 もしかして、実は生きていた?

 

(そんなはず、超ありません。確かに麦野が……とどめを刺しました。本人も『手応えはあった』と、超断言してましたから。……あの施設は確か川沿いでした。最後に戦ったのは、屋上――撃ち抜かれて、そのまま遺体は川に落ちたんです。流されて、回収は超できませんでしたけど……でも、あの高さから頭部を撃ち抜かれて……それで生きてるなんて、普通は超ありえません)

 

 それでも――。

 いま、自分は確かに見た。

 まるで何事もなかったかのように、廊下を歩いていた少女の姿を。

 

(水に落ちた死体は、確認できるまでは死んだことにならない――なんてジンクス、私たちも超身をもって経験したってわけですか……)

  

 ――彼女たちは、まだ知らない。

 

 あの夜、川沿いの研究施設に侵入していたのは、自分たちと、弓箭猟虎だけではなかったことを。

 もう一人、影のように潜み、戦況を陰から見守っていた少女がいたという事実を。

 

 その少女は、『原子崩し(メルトダウナー)』が放たれる直前、銀の翼で突風を巻き起こし、アイテムの照準を狂わせた。

 視界を覆う土煙の中で、弓箭と酷似した体格の人形を即座に生成し――その身代わりに仕立てたのだ。

 

 『原子崩し(メルトダウナー)』の直撃を受けたのは、弓箭本人ではなく、人形だった。

 そして、その一瞬の混乱の隙を突き、弓箭猟虎は――誰にも気づかれぬまま、闇の中へと姿を消したのだった。

 

「――まあ、それにしても、今考えてみれば、あの依頼、やっぱり超変でしたね」

 

 幽霊を見たかもしれないという違和感が薄れていく一方で、絹旗の中には別の『引っかかり』がじわじわと浮かび上がっていた。

 それは、今こうして改めて言葉にしてみても、やはり腑に落ちない内容だった。

 

「変?」

 

 浜面が眉をひそめて横目を向ける。エレベーターはまだ、淡々と階数を下げ続けていた。

 

「その依頼の内容がね――『川沿いの研究施設を破壊しろ』っていう、まあそれだけなら超ありがちですけど、問題はその次ですよ」

 

 絹旗は一度言葉を切り、わざと間を置いてから、静かに続けた。

 

「『もし施設内に監禁されている少女を発見した場合は、その身柄を確保せよ』って。……ね? 超意味わかりませんでしたよ」

「少女の身柄を……? それ、つまり人命救助じゃなくて『捕獲』なんだよな?」

 

 浜面の声に、わずかな緊張が滲む。無理もない。その一言が含む含意は、単なる善意の行動とは到底思えなかった。

 

「ええ。しかも、依頼主は超匿名。報酬は破格。裏を取ろうとしても、情報が超伏せられててさ」

 

 絹旗は思い出すように目を細め、続ける。

 

「当時は麦野も『金さえ貰えりゃいい』ってノリで超気にしてませんでしたけど……今になって超考えると、あれはただの施設破壊任務じゃなかった気がしますね」

 

 エレベーターが、静かに一階を示すチャイムを鳴らした。

 開きかけた扉の向こう――まだ何か、絹旗の記憶の奥に潜んでいるものが、残っている気がしてならなかった。

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