とある暗部の才人工房   作:雨宮ヒトシ

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Phase19「意志 -マインド-」

 病院の一室。

 黒髪を肩のあたりで切り揃え、いつもどこか眠たげな目をした少女が、ベッドの上で上体を起こして読書をしていた。

 

 滝壺理后。

 普段と変わらず、ピンク色のジャージを身にまとっている。寝巻き兼部屋着らしく、彼女にとっては一張羅も同然だ。

 ページを静かにめくる音だけが、室内の静寂を満たしていた。

 

 そんな時だった。

 

 ――パンッ。

 乾いた衝撃音が、風とともに窓から吹き込んだ。

 滝壺の手が止まり、無表情のまま視線が本から天井へとゆっくりと移る。

 

(……銃声?)

 

 『暗部』に身を置いていた彼女には分かる。その鋭く乾いた音は――まぎれもなく、本物の発砲音だった。

 距離も、さほど遠くはない。

 

 音の方向――この病院の屋上からではないか、と直感する。

 そして、その直後だった。

 

 キィン――

 背筋を氷の刃が這うような、冷たい感覚が全身を貫く。

 

「……今のは……」

 

 滝壺はゆっくりと読んでいた本を閉じ、天井から目を逸らさずに呟く。

 

 今、彼女の能力――『能力追跡(AIMストーカー)』が、確かに『何か』を感じ取っていた。

 本来この能力は、『体晶』を服用しない限り発動することはない。

 

 しかし、ごくまれに、第六感のように――本能的に、反応することがある。

 たった今感じたものは、明らかに異常だった。

 

 尋常ではない『何か』が、この場所で、解き放たれた。

 まるで――膨大な力が、封印を破って目覚めたかのように。

 

 

     ◇

 

 

 屋上のドアを開けた瞬間、鋭く冷たい風が弓箭猟虎の頬を撫でた。

 目の前に広がるのは、青く高い空と都市のビル群――だが、それ以上に、眼を引く光景がそこにはあった。

 

 屋上の中央。

 長い髪に白衣を羽織り、眼鏡をかけた女性が、レディ用の小型拳銃を構えている。

 その銃口の先、コンクリートの床には、少女が倒れていた。

 

 佐天涙子。

 両手両足をきつく縛られ、身動きひとつ取れぬまま、彼女は腹部から赤い液体をこぼしながら、うつ伏せに横たわっている。

 その血は、まだ乾かぬまま、床に広がりつつあった。

 

「佐天さん!?」

 

 叫びながら駆け寄ろうとした瞬間、白衣の女――柊木は反射的に銃口を弓箭へと向けた。

 発砲音が鳴り響く。乾いた銃声。

 

 だが、遅い。

 弓箭は一歩も引かず、体を軽く捻って弾丸をかわし、そのまま一気に間合いを詰める。

 

 二発目を撃とうとした柊木の指が引き金にかかった瞬間――

 弓箭の左腕の袖口から何かが閃いた。

 

「ッ!?」

 

 鋭い痛みとともに、右腕に衝撃が走る。

 次の瞬間、柊木の手から銃がこぼれ落ち、ガシャンと乾いた音を立てて床に転がった。

 

 弓箭の袖口から射出された弾丸が、柊木の右腕を正確に撃ち抜いていたのだ。

 柊木はその場に崩れ落ち、両膝を床についたまま、うつむくように動かなくなる。

 そんな彼女に銃口を向けたまま、弓箭は問い詰める。

 

「……あなたが、佐天さんを撃ったんですか!?」

 

 問いに、返答はない。

 柊木の顔を上げたその瞳――隈の浮いたその目には、もはや生気というものが一切感じられなかった。

 

「……撃ちたければ、撃てばいい」

 

 か細い声で柊木は呟く。

 

「どうせ君は、間に合わなかった」

 

 その言葉に、弓箭はハッと息を飲む。

 同時に、視界の隅に気配を捉え、素早くそちらに目を向けた。

 

 屋上の端。

 そこに、病院着を着た一人の『少女』が、無言で立っていた。

 

 長く艶やかな絹糸のような髪。透き通るような白い肌。

 そして――どこか空虚さを湛えた金色の瞳が、こちらを静かに見つめていた。

 

「……リ……日花璃、さん?」

 

 その姿に、弓箭の声が震える。

 

 『少女』は何も答えなかった。

 ただ、淡々とした瞳をまっすぐに弓箭に向け、その身に纏う空気だけが、静かに――だが確実に、常識を逸脱した『力』の存在を訴えていた。

 

 やがて、『少女』の両肩から、何かが現れた。

 

 それは――光。

 だが、ただ眩しいだけの光ではない。静寂と冷気を湛えた、透き通るような輝きだった。

 

 その光は、ゆっくりと形を持ち始める。

 左右に広がるのは、羽ばたくでも揺らめくでもなく、ただそこに『在る』としか言いようのない、神秘的な輪郭。

 

 ――翼。

 透き通る結晶のような羽根が、幾重にも重なり合いながら、少女の背から音もなく咲き出す。

 その姿、さながら――

 

 天使。

 思わず、そんな言葉が脳裏をよぎった。

 

 だが、そこにあるのは救済でも祈りでもない。

 もっと深く、もっと根源的な、『異質』そのものだった。

 

 美しい。だが、恐ろしい。

 言葉では捉えきれないその存在感に、空気は震え、世界の輪郭すら、かすかに揺らいで見えた。

 

 こくりと、弓箭は固唾を呑んだ。

 

「一体……何が……」

 

 だが、答えは返ってこない。

 沈黙が、ほんの一瞬だけ場を支配した。

 

 次の瞬間――

 

 バァァン!

 

 『少女』の翼が大きく広がった直後、眩い『閃光』が、いくつも炸裂した。

 

 

     ◇

 

 

「……もう、限界……かしらぁ」

 

 息を切らしながら、食蜂操祈は階段の踊り場でぐったりと崩れ落ちた。

 エレベーターは何者かの妨害によって停止。やむなく階段を選んだ彼女だったが――

 常盤台の女王は、極度の運動音痴である。

 

「んもぅ、誰がこんなに段数作ったのよぉ……。構造設計した人の趣味、疑っちゃうわよねぇ……」

 

 太腿はすでに悲鳴を上げ、口元は乾き、軽く目も回る。

 こんな事態でもスカートの乱れを気にしているあたり、さすがに美意識だけは貫いていたが――内心は限界ギリギリだ。

 

(……それにしてもぉ、今の銃声。嫌な予感力しか、湧かないんだけどぉ……)

 

 鋭く響いた発砲音が、数フロア上のどこかから届いてきたのは、ほんの数分前。

 鈍い音の後に続いた沈黙が、逆に不気味だ。

 食蜂はゆっくりと立ち上がろうとするが、膝がぷるぷると震えてうまく踏ん張れない。

 

「さすがに、私に階段ダッシュは無理があるのよぉ……。ねぇ、誰かエスパーでもエレベーターでも運んでくれないかしらぁ……?」

 

 誰にともなくぼやく声だけが、静まり返った踊り場に虚しく響いた。

 すると――下の階から、軽やかな足音がパタパタと響いてきた。

 

(えっ、うそ? 本当に誰か来るの?)

 

 不意の音に、食蜂は目を見開いた。足音は次第に近づき、やがて踊り場の角から一人の少女が現れた。

 

「いたいた! みさきちゃん、ここにいたんだね」

 

 長い茶髪にキャスケット帽をかぶった少女は、心配そうな顔で駆け寄り、ぐったりと床に倒れている食蜂に右手を差し伸べる。

 

「ド、ドリー!?」

 

 弱々しく声を漏らす食蜂に、ドリーは気にせず続けた。

 

「みさきちゃんがなかなかもどってこないとおもったら、いきなりパンッ!っておおきなおとがきこえてきて、いそいでかけあがってきたんだよ!」

「ありがとう……来てくれて、助かったわぁ」

 

 食蜂はか細い声でそう言いながら、ドリーの差し出した手をしっかり握った。

 

「みさきちゃん、あいかわらずタイリョクなさすぎだよ。カイダンごときでたおれるなんて」

「ち、違うわよ! これは……その、休憩力を挟めばちゃんと登れるからっ‼」

 

 食蜂は顔を赤らめ、必死に言い訳を探すように言った。

 

「きゅうけいりょく?」

 

 ドリーが少し首をかしげると、食蜂は慌てて続けた。

 

「つまり、ちょくちょく休むことで力を回復させるってことよ! 決して運動不足とかじゃないんだからっ!」

 

 声を張ったあとで、本人も若干恥ずかしくなったのか、視線をそらす。

 ドリーはクスっと小さく笑いながらも、しっかりと食蜂の肩を支えた。

 

「うん、わかったよ、みさきちゃん。でも、ムリしないでね」

「……うん、ありがとう……」

 

 優しい声に少しだけ元気を取り戻し、食蜂はゆっくりと立ち上がった。

 

 その時だった。

 

 バァァン!

 爆発的な衝撃音が、階段の壁にぶつかって跳ね返るように響き渡る。

 銃声とは明らかに違う、もっと大きくて重たい『破壊音』。

 

「今の音……っ⁉」

 

 反射的にドリーの肩に手を伸ばし、身を寄せる。心拍が跳ね上がるのを感じた。

 

「ドリー、ここは危ないから、今すぐ離れて頂戴」

 

 咄嗟に声を出した食蜂の口調は、珍しく緊張を滲ませていた。

 

「え、でも、みさきちゃんは?」

 

 ドリーが戸惑ったように問い返す。

 

「私は自分でなんとかするかr――」

 

 その言葉は最後まで続かなかった。

 不意に、視界がふわりと浮き上がる。

 

「――っ!?」

 

 次の瞬間、自分の背中と膝裏に何かが回されていることに気づいた。

 ……持ち上げられている。

 

 状況を理解するまで、少しの間を要した。

 けれど、すぐに現実が襲ってくる。

 

「ちょ、ドリー!? なにを……!?」

 

 頬がかぁっと熱くなる。そう、自分は今――お姫様抱っこされているのだ。

 しかも抱えているのは、あのドリーである。

 

「みさきちゃんはおくじょうにいくつもりだったでしょ? だから、わたしがはこんであげるよ」

 

 まるで何の疑問も抱いていないかのように、ドリーはきっぱりと言った。

 力強くもどこかほのぼのしたその声音に、食蜂は完全に言葉を失った。

 

「い、いや、あのね、これはさすがに……」

 

 抵抗しようとするが、案外しっかりした腕力に逆らえず、ただ抱えられたまま進んでいく。

 

「ちょ、待って、私の立場ってものがあるのよぉ!?」

 

 そう叫んでも、ドリーの足は止まらない。階段をぐんぐんと上がっていく。

 

(……なんで、こうなるのよぉ……!)

 

 顔を真っ赤にしながら、食蜂操祈は小さく肩を落とすしかなかった。

 けれど、どこかその瞳はほんの少しだけ、安心したようにも見えた。

 

 

     ◇

 

 

 病院の屋上。

 弓箭猟虎の目の前で、『少女』の翼から破壊の『閃光』が放たれようとした――その瞬間だった。

 

 ゴォォォオッ――!!

 

 上空から突如、凄まじい風の奔流が吹き下ろし、床に溜まった砂塵が激しく巻き上がる。

 立ちこめる煙の向こうに、人影が――見えた。

 まるで、二人の間に割って入るように。

 

(あ、れ……?)

 

 弓箭の脳裏に、あの日の記憶が蘇る。

 

 ――第四位に殺されかけた、あの瞬間。

 自分の眼前に現れ、身を挺して助けてくれた、あの『誰か』。

 

 ヒュゥゥゥ……ッ。

 風が収まり、舞っていた砂塵が静かに霧散していく。

 その中から――ゆっくりと、何かが姿を現す。

 

 ばさり、とベッドシーツで空気を叩くような音と共に、重力を感じさせない動きで、少女は弓箭の目の前に降り立った。

 

 左右に二つに結わえられた、紫がかった長い黒髪。

 白磁のように透き通った肌と、端正な顔立ち。

 その双眸には、どこか影を落としたような闇が、かすかに宿っていた。

 

 着崩した紺のブレザーに、風にひるがえる白いプリーツスカート。

 背中から大きく広がった、コウモリのような銀の翼。

 腰の後ろからは、矢印に似た尾が、ゆらりと揺れる。

 

 その姿は、さながら――悪魔。

 

 息を呑んだまま、弓箭は立ち尽くす。

 記憶の奥に焼き付いていた影と、目の前の光景が、重なっていく。

 ――姿が、重なる。

 

「あなた、は……」

 

 その背中を見つめながら、弓箭は、か細く声を漏らした。

 

「…………」

 

 悪魔の少女は、何も答えない。ただ、静かに前方を見据えている。

 その視線の先には、光の翼を広げた天使の『少女』が、静かに佇んでいた。

 

 金色に輝く、まばゆい瞳。

 闇を湛えた、暗い眼差し。

 

 天使と悪魔。

 光と影。

 

 ――両者の視線が、交差する。

 

 

 

「――なんとか、間に合ったようですね」

 

 凛とした声が、風に乗って響く。

 それと同時に、空中から風を纏ったもう一人の少女が、警策のすぐ隣へと軽やかに着地した。

 

 長く艶やかな黒髪が、ふわりと風に舞う。

 その身に纏っているのは、同じデザインの紺のブレザーと白いプリーツスカート。

 

 弓箭は、その姿に見覚えがあった。

 昨日、遊園地の倉庫で戦った、あの少女。

 『時間制御(クロノシフト)』とかいう能力を使うあの能力者である。

 

 警策の隣に並び立ったまま、時ヶ谷は静かに視線を前へと向けた。

 その先に立つ『少女』を見つめながら、彼女はわずかに目を細める。

 深紅の瞳に、驚きと、そして警戒の色がにじんでいた。

 

「……『あの時』と同じ。いいえ、それ以上の力を感じますわ。これは一体――」

 

 そう呟いて、ふと背後を振り返る。

 

 そこには、手足を縛られたまま、腹部から血を流して気を失っている佐天。

 その傍らで、ただ呆然と立ち尽くす弓箭。

 そして、膝をついたまま、傷ついた右腕を左手で押さえている白衣姿の女性の姿があった。

 

「……柊木先生」

 

 時ヶ谷がその名を呼ぶと、女性はゆっくりと顔を上げた。

 

「警策……それに時ヶ谷、か」

 

 苦しげな息を吐きながらも、柊木は淡々と応じる。

 

「…………」

 

 その一瞬で、動きがあった。

 時ヶ谷の姿が消える。次の瞬間、彼女は佐天の傍らに膝をついていた。

 ようやく事態を把握したのか、弓箭が戸惑いの声を上げる。

 

「ちょ……何を――」

「お静かになさってくださいまし」

 

 時ヶ谷は振り向かずに、静かに制した。

 彼女はすぐに佐天の傷口を確認する。

 

「……幸い、急所は外れていますわね。これなら――」

 

 そう呟いた、その時だった。

 ひゅう、と小さな風切り音。

 

 佐天の腹部にそっと触れた時ヶ谷の手元から、微かな風とともに小さな物体が飛び出した。

 それは、血に濡れた小型の銃弾。

 時ヶ谷は、風の流れを使って内部からそれを強引に引き抜いたのだった。

 

 すると次の瞬間――

 まるで映像を巻き戻すかのように、佐天の傷口がみるみる塞がっていく。

 

 弓箭は、ただ茫然とそれを見つめていた。

 

「佐天、さん……?」

「『時間制御(クロノシフト)』で細胞の再生速度を加速させ、傷の回復を早めましたわ。ですが、失われた体力までは戻りません。念のため、お医者様にお任せしたほうがよろしいかと存じます」

 

 それから、再び風がうねった。

 時ヶ谷は一瞬で佐天のそばを離れ、今度は柊木のすぐ目の前に現れる。

 膝をつく彼女の顔を、間近からのぞき込むようにして。

 

「先生、もしよければ……その傷、癒しますわ」

 

 差し出された赤黒い血で汚れた白い手には、さきほど佐天を救った力が宿っていた。

 

「要らない」

 

 その言葉は即座に、そして冷たく返ってきた。

 柊木は血で赤黒く染まった右腕を左手で押さえたまま、視線すら動かさない。

 

「――どのみち、この街は……もうすぐ滅びる」

 

 それは、まるで宣告だった。

 その声音にこもった疲弊と諦め。

 

 深く落ちくぼんだ瞳には、生の執着など微塵も見られなかった。

 まるで、この世界そのものを見限った者の顔。

 

「………先生に、そんな大きな目的があったのですか」

 

 時ヶ谷の声には、どこか掠れた哀しみが混じっていた。

 

 柊木は、わずかに口角を歪めて笑った。

 

「いや、ただの復讐だよ」

 

 その呟きは、あまりにも静かで、それでいて猛毒のように重かった。

 

「私の過ちと共に、この街は――消し去られる。私を、そして……『あの子』を、見殺しにしたこの街そのものが、ね」

 

 時ヶ谷の瞳が揺れる。

 何かを思い出すように、あるいは信じたくないものを否定するように。

 

「そんなこと……紗綾さんは望んでいるとでもお思いですの?」

 

 その名を口にした刹那、柊木の目が大きく見開く。

 

「こんなことをしても、紗綾さんはもう――」

「貴様が……その名を呼ぶんじゃないわよ!?」

 

 柊木が爆ぜるように怒鳴った。

 今まで冷静だった表情が、一変する。

 

 血走った目で、まさに『敵』を見るように、時ヶ谷を睨みつける。

 それは、彼女の中でいまだ色濃く生きる、

 『紗綾』という存在への執着――あるいは、後悔の炎だった。

 

 時を同じくして、屋上の扉が再びバーンと大きな音を立てて開け放たれた。

 全員の視線が、突然開け放たれた扉へと一斉に向かう。

 

 そこに現れたのは、蜂蜜色の髪をなびかせた少女をお姫様抱っこにした、もう一人の少女だった。

 長い茶髪を風になびかせながら、彼女は堂々と屋上へ足を踏み入れる。

 

「――ドリー、そろそろ下してもらえないかしらぁ?」

「あ、うん」

 

 彼女が地に足をつけたその瞬間、風がふわりと吹いた。

 まるで、この再会を歓迎しているかのように。

 

 食蜂操祈は、屋上に居並ぶ面々をゆっくりと見渡した。

 視線に揺らぎはない。

 

 その場にいるのは、警策、時ヶ谷、柊木、佐天、弓箭――そして……

 屋上の端に静かに佇んでいる、一人の『少女』。

 

 背には光の羽根。

 無機質な無垢さと、神性を帯びた静けさを同時に纏った、その存在。

 

 食蜂の瞳が、わずかに細まる。

 その唇から、ため息のような一言が零れた。

 

「……なんか、思ったより大所帯だわぁ」

 

 軽口を叩きながらも、警戒は解かない。

 彼女の視線が最終的に止まったのは、やはり、あの天使の『少女』だった。

 蜂蜜色の髪がそよぐ中、食蜂はぽつりと呟く。

 

「――あれが……『才人工房(クローンドリー)最大の禁忌』、ってわけねぇ」

 

 一方、隣に立つドリーはというと――

 

「……あ、みーちゃんもいたんだね!?」

 

 ぱっと花が咲いたように笑みを浮かべ、屋上の中央にいた警策へ手を振る。

 だが、その視線はすぐにその背後へと滑った。

 そこに佇んでいたのは、光の翼を広げた一人の『少女』――

 

「……って、あのこ……」

 

 その声が、かすかに震えた。

 

「きのう、ユーエンチであった!」

 

 次の瞬間、空気が鋭く張り詰めた。

 まるでその声を合図にしたかのように、『少女』の翼が音もなく大きく広がる――攻撃の前触れ。

 一同の視線が一斉に『少女』へ集まり、場の温度が急激に冷え込んだ。

 

「っ――!?」

 

 ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。

 最初に反応したのは、警策だった。

 

 ゴォォォォォッ!

 銀の翼を大きく羽ばたかせ、竜巻のような風圧を一気に巻き起こす。

 その風が『少女』を包み、そのまま空へと打ち上げた。

 

「看取さん!?」

 

 背後から食蜂の声が飛ぶ。

 警策は振り返らず、ただひと言。

 

「操祈ちゃん、ドリーは頼む。コイツは――私がなんとかする!」

 

 言葉を置いて、警策は再び翼を羽ばたかせ、少女が吹き飛ばされた空へと飛翔した。

 

 無論、今の一撃で『少女』を倒せるとは思っていない。

 警策が竜巻を放った真の目的は、戦場を病院の屋上から空中へと移すためだ。

 

 この場であの『閃光』が放たれれば、被害は計り知れない。

 病院にはまだ大勢の人間がいる――その中にドリーも。

 巻き込まれれば、それこそ元も子もない。

 

 『少女』のもとへ飛び込む最中、警策はふと、思った。

 ――今、自分がしていることは、どれほど皮肉なことか。

 

 かつて自分は、復讐のために一人の少女を利用し、この街を滅ぼそうとした。

 その自分が今、まさか『この街を守る側』に回る日が来るとは。

 

(……ホント、ガラじゃないっつーの)

 

 正直、この街がどうなろうと知ったこっちゃない。

 けれど、その中に『あの子』がいるのなら、話は別だ。

 

 それに、何より――

 この事態の発端は、間違いなく自分にある。

 

 『少女』が長い眠りから目覚めたのは、自分があの廃施設に潜入したのがきっかけだった。

 遊園地で傍観せず、最初から弓箭たちを助けていれば、あの子が力を使うことも、副作用で倒れることもなかった。

 

 ――もし、あの時。

 一つでも、違う選択をしていれば。

 

 そう思わずにはいられない。

 これは間違いなく、自分の『過ち』だ。

 

(……あのコを見殺しにしたこの街は、大っ嫌い。でも――)

 

 静かに、警策は唇を嚙みしめる。

 空へと舞い上がる風の中、その瞳には強い決意が宿っていた。

 

(あのコを救えず、間違えてばかりいる『私自身』が……もっと嫌い!)

 

 『少女』を救うことができれば、ほんの少しだけでも――この胸に残る無念が、和らぐような気がした。

 それがただの自己満足にすぎないことなど、とうに自覚している。

 

 けれど、だから何だというのだ。

 大義名分じゃなくても、人は動ける。

 誰かのためにと願う心があれば、人はきっと――主人公(ヒーロー)になれる。

 

 破壊の閃光をまき散らす、哀れな『天使』を救うために。

 かつて『悪魔』とまで呼ばれた少女は、今、真っ直ぐに立ち向かった。

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