とある暗部の才人工房   作:雨宮ヒトシ

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Phase2「潜入 -インフィルトレイション-」

「……ここ、カナ?」

 

 警策は第七学区の外れにある廃研究施設を見上げながら呟いた。

 手持ちのタブレットでインターネットの掲示板やSNS、そして暗部に通じる特殊な情報源を駆使し、少しずつ情報のピースを集めた結果、目撃談の多い場所が4件ヒットした。

 その1件と思われる研究施設にたどり着いた時、目の前に広がったのは、時の流れに取り残されたかのような荒廃した建物だった。

 

 錆びついた金網フェンスが敷地を囲み、外壁は剥がれ落ちた塗装とひび割れで覆われ、長年放置されたことが一目でわかる。

 いくつもの窓は割れ、黒ずんだガラスの破片が無造作に地面に散らばっている。

 

 建物の上部にはかつては施設の名前が掲げられていたであろう看板が残っていたが、今は文字が消えかかり、その役割を果たすことなく朽ち果てている。

 

 どこからどう見ても人気がないように見えるからこそ、より一層『暗部』との繋がりが疑われる。

 廃れた研究施設は、既に機能を停止していると思われているため、目立たず隠れ場所として理想的だ。

 

「……入ってみるか」

 

 そう軽く呟いた直後だった。

 

 次の瞬間、それに呼応するかのように、警策の肩口から背中にかけて微かな揺らめきが生じる。

 銀色の液体が、まるで何もない空間から突如現れたかのように、ゆっくりと凝縮し、金属的な光沢を帯びながら実体化していく。流れるように形を変え、コウモリのような翼と矢印に似た尾を形作った。

 その翼は、静かに空気を切り裂きながら、彼女の背にしなやかに収まっていった。

 

 ナノ粒子化。

 一見手品のように見えるそれには、こういう精緻なメカニズムが仕込まれている。

 液体金属を超微細なナノ粒子に分解し、宙に浮遊させることで、目に見えない形で持ち歩くことができる。必要な時に通常のサイズに戻し、瞬時に翼や尻尾を展開させる。

 

 金属の分子レベルでの構造を操作できる警策には、分子の結合や配置を自在に変更することができるため、液体金属をナノサイズにまで細かく分解することも可能な訳だ。

 とはいえ、顕微鏡レベルの精密作業がゆえに、この方法で一度持ち運べる量には限度がある。

 

(ま、いざとなったら空から直接降らせることもできるしね)

 

 ばさり、と巨大な翼を羽ばたかせた瞬間、彼女の周囲の空気が一気に押し出され、砂埃が巻き上がる。

 そのまま一気に金網フェンスを飛び越え、空中を鋭く切り裂くように加速し、瞬く間に廃施設の屋上へ静かに降り立つ。

 古びたコンクリートは年月を経て風雨にさらされ、所々崩れかけていた。

 

(まずは建物の全体図を把握しといたほうが良さそうだね)

 

 警策はしばらく目を閉じ、周囲に意識を集中させた。

 反響定位(エコーロケーション)──微細な音波を放ち、その反響から空間の構造や物体の位置を瞬時に把握する能力が作動する。音波は壁や地面に反射し、彼女の脳内に建物全体の詳細な設計図を描き出した。

 否、それだけではない──

 

「……呼吸、体の動き、心拍音、人がいるじゃない」

 

 建物の奥深くで、複数の人間が動いているのが分かった。巡回しているか、特定の部屋に待機しているかはまだ不明だが、廃施設とはいえ、この場所が無防備ではないことが明確だった。

 

 警策は液体金属のナノ粒子を静かに変化させ、先ほどファミレスで『聞き耳』として使っていた小型の人形を手元に再び作り出す。

 その小さな銀色の人形は、まるで生物のように警策の指先で軽く動き、彼女の意志に従って周囲を探り始めた。

 

(さて、見張りの配置を確認しようか)

 

 人形は軽く腕をしならせて屋上の通風口に切り込みを入れ、強引に入口を作って中に入り込んでいく。

 人員の動きや巡回ルートを把握するために、人形を施設内部の細かな隙間に潜ませて情報を集め始めた。

 

反響定位(エコーロケーション)が捉えたのは…四人か。想像よりは少ないけど、油断禁物ね)

 

 ただ、一つ気になることはといえば、

 

「常に動き回ってる三人が見張り役だとすれば、残りの一人……、全然動きがないヤツがいるね」

 

 まるで、そこに監禁されているみたいに、という言葉を呑み込む。

 

「お仕事の時間だね」

 

 一通り情報収集を終えた警策は、静かに屋上から身を滑らせ、施設の内部へと侵入する。

 

 

 

 

「……面倒なことになったみたいッスね」

 

 その時、廃施設の一室で青髪の少年がパソコンのモニターを凝視しながら呟いていた。

 廊下の角に設置された監視カメラが、見知らぬ侵入者の姿を捉えた映像がそこに映っていた。

 

 どこの学校の制服か、紺色のブレザーに大きく胸元を開け、プリーツスカートを纏ったその人物は、一見すると女子高生、あるいは中学生のように見えた。

 紫がかった長い黒髪は二つに結わえられ、端正な顔立ちながら、そこに鎮座する暗い双眸は、見る者にどこか微かな闇を匂わせる。

 

「…………」

 

 少年は、どこか無気力な雰囲気を纏っていた。その顔には感情の起伏が見られず、終始無表情を保っている。

 画面に映る侵入者の姿に目を凝らし、冷静に状況を分析しようとした。パソコンのモニターが青白い光を放ち、彼の隈のひどい目つきを照らし出す。

 

「侵入者……か」

 

 彼の思考は、目の前の状況を整理することから始まった。警戒する必要があるのは明白だった。

 しかし、その感情を持つことすら面倒だと感じてしまう自分に、嫌気が差す。彼は、どこか遠くの出来事のようにその状況を捉え続けた。

 

(……背中に生えてる翼とスカートの内側から伸びてる尻尾は能力か?今まで見たことのないタイプッスけど)

 

 ポケットから携帯電話を取り出し、指先で画面を滑らせ、二つの番号を順番に押した。

 

「施設に侵入者がいる。監視カメラで確認した。対処が必要ッス」

 

 施設に滞在しているほかの二人に同じ指示を出し、電話を切ると、青髪の少年は監視モニターを凝視し続けた。

 

「……念の為『上』にも連絡を入れた方がいいかもッスね、どうせまた面倒なことになるけど」

 

 しばらく逡巡した後、彼はもう一つの番号に手をかけることにした。

 プルルル、というコール音が数秒響いた後、回線がつながった。

 

「……もしもし、時ヶ谷(ときがや)さん。こちら蒼石(あおいし)ッス」

 

 

     ◇

 

 

 警策は、暗い廃施設の廊下を進みながら、周囲の静寂に耳を澄ませていた。

 

(……来たわね)

 

 反響定位(エコーロケーション)が近くに潜む気配を捉えていた。おそらく陰から奇襲をかけようとしているだろう。

 向こうは隠れているつもりかもしれないが、あいにく警策にはバレバレだった。

 警策はあえて気づかないふりをし、まるで無防備な様子を装った。目線を前方に固定しながら、ゆっくりと足を進める。

 

(これでどう動くか、見物ね)

 

 しばらくして、期待していた通り、背後の廊下の陰から黒髪の少年が姿を現した。彼は急いで何かを取り出し、警策に向けて投げつける。

 その瞬間、警策はすでに動き出していた。

 

「おっと、危ない危ない」

 

 洗練された優雅な動きで身をかわし、冷静な眼差しで黒髪の少年を見据える。少年の驚きと焦りが、彼女の目にはすぐに映った。

 投げられた暗器は標的を逃し、壁に突き刺さっていた。よく見たらそれはクナイだった。

 

「サー、どうするの?もう一度、投げてみない?」

 

 警策は挑発するように言い放った。

 彼女はあえて監視カメラに姿を晒し、敵の行動を誘導していた。わざと隙を見せることで、次の一手を限定させれば、対処も容易い。

 警策は黒髪の少年の動きを見定めていた。奇襲に失敗した少年は、素早い動きで大きな音を立てずに迫ってくる。

 

(この動き、まるで忍者みたいね)

 

 警策は心の中で呟き、冷静さを保ちながら迎撃の構えをとった。少年がわずかな距離を一気に詰めてきた。

 

「喰らえ!!」

 

 少年は叫びながら、クナイを振り上げ、警策の胸の真ん中を狙う。

 

 甲高い音があった。

 すなわちクリーンヒットではない。少年のクナイに合わせる形で、警策は一本のナイフを構えて鍔迫り合いしていた。

 

 警策は冷静に少年の目を見据えた。クナイとナイフが接触し、金属同士が擦れ合う甲高い音が響く。その瞬間、少年の力強い叫びに対抗するかのように、警策はさらに力を入れて押し返した。

 

「くっ……!」

 

 黒髪の少年は、押し戻されながらも素早く後退し、次の一手を考える。彼は動きにくい廊下の中で、俊敏に体を翻し、今度は斜めから再度攻撃を仕掛けた。クナイが巧妙に回転し、狙いを警策の脇腹へと変えた。

 

「イイ動きね、でも甘い」

 

 警策はその攻撃を察知し、横に身をかわす。少年のクナイは空振りに終わり、警策は一瞬の隙を突いて彼の背後へ回り込んだ。

 黒髪の少年は反射的に身を捻り、警策のナイフが届かない位置で回避する。

 

「ここだ!」

 

 少年は素早くクナイを逆手に持ち替え、振り下ろそうとするが、警策は冷静にその動きを読んでいた。彼女はすぐさま少年の手首を掴み、力を込めて捻り上げる。少年は驚きと痛みの声を上げ、クナイを落とさざるを得なかった。

 

「無駄な抵抗だよ」

 

 警策は軽やかに少年の動きを制圧する。彼女はナイフを彼の脖元に近づけるが、その表情は冷酷ではなく、どこか余裕を持った微笑みが浮かんでいた。

 

「痛めつけるつもりはないわ、大人しくしていればね?」

「……どうだろうな」

 

 その時だった。

 

「う、動くな!」

 

 いつの間にか、警策の背後に拳銃を構えた金髪の少年が彼女の後頭部に狙いを定めていた。

 ただ、銃を握る手がブルブル震えていて、今にも手から滑り落ちそうなほどおぼつかなかった。

 

「……ナルホド、アンタは陽動だったって訳ね」

 

 警策は振り返らずに、目の前の黒髪の少年から目を離さない。

 

「……頼む、先輩を逃してくれ。俺を、人殺しにしないでくれ」

 

 金髪の少年は、震える手で拳銃を警策に向けながら、懇願の言葉を吐き出した。彼の目には恐怖と動揺が浮かんでいる。

 

「……撃ちたければ撃てば?」

 

 警策は冷淡に返す。

 その声には、緊張感がまるで感じられない。

 

 「撃て、バカ!」と黒髪の少年が叫ぶ声が耳に届く。

 

 その言葉は、金髪の少年に一瞬の勇気を与える。しかし、すぐにそれが消えていくのを感じた。

 黒髪の少年の促す声が聞こえても、どうしても引き金を引くことができない。金髪の少年は、手が震えるのを抑えきれず、指が硬直している。

 

(どうする? どうすればいい?)

 

 金髪の心の中で、先輩を守りたい気持ちと、自分の恐怖がぶつかり合う。

 その瞬間、金髪の手元が狂った。まるで自分の意思とは無関係に、弾が発射される。

 

 バーン!!

 暗い廊下に銃声が木霊する。

 

 だが、その鉛弾が警策の身体を貫くことはなかった。

 瞬時に展開された金属質の翼が、弾丸の軌道を遮る。

 鋭い衝撃音が背後で弾け、火花が散った。

 

「……もう一度撃ってみな?」

 

 金髪は、弾を込める手が震え、全身に恐怖が広がる。彼の心は混乱の渦に飲み込まれ、何も考えられなくなる。

 

(先輩を……助けなきゃ。だけど、俺が人を殺すなんて……)

 

 その葛藤の中で、金髪は決意を固めようとするが、心の奥で何かが崩れ落ちる感覚があった。

 

「どうせ撃てないっしょ?」

 

 警策が問いかけるその瞬間、金髪は再び手が震えるのを感じた。

 

「な、何!?」

 

 金髪が二発目の弾を込める前に、警策は素早く尾を振りかざしていた。金属質の尻尾が空気を切り裂き、少年の拳銃を奪い取った。

 失った銃が空中で静止する中、彼は尻餅をつくように地面に崩れ落ちた。

 

 

     ◇

 

 

「……ん?」

 

 青髪の少年――蒼石優太がうっすらと目を開けると、暗い部屋の中、背中に感じるのは他の二人の体温だった。ぼんやりとした意識が徐々に鮮明になると、自分と他の二人──黒髪と金髪の少年が背中合わせに縛られていることに気づく。

 

海藤(かいとう)さん…それに花村(はなむら)くん?」

「……あっさりやられたもんだな」

「……お役に立てずにすみません、先輩」

 

 呼吸の音が近く、かすかにお互いの動揺が伝わってくる。

 蒼石は不快感と不安に苛まれつつも、どうにか自分の手を動かそうとしたが、まるで鉄の枷をはめられたかのように手がほとんど動かない。銀色の金属光沢を帯びる鎖状の拘束具はしっかりと行動を封じていて、逃げ道は見えない。

 

「……なんだ?」

 

 頭の中で状況を整理しようとしたが、モヤがかかったように思い出せない。最後に覚えているのは、監視カメラ越しに、侵入者を見張っていたことだ。それから、急に背後に冷たい気配を感じた──その後の記憶が途切れている。

 

「起きたかしら?」

 

 不意に静かな声が響いた。視線を向けると、そこには警策が立っていた。冷静な表情で、三人をじっと見下ろしている。蒼石は、冷たい汗が背筋を伝うのを感じた。

 

「……君がやったのか?」

 

 警策は無言で小さくうなずきながら、一歩前に出た。

 

「アンタが見ていた侵入者……私自身は囮だったのよ。最初に屋上にたどり着いた時点で、小型の人形を施設内に忍び込ませておいた──アンタのいた部屋にもね」

「…ってことは」

 

 顔を強張らせながら、蒼石は後を続ける。

 

「……背後から、気絶させられたんスか?」

「アンタが監視に夢中だったからね。人形が背後から忍び寄って、アンタの首筋に軽く触れるだけで十分だったわ」

 

 警策は淡々と説明しながら、蒼石の表情を読み取るように見つめている。無感情に近いその目は、焦りや恐怖を映していないように見えるが、その奥には微かな混乱が垣間見えた。

 蒼石は周囲を見回しながら、薄暗い部屋の様子を確認した。コンクリートの壁に囲まれた無機質な空間。窓はなく、唯一の扉も頑丈そうな鉄製だ。見たことのない場所だった。

 

「……ここはどこだ?」

 

 蒼石が問いかけると、警策は少しだけ微笑んだ。

 

「この施設の隠し部屋よ。反響定位(エコーロケーション)を使って、壁の向こうにあった空洞を探り当てたの」

「隠し部屋……?そんなの聞いてないッスけど……」

 

 蒼石の眉がかすかに動いた。彼はこの施設で監視カメラの管理を任されていたが、隠し部屋の存在など一度も知らされていなかった。

 警策はそんな彼の反応を見て、さらに確信したように口を開く。

 

「ヤッパリ、アンタたちはこの施設の見張りに過ぎない。『上』からは大した情報を与えられていないのね。まさに下部組織ってワケ」

 

 その言葉に、青髪の少年は言葉を失った。

 確かに、こんなボロボロの廃施設の見張りを任された時点で、何か裏があるとは感じていた。それでも、あえて深入りしようとはしなかった。下手に知りすぎれば、いつか口封じされるかもしれない――そんな不安が、常に胸の片隅にあった。

 

 蒼石は、自分たちが拘束されている部屋の中をじっと見回していた。朽ち果てた廃施設の中に、こんな場所が隠されていたとは思いもしなかった。

 そして、警策が指差した先に目を向ける。

 

「……あれは……」

 

 そこには、無機質な銀色の装置が置かれていた。冷たく光るその表面は、まるで最新鋭のテクノロジーがそこに鎮座しているかのようだった。そして、その装置の中に、静かに眠る一人の少女の姿があった。

 絹のように艷やかな長い髪。透き通るように白い肌。少女の姿は、まるで時間が止まっているように見えた。

 

「コールド、スリープ……?」

 

 蒼石が声を震わせた。

 警策は黙って頷いた。

 

「望み薄だと思うケド、アレについて何か知らないかしら?」

 

 蒼石は首を横に振り、無表情のまま答えた。

 

「いいえ、僕は全然」

「そうか……」

 

 警策は考え込むように装置を見つめた。コールドスリープの装置は、専門的な知識がなければ解除するのは難しいだろう。

 

「とりあえず、カイツちゃんに連絡して解除できる方法を聞き出さなきゃ──」

 

 

 

「そうはいけませんわ」

 

 

 

 その時、背後から女の子の声が響いた。

 警策は一瞬で振り返った。

 隠し部屋の入口には、いつの間にか一人の少女が立っていた。

 

 歳は一四か、否、一五かもしれない。

 陶磁器のように白い肌。どこか妖艶さを漂わせる真紅の目。腰まで届く漆黒の髪は、まるで時間の流れそのものを包み込むかのように静かに揺れていて、彼女の周囲に漂う気品と冷静さをさらに際立たせていた。

 紺色のブレザーに白のプリーツスカートを身にまとい、そのシルエットは中学生とは思えないほどのグラマラスさを描き出す。

 

 黒髪青髪金髪三人組が仲良しこよしに一斉に叫び出した。

 

「時ヶ谷!?」「時ヶ谷さん!?」「時ヶ谷先輩!?」

「…………」

 

 警策は少女の制服に見覚えがあった。

 というか、自分の着ているのとは全く同じデザイン。

 常盤台と居並ぶ能力開発の名門校・霧ヶ丘女学院、その付属中学のものである。

 否、見覚えがあるのは服装だけではない──

 

「……時ヶ谷、凛音(りんね)

「あらあら、わたくしのことをご存知でいらっしゃいま…」

 

 ピタリと言葉が途切れる。

 時ヶ谷、と呼ばれたその少女も何か気づいたのか、しばらく警策を注意深く観察した後、面白そうに笑った。

 

「これはこれは、警策さんじゃありませんか?髪型も雰囲気もずいぶんとお変わりになりましたゆえ、少々しっくり来ませんでしたけれど」

「時ヶ谷……って青髪のヤツが言ってたとき、まさかと思ってたケド、ホントにアンタだったとはね」

 

 時ヶ谷凛音は、冷ややかに微笑んだ。赤い目がじっと警策を見つめ、その目には何か挑発的な光が宿っている。

 

「ここでまた会えるとは思いませんでしたわねぇ、警策さん」

「アンタこそ、暗部で何してるのよ?昔のアンタからは想像もつかないわね」

「それはお互い様ですわ」

 

 警策は肩をすくめながら軽く返したが、時ヶ谷は一歩前に踏み出し、なおも言葉を続ける。

 

「ところで……警策さん、あのときのこと、後悔していませんの?──霧ヶ丘中学を退学なさった時のことを」

 

 警策の瞳が一瞬だけ揺らいだ。だが、すぐに冷静を装い、表情に変化を見せないよう努める。

 

「後悔? 何の話かしら?」

「ふふ、そうおっしゃいますのね。でも、わたくしにはわかりますわ。貴女はあのとき、霧ヶ丘の頂点に立つことができたのに、自らその場所を捨てました。今になって振り返ると、後悔しているんじゃなくて?」

 

 時ヶ谷の言葉はまるで剣のように鋭く、警策の胸に突き刺さるようだった。彼女は平静を保とうとしたが、内心では当時の記憶がよみがえり、心の中を掻き乱していた。

 

 才人工房(クローンドリー)での出来事にせよ、霧ヶ丘中学での退学にせよ、警策はこれまで築き上げてきた全てを、とある少女のために幾度も捨ててきた。

 罪を犯し、学園都市の闇の底に落ちようとも、その信念は揺らがない。警策は、失うものが増えるほど、その信念をより一層貫こうとしているかのようだった。

 

 警策は静かに拳を握り締めて、

 

「……私は、一度だってあの決断を後悔していないわ」

 

 そう答える彼女の声は冷静そのものだったが、その目の奥には微かに揺れる感情が見え隠れしていた。

 

「……そんなコトより、あのコは一体何者?」

 

 警策はコールドスリープ装置の中で眠る少女に目をやりながら問いかける。

 時ヶ谷はわずかに目を細め、微笑を浮かべた。

 

「あら、彼女にご興味がおありですの? まぁ当然ですわね、ここまでたどり着いた以上、気になるのも無理はありませんわ」

 

 時ヶ谷は少女に近づき、装置の表面を優雅に撫でるような仕草を見せた。その動きにはどこか冷たさが感じられたが、その瞳には微かな光が宿っていた。

 

「彼女は……そうね、言うなれば『鍵』ですわ」

「かぎ?」

 

 警策は疑念を抱きながら、時ヶ谷の言葉を待った。しかし、時ヶ谷はすぐには答えず、興味を引き延ばすように一呼吸置いてから続けた。

 

「彼女の存在は、私にとって非常に重要なものですの。ここで眠っている理由、それがわかれば、きっと貴女にも理解できるでしょう。でも、今のところはまだ教えて差し上げませんわ。貴女も、その答えを自分で探してみるのも一興ですわよ」

「…………」

 

 その言葉に、警策は少し考えた後、

 

「……『才人工房(クローンドリー)最大の禁忌』って、コイツのコトか?」

「さぁ、どうでしょう?」

 

 問い詰めるように尋ねると、時ヶ谷はくすくすと笑った。

 

「その『鍵』が開く扉は、いずれおわかりになりますわよ」

「デモデモ、私はそんなに気長に待っていられるほど暇じゃないよ?」

 

 警策はコールドスリープ装置に眠る少女……ではなく、時ヶ谷に向かって一歩を踏み出した。

 

「アンタとの再会は『予想外』だったケド、ここからは『予定通り』に行かせてもらうわよ」

「よてい……どおり?」

 

 時ヶ谷は少し首をかしげたが、すぐにその意味を理解したらしく、

 

「あぁ、そういうことでしたか。やれやれ、これは一本取られましたわね」

 

(どういうこと?)

 

 最初に疑問を抱いたのは、拘束されたまま二人のやり取りを眺めていた蒼石だった。

 だが、その疑問は瞬く間に戦慄へと変わった。

 

 これまで警策の言っていたことが、走馬灯のように蒼石の脳裏を駆け巡り、それらがジグソーパズルのピースがはまっていくように、全てが繋がり始めた。

 

 ──アンタが見ていた侵入者……私自身は囮だったのよ。最初に屋上にたどり着いた時点で、小型の人形を施設内に忍び込ませておいた──アンタのいた部屋にもね。

 

 よく考えてみれば、確かにおかしな話だった。

 最初から人形を施設に忍ばせていたなら、わざわざ本人が囮役になるなんて、回りくどい真似をする必要はない。

 見張りの配置が分かっていたなら、蒼石の時のように、背後から人形を近づかせて他の二人も不意打ちで気絶させれば済む話だったはずだ。

 

 ──ヤッパリ、アンタたちはこの施設の見張りに過ぎない。『上』からは大した情報を与えられていないのね。まさに下部組織ってワケ。

 

 彼女は最初から、蒼石たちが目ぼしい情報を持たない下っ端だと見抜いていた。

 

 ──時ヶ谷……って青髪のヤツが言ってたとき、まさかと思ってたケド、ホントにアンタだったとはね。

 

 さらに、彼女の口ぶりからすれば、蒼石が時ヶ谷に電話をかけた時点で、人形はすでにその部屋に潜んでいた。やろうと思えば、いつでもそれを止めることができたはずだ。

 それをあえてしなかった理由があるとすれば──

 

(……情報を持つ『上の連中』をおびき出すために、僕に増援を呼ばせたかったッスか!?)

 

「でも、それは……」

 

 蒼石の理解が追いつく頃、時ヶ谷の表情には微塵の動揺も見られなかった。

 むしろ、その口元には好戦的な笑みが浮かんでいた。

 時ヶ谷は静かに腕を上げて、

 

 

 

「このわたくしを倒してからのお話ではありませんこと?」

 

 

 

 直後だった──

 

 ザァァァッ!

 耳をつんざくような風の音が、空気を切り裂きながら警策に襲いかかる。

 警策は即座に反応し、翼を大きく広げると力強く羽ばたいた。逆方向に烈風が巻き起こり、二つの風が激しくぶつかり合う。

 

 ゴォォォォッ!

 風の衝突で周囲の空気が歪み、廃れた施設全体が揺れ始める。壁や床が軋みを上げ、まるで崩れ落ちそうな雰囲気が漂う。巻き上げられた瓦礫が宙を舞い、衝撃波が四方に広がっていく。

 

「逆風で攻撃を打ち消すとは……さすがですわね」

「そういやお手合わせは初めてだったわね」

 

 だが、完全に相殺されたわけではない。残った乱流が互いに押し合いながら、四方へと吹き荒れていた。

 時ヶ谷はその隙を見逃さず、一瞬にして警策の元へと接近し、至近距離から鋭い真空刃を放つ。

 

 ザシュッ、バサッ、ドンッ!

 空気を切る音、羽ばたく音、激しい衝突音が立て続けに鳴り響いた。

 警策は自由に動かせる二つの翼を盾にし、風の刃を防いでいた。

 

 直後、銀の尾が空気を引き裂いた。

 時ヶ谷は素早く横に飛び退く。

 

 その瞬間、尾が床を捉え、轟音と共に土煙が舞い上がった。狙いは彼女自身ではなく、足元の床だった。

 もし時ヶ谷が防御を選んでいたら、崩れた床に足を取られ、転倒していたことだろう。

 

 そして、警策は一々待たなかった。

 ナノ粒子を凝縮させると、鋭い金属矢が次々と生成され、時ヶ谷に向かって放たれる。

 

 時ヶ谷は瞬時に風を操って、強固な障壁を作り出した。

 金属矢の群れが障壁に触れた瞬間、激しく衝突し、耳をつんざくような音が響き渡る。

 

 その僅かな隙に、警策は一気に距離を詰め、銀の剣を生み出した。

 

【挿絵表示】

 

 飛び散った金属矢を剣に結集させ、長さ約四メートルの巨剣を形成する。そのまま、思いっきり時ヶ谷に向かって斬りかかる。

 

 ザシュッ!

 銀の巨剣と風の障壁が拮抗し、周囲に強烈な圧力が渦巻く。

 時ヶ谷は風の力を全力で集中させるが、床がひび割れ、崩壊の兆しを見せ始める。

 このまま障壁が剣を防いだとしても、その衝撃で周囲の床が割れ、時ヶ谷自身も体勢を崩す危険性がある。

 

 判断は早かった。

 

 ボンッ!

 時ヶ谷は風の障壁を爆発的に解放する。

 轟音と共に、圧縮された風が放出され、周囲の空気を一気に吹き飛ばす。その衝撃波は警策の巨剣を押し返す力となった。

 

 時ヶ谷はその場でくるりと身を翻し、さらに風の勢いを増して攻撃を仕掛ける。

 警策は剣でその攻撃を捌きつつ、間合いを詰めながら時ヶ谷に対抗する。

 

「やるじゃないか、時ヶ谷。少々見くびってたようね」

「うふふ、警策さんこそ……出し惜しみは感心しませんわね。その気になれば今の十倍の出力が簡単に出せたはずでしょうに」

 

 真紅の瞳が狂喜に満ち、笑みが一層深まる。

 普段の淑やかなお嬢様とはまるで別人のように、戦闘に身を委ねるその姿はまさに戦闘狂のそれだった。

 

「さぁ、全力を見せてちょうだい──『暗部の悪魔』さん!」

「……久々にその呼ばれ方したわね」

 

 二人の間で激しい接近戦が繰り広げられ、その度に風がうねり、金属の響きが施設内にこだました。

 

 三人の少年たちは拘束されたまま、ただじっと戦いの様子を見つめていた。

 

「おい……なんだこの化け物じみた戦いは……」

 

 金髪の少年──花村が怯えた声でつぶやいた。

 

「…………」

 

 蒼石は冷静を装いつつも、その目には驚愕の色が隠せない。

 

「『暗部の悪魔』って、まさかあの……?」

「何ですか、その物騒な二つ名」

 

 花村が眉をひそめて尋ねると、答えたのは黒髪の忍者少年──海藤だった。

 

「そうか、お前新入りだから知らねぇのか……あの人、暗部じゃかなり有名人なんだ」

 

 海藤が少し息を整え、話し始める。

 

「今から一年ほど前、『窓のないビル』襲撃事件って知ってるか?」

「……ええっと、確か何者かが統括理事長を狙った事件、でしたっけ?」

「そうだ。あの時、暗部全体が動員され、俺ら下部組織は一時機能不全に追い込まれていたんだ」

「へえ、そんな大事件があったんですね。大勢の能力者が一斉に暴れたとかですか?」

「違ぇよ。犯人は、たった一人だったそうだ」

「たった一人!?マジかよ……」

 

 花村の目が大きく見開かれる。

 海藤はその反応を無視して続ける。

 

「結局、上層部の介入と、『暗部の天敵』とかいう第六位の活躍で事件は終息したらしいが……聞いた話じゃ、迎撃部隊の九割が再起不能になるまで追い詰められたらしい。だから……」

 

 蒼石が海藤に続いて静かに言う。

 

「だからこそ、『暗部の悪魔』なんてあだ名がついたんッスよ。暗部(こっち)では、あの人はもはや都市伝説みたいなもんッス」

 

 蒼石は一拍置いて、さらに低い声で付け加えた。

 

「『暗部の悪魔』と出会った組織は、奴の手で滅ぼされるか、仮に生き延びても……『呪い』のように時間をかけて、いつか必ず滅ぶ、と」

「うわっ、なにそれ怖っ」

 

 花村は怯えた声で反応し、すぐさま激戦を繰り広げる二人の少女に目をやった。

 

「ってことは、時ヶ谷先輩と戦ってるのって、その『暗部の悪魔』ってことでいいんですか?」

「どうだろうな。あの後、少年院に収容されて、数ヶ月前に心不全で死んだって話だが…」

「し、死んだ!? じゃあ、今目の前にいるのは……幽霊ですか!?」

「最後まで聞け、バカ。それは十中八九デマだろうな。噂じゃ、どっかのマッドサイエンティストのジジィが手引きして出獄させたらしいが、その後のことは知らねぇ」

 

 三人がまだ呑気に世間話(?)している間、変化があった。

 

 ドゴォォォンッ!

 轟音とともに天井が突き破られ、瓦礫が降り注ぐ。突風が辺りを吹き荒れ、廃施設の内部が一瞬にして光に包まれた。警策と時ヶ谷は激しい勢いで空へ飛び出していったのだ。

 

「おいおい!何が起きたんですか!?」

 

 花村は目を見開いて叫んだ。

 

「どうやら、天井ごとぶっ壊して外に出たみたいッスね……」

 

 蒼石がもう存在しない天井を見上げながら、淡々と応じた。

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