「やっと終わった……」
『
淡い照明と無機質な白いテーブル。先ほどの緊張感から解放された子供たちの間には、少しだけ柔らかな空気が流れていた。
水島紗綾はトレイをテーブルに置くと、ふぅ、と大きく息をついて椅子に腰を下ろす。
「もー、ほんっと疲れたよぉ……。あたし、今日だけで何年分の風を出したんだろう……」
そう言いながら、スプーンを手に取る。
「それはそれとして、今日はカレーライスだね。やったー!」
漂ってくるスパイスの香りに、目を輝かせながらスプーンを構える紗綾。その隣に、時ヶ谷凛音が静かに腰を下ろした。
「……どうせ、また能力促進の薬物が混ぜられているでしょうけれど」
口調はあくまで落ち着いていたが、その言葉には微かな棘が混じっていた。
無理もない――列に並んでいた時、日花璃の番で、給食係がこっそりと粉末状の何かをカレーに混ぜるのを、彼女は確かに目にしていたのだから。
紗綾は肩をすくめて、苦笑を浮かべながら、
「まあまあ、こういうのは雰囲気が大事だよ、ね? 日花璃ちゃん」
紗綾は笑顔で言いながら、スプーンを片手に軽く首を傾げた。
向かいに座る雨束日花璃は、一瞬スプーンを持つ手を止め、そっと視線を上げる。
二人の顔を、ゆっくりと交互に見つめた。
「……うん」
少しだけ間を置いて、小さく頷いたその声は、どこかまだ頼りない。
けれど、その表情にはほんのわずかに、戸惑いと共に小さな温かさがにじんでいた。
やがて、日花璃はおそるおそる口を開いた。
「でも……りんね。本当に、大丈夫だったの?」
「頭痛のことなら、もうすっかり治りましたわ。ご心配なく」
時ヶ谷は落ち着いた口調でそう答える。
案の定、『
けれど、それも長くは続かなかった。
紗綾のときと同じように、自分の額に手を当てると、痛みはただちに消え去った。
そこで、紗綾が少し不機嫌そうに口を挟んだ。
「あの校長先生、あんなに副作用があるってわかってて凛音ちゃんに実験させるなんて……! いくら偉いからって、やりたい放題じゃない? 完全に職権乱用だよ!」
怒りがにじむ紗綾の声に、日花璃は小さく息を呑んで、ぽつりと呟いた。
「わたしもあの人、ちょっと怖いかも……何を考えてるのか、全然わからないんだ」
少し俯きながら、その瞳に揺れる不安が見える。
「うん、それな……」
紗綾は頷きつつも、日花璃の様子を心配そうに見つめた。
一方で当の時ヶ谷は、先ほど気にする様子もなく、淡々と言葉を返す。
「ですが、あの方がいなかったら、この学校自体が存在しなかったでしょう」
紗綾が腕を組みながら小さくため息をついた。
「それは、そうだけどさ……やり方が極端すぎるよね。あんな風に人を道具みたいに扱うなんて」
時ヶ谷は視線を少しだけ逸らし、しばらく沈黙したのちに口を開いた。
「……わたくしは、この学校で得られる結果を信じています。どれほど困難があろうとも、それを越えなければ、前へは進めませんから」
その言葉に、日花璃がふと顔を上げた。どこか戸惑ったような、しかし真剣なまなざしだった。
「りんね……どうしてそこまで頑張るの?」
「それ、あたしも気になってた」
紗綾もまた、日花璃に続いて問いかけた。
「凛音ちゃんって、お嬢様だし、頭いいし、しかもめちゃくちゃ可愛いから、大人になったら絶対美人さんになるじゃん? あたしたちみたいに、そんなに必死にならなくても、ちゃんと幸せになれる未来が待ってる気がするっていうか……」
冗談めかした口調ではあったが、どこか本音がにじんでいた。
それを聞いた時ヶ谷は、ふっと目を伏せて、口元にわずかな微笑みを浮かべた。その笑みにはどこか影があった。
「……だからこそ、なのです」
静かに、けれど強く紡がれるその言葉に、二人の少女は思わず息を呑む。
時ヶ谷は言葉を選びながら、胸の奥をひとつひとつほどくように続けた。
「身分も、容姿も、学びの機会すらも……わたくしが『努力して得た』ものではありません。それらはすべて、わたくしが生まれながらに与えられた、環境と血の賜物にすぎません」
そこまで言ったところで、時ヶ谷はふっと息を吐く。
「けれど……この能力‹ちから›だけは、違うのです。これは、わたくし自身が持つ、わたくしだけの力。――たとえ、それが誰かに与えられた種であったとしても、咲かせるのはこの手だけ」
その声には、いつになく芯のある熱がこもっていた。
日花璃は言葉を失ったまま、小さく目を見開く。
紗綾もまた、ただ静かに、そのまなざしを時ヶ谷に向けていた。
「……なんだか、こうして言葉にすると、まるで世間知らずの箱入り娘みたいですね」
時ヶ谷はふっと目を伏せ、スプーンの縁に視線を落とした。
それから、どこか自嘲じみた微笑を浮かべながら呟く。
「恵まれた環境で育って、結局は親の庇護なしでは生きていけるわけでもなくて……そんな身で『自分の力』だなんて口にするとか、生意気に聞こえてもおかしくありませんわね」
だが、次に返ってきた言葉は、彼女の予想を軽く裏切った。
どこか迷いのない、まっすぐな言葉だった。
「……それでも、あたしは凛音ちゃんのこと、すごいって思ってるよ」
不意を突かれたように、時ヶ谷が顔を上げる。
紗綾は、にこりと笑っていた。どこか照れたように、けれど真っ直ぐに。
「凛音ちゃんは、ちゃんと『自分で決めて』動いてる。何がしたいのか、どうなりたいのか、自分の中でちゃんと答えを持ってるんだもん」
その笑顔には、僅かな羨ましさもにじんでいた。
けれどそれは妬みではなく、純粋な敬意の滲むものだった。
「……あたしなんか、いつも流されっぱなしで、やりたいことが分かんなくなっちゃうのにさ。でも凛音ちゃんは、ちゃんと『自分の場所』を探して、そこに立ってる。……そういうのって、かっこいいと思う」
少し間を置いてから、紗綾はぽつりと続けた。
「あたしね、お父さんとお母さんが離婚してからは、お父さんと暮らしてたの。お父さんの仕事の関係で、引っ越しばかりだったし……お母さんは研究者だからいろいろ忙しくて、なかなか会えなくて……」
スプーンをくるくると回しながら、言葉を紡ぐ。
「なんかこう……ずっと、成り行きに流されて生きてきた感じ。自分で選んだことなんて、ほとんどなかった気がするんだ」
テーブルの上に、静かな間が落ちる。
食堂のざわめきが遠くに聞こえて、まるで自分たちだけ別の空間にいるようだった。
日花璃は何かを言いたそうに唇が小さく動くが、うまく言葉にできない。それでも、俯きかけた目元に、ほんのわずかに揺れる感情の光が宿っていた。
「……なんだか、わかる気がする」
ぽつりと漏らされたその声は、小さく震えていたが、確かに紗綾に届くものだった。
「……わたし、『
その言葉に、紗綾は小さく目を見開く。
日花璃は伏せた視線のまま、ぽつぽつと語り始めた。
「親に捨てられて、この街でずっと、ひとりで生きてきたの。家族も、友達もいなくて…… この学校に来たのも、たまたま――能力が先生の目に留まったから」
その声には、どこか寂しげな色が滲んでいた。
「……でも、ここに来て、初めて『居場所』ってものを見つけた気がしたんだ」
その声は小さかったが、張り詰めた空気をひとすじ貫くような静けさがあった。
その言葉を受け、紗綾は真っ直ぐな声で返す。
「そっか……じゃあさ、あたしたちって、日花璃ちゃんにとっては初めての友達ってことだね!」
おどけたように笑うその横顔には、照れ隠しのような、けれど確かな暖かさがにじんでいた。
「ともだち……」
日花璃がその言葉を、胸の奥でそっと転がすように呟いた。
そして、小さく――けれど確かに微笑む。
「……そう、かもね」
その瞬間、紗綾が急に声を上げた。
「よし、思いついた!」
「「えっ?」」
日花璃と時ヶ谷が、同時に首を傾げる。
「第六学区にさ、大きな遊園地があるよね? 卒業したら、みんなで行こうよ! ほら、友達で遊ぶ定番スポットといえば――やっぱ遊園地でしょ!」
にぱっと笑う紗綾。その顔には、どこまでもまっすぐな明るさが溢れていた。
「ゆうえんち……」
日花璃はその言葉を反芻するように呟き、ふいにぱっと輝かせた。
「……行ってみたい」
「よーし、決まりだね! ジェットコースターとか超楽しいんだから!」
紗綾は勢いよく手を上げて、いつもの調子で明るく笑う。
一方で、時ヶ谷は少し眉をひそめながら、
「わたくし、絶叫系は少々……できれば、メリーゴーランドあたりでお願いしますわ」
と、どこか冷ややかに言い添える。
「へえ、凛音ちゃん、そういうの苦手なんだ?」
紗綾がからかうようにくすくす笑いながら、
「なんだか大人びいてるわりに、そういうとこだけ子供っぽいんだね~」
「……あんな無意味に重力と速度を味わって心拍数を上げるだけの装置、文明の徒花としか思えませんわ」
「そこまで言う!? ジェットコースター否定されたら遊園地の半分が消えるって! あんなの乗れないなんて人生の三分の一損してるよ?」
紗綾がスプーンを振りながら、抗議するように口を尖らせる。
「無意味なスリルに喜びを見出すことこそ、人生の浪費ではなくて?」
時ヶ谷も負けじと淡々と返す。
「それ、負け惜しみに聞こえるー」
「論理的な意見を申し上げただけですわ」
どこか軽口まじりの応酬が続く。
そんな中――ふと、二人が気づいた。
会話に、一人だけ乗ってこない人物がいる。
向かいに座る日花璃。
いつもなら笑ったり相槌を打ったりする彼女が、今は黙ったままだった。
「……日花璃ちゃん?」
紗綾が声をかけ、彼女の顔をのぞき込む。
その表情は、どこか上の空で、焦点の合っていない目がふらふらと宙をさまよっている。頬はうっすら紅潮し、呼吸も浅く、肩が不自然に上下していた。
「……日花璃さん、どうかなさいましたか?」
時ヶ谷も、眉をひそめて問いかける。
すると、日花璃はハッとしたように顔を上げた。
そして、ぎこちない笑みを浮かべる。
「い、いえ……ちょっと、疲れたかも……」
ぽつりと、頼りない声がこぼれる。
「本当に大丈夫? 保健室に行ったほうがいいんじゃ……」
紗綾が心配そうに身を乗り出す。
日花璃は一瞬だけ視線を彷徨わせてから、かすかに首を横に振った。
「ううん……平気。ちょっと眠いだけ、だから」
そう言いながら、椅子から立ち上がろうとする。
しかしその動作はどこかおぼつかず、足元もふらついていた。
時ヶ谷がさっと手を伸ばして支えると、日花璃は軽く会釈して、目を伏せた。
「……ごめん。わたし、先に寮に戻るね」
それだけを告げると、日花璃はトレイの片づけもそこそこに、ふらふらと歩き出した。
「日花璃ちゃん……」
呼び止めようとした紗綾の言葉は、結局喉元で止まった。
その背中は、どこか――遠ざかるように見えた。
◇
それから半年ほどの月日が流れた。
その間、三人はごく『ありふれた日々』を過ごしていた。
彼女達が身を置くのは、『
その実態を隠すため、施設は外部的には『特別進学支援型の寄宿学校』という名目で運営されていた。表向きは、選抜された生徒には高度な時間割りと個別教育が提供される――という触れ込みである。
その建前の下で、被験者達は事実上の隔離状態に置かれていた。外出には許可が必要で、月に一度あるかないかの外泊を除けば、生活のほとんどを施設内で完結させる。
とはいえ、衣食住の環境は整っており、時間割りの質も高く、進学実績や奨学金制度の充実ぶりもあって、保護者の多くは『英才教育の場』として納得しているようだった。
現に、生徒達も表面上は落ち着いた日々を送っていた。規則正しい生活。週ごとの課題実験、たまの息抜きに許された室内レクリエーション――まるで、それが本当に『学校生活』であるかのように。
雨束日花璃の能力――『
対象となったのは、施設内にいる他の被験者達。強化の効果と持続時間、反動、副作用の有無など、検証すべき項目は多く、実験は着実に進められていた。
とはいえ、その存在が施設外に漏れれば、事態は一変するだろう。
ひとたび『他人の能力を強化できる能力者』の存在が知れ渡れば、街中の研究者や、レベルアップを望む能力者達が殺到し、この研究施設が持つ『特権』は簡単に瓦解するだろう。
さらに言えば、日花璃自身の身柄すら、施設間や企業間で争奪の対象となりかねない。
それゆえ、関係者達は皆、黙して語らなかった。
『
そんな――ある夜のことだった。
深い眠りの中、時ヶ谷凛音は一つの『夢』を見ていた。
視界は暗く、空気は重い。まるで深海に沈んでいくような感覚の中、彼女はうつ伏せに床に倒れていて、全身を小刻みに震わせていた。
『……っ、は……ぁ、……っ、たすけて……』
か細く、今にも消えてしまいそうな声が漏れる。
けれど、その声を聞いた瞬間――時ヶ谷の意識に、鋭い違和感が突き刺さる。
……違う。
これは、自分の声ではない。
それなのに、どこか懐かしいような、聞き覚えのある響き。
それは――雨束日花璃の声だった。
やがて、夢の中『彼女』が、突然顔を上げた。
そして――
『あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!』
甲高い悲鳴が響き渡る。時ヶ谷は反射的に目を見開いた。
――視界に映るのは、寮の部屋の天井。
心臓が、激しく脈打っている。
額にはじっとりと汗がにじみ、手足は妙に冷え切っていた。
「……夢、ですよね?」
ぽつりと漏れたのは、自分自身への問いかけだった。だが、返事の代わりに返ってきたのは――
「日花璃ちゃん!?」
二段ベッドの下段から、勢いよく紗綾の声が響いた。
彼女は飛び起きるように身を起こし、すでに眠気のかけらもない。
その顔には、時ヶ谷と同じく、強い不安の色が浮かんでいた。
「……凛音ちゃん、驚かせてごめんね。なんか……変な夢を見て」
紗綾は眉を寄せ、気まずそうに笑みを作りながら布団の端に腰を下ろした。
時ヶ谷はゆっくりと彼女を見つめ、静かに口を開く。
「……紗綾さん。もしかして――」
小さな間を置いて、確かめるように言った。
「自分が、日花璃さんの姿になって、苦しんでいる夢……ではありませんでしたか?」
「えっ……」
紗綾の目が大きく見開かれる。
「どうして、それを……?」
時ヶ谷は、視線を一度だけ落とし、低く呟いた。
「……わたくしも、まったく同じ夢を見ましたの」
その直後だった。
――バーンッ‼
くぐもった爆発音が夜の静けさを打ち破り、床が微かに揺れる。
壁際のカーテンが、ふわりと膨らんだ。
「……っ!」
思わず詰まった息が漏れる。
跳ね上がる鼓動。悪い予感が、胸の奥で鈍く鳴った。
『
日花璃の能力で一度でも強化を受けた者は、彼女との間に目には見えない『回路』のような繋がりを持つようになり――
彼女の精神が不安定になると、その影響が断片的な夢や幻覚という形で被験者たちに共有される、という現象だった。
さっき見た夢も、おそらく……彼女自身の記憶――いや、『現在』の苦痛だったのかもしれない。
ならば、今の爆発音は――
「日花璃ちゃんに、何かあったのかも!」
紗綾が声を上げたその瞬間、時ヶ谷もすでに布団を蹴飛ばして動き出していた。
顔を見合わせる間もなく、二人は寮の扉を勢いよく開け放つ。
――その瞬間、熱気が肌を撫でた。
「なに……これ」
紗綾の声が震える。
廊下の壁には、蜘蛛の巣のような亀裂がいくつも走り、場所によっては石膏が崩れ、床に散乱している。
空気は重たく、焦げたようなにおいが鼻をついた。二人は一斉に咳き込み、手で口元を覆った。
鼻の奥をつんと刺すような煙のにおい――間違いない、これは火災のにおいだ。
それに、夜のはずなのに廊下が異様に明るい。
遠くの角を曲がった先、窓の外から赤橙色の光がちらついている。
ガラスに映るその明かりは、まさしく炎の色だった。
ほどなくして、外の部屋の扉も次々と開き、寝巻き姿の少女達が慌てて飛び出してくる。
「何事?」「煙!」「火事!?」
騒然とする廊下。生徒たちが次々と部屋から飛び出してきて、焦りと混乱が渦巻いていた。あちこちで咳き込み、誰もが状況を飲み込めないまま立ちすくむ。
そんな中、時ヶ谷凛音が誰よりも早く、冷静に声を張り上げた。
「皆さん、落ち着いてください! 順番に非常口へ! 煙を吸わないよう、姿勢を低くして避難を!」
普段から一目置かれているその声に、騒然としていた空気が少しずつ静まり始める。彼女の落ち着いた指示が、わずかでも安心を与えたのだろう。
やがて、少女達はその指示に従い、なんとか秩序を取り戻しつつ避難していく。
その流れに逆らい、時ヶ谷は一人、逆方向へと走り出した――目指すのは、雨束日花璃の部屋。
「ちょ、ちょっと凛音ちゃん! まさか一人で行くつもり!?」
すぐに気づいた紗綾が、慌てて彼女の後を追う。
時ヶ谷は振り向きもせず、きっぱりと告げる。
「紗綾さん、貴女は他の皆さんと一緒に避難を。ここから先は危険すぎます」
その声音はいつになく真剣で、拒絶の色すらにじんでいた。
紗綾は立ち止まらない。必死に食らいつくように叫ぶ。
「……あたしだって、日花璃ちゃんの友達よ。放って逃げられるわけないでしょ!」
その言葉に、時ヶ谷の足がぴたりと止まる。
しばしの沈黙――
やがて、時ヶ谷はわずかに息を吐くと、肩越しに紗綾を見て、観念したように言った。
「……絶対に、わたくしから離れないでください」
「うん!」
二人は寮の廊下を駆け抜ける。煙はますます濃くなり、視界がどんどん悪くなっていく。赤く点滅する非常灯が、煙の中でぼんやりと滲んでいる。
時ヶ谷は口元をハンカチで覆いながら、前かがみになって走る。紗綾も後を追い、必死に息を整えながらついていく。
――もうすぐ、日花璃の部屋がある区画だ。
そのとき――。
ギシ……ギシィ……ッ。
頭上から、鈍く軋むような音が響いた。二人が思わず顔を上げた、その瞬間、天井の梁が赤く焼けただれ、軋みながらゆっくりと傾く。
「危ない!」
時ヶ谷がとっさに叫び、紗綾の腕を引いた。
バァン!と音を立てて、焼けた梁が床に崩れ落ち、辺りに火花と煙を撒き散らす。
「……大丈夫ですか、紗綾さん!?」
時ヶ谷が後ろを振り返り、紗綾の無事を確認する。
「けほっ……うん、なんとか。でも……!」
紗綾が咳き込みながら立ち上がる。
二人が見据える先、通路は崩れた天井材と炎で、完全に塞がれていた。
「どうしよう……このままじゃ通れないよ……!」
紗綾が焦りの色を浮かべる。そのとき、時ヶ谷がひとつ息を整えた。
「――下がっていてください」
その言葉に、紗綾は一瞬戸惑ったが、彼女の目の真剣さに気圧されて、素直に数歩後ずさる。
時ヶ谷は右手を前に出すと、静かに横へ払うように振った。
すると、ひゅうん――という鋭い風の音とともに、突風が巻き起こる。
炎が揺らぎ、破片の山が吹き飛ばされる。通路を塞いでいた障害物が、風の流れに巻き上げられて脇へ散った。
「凛音ちゃん、いまのは……!」
目を見張る紗綾に、時ヶ谷は少しだけ息を切らせながら振り返る。
「空気の流れを加速させて、風を操ってみましたの。……紗綾さんの能力を、参考にさせてもらいましたわ」
「え、ちょっ、真似とかできるの!? そんなことまでされたら、あたしの立つ瀬が……」
半ば本気で驚いた様子の紗綾に、時ヶ谷は肩をすくめてため息をつく。
「……そんなこと言ってる場合ではありませんわ。先を急ぎますよ」
「うぅ、容赦ない……」
しょんぼりと項垂れながらも、紗綾は再び走り出す時ヶ谷の背中を追って駆け出すのだった。