とある暗部の才人工房   作:雨宮ヒトシ

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Phase23「雨 -レイン-」

「――にしても、これだけの火事なのに、どうしてスプリンクラーが作動しないの?」

 

 炎と煙の中を駆け抜けながら、紗綾が不安げに声を上げた。

 

「おそらく……さきほどの爆発で、配管が破損したのでしょう」

 

 時ヶ谷は振り返らず、煙を避けながら冷静に答える。

 

「そっか……日花璃ちゃん、無事だといいけど」

 

 紗綾は納得しつつも、眉を寄せて息を詰めた。

 

「もうすぐです。あの角を曲がれば――日花璃さんの部屋の区画に入るはずです!」

 

 時ヶ谷は煙を切るように走り、紗綾も必死にその背を追った。

 そして、火花が舞う廊下の角を曲がった瞬間。

 

 二人の足が、ピタリと止まった。

 視界に広がった光景に、思わず息を呑んだ。

 

 ――そこは、まるで地獄だった。

 廊下の先には、十数体もの人影が無残に横たわっていた。

 

 煙にかすむ視界の中で、ぱっと見ただけでも七、八人が動かない。寝間着姿のまま倒れた生徒と、顔を伏せて動かない白衣の研究者。

 焦げ跡にまみれた瓦礫と布切れが、あたり一面に散乱している。

 

「っ……」

 

 紗綾は反射的に口元を手で覆い、ひとつ、後ずさった。

 信じられない。目の前の惨状が、現実だなんて。

 

 時ヶ谷もまた、言葉を失って立ち尽くす。

 血のにおいと焦げたにおいが入り混じり、あまりにも濃密に充満していた。

 

「……ぐ、あ……」

 

 低くうめくような声が、静まりかけていた空間にふいに響いた。

 中年男性と思われるその声に、呆然としていた二人の意識が現実へと引き戻される。

 

 瓦礫と煙にまみれた廊下。

 その中――死体の山の中で、ひときわかすかに動く影があった。

 

 壁にもたれるように倒れた身体。焼け焦げた天井の下、瓦礫に半ば埋もれるようにして、白衣の裾が揺れた。

 ぴくりと、指先が動いた。

 

「……まだ、生きてる!」

 

 紗綾が息を呑み、すぐさま駆け出す。

 時ヶ谷も遅れずに彼の元へと駆け寄った。

 ぐったりとした男の身体――ぼさぼさの髪に無精ひげ。すすけた白衣には焦げ跡が走り、血と汗でぐっしょりと濡れている。

 

「榊先生……!」

 

 紗綾が目を見開き、言葉を失う。

 榊誠司は、日花璃の能力データを管理していた研究者。寡黙だが、生徒達には優しい人物だった。

 

「しっかりしてください、先生!」

 

 時ヶ谷は跪いて呼びかける。

 その声に反応するように、榊のまぶたがわずかに持ち上がり、かすれた声が漏れた。

 

「時ヶ谷くん……それに、水島くん……なぜここに……早く……逃げないと……」

 

 言葉の途中で、彼の呼吸が詰まる。

 意識は朦朧とし、言葉も途切れがちだ。

 

「何があったんですか!? 日花璃ちゃんは……どこにいるんですか!?」

 

 紗綾が叫ぶように問いかけるも、榊はそれに答えることなく、力なくその身を煤けた壁に預けたままだった。

 

 胸がかすかに上下している――まだ息はある。

 時ヶ谷は冷静にそう判断しながら、榊の身体に目を走らせる。

 

「……意識は混濁していますが、出血の量から見て、致命傷ではありません」

 

 そう言うと、右手を腹部の傷口へとそっと当てた。

 

(細胞の再生速度……血管と皮下組織の修復に集中……)

 

 すぐに、赤みを帯びた傷口がわずかに盛り上がるように変化し始めた。

 皮膚の再生が促され、破れた毛細血管が自己修復を始める。

 

 時ヶ谷の額にはうっすらと汗が滲んでいた。それだけ集中力を要する繊細な作業だった。

 紗綾は目を丸くしながら、榊の傷が徐々に癒えていく様子を見つめていた。

 

「すごい……そんな使い方もできるんだ……」

 

 やがて――

 

「――っぷはあ……っ!」

 

 榊の口から、大きな息が一気に吐き出された。

 

 それは、まるで深い水底から引き上げられた溺者が、肺に溜まった水を一気に吐き出すかのような、荒々しくも力強い呼吸だった。

 

「先生!」

 

 紗綾が思わず身を乗り出す。榊の目が、うっすらと開かれていた。

 混濁していた瞳に、徐々に焦点が戻っていく。

 視界を彷徨うように彷徨ったその視線が、時ヶ谷と紗綾をとらえる。

 

「……他の子たちは……無事か……?」

 

 掠れた声だったが、確かに意識は戻っている。

 

「一応、避難させておきました」

 

 時ヶ谷は、落ち着いた声音で即答する。

 

「……そうか……」

 

 榊はほっとしたように目を細める。胸がわずかに上下し、安堵の吐息が漏れる。

 

「先生……それより、ここで一体、何が――」

 

 紗綾が顔を上げ、周囲に目をやる。視界の端に、いくつもの焦げた人影が横たわっていた。

 その光景に、言葉が途中でつかえる。

 

「…………」

 

 榊は何かを言いかけて口を閉じ、視線を彷徨わせた。

 二人を交互に見つめるその目には、迷いが浮かんでいた。

 

 この事実を伝えるべきか、それとも伏せるべきか。

 だが、時ヶ谷はそのためらいを見逃さない。

 

「……日花璃さんに何かあったのでしょうか?」

 

 榊の表情が一瞬だけ強張る。だが次の瞬間には、観念したように目を伏せ、静かに頷いた。

 

「……あの子の能力が、暴走したんだ」

 

 その一言が、場の空気を一変させた。

 

「暴走!? 日花璃ちゃんが……!?」

 

 紗綾の声が裏返る。言葉の意味を理解できず、思わず時ヶ谷の方を見やる。

 榊は重く頷くと、絞り出すように語り始めた。

 

「……この半年間、あの子の能力は、目に見えて急激に成長していた。君たちも見ていただろう?『歪曲揺光(フラクチュエイト)』による能力強化の効果と持続時間――どちらも、異常なほど増していった」

「それは……確かに……」

 

 時ヶ谷が小さく頷く。紗綾もまた、思い当たるように顔をこわばらせた。

 

「実験自体は順調に見えた。だが……あの子は、能力を使うたびに激しく息を切らしていた。最初は疲労の蓄積だと思ったが……いくらなんでも様子がおかしすぎたんだ」

 

 榊の声は徐々に低く、険しくなっていく。

 

「俺は気になって、木原先生に問い質した。けれど……あの人は、のらりくらりとごまかすだけだった」

 

 その時の無力感がよみがえったのか、榊は苦々しく顔を歪める。

 

「だが――一週間前、たまたま先生が、給食係に……薬品のような小瓶を手渡していたのを盗み見た」

 

 時ヶ谷はその言葉にピクリと反応した。

 どこか、記憶の奥に引っかかる感覚――。

 

 脳裏に、過去の情景が鮮明によみがえる。

 ――あれは、半年前。『歪曲揺光(フラクチュエイト)』の初期実験が行われた直後のことだった。

 

 食堂で列に並んでいた時、不意に視界の端に映った、給食係の不審な動き。

 誰も見ていないと思ったのか――その人物は、日花璃のトレイに置かれたカレーに、粉末状の何かをさっと混ぜ入れたのだった。

 その日の夕食後、日花璃は激しく息を切らし、顔色も明らかに悪くなっていた。

 

(――あれは、ただの能力促進剤なんかじゃなかったのですか……!)

 

 時ヶ谷は、奥歯を噛み締める。胸の奥が冷たくなっていくのを感じながら、手のひらに力を込めた。

 榊は言葉に苦いものをにじませながら、あとを続ける。

 

「俺は疑念を抱いて、その薬の一部を何とか盗み出し、手元で分析してみた。そして、突き止めたんだ……」

 

 一拍置いて、言葉を絞り出す。

 

「それは――『体晶』と呼ばれる物質だった」

「たいしょう……?」

 

 紗綾が眉を寄せ、聞き返す。初めて聞くその単語が、場の空気をさらに重くした。

 

「俺も最初は知らなかった。ただ……ずっと前に耳にしたことがある。木原先生が、教え子である女性研究者と裏で進めていた研究――『能力の暴走』を人工的に引き起こす薬の存在だ」

 

 榊の声はかすかに震えていた。まるで、自分がその真実にたどり着いてしまったことを恐れているように。

 その言葉に、紗綾の顔色がさっと青ざめた。

 

「うそ……日花璃ちゃんに、そんな危険なものを……!?」

 

 足元がふらつきそうになるのをこらえながら、必死に言葉を吐き出す。

 

「どうして……なんでそんなこと……!」

 

 榊は肩を震わせながら、荒く呼吸を整えた。

 

「……その事実を知って、俺は――一刻も早く、彼女を木原先生の手から遠ざけようと動いた。薬をやめさせて、彼女の身を守ろうと……それが、間に合えば、って……」

 

 声が、かすかに掠れる。

 その目が、焦げた天井と崩れかけた壁をゆっくりと見回し、最後に――廊下に転がる無数の亡骸へと向けられる。

 

「……でも、その前に、あの子の能力が……暴走した」

 

 悔しさと後悔が滲むその声音は、まるで自分を責めるかのようだった。

 

「まさか……こんな惨状になるなんて……!」

 

 彼の目の前に広がっているのは、もはや『事故』などという言葉では片づけられない惨劇だった。

 瓦礫の中に埋もれた生徒たちの顔が、灰と血で見分けもつかない。

 

 白衣をまとった研究者数人が、床に横たわったまま、虚ろな目で天井を見つめていた。

 紗綾は、震える手で口元を抑えながら、ぽつりと漏らす。

 

「そんな……日花璃ちゃんが、こんな……」

 

 しばしの沈黙が落ちる。

 

「……今、日花璃さんは、どこに――」

 

 時ヶ谷がそう問いかけた、その瞬間だった。

 

 ――カツン。

 軽やかな足音が廊下に響く。

 

 三人の意識が、一斉にそちらへ向いた。

 そこに立っていたのは、白いワンピースを纏った少女だった。

 

 絹糸のようになめらかな髪がゆらりと揺れ、透き通るように白い肌が炎の明滅を淡く反射する。

 その背中には、透き通る結晶のような翼が光り輝いている。

 

 だが、何より目を引いたのは――その瞳。

 かつては優しく儚げな光を堪えていた双眸は、今や、金色にぎらついている。まるで感情というものを削ぎ落した、異質な光だ。

 その姿には、どこか神聖でさえある美しさと、ぞっとするような歪さが共存していた。

 

「ひか……り、ちゃん……?」

 

 紗綾が、震えるような声で呟いた。

 それは、見慣れたはずの顔――けれども、まるで別人のようなその表情に、息を呑んだ。

 

 次の瞬間、日花璃の背後――いや、彼女の周囲全体に、いくつもの淡い光の球体がふわりと浮かび上がった。

 それはまるで、星のように静かに瞬きながら、次第に強く光を帯びていく。

 

「逃げろッ!!」

 

 榊の怒号が響いた、刹那。

 

 ――ドンッ!

 閃光が爆ぜた。耳をつんざく破裂音と共に、白い光が視界を塗りつぶす。反射的に目を閉じても、まぶたの裏まで焼きつくような白。

 

 けれど――痛みはなかった。

 その場をついていた紗綾が、ゆっくりと目を開けると、自分がいつの間にか廊下の陰――崩れた柱の陰に移動していることに気づく。

 

「っ……凛音ちゃん……今の……?」

「なんとか……間に合いましたわ」

 

 時ヶ谷は荒く肩で息をしながら、まだ余熱の残る床を睨みつける。

 直前、光弾の炸裂を察知した時ヶ谷は、咄嗟に自身の能力を発動させた。周囲の空気流動を一点集中で加速し、自らと二人を包み込むようにして風と共に飛ばしたのだ。

 

 もし、あと一瞬でも判断が遅れていれば――三人の命は、そこで終わっていたに違いない。

 時ヶ谷は、崩れた柱の陰からそっと顔をのぞかせる。視線の先、廊下の奥には――日花璃が、無表情のまま立ち尽くしていた。その周囲には、なお光球がふわふわと漂い、床や壁のいたるところに炎が這い続けている。

 

 ――もう、時間がない。

 しばし黙って様子をうかがった後、時ヶ谷は静かに息を吐き、そっと紗綾のほうを向いた。

 

「……紗綾さん。榊先生を連れて、先に避難してくださいまし」

「えっ……でも、凛音ちゃんは……?」

 

 声を震わせる紗綾に、時ヶ谷はまっすぐな目で返す。

 

「……日花璃さんは、わたくしがなんとかしますわ」

「そ、そんなの無茶だよ! 一人でなんて――!」

 

 紗綾の制止を、時ヶ谷はかぶせるように遮った。

 

「……炎はますます広がって、建物全体を飲み込もうとしています。時間は、残されていません」

 

 その声には、強い決意が込められていた。

 

「榊先生の傷は、わたくしの能力である程度は塞ぎました。でも、体力はまだ戻っていません。ここで立ち止まっていれば、それだけ命の危険も増していきます」

 

 少し視線を落とし、そして絞るように続けた。

 

「それに――日花璃さんを、こんな場所に一人きりで置いていくわけにはいきませんでしょう?」

 

 その一言が、紗綾の動きを止めた。

 時ヶ谷は、紗綾の肩にそっと手を置く。それから、榊へ視線を移す。

 

「先生……紗綾さんを、お願いしますわ」

「時ヶ谷く――」

 

 榊が何かを言いかけた、その瞬間だった。

 風が、一閃。

 時ヶ谷の姿は、まるで溶けるようにその場から消えた。

 

「凛音ちゃ――」

 

 紗綾が叫ぼうとしたその声は、突風の轟音にかき消される。

 次の瞬間、時ヶ谷は――光の渦の中に佇む日花璃の、すぐ目の前にいた。

 

 彼女の右手がわずかに前へ伸びる。

 触れることなく空気を裂くその一動で、風が牙をむいた。

 

 ゴオッ――!

 激しい風の奔流が巻き起こり、日花璃へと一気に襲いかかる。

 風圧に巻かれた日花璃は、吹き上げられるように宙へ舞い、そして、そのまま天井を突き破った。

 

 合理的な判断だった。

 この廊下は直線状で逃げ場が限られているうえ、建物全体にはいまだ多くの生徒や研究者が残っている。

 ここで日花璃が暴れ続ければ、二次災害は避けられない。

 

 ならば――戦場ごと『外』へ押し出すのが最適解だった。

 天井に空いた穴から、焦げた空が覗く。

 

 時ヶ谷はその風穴を見上げ、何の迷いもなく足元に空気の流れを集中させた。

 足元から巻き上がる風が、彼女の身体をふわりと持ち上げる。

 

 ――ふと、紗綾の言葉が脳裏に蘇った。

 

『あたしも能力がもっと強くなったら、空をビュンビュン飛び回りたいんだよね〜!』

 

(空を飛ぶ感覚……意外と、悪くないですね)

 

 静かに微笑むような心の声とともに、時ヶ谷は風を操り、天井の穴から一気に空へと飛び出した。

 

 

     ◇

 

 

 ――ズドン!

 鈍く重たい音が響き渡る。

 

 灰色に曇る空から、まるで隕石のように、二つの人影が落下してきた。

 そのまま、第七学区の外縁にある人工林――その最深部にぽつりと残された、旧校舎の屋上へと叩きつけられる。

 

 着地の衝撃で、古びたコンクリートが軋み、土煙が天へと舞い上がる。

 数秒ののち、舞い上がった塵がゆっくりと霧散していき――。

 その中に、二人の少女の姿が浮かび上がる。

 

「――無事か、時ヶ谷……」

 

 銀の金属翼を背に広げた少女――警策看取は、吹き飛ばされた衝撃を制御しながらも、難なく屋上に着地していた。

 そして、視線の先。少し離れた位置に立ち上がるもう一人の少女――時ヶ谷凛音に声を投げかける。

 

「……はい、最後の瞬間に風の流れを調整して、なんとか体勢を立て直しました」

 

 息を整えながらも、時ヶ谷の声音は冷静だった。

 二人とも無事――まずは最低限の条件は満たした。

 けれど、その安堵もつかの間だった。

 

 ――ふわり、と。

 空から降りてくる、三つ目の影。

 光の翼を羽ばたかせながら、『少女』が、ゆっくりと無言で屋上へと舞い降りる。

 

 その姿に、二人は無言で身構えた。

 空虚な光をたたえた、金色の瞳が、まるで人間の情感を失った機械のように、ただ真っ直ぐ二人を見つめていた。

 

「……地上に降りられてしまいましたわね」

 

 凛音が、わずかに歯噛みするように呟く。

 本当なら、あのまま空中で決着をつけたかった。

 

「しかも、よりによってこの場所とはね……」

 

 警策は周囲を一瞥しながら、小さく皮肉っぽく呟いた。

 老朽化した外壁、朽ちかけたコンクリート、誰にも使われていないはずのこの旧校舎。

 

 まるで何かを引き寄せるように。

 この因縁の地に、三人は再び揃ったのだった。

 

「……今の彼女は、言わば『時限爆弾』のようなものですわ」

 

 時ヶ谷が、少し伏せ目がちに呟く。

 視線の先には、まだ言葉ひとつ発さぬまま、屋上に制止する雨束日花璃の姿がある。

 

「早く止めないと、そう遠くないうちに『歪曲揺光(フラクチュエイト)』の暴走が彼女自身の肉体限界を超え、自分自身を中心に暴発します。それが解き放たれれば――」

「……この街そのものが吹き飛ぶ、か」

 

 警策が言葉を引き取るように言い切った。

 

 ほんと、皮肉な話だと思う。

 昔、復讐の念に囚われていた自分が、あれほど憎んでいたこの街。

 何よりも望んでいたその終焉が――今、まさに訪れようとしている。

 

「……仕方ないわね」

 

 警策は小さく肩をふくめ、いつもの軽口のような調子で言った。

 

「こうなったら、『奥の手』を使うしかないか。一応、念のため確認としとくケド……この学校、アンタの思い出の場所なんでしょ? ぶっ壊しても、文句言わない?」

 

 その言葉に、時ヶ谷は一瞬きょとんとした表情を見せる。

 けれど、すぐにその意図を察して、わずかに微笑を浮かべる。

 

「……構いませんわ。どうぞ、思う存分――暴れてくださいまし」

 

 

 

「ジャア遠慮なく、派手にやらせてもらうわ」

 

 

 

 ぼたっ、と屋上の床に何かが落ちてきた。

 それは雨粒に似ていた。

 ただし銀色。

 

「この場から一歩も動かないでね、……巻き込まれたくなければ」

 

 警策がさらりと呟いた、次の瞬間――

 

 

 

 銀の豪雨が、降り注いだ。

 

 

 

 それは、鉛筆よりやや長く、鋭利な先端を持つ無数の金属矢だった。

 ただし、高度一万メートル以上から落下してくるとなれば話は別だ。

 

 密度と速度が織りなす、無慈悲な刺突の嵐。

 空は濃い銀色の雲に染まり、それが一気に収束し、地上へと撃ち下ろされる。

 

 警策の能力『液化人影(リキッドシャドウ)』が生み出す、戦略級の空爆。

 当然、警策と時ヶ谷の立つわずかな領域だけが、あらかじめピンポイントで除外されていた。

 

 ガンガンッ‼ キィン‼ ザシュッ‼

 金属の雨がコンクリートに鋭く着弾する。

 反響する金属音が鼓膜を震わせ、視界が銀の閃光で埋め尽くされる。

 

 ドゴォッ‼

 堪えきれなくなった旧校舎が、ついに崩れ始めた。

 

 建物がブロック状に砕け、音を立てて崩れ落ちる。

 瞬間、地面が抜け落ちるような感覚。足元を奪われ、三人の身体が宙に放り出される。

 

 重力に引かれ、まっさかさまに――奈落へと落ちていく。

 だが、それもほんの刹那のことだった。

 

 警策はコウモリに似た金属質銀の翼を羽ばたかせ、旧校舎の屋上から飛び去っていた。

 時ヶ谷もまた、即座に風の流れを制御し、落下の慣性を殺すように浮遊。

 ふわりと気流に乗り、警策とほぼ同時に地上へと足をつけた。

 

 二人の視線が、同時に旧校舎の残骸へと向けられる。

 瓦礫と化した屋上。吹き飛んだ壁。ねじ曲がった鉄骨が無残に突き出している。

 

 足元には、金属矢の雨が無数に突き刺さっていた。まるで、過去そのものを貫くかのように。

 今さらのように、鉄錆の匂いが風に乗って鼻をかすめた。

 

(――いかに老朽化していたとはいえ。たった一撃で、ここまで……)

 

 時ヶ谷は、無言のまま、崩れ落ちた旧校舎を見つめ続ける。

 かつて、『才人工房(クローンドリー)の始まり』と呼ばれたこの場所は――

 今、たった一人の少女の手によって、その終焉を刻まれたのだった。

 

 ――そして、そこに、彼女はいた。

 銀の雨が降り注いだはずのその中心に、幼い『少女』はただ、静かに立っていた。

 

 ズタボロにされることは、なかった。

 身に傷一つなく、緑色の病衣すら汚れずに。

 

 足元には、無数の金属矢が散乱していた。

 まるで何か見えない力に弾かれたかのように、突き刺さることなく床に転がっている。

 

 ――それで構わない。

 今の空爆は、ただの前座に過ぎないのだから。

 

 地面に刺さった数万の金属矢はどろりと形を崩し始める。

 一つ、また一つと集まり、銀の人形へと姿を変えていった。どこか警策自身のシルエットを思わせる等身大の人形が軽く見積もって百体以上も。

 

 時ヶ谷は、銀の人形群をじっと見据える。

 

「……これが、貴女の全力ですか?」 

 

 警策は軽く笑みを浮かべながら答えた。

 

「まさか。弱体化の影響で、せいぜい準備運動(ウォーミングアップ)程度よ。――本気を出したら、こんなもんじゃ到底済まないわ」

「……、」

「彼女を牽制しつつ、操祈ちゃんたちの作戦の時間稼ぎをする。コレだけ数があればなんとかなるでしょう?……まあ、足りなければもっと呼び出せばいいだけの話だし」

 

 気軽な言葉と同時だった。

 ドッ‼ と無数の銀の人形達が全方位から一斉に『少女』へと殺到してきた。

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