とある暗部の才人工房   作:雨宮ヒトシ

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Phase32「分断 -クロスリンク-」

 第十八学区の高架道路。

 敵側が事前に情報操作でも行っていたのか、民間車の姿は一台もなく、交通量は不自然なほど途絶えていた。

 その異様な静寂の中で、警策看取と銀髪少女は互いに視線を交錯させている。

 

(暗部の……悪魔?)

 

 弓箭猟虎の脳裏に、先ほど銀髪少女が口にした言葉が引っかかっていた。

 その二つ名に、聞き覚えがあった。

 

 16ヵ月前、『窓のないビル』を襲撃し、暗部全体を動かす騒動を引き起こした人物。迎撃部隊の九割を、たった一人で殲滅したという噂まで残っている。

 当時、弓箭が所属していた『スクール』の下部組織も、その調査に駆り出されていた。

 

(それが……警策さんだと?)

 

 弓箭は信じられない思いで、自分たちを守るように前に立つ少女を見つめた。

 かつて『アイテム』に殺されかけた自分を救い、何度も窮地に駆けつけてくれた恩人。

 そんな彼女が、暗部に名を轟かせる、ある恐るべき『悪魔』だというのか。

 だが、当の本人は弓箭の視線に気づいていないらしく、ただ静かに目の前の敵を見据えているだけだった。

 

 そんな時だった。

 

『聞こえるか、弓箭ちゃん?』

 

 弓箭の耳に、いきなり声が届いた。警策の声である。

 しかし、その響きは明らかに通常の発声ではなかった。

 音が外から入ってくるのではない。

 耳の奥、頭蓋の内側に直接流し込まれてくるような感覚。

 

「えっ……!?」

 

 警策はわずかに肩越しに、今しがたの弓箭の反応を確認すると、淡々と続けた。

 

『なぁに、反響定位(エコーロケーション)で耳道と頭蓋骨の共振特性バチ解析してさ、その固有振動数にドンピシャな高指向性音波ぶつけてるだけなんだケド。結果的に局所共振起こして、骨伝導みたいに内耳に直接ボイス届けてんの』

 

 ()()()()()()()から着想を得たものだが、実際に試すのは初めてだから、一発で成功してよかった。

 

『まあ色々困惑してるでしょおけど、今はオッサンを逃がすのが最優先よ。作戦通り、私がコイツ抑えてる間に、弓箭ちゃんはソイツ連れてさっさと逃げちゃって』

 

 弓箭は答えなかった。それを了承と受け取る。

 次の瞬間。巨大な銀翼が大きく広がり、一気に羽ばたかれた。

 

 ゴォッ!!

 空気が押し潰されるような圧力が発生し、視界そのものが歪む。

 凄まじい突風は高架道路を叩き抜け、地面を削るように走る。アスファルトが軋み、路面の粉塵が一斉に巻き上がる。

 その暴力的な風圧が、銀髪の少女へと真正面から叩きつけられた。

 

 ややあって、視界を覆っていた粉塵が、ゆっくりと霧散していく。

 舞い上がっていた砂埃の向こう、黒塗りの車の屋根の上に――銀髪の少女は変わらず立っていた。

 

 風圧で乱されたはずの空間の中で、彼女の姿だけが静止しているかのように揺らがない。

 その身には傷どころか、服の乱れすら見られなかった。

 

「やはり、逃がしたか」

 

 銀髪の少女は、警策の背後へと視線を流した。

 そこには、弓箭と巌根の姿はすでにない。

 先ほどの突風は先制攻撃というより、仲間の離脱のための布石だったのだろう。

 

(……とはいえ想定外ではない。逃走経路を確保して撤退させた以上、護衛対象の保全を優先したということ。なら戦力はこちらに引きつけられている)

 

 少女は表情を変えず、淡々と状況を整理する。

 そんな彼女を見て、警策もまた確信する。

 

(追うそぶりがない……ヤッパリ、他にも仲間がいるってことね。なら、こっちはこっちでできるだけ早く片づけて、あとは弓箭ちゃん達を信じるしかないわね)

 

 二人の少女は、一瞬だけ互いを見据えた。

 空気が、わずかに張り詰める。

 次の瞬間。ほぼ同時に地面を蹴った。

 遅れて風が弾け、視界の間合いが一気に消し飛ぶ。

 戦いの火蓋が、切られる!

 

 銀髪少女は、その一瞬で間合いを詰めた。ほとんど『消えた』ような踏み込みで警策の懐に張り込み、首筋へ向けて手刀を振り下ろす。

 だが警策は、その軌道のさらに外側へ抜けるように後ろへジャンプした。

 翼を一度だけ大きく羽ばたかせ、爆発的な推進力で距離を引き剝がす。

 

 同時に、空中に無数の金属矢を生成する。

 鋭い金属音が重なり、空間ごと刺突で埋め尽くすような密度で、矢の雨が銀髪少女へ殺到する。

 

 しかし彼女は避けなかった。ただ一直線に前へ進む。

 次の瞬間、矢が彼女の体に触れた。金属矢は突き刺さることなく、まるで見えない壁に拒絶されたように勢いを失う。空中で静止し、ぽたりと地面へ落ちた。

 彼女はまたもや、一瞬にして警策との距離を詰めた。今度は右拳を振り抜く。

 

(ただ距離を開けるだけじゃイミがない……なら――)

 

 警策は即座に判断し、再度翼を羽ばたかせて上空へ逃れた。

 次の瞬間、空を切った拳が、そのまま警策の背後にあったワゴン車へと突き刺さる。

 

 鈍い衝撃音とともに、ワゴン車の車体が内側から潰れた。

 金属が悲鳴を上げ、フレームが飴細工のようにねじ曲がっていく。

 その一瞬の隙を突き、警策は空中で銀の大剣を生成した。

 そのまま急降下し、少女へと斬りかかる。

 重力に加速された一撃は、凄まじい運動エネルギーを伴い、比重20を超える液体金属の質量そのものとして叩きつけられた。

 

 だが――少女は動かない。

 ただ右手を差し出し、銀の大剣をそのまま『受け止めた』。

 

「なっ……!?」

 

 警策の表情に、わずかな動揺が浮かぶ。

 あの時ヶ谷ですら、防御を捨てて風圧を逃がすことで辛うじて受け流した一撃を――正面から止めている。

 

「こんなもの? 『暗部の悪魔』の名が廃る」

 

 冷え切った声と同時に、異変が起きた。

 

 パシャッ!

 少女に掴まれていた大剣が内側から弾け飛び、銀の雫となって四方八方へ散った。

 一瞬、反応がわずかに遅れる。

 次の瞬間、少女の五本の指が、そのまま警策の胸の真ん中へ迫っていた。

 

 回避は間に合わない。

 警策は咄嗟に、両刃の分厚いナイフを構える。高速振動により表面に薄い空気層を形成する高周波エッジである。

 『液化人影(リキッドシャドウ)』で生成した大剣すら一撃で粉砕するレベルの破壊力を、これで防ぎきれる保証はないが、選択の余地はなかった。

 

 甲高い衝突音があった。

 驚いたことに、高周波エッジは少女の掌に合わせる形で、彼女の一撃を受け止めていた。

 

 警策は間髪入れずに動く。銀の尾が空気を引き裂き、少女の足元の地面を薙いだ。爆ぜるように土煙が舞い上がる。

 足場を失う前に、少女は即座に手を引き、後方へ跳んだ。

 

 距離が、再び開いた。

 ふと、警策は手元の高周波エッジに視線を落とした。

 先ほどの無茶な防御で、刃は確実に歪んでいることだろう。

 だが――違った。

 

(……ダメージが、ない?)

 

 刃は新品同然のまま、傷一つ見当たらない。

 

(おかしい……あの手は、私の剣を一撃で粉砕するほどの出力を持っていた。それなのに、高周波エッジは壊せなかった?)

 

 警策は戦場を見渡しながら、思考を高速で巡らせる。これまで少女が見せた不可解な現象を順に洗い直していた。

 一瞬で間合いを詰める速度。

 時ヶ谷にも可能だった以上、それ自体は異常とは言い切れない。

 だが問題は、防御と攻撃の間に生じた『わずかな遅れ』だった。

 

(私の金属矢を防いだ後、明らかに速度が落ちている……最初の瞬間移動じみた踏み込みに比べて、次の動きには確かにラグがあった)

 

 視線が、破壊されたワゴン車の残骸と、散らばる銀の雫へと移る。

 速度・出力・防御力。そのどれもが突出しているように見える。

 だが、違和感は残る。

 

(それにもう一つ……剣で斬りかかったとき、反発が一切なかった)

 

 通常、力は必ず双方向に働く。威力はどうであれ、接触すれば反動は発生するはずだ。

 しかし先ほどは、それが完全に欠落していた。

 重力加速による質量攻撃でさえ、だ。

 

(……待て)

 

 警策の思考が、一つの仮説に収束していく。

 これらの異常を説明できる条件があるとすれば、それは一つしかない。

 その仮説を確かめるように、警策は散った銀の雫へ意識を向けた。

 

 再構築を試みる。

 だが、反応しない。どうもこちらの制御が届かないようだ。

 それでも警策は、()()()()()()()()()

 

(――ナルホド、そういうことか)

 

 薄紅色の唇の端が、わずかに弧を描く。

 

(私の素性を把握していたなら、能力が割れている可能性は高い。……もし彼女の能力が私の読み通りなら、すべて辻褄が合う。とはいえ……もう少し判断材料がほしいかも)

 

「第二ラウンドいくっしょ〜」

 

 気軽な言葉の直後だった。

 先ほど銀髪少女に防がれて路面に転がっていた無数の金属矢が、どろりと形を崩す。それぞれが集まると、五体の人形が起き上がる。

 銀髪の少女はそれを一瞥すると、感情の読めない声で言った。

 

「今度は人形遊び?たった五体とは、随分舐めた真似を…。もう気づいてるくせに」

「そうね、アンタに壊された剣が復元できないなら、おそらく壊された人形も同じ……」

 

 デモデモ、と彼女は付け足した。

 

「私の手札は能力だけじゃないのよ?」

 

 そう言うと、警策は手元の高周波エッジをくるりと回し、あえて相手に見せつけるように構えた。

 

「……そんなオモチャで、勝てるとでも?」

「どうカナ〜? あなたには壊せなかったみたいだし、ひょっとしたらワンチャンあるかもよ?」

 

 芝居がかったように一拍置き、不敵な笑みを浮かべて彼女は告げる。

 

「だからサー、お姉さんの人形遊びには、ちょっと付き合ってよ?」

 

 

     ◇

 

 

 その頃、弓箭猟虎は巌根泰造と共に高架道路を離れ、近くの廃れた建物の中に身を隠していた。

 元々はショッピングモールだったのだろう。吹き抜けの広い空間には割れたガラスと瓦礫が散乱し、色褪せた看板や崩れかけたシャッターが、かつての賑わいの名残を辛うじて留めている。人の気配はすでになく、風が抜けるたびに、どこかで金属が軋む音だけが響いた。

 二階の一角、店舗跡の奥。視界が吹き抜けに開ける位置で、弓箭は息を殺して身を潜めていた。巌根もまた、崩れた什器の陰に身を寄せている。

 ここなら吹き抜け全体を見渡せるうえに、一階の動きも追える。敵は必然的に最初に一階へ集まるため、規模と編成を把握するには最適の位置だった。

 

(……来ましたね)

 

 複数の足音が、広い空間に反響する。やがてショッピングモール中央の吹き抜けに、大勢の人影が流れ込んだ。

 人数はざっと三十人。全員アサルトライフル装備。統制の取れた動きから見て、ただの烏合の衆ではなく、先ほど高架道路で遭遇した武装集団の仲間だろう。

 

(……これは少々厄介ですわね)

 

 弓箭は一瞬だけ視線を巡らせ、吹き抜け全体と出入口の配置を再確認する。敵はおそらく直ちに各出入口を封鎖し、自分たちをここに閉じ込めるつもりだろう。長引けば増援が重なり、状況は確実に悪化する。

 とはいえ、屋外でこの人数と正面から遭遇するよりは、まだ対処の余地はある。建物内であれば視界は遮られ、射線も制限される。人数の優位はそのまま機能しにくい。少なくとも、即座に圧殺される状況ではない。

 

(本来でしたら、モール内を移動しながら狙撃を続け、シュート・アンド・スコートで対応できますのに)

 

 撃っては移動し、位置を悟らせない。

 それが狙撃戦の基本であり、数的不利を覆すための最も確実な手段。

 弓箭はわずかに肩越しに、崩れた什器の陰にいる巌根へ視線を落とす。

 

(わたくし一人ならまだしも、この人を連れながらでは移動速度は大きく制限されますわね)

 

 シュート・アンド・スコートにおいて、機動力はそのまま生存率に直結する。

 射撃後の離脱が遅れれば再配置の自由は失われ、結果として主導権を奪われる。

 

(どこかに隠れていただいて、わたくしが陽動役として敵を引き付けつつ仕留めます? いや……別行動と見なされれば、敵は間違いなく護衛対象を優先して捜索するでしょうから)

 

 潜伏に関しては、弓箭と巌根の間には明確な差がある。護衛対象が発見された時点で、作戦は失敗する。

 巌根がここで殺害されれば、あの銀髪少女は任務達成と判断し、撤退に移る可能性が高い。そもそも今回の作戦自体は敵の親玉を誘い出し、その身柄を確保するための『餌』として護衛対象を利用しているに過ぎない。

 

 つまり、巌根の生存時間そのものが、警策と銀髪少女の戦闘を引き延ばす要素になる。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そう考えている間に、敵はすでに動き出していた。

 予想通り、武装集団は複数の分隊に分かれ、ショッピングモール内へと散開する。一分隊あたり約五名、全体で六つの分隊構成。広大な吹き抜け構造を持つこの施設を考えれば、索敵効率を優先した合理的な配置だ。

 

(ならばこちらも、敵が十分に拡散し切った段階で各分隊を個別に処理するのが最も効率的ですね……)

 

 弓箭の狙撃はほとんど無音だが、敵側はそうではない。反撃時の銃声を聞きつけて、周囲の分隊が駆け付けてくるリスクが高い。

 

「とりあえず、場所を移しまし――」 

 

 ここで立ち止まっていても、事態は好転しない。

 弓箭が背後の巌根を促そうと振り返った、その瞬間だった。

 

 視界の端に『何か』が引っかかる。

 次の瞬間には、思考よりも速く体が動いていた。左腕――否、正確にはそこに仕込まれた中距離用の仕組み銃は、既に巌根の背後へと向けられていた。

 弓箭の唐突な反応に、巌根も遅れて背後へと視線を向ける。

 

 そこに、人影があった。

 薄暗い店舗の奥。いつからそこにいたのか分からないまま、一人の人間が静かに立っている。

 巌根はごくりと息を呑んだ。ここで大声を立てれば、敵を呼び寄せることになる。

 

「……どちら様ですか」

 

 弓箭の声は低く、冷えていた。

 この人物は敵か、味方か。

 仮に敵だとすれば、なぜ今まで行動を起こさなかったのか。

 思考が答えに辿り着くより先に――

 

 人影は言葉を返さないまま、静かに一歩前へ踏み出した。

 暗闇に慣れつつあった視界が、その輪郭をわずかに浮かび上がらせる。

 

「あなたは――」

 

 その瞬間、弓箭の銃口が静かに下がった。

 現れたのは、彼女の知る人物だった。

 

 

     ◇

 

 

 五人編成の分隊の一つが、薄暗いショッピングモールの三階を慎重な足取りで索敵していたが、これといった成果は上がっていなかった。

 

「ここにもいないな。……本当にいるのかよ?」

 

 アサルトライフルを構えた男の一人が、苛立ち混じりに呟く。

 先頭を行く分隊長らしき男は、そうひた空気を一瞥で制し、首を縦に振った。

 

「間違いない。護衛らしき女が、標的の男を連れてこの施設に入るのをこの目で確認してる」

「でもよ、いつまで探すんだ? ここ広すぎるだろ。かくれんぼは苦手なんだが」

「同感だな。こんな迷路みたいな場所、まともに探せるのかよ」

 

 不満が短く広がるのを、分隊長が低い声で切り捨てる。

 

「すべての出入口は他班が押さえてる。こっそり抜けることはできん」

 

 分隊長はそこで一拍置き、わずかに口角を歪めた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 左手に握られていた小型の装置を軽く持ち上げる。時限式のプラスチック爆薬だった。

 彼らの任務は、単なる捜索ではない。

 建物内を移動しながら爆薬を設置し、仮に標的を見つけられずとも、全域に仕掛けを完了させればいい。

 そして最後に外部から起爆し、施設ごと木っ端微塵にする。 

 

「しっかし、『連中』もえげつないことをやるな。オッサン一人をバラすために、ここまで派手なことをするとは……。一体どんな裏があるんだ?」

 

 隊員の一人が半ば呆れたように呟く。

 分隊長はちらりとそちらを見て、軽く窘める。

 

「命が惜しければ、それ以上は考えるな。好奇心は猫を殺す、って言うだろう。俺たちは所詮下部組織だ。与えられた命令を遂行する、それだけだ」

 

 その一言で、隊員たちはそれ以上何も言わなくなった。

 そんな時だった。

 通路の奥、薄暗い影の中から、誰かが歩いてくる。

 五人の男たちの空気が一瞬で変わった。

 安全装置を外す乾いた音が重なり、銃口が一斉にその影へ向けられる。

 

 現れたのは――巌根泰造だった。

 しかし妙なことに、護衛役の女の姿はどこにもない。

 銃口を向けられても、彼は表情一つ変えない。

 ただ静かに、こちらへ向かって歩いてくる。

 男たちの緊張が一気に高まる。

 

「撃て!」

 

 分隊長の号令と同時に、引き金が一斉に引かれる。

 乾いた銃声が、狭い通路に叩きつけられた。

 連続する発砲音が反響し、空気そのものが震える。

 一直線の通路。遮蔽物はない。距離も近い。

 外すはずがない。

 

 しかし――

 

「……なっ?」

 

 誰かが間の抜けた声を漏らした。

 弾が、当たらない。

 壁に火花が散る。床が抉れる。

 弾丸は確かに通路を埋め尽くしている。

 

 だが、()()()()()()()()()()()()()()()

 彼は変わらず、ゆっくりと歩いてくる。

 

「うそだろ、当たってねぇぞ!」

「ちゃんと狙え!」

「狙ってるに決まってんだろ!」

 

 怒号と共に、さらに銃声が重なる。

 それでも、一発も当たらない。

 距離はむしろ縮まっているはずなのに。

 

 もちろん、向こうも黙って歩いているわけではなかった。

 サイレンサー付きの拳銃から一発、二発と次々と弾丸が発射され、隊員たちは次々と着弾して倒れていく。  

 気づけば、通路には倒れ伏した男たちが転がっていた。

 床に倒れ込んだまま、分隊長は無線機へ手を伸ばす。

 

「……こちらA班、標的を発見。場所は三階の――」

 

 言い終える前に、左腕に激痛が走った。

 

「ぐあっ!」

 

 衝撃で無線機が手から弾かれ、床へ落ちる。撃ち抜かれたのだ。

 分隊長は歯を食いしばりながらライフルを構える。

 

 左腕は使い物にならない。

 撃ち抜かれた箇所を押さえるたび、焼けつくような痛みが脳天まで突き抜ける。

 それでも銃口だけは、目の前の男から外さない。

 

 理解できなかった。

 さっきの妙な『動きは』、なんだったんだ。

 あの距離。あの弾数。

 五人の集中砲火が、かすりもしない?

 分隊長の背筋に、冷たいものが走る。

 

「テメェは、一体……」

「知らなくていいです」

 

 『巌根泰造』は、まるで感情の起伏を感じさせない口調で言った。

 

 彼は静かに拳銃の銃口を分隊長へ向けて、

 

「お言葉を借りるのなら――()()()()()()()()、ですから」

 

 直後、容赦なく引き金を引いた。

 

 

     ◇

 

 

 ショッピングモールの外周には、二十名以上の武装集団が配置されていた。

 正面入口、搬入口、非常口、そしてガラス張りの窓、考え得るあらゆる脱出経路が監視されている。

 

 彼らはそれぞれ出入口から少し距離を取った物陰に身を潜め、建物の動きを注意深く見張っていた。

 

「……状況はどう?」

 

 駐車場側の植え込みの陰に伏せていた男の一人が、無線越しに小声で呟く。

 

『聞いての通り、A班がやられたようだ。標的は三階にいるらしいから、今他の班はそっちに向かってる』

「ずいぶん奥まで入り込んだもんだな」

 

 男はライフルを構え直しながら、ガラス越しの暗い店内を睨む。

 

「逃げ出してくれりゃ話は早いんだがな」

『無理だろ。出口は全部マークしてる』

 

 無線の向こうで、別の男が短く笑った。

 

『窓を割って飛び出してきても、撃つだけだ』

「はは、違いない」

 

 軽口を叩きながらも、視線だけは一瞬たりとも建物から外さない。

 この場にいる誰もが理解していた。標的が逃げるなら、必ずこの外周を通る。

 仮に中へ籠城したとしても、その時は、ショッピングモールごと爆破する。どのみち、逃げ場はない。

 

 だが、彼らはまだ気づいていなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ザァァァッ!

 突風が吹き抜けるような轟音が、外周にいた男たちの耳を打った。

 距離は遠くない。むしろ、すぐ近くだ。

 

「……なんだ、今の音」

 

 直後、無線からノイズが弾けた。

 最初に聞こえてきたのは――銃声だった。

 

 乾いた発砲音が、立て続けに無線越しへ叩きつけられる。

 次いで、仲間の叫び声。

 

『こ、こちらF班! 先ほど襲撃を受けた! 相手は……おそらく能力者だ! いま反撃中――!ダメだ、攻撃がまったく通用しな……ぐぁあああ!!』

 

 凄絶な悲鳴が無線を裂いた途端、通信が途切れる。

 ノイズだけが、しばらく耳障りに鳴り続けた。

 

「おい! 応答しろ! F班、応答しろ!」

 

 男は無線機を握りしめたまま叫ぶ。

 だが、返事はない。

 

「一体……何が!?」

「隊長、後ろ!」

 

 植え込みに身を潜めていた仲間の叫び声に、男は反射的に振り返った。

 そして一瞬、言葉を失う。

 そこには、いつの間にか一人の少女が立っていた。

 

 射干玉の黒髪。茜色の双眸。陶磁器のように白い肌。

 紺のブレザーに白いプリーツスカートという、どこかの学校の制服と思しき装いから見て、せいぜい高校生か中学生ほどにしか見えない。

 

 だが男の直感が、強烈な警鐘を鳴らしていた。

 こいつは只者ではない。

 

「撃て!」

 

 次の瞬間、銃声が炸裂した。

 弾丸の嵐が、容赦なく少女の華奢な体へと殺到する。

 しかし次の瞬間、少女の姿が一瞬で視界から消失する。

 気がついたときには、すぐ目の前にいた。

 

「っ!?」

 

 男が至近距離で引き金を引こうとした、その直前。

 少女の手が、素早く動く。

 

 ドンッ!!

 手刀が男の腹部に叩き込まれていた。

 衝撃だけで、男の体が宙へ弾き飛ばされる。

 植え込みをなぎ倒しながら、十メートル近く後方へ吹き飛んだ。

 

 その間にも、少女はすでに動いていた。

 一人。また一人。

 目で追えない速度で接近し、同じ一撃を叩き込む。

 数秒もしないうちに、武装した男たちは次々と地面に沈んでいった。

 

「ぐっ……」

 

 吹き飛ばされた男は、激痛に歪む体をなんとか起こそうとする。

 だが、直後に違和感に気づく。

 動きが、妙に鈍い。

 腕を動かすだけでも、まるで水の中にいるように重い。

 

「な……んだ……」

 

 声さえ、スローモーションのように途切れ途切れになる。

 その様子を見下ろしながら、少女は静かに告げた。

 

「『固有時間』を少し遅らせているだけですわ」

 

 倒れ伏した男たちの間に立ち、少女――時ヶ谷凛音は淡々と続ける。

 

「安心なさってくださいまし。あなた方のお仲間は、ただ気絶しているだけです。もっとも……万が一目を覚まして妙な真似をされても困りますもの。ですから念のため、今の貴方と同じように『遅延化』をかけさせていただきましたわ」

 

 やがて、激痛に耐え切れなくなったのか、男の意識が落ちた。

 

(さてと……)

 

 時ヶ谷は男たちから視線を外し、ゆるやかに顔を上げる。

 ショッピングモールの内部からは、くぐもった断続的な銃声が響いていた。建物の奥で戦闘が続いている気配だけが伝わってくる。

 

(外周の敵は一通り片づけましたけれど……そちらも、そろそろ決着がつきそうですわね)

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