とある暗部の才人工房   作:雨宮ヒトシ

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Phase33「反撃 -カウンターアタック-」

 銀髪少女を取り囲んでいた五体の銀の人形達が、同時に全方位から彼女へと襲い掛かる、その一瞬だった。

 いきなり銀髪少女が地団駄を踏みつける。 

 

 ドォンッ!と鈍い衝撃音と共に、地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走った。

 足場を奪われた人形達は一斉にバランスを崩す。

 その一瞬の隙を突き、銀髪少女は人形の間をすり抜けていた。気が付けば、すでに警策の懐まで。体を捻り、斜めから鋭い蹴りを放つ。

 

「悪いけど、人形遊びに一々付き合ってる暇はない」

「あっはっは、アンタってホントに私しか眼中にないみたいね?」

 

 ばさり、という巨大な翼がはためく音があった。警策は銀の翼を広げ、蹴りを紙一重で躱すと、そのまま路面から飛び去っていた。

 ふわりと空中に留まりながら、銀翼の悪魔はくすくすと嗤って、

 

「アンタの攻撃、確かに威力はエグいけどさ。触れられなきゃ問題ないっしょ?」

 

 これまで彼女が仕掛けてきた三度の攻撃。そのすべてが、高速移動による急接近だった。

 逆に言えば、彼女の手の届かない距離は一応安全圏になる。そして空は、その最たる場所のはずだった。

 

「……その程度の高さで、私から逃げ切れるとでも?」

「思ってないよ?」

 

 警策は軽い調子で即答する。

 翼で空気を溜め込み、尻尾を妖しくくねらせながら、彼女は楽しげに続けた。

 

「でもイイの? 私ばっか見てると――危ないかもよ?」

 

 その直後だった。

 銀髪少女の背後から、人形の鞭が唸りを上げて襲い掛かる。

 彼女は即座に横へ跳んで回避した。

 

 ズバァンッ!

 空気を裂いた銀の鞭が、その隣に停まっていたセダンを真っ二つに断ち割る。車体が鈍い音を立てて左右に崩れ落ちた。

 

(高みの見物で私を消耗させるつもり?)

 

 銀髪少女の思考は冷たく回る。 

 

(いいわ。まずはご自慢の人形を残らず叩き壊してやる)

 

 次の瞬間、少女の姿が搔き消えた。人形の懐へ、瞬きの間に潜り込む。

 振り上げた手刀が銀の胴体へ叩き込まれようとした――その刹那。

 背後で花火のような音がして、少女は反射的に肩越しに振り返る。

 

 それは、曲線を描いて迫ってくる四本の投擲ナイフだった。

 空中の警策が投げ放ったもので、先ほど武装集団を制圧した際に使っていたドローンナイフである。

 

 銀髪少女は()()()()()()()()()()

 次の瞬間、四本の刃のうち三本が腕や脇腹へ直撃した。

 だが、刃は貫通しない。彼女の身体に触れた瞬間、まるで見えない壁に阻まれたかのように空中で静止し、そのまま力なく地面へ落ちた。

 

 そのほんの僅かな隙、目の前の人形に動きがあった。

 両腕を広げ、彼女へ正面から抱きつくように絡みつく。

 同時に、四方から三体の人形が飛び込んだ。銀の身体がどろりと崩れ、互いに溶け合う。瞬く間に形を変え、少女の身体を包み込む四角い塊となった。

 

(私の防御を突破できないと分かって、今度は拘束か)

 

 確かに、彼女の防御を正面から破るのは難しいかもしれない。

 しかし、こうして閉じ込めてしまえば話は別だ。行動不能なうえ、いずれ酸素が尽きて気絶する。

 

(悪くない発想だけど、残念ね。一つの塊にまとめてくれると――()()()()()()()()()()()

 

 直後だった。

 ドォンッ!!

 四角い牢獄が内側から爆ぜた。銀の塊が砕け散り、無数の雫となって四方へ飛び散り、アスファルトへ降り注ぐ。

 拘束から解放された少女は、路面へ着地する。

 

 ――だが、息をつく暇はなかった。

 その瞬間、視界いっぱいに銀の影が迫る。

 一体の人形が、すでに彼女の眼前まで踏み込んでいた。

 

 忘れてはいけない。この場にいた人形は――全部で五体。

 牢獄の形成に使われたのは四体だけだった。

 つまり、まだ一体、残っている。

 

 人形が腕を鞭のように伸ばし、至近距離から銀髪少女へしならせた。

 だが少女は、その一撃を――素手で掴む。

 

「これで終わりよ」

 

 バシャッ。

 銀の躯体が崩れ落ちる音。

 最後の人形が形を失い、銀の雫へと戻っていく――その直前。

 崩れかけた銀の中から、何かが『跳ねた』。

 

 銀光を引いて、一本の刃が飛び出す。

 

「っ……!?」

 

 少女の瞳に、初めて明確な動揺が走った。

 

 遅れて、脳裏に空白が埋まる。

 

(そういや――)

 

 警策が投げたドローンナイフは四本。命中したのは三本。

 では――残る一本は、どこへ消えた?

 あの時、視界はすでに銀の牢獄で遮断されていた。確認のしようがない。

 

(まさか……その間に、ナイフを最後の人形に仕込んだのか……!?)

 

 理解した瞬間には、もう遅かった。

 ズブッ、という鈍い肉の貫通音。

 最後のドローンナイフが、銀髪少女の脇腹へ深く突き刺さる。

 

 今度は、防ぐ余地すらなかった。

 肉が裂ける感触とともに、赤い雫が空中へ散る。

 膝をついたまま、銀髪少女は呼吸を整える。

 脇腹の傷から、赤がゆっくりと広がっていた。

 

()()()()()()? ()()()()()()()()()()()()()()()

 

 警策看取は翼を羽ばたかせ、重力を感じさせない足取りで路面へ降り立つ。

 一歩ずつ、銀髪少女へ距離を詰めながら続けた。

 

「アンタの能力、攻撃・防御・速度、どれも単体なら異常なレベル。でもね――『同時に使えていない』よね?」

 

 視線が鋭くなる。

 

「最初にドローンナイフを投げたとき、アンタは攻撃をやめて防御に徹した。金属矢のときも同じ、一瞬だけ動きが鈍った。つまりアンタの能力は『攻防一体』じゃない。攻撃・防御・速度のうち、どれか一つしか発揮できないタイプと見た」

「……」

 

 それから、と彼女は手の中の高周波エッジを軽く揺らして、

 

「高周波エッジは表面振動で空気層を作ることで強度を上げる。アンタの手は直接コレに触れてない……となると、『物体そのものを壊す』んじゃなく、触れた対象の性質――強度とか質量とか、そういう『物理的パラメータ』を操作してるのかもね」

 

 視線がワゴン車の残骸へ向く。

 

「車が壊れたのは強度の低下。剣が復元できなかったのは比重の変化で操作できなくなった。金属矢や剣を防げたのは、運動量そのものを相殺してるから。瞬間移動に見えたのも、空間的距離の『再定義』で説明がつく。そういう仕組みでしょ?」

 

 そして、結論を落とすように言う。

 

「だったら話は簡単よ。攻撃と防御は同時に使えない。切り替えの瞬間に僅かなラグが生じる。アンタが『攻撃』に切り替えた瞬間に、不意打ちを叩き込めばイイだけよ」

 

 最初に彼女が人形へ攻撃を仕掛けた瞬間、警策がドローンナイフを投げたのは、能力を試すためだけではない。意識を一瞬逸らすためでもあった。

 その隙に人形が抱きつき、銀髪少女を銀の牢獄の中へ閉じ込める。

 

 だが、その拘束すら本命ではない。

 視界と行動が封じられているわずかな時間に、四本目のドローンナイフは最後の人形の内部へ潜り込み、罠が完成する。

 

 あとは簡単だ。

 少女が牢獄を破壊して脱出した直後、最後の人形を投入する。

 相手は当然それを破壊する。

 その瞬間、仕込まれたナイフトラップが発動する。

 

「アンタ、事前に私のこと調べてたでしょ? 能力の性質も、戦い方も、だいたい把握してる。デモデモ、能力にばっかり目が行きすぎなのよ?」 

 

 そう言って、警策は指先で高周波エッジをくるりと回す。

 

「コイツもドローンナイフも、私の能力ならいくらでも似たようなものを生成できる。なのに、どうしてワザワザ『得物』として使ってると思う?」

 

 わずかな沈黙の後、銀髪少女がゆっくりと口を開いた。

 

「……なるほど」

 

 脇腹から血を流しながらも、彼女の表情は変わらない。

 

「読みを鈍らせるために、あえて能力以外の手札を混ぜた……か」 

 

 それから、すぐ目の前まで歩み寄った警策を見上げて、

 

「少々あなたのことを甘く見ていたようね、暗部の悪魔」

 

 でも、と少女は静かに言葉を継いだ。

 

 

()()()()()()()()――『()()()()()()()()

 

 

 その直後だった。

 ドォンッ!!

 腹の底に響くような爆発音が轟く。

 警策は反射的に音のあった方向に目を向ける。視線の先、火柱を上げていたのは、すぐ近くのショッピングモールだった。

 

 

     ◇

 

 

 ――その少し前。

 薄暗いショッピングモールの中で、乾いた銃声が立て続けに弾けた。

 

 ダダダダッ! 

 アサルトライフル装備の十数人の男たちが、一斉に引き金を引いている。

 狙う相手はたった一人――巌根泰造である。

 

 無数の銃弾が火花を散らしながら床や柱を削り、一直線に中年のおっさんへ殺到する。

 だが、当たらない。

 

 巌根はわずかに体を傾け、半歩だけ足を滑らせる。それだけで弾丸は彼の横をかすめ、背後のガラスや壁へ叩き込まれていく。

 破片が飛び散る。それでも彼の身体には、かすり傷一つつかない。

 

「いったい何なんだ、こいつは!?」

 

 狼狽えていたのは、むしろ撃っている側だった。

 理由は単純だ。普通の人間なら蜂の巣になっているはずの弾幕を、目の前の中年はまるで散歩でもするかのような軽さで潜り抜けている。

 しかも、確実に距離が詰まっている。

 

 パンッ。というサイレンサー越しの鈍い破裂音。

 至近距離から撃ち抜かれた男が、悲鳴を上げる間もなく崩れ落ちた。

 

 商品の陳列棚を遮蔽物にして身を潜めながら、数人の男たちは引き金を引き続けていた。

 銃口から火花が散り、弾丸が売り場の床や柱を削り取っていく。

 

「増援はまだなのか!?」

「応答がない! もしかして……もうやられてるのか!?」

「くそっ、一体どうなってんだ!」

 

 男たちは顔を見合わせた。

 巌根の居場所を知らされ、仲間の要請で駆けつけてきたはずだった。

 だが――状況は、どう考えてもおかしい。

 

「あの護衛の女はどこ行った?」

「さあな……護衛対象置いて逃げたとか?」

「んなわけあるか! そもそも護衛なんて要るのかよ!」

 

 棚越しに弾をばら撒きながら、一人が吐き捨てる。

 

「こんなおっさんがここまでやれるなんて聞いてねえぞ! 弾を避けるとか、映画じゃねぇんだから!」

 

 一瞬、場が静まる。

 そして誰かが、低くつぶやいた。

 

「……こいつ、まさか能力者」

 

 言いかけて、男は自分で首を振った。

 

「いや、あり得ねえ。大人が能力者なわけが――」  

 

 言葉が途切れる。

 気づいたときには、中年のおっさんはすでにすぐ近くまで距離を詰めていた。

 パン、パン、と二発。男のすぐ横にいた二人は、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。

 

「このっ!?」

 

 男は反射的にベルトから手榴弾を引き抜く。

 安全ピンを引き抜き、巌根めがけて投げつけようとした。

 だが、その腕が振りかぶられるより早く。

 巌根の手が、男の手首をがしりと掴んだ。

 

「っ――あがっ!?」

 

 容赦なく捻り上げられた関節が悲鳴を上げる。

 激痛に耐えきれず、男の指が開いた。

 カラン、と手榴弾が床に落ちる。

 男は悲鳴を上げ、尻餅をついた。

 

「まずい!」

 

 この距離で爆発したら――自分も終わりだ。

 だが次の瞬間、巌根はすでに動いていた。

 落ちた手榴弾を拾い上げると、そのまま振り抜くようにして――

 半ば砕けていたショッピングモールのガラス窓を突き破り、外へ投げ捨てる。

 

 ガシャァン!!

 一拍遅れて。

 ドォンッ!!

 外で爆発が炸裂し、衝撃波が店内へ吹き込んできた。

 

 尻餅をついたまま、男は必死にライフルをかき寄せた。

 震える手で銃口を持ち上げ、目の前の中年へと向け、引き金を引く。

 

 カチッ。乾いた空転音だけが響いた。それ以外何も起きない。

 弾切れだ。

 男の顔から血の気が引いていく。

 その様子を、巌根は無表情のまま見下ろしていた。

 

「残弾の数は、常に把握しておくことです」

 

 淡々とした声だった。まるで新人に注意を与える教官のように。

 そして静かに、サレンサー付きの拳銃の引き金を引いた。

 くぐもった発砲音と共に、男はその場で力を失い、床へと崩れ落ちた。

 

 再び、ショッピングモールに静寂が戻る。

 割れたガラスの向こうから吹き込む風だけが、売り場の紙片をかすかに揺らしていた。

 

「もう終わりました」

 

 巌根は、どこかへ呼びかけるようにそう言った。

 すると、物陰の奥から二人の人影がゆっくりと姿を現す。

 

 一人は、腰まで届く長い黒髪をツーサイドアップにまとめた、お嬢様然とした少女。

 そしてもう一人は――どこにでもいそうな、平凡な顔立ちの中年男性。

 もしこの場にまだ意識のある者がいたなら、きっと目を疑っただろう。

 なぜなら、そこには、顔が瓜二つの中年男性――『()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『巌根泰造』は二人のもとへ歩み寄りながら、黒髪ツーサイドアップの少女に声をかけた。

 

「そちらもちょうど片がついたところのようですね」

 

 弓箭猟虎は肩をすくめ、軽く息を吐く。

 

「ええ、あなたが派手に敵の注意を引きつけてくれたおかげで、こちらもかなり動きやすくなりました。おかげで、こっそり狙撃するのも楽でしたよ」

 

 そう言って、彼女は腕の仕組み銃を軽く叩いた。

 そして視線を、改めて目の前の『男』へと向けて、

 

 

「さて、そろそろ教えていただけますか? あなたはいつからここにいらっしゃったのですか――()()()()?」

 

 

 その言葉に呼応するかの如く、次の瞬間、『巌根泰造』の姿が崩れるように消えた。代わりに現れたのは、一人の少女だった。

 肩口まで伸びた紫紺の髪。長い前髪が左目を覆い、その表情の一部を隠している。

 左右には小さく結ばれた束があり、わずかに跳ねるように揺れていた。

 その身に纏っているのは、場違いなほど落ち着いたレトロな喫茶店の制服。

 喫茶エーデルワイスのウェイトレス――納夢禍棲は、静かに口を開いた。

 

「『バイト』が終わったあと、店長の指示で急いでこちらへ向かいました。敵が先ほどの地点で攻撃を仕掛けた以上、一番近くて人気のない場所――このショッピングモールに誘い込むと判断しましたので」

「なるほど……」

 

 弓箭は軽く目を細める。

 

「それにしても、先ほどの『偽装』と、あの妙な動きはあなたの能力ですか?」

「はい」 

 

 淡々とした返答だった。

 

「実を言うと、こちらに増援が来た時点で排除してくださったのは助かりました」

「と、仰いますと?」

()()()()()()()()()()()()()、『()()()()()()()()()()()()()()()()。まあ、なので最初から一本道の動線になるように、意図的に場所を誘導していましたが」 

 

 それより、と納夢は話題を切り替えた。

 

「そろそろここを離れましょう。長居は得策ではありません」

「? 敵の増援なら助っ人がなんとかしてくださると仰っていませんでしたっけ?」

「そちらではありません」

 

 納夢はきっぱりと否定する。

 

「敵はもともと、この施設ごと爆破するつもりだったようです。見た限り時限式ですが、遠隔起動の可能性も否定できません。外の見張りが排除されている今、起動されれば、すぐにでも――」

 

 その時だった。

 納夢は耳元の通信機に指先を当てる。誰かからの連絡があったようだ。

 それから短い沈黙。

 

「……まずいですね」

 

 そう呟いた直後、彼女は迷いなく駆け出した。

 

「走ってください」

 

 それだけを残して。

 

「えっ、ちょっと――!」

 

 弓箭と巌根も慌ててその後を追う。

 

「どうなさったのですか?」

 

 全速力で走りながら弓箭が問う。

 納夢は息も乱さず答えた。

 

「簡単に言うと、敵が捨て鉢になりました。施設内に残っている負傷者ごと――遠隔操作で時限爆弾を起動したようです」

 

 その言葉に、空気が一瞬凍る。

 弓箭も、隣を走る本物の巌根も顔を強張らせた。

 

「残り時間は!?」

「約三分」

「三分!? ここ最上階ですよ!? 普通に降りてたら間に合うわけが――!」

「なので『下』には行きません」

「は?」

「『上』に行きます」

「……ちょっと待ってください、まさか屋上から飛び降りるつもりじゃ――」

「ええ、本来なら窓の方が一番手っ取り早いですが、残念ながらあれは脂ぎったおっさんが通れるほどのサイズではありませんので」

「ここ6階建てですよ!? クッションなしで飛び降りたら普通に死にます!」

 

 立て続けに抗議する弓箭だったが、納夢はそれ以上何も言わず、ただ走り続けた。

 その背中を、二人は渋々ながら全速力で追う。

 

 弓箭はまだしも、運動不足気味の中年男性にとっては、まさに限界走だった。

 やがて、屋上への扉が勢いよく開かれる。

 強い風が吹き込み、髪を揺らすが、誰もそれを気にする余裕はない。

 

「残り一分です」

 

 納夢は短くそう告げると、そのまま屋上の端へ一直線に駆けた。

 

「ああ、もう知りません!」

 

 弓箭は半ば投げやりに叫びながら、膝に手をついて荒い息を吐く巌根の腕を掴む。

 

「行きますよ!」

「ま、待てって……!」

 

 引きずられるようにして、再び走り出す。

 そして、納夢が何の躊躇もなく、屋上の端から飛び降りた。

 その瞬間、弓箭も覚悟を決めるように踏み込み、

 青ざめた中年男性を引っ張ったまま、空へと身を投げた。

 

 次の瞬間、異変が起きた。

 ゴォッ!!

 凄まじい上昇気流が三人の身体を包み込み、落下していた身体がふわりと浮き上がる。

 

(……風?)

 

 弓箭が反射的に下を見た、その先に――見覚えのある人物が立っていた。

 その顔を認識した瞬間、思わず声が漏れる。

 

「時ヶ谷さん!?」

 

 時ヶ谷凛音は片手を軽く振るように動かし、風の流れを精密に制御していた。

 落下する三人の速度を殺し、そのままゆっくりと地面へ導いていく。

 そして、何事もなかったかのように静かに着地させた。

 

 しかし、安心するにはまだ早い。

 残り五秒。

 カウントダウンは容赦なく進む。

 爆発までの猶予は、あまりにも短い。

 

「わたくしの背後へ!」

 

 時ヶ谷の鋭い声が飛ぶ。

 三人は反射的にその指示に従い、彼女の背後へ身を滑り込ませた。

 時ヶ谷は右手を前方へ突き出す。

 空気がねじれ、見えない気流の壁が形成されていく。

 

 直後だった。

 ドォンッ!!

 灼熱の炎が一気に噴き上がり、建物全体を呑み込むように広がる。

 同時に、瓦礫やガラス片が爆風に乗り、凄まじい速度で四方へ弾け飛んだ。

 そのすべてが、風の障壁へと叩きつけられる。

 

 ギィィィンッ!!

 甲高い衝突音があった。

 破片は弾かれるように跳ね返り、逆流する風圧に呑まれて軌道を失っていく。

 炎と破片の奔流を、圧縮された気流の壁が悉く受け止めていた。

 押し寄せる爆風は次第に削がれ、勢いを失っていく。

 

 やがて轟音が遠ざかり、灼熱の奔流も弱まり――

 ついには、完全に止んだ。

 残ったのは、崩れた建物の残骸と、風に揺れる灰だけだった。

 

「はぁ……危機一髪でしたね」 

 

 弓箭猟虎は胸を撫で下ろすように、深い溜息をついた。

 隣では、巌根泰造が尻餅をついたまま、まだ呆然としている。爆発と救出の一連の出来事が、どうやら頭の中で整理しきれていないらしい。

 一方、納夢禍棲というと、相変わらず無表情のままだった。まるで今の出来事は、日常茶飯事であるかのように。

 

「……仲間まで巻き込むなんて、とんだ外道ですわね」

 

 時ヶ谷凛音はそう呟き、前に差し出していた手を静かに下ろした。

 その指先は、わずかに拳を握りしめている。

 守ったのはこれだけだ。建物の中に残っていた者たちがどうなったかは、言うまでもない。

 

 警策看取も。弓箭猟虎も。時ヶ谷凛音も。納夢禍棲も。

 これまで敵を『無力化』こそすれ、決して殺してはこなかった。

 狙うのはあくまで腕や脚。急所を外した、戦闘不能にするための一撃だけ。

 だが、敵は違う。敵味方など関係なく、ただ標的を確実に抹殺するためだけに、こんな手段を選んだ。

 

「……」

 

 崩れ落ちたショッピングモールの残骸を見上げながら、納夢禍棲は何を思ったのか――心の奥で、静かに呟いた。

 

(……疑わしきは残らず始末する。いかにも『奴ら』のやりそうなことですね)

 

 道端でビラ配りをしていたときに目撃した、あのセーラー服の女。

 そして今回の事件。

 その二つが重なり、納夢禍棲はこの一件に『奴ら』の気配を色濃く感じていた。

 ふと視線を動かし、時ヶ谷凛音と弓箭猟虎を交互に見やる。

 

 ――この情報を話すべきだろうか。

 だが、根拠のある推測というよりは、ただの勘に近い。憶測の域を出ない話だ。

 

「もう行きましょう」

 

 納夢禍棲はそれだけ言って、三人を促した。

 胸の奥に残る怒りは消えていない。それでも、ひとまず気持ちを整えたのか、時ヶ谷凛音は静かに頷く。

 

「ええ……敵の追撃がこれで終わりとは限りませんし、今のうちここを離れた方が賢明ですわね」

 

 そう言って、彼女は背後の三人へ振り返った。

 

「巌根さんの護衛は貴女方にお任せしますわ、わたくしは念のため、警策さんのところへ向かいます」

 

(もっとも、救援要請もありませんでしたし……十中八九、ご無事でしょうけれど)

 

 弓箭も納夢も、時ヶ谷の采配に異議はないらしく、軽く頷いた。

 それを確認すると、時ヶ谷は一瞬にして、その場からふっと消えた。

 納夢はすぐさま、まだ尻餅をついたままの巌根に肩を貸して立たせた。

 一方、弓箭は周囲を警戒しながら、一足先に進んで二人の前へ出る。

 

「これからは、どこへ向かうんでしょうか?」

 

 歩きながら、弓箭猟虎は背後の納夢禍棲に問いかけた。

 彼女たちは第十一学区の脱出ルートを使い、護衛対象を学園都市の外へ送り出す――という建前で敵を誘い出した。

 つまり、最初からそこから巌根を本当に脱出させるつもりなどないことは、弓箭も理解している。

 だが、その後の計画については警策看取もディルバーも何も教えていない。

 だからこそ、何か知っていそうな納夢に尋ねたのだ。

 

(そもそも……ここまで来たら、護衛対象も用済みなのでは?)

 

 そんな疑問が胸をよぎる。

 だが、納夢の返答はどこか掴みどころのないものだった。

 

「そうですね……他に秘密の抜け道と言えば――第十学区、とか? ちょうど第十一学区と隣接していますし」

「第十学区?」

 

 思いがけない言葉に、弓箭は思わず首を傾げた。

 第十学区といえば、昨日、佐天と都市伝説狩りのために訪れたばかりの場所だ。

 学園都市の外縁に位置し、そして――ご存じの通り、都市で最も治安の悪い学区でもある。

 

「ご存じないですか? あなたも一応暗部の人間なのに」

 

 普段は表情の乏しい納夢が、珍しく「まさか」とでも言いたげな視線を向ける。

 

「第十学区といえば――」

 

 わずかに間を置いて、彼女は言った。

 

「『学園都市最大の禁忌』の噂がある場所じゃないですか」

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