(AM12:35)
「じぃ~~~~~……」
ドリーは両手でプラスチック製の射的銃を抱え込むように構え、息を潜めて標的を見据えた。
眉をぎゅっと寄せ、唇を真一文字に引き結んでいる。
彼女の視線の先――そこにあるのは、ちょっと特殊な射的ゲーム機だった。
直径2メートルほどの円形回転台。その上に、番号が貼られた小さな的たちがびっしりと並んでいる。レア景品ほど中央に置かれており、その手前には低レアの的が障害物のように並んでいるのだ。射線上に他の的が割り込んでくるため、レアをゲットするには、まずはそれらを排除してから本命を狙うのがセオリーとなる。
外周には駄菓子やミニ缶バッジ、中層にはぬいぐるみやキーホルダー。そして、中央――最も手に入れにくい場所には、目玉景品である『ゴールドゲコ太キーホルダー』の番号が輝いていた。
しかも、厄介なことに、その中央台だけは独立して、大きな台とは逆方向に、ふらふらと軸をずらしながら回転している。
数秒ごとに的の位置が微妙にズレる、えげつない設計だ。
使用できる弾は5発。
時間が経つごとに回転台の速度はどんどん上がり、プレイヤーを容赦なく焦らせてくる。
軽い樹脂弾は威力も弱めで、一度に倒せる的は基本一枚だけ。複数倒して中央まで一直線――なんて都合よくはいかない。
(よし、いくわよ)
ドリーは引き金に手をかけ、気合を入れてみせた。
1発目――
まずはゴールデンゲコ太までの直線上、邪魔な外側の的(38番)を狙う。
慎重に構え、呼吸を合わせて――パスンッ!
……だが、撃った瞬間に小さく「はっ」と声が漏れる。
弾は38番の手前をかすめ、そのまま空振り。
小さな樹脂弾が、空中にかすかに跳ねた音だけを残して消えた。
「うぇ~……ちょっとはやかったぁ!」
ドリーは軽く肩をすくめたが、すぐに気を取り直して再び銃を構えた。
2発目――
台はじわりと加速している。目で追うのがほんの少しだけ難しくなった。
今度こそと集中し、的が正面に来たタイミングで――パスンッ!
が、微妙なタイミングずれ。
弾は狙っていた的の隣、39番の的にかすりかけたが、当たるには至らなかった。
「んん~~おしい!!」
悔しそうに足踏みするドリー。
だが、まだ焦りの色はない。
3発目――
深く呼吸を整え、次はもっと内側、射線上の邪魔になる中間寄りの的(24番)を狙う。
回転台のスピードはさらに上がっている。
的が中央に差し掛かった一瞬を見逃さず――パスンッ!
コトン、と心地よい音。
見事、24番の的を撃ち倒した。
「やった~~っ!!」
ドリーは小さくガッツポーズ。
もらえる景品は中レアのフルーツキャンディらしいが、今はそんなことより、道が一本空いたことのほうが大事だった。
4発目――
残り2発。キーホルダーまでの道は、まだ的2枚分ほどの障害がある。
しかし、台の回転はすでに目を追うのがギリギリの速さになっている。
焦りながら照準を合わせたが、引き金を引いたときには的がズレた位置にあった。
弾は空しく空を打ち、何も倒れなかった。
5発目――
最後の一発。
ドリーはスマホゲームで負けそうになったときのような顔をして、ぎゅっと射線銃を抱え直す。
狙うべきは、中央付近にいる邪魔な的(5番あたり)――の、はずだった。
だが、回転が早すぎる。的の見極めにほんのコンマ数秒のズレが生まれる。
パスンッ!
――弾が当たったのは、中央でも何でもない、外周をふらふらしていた28番の的だった。
カタリ、と28番の札が倒れる。
景品リストを確認して、ドリーはぱぁっと顔を明るくした。
「ゲコたのステッカーだ!」
もらったのは、ノーマルのゲコ太ステッカー。特にレアでもない、普通にその辺のコンビニでも売っていそうなやつだ。
それでも、ドリーは気にしない。
「ま、いっか!おしいけど、がんばったしね」
そう言うと、係の女性から手渡されたフルーツキャンとステッカーを受け取り、満足そうに笑った。
続いて、リコの番が回ってきた。
彼女は銃を受け取るなり、真剣な表情で銃を構えた。
普段は天然だけど、ここは本気――だった、はず。
「えいっ!えいっ!えいっ!」
一発、二発、三発……と次々に引き金を引く。
しかし、狙いは定まらず、すべての弾が虚しく宙を舞った。
「え? あれ? え?」
銃を振って確認するリコ。もちろん、もう弾は入っていない。
「リコ、もう撃ち終わってるよ」
後ろの佐天が苦笑しながら教えると、リコはちょっと唇を尖らせて銃を見つめた。
「おかしいなぁ……ちゃんと狙ったのに……」
その姿がなんだかかわいらしく、微笑ましかった。
「よーし、次はあたしの番だね!」
佐天は気合を入れてプラスチック製の銃を手に取ると、くるくると回る回転台を見つめた。
少しの間狙いを定めると、「えーい!」と勢いよく引き金を引いた。
パスン!
一発目――かすりもしなかった。
「あぁ、ミスった!」
回転台はじわじわとスピードを上げている。
二発目――タイミングが合わず、またしても外れ。
三発目――的にかすったが倒れず、空しく弾が弾かれる。
四発目――焦ったせいか、大きく逸れた。
「やばい、あと一発しかないっ!」
佐天は軽く頬をぺちんと叩くと、ラスト一発に集中する。
深呼吸一つ。
ぐるぐる回る的を、じっと目で追う。
パスン!
五発目――音とともに、小さく外側の的(31番)がくるりと回転し、テーブルの外へぽとりと落ちた。
「おお、当たった!」
スタッフが拾い上げた景品は、銀色に光る小さなホイッスルだった。
さほど高価な品ではないものの、無いよりはマシといったところか。
佐天はホイッスルを手に取ると、背後にいる弓箭へとふわりと微笑みかけた。
「これ、よかったら弓箭さんにあげますよ」
思いがけない申し出に、弓箭は一瞬きょとんと目を瞬かせた。
「えっ、わたくしに、ですか?」
「ええ。お近づきの印として、何かプレゼントしようと思ってたんですけど……」
佐天はホイッスルを指でくるくる回しながら、少しだけ首をかしげる。
「でも……お嬢様に、こんないいのかな…」
ふと漏れた佐天のつぶやきに、弓箭は小さくかぶりを振った。
「いいえ! お気持ちだけでも嬉しいです。大事にさせていただきます!」
その声は、いつになく力がこもっていて、思わず佐天も目を丸くする。
ホイッスルを胸に抱えるように受け取った弓箭は、少し頬を染めながらぺこりと頭を下げた。
そこへスタッフの声が響く。
「次の挑戦者、どうぞー!」
弓箭は慌てて顔を上げると、胸元のホイッスルをそっと抑え、いつものように落ち着いた仕草で銃を構えた。
ついに弓箭の番が回ってきた。
「では、参りますわ」
小さくそう呟くと、弓箭は静かに目を細め、回転台の中央を見据えた。
回ると回転台、時間と共に増していく速さ、わずかにずれる軌道。普通ならば狙いを定めることすら困難な状況。しかし、弓箭の動きに迷いはなかった。
まるでそれが日常動作であるかのように、自然に。
――空調の微かな風。
――わずかに震える回転台。
――弾道に影響を与える重力と慣性。
すべてを一瞬で見極める。
この程度の状況判断、彼女にとっては呼吸をするのと変わらない作業だった。
パスンッ、と一発目が放たれる。
飛び出した弾は寸分違わぬ軌道で飛び、射線上にあった一つ目の障害物の的を、見事に撃ち抜いた。小さな的が弾かれて、台から転がり落ちる。
周囲がざわめいた。
それをよそに、弓箭は微動だにせず、すぐ次の射線へと銃口を僅かに動かす。
二発目。またも一発で命中。今度は、より内側にあった景品の的が倒れた。
三発目。タイミングを計るために、わずかに呼吸を調整する。回転台が勢いを増していくのを感じながら、スッと銃を構えなおす。
パスンッ!
完璧な精度で、三つ目の障害物も排除した。
「あの子すごい……」「全部一発で落としてる……!」
小さく息をのむ声が聞こえたが、弓箭の集中は乱れない。
――それもそのはず、彼女はかつて、実戦経験すら積んでいた元スナイパーだった。
四発目。今度の標的は、真ん中目前の的(4番)。
(この揺れ幅なら、0.3秒後……)
動く回転台のわずかな揺れ、弾道の微細なズレさえ予測し、撃つ。
――パスンッ。
またも、一発。見事に4番の的を撃ち落とした。
残るは一つ。
中央、小型回転台の上の鎮座する、ゴールデンゲコ太キーホルダーの『1番』。
小さな台は、外周の回転台とは逆向きに回っている。まるで標的を守るかのように、不規則な動きを見せた。
弓箭は、深く息を吸い、吐いた。
世界が静まったように感じられた。
回転する的と自分だけが、そこに存在している。
(風、なし。重力、誤差範囲。回転半径、予測可能。あとは――タイミングのみ)
ぴたり、と心を静め、回転する標的に意識を集中する。
わずかなブレすら見逃さず、最も安定するポイントを見極めた。
「……これで、仕上げですわ」
宣告と共に引き金を絞る。
――パスンッ!
弾丸は空気を切り裂き、一直線に飛んだ。
そして、回転する小型台の『1番』に完璧なタイミングで命中し、的が小型台から転げ落ちる。
一瞬の静寂。
次いで、歓声が爆発した。
「すごすぎる!」「あんな鬼畜難易度をクリアできるなんて!?」「あの子、まるでプロみたい!」
銃を静かに置いた弓箭は、微笑みながら礼儀正しく一礼する。
その光景に、口を噤んでいた佐天とリコも、思わず声を上げた。
「弓箭さんって、こういうのが得意だったんですね……!」
「らっこ、すごい!」
二人の素直の賞賛に、弓箭は少し照れくさそうに微笑み、
「ふふっ……多少、心得がございましたので」
係の女性から景品を受け取った弓箭は、そっとキーホルダーをリコに差し出す。
「はい、こちら。リコさんが欲しかっていたお品でございます」
リコの手のひらに、金色に輝くゲコ太のキーホルダーがそっと乗せられた。
それを見たリコは、ぱあっと顔を輝かせ、
「ありがとう、らっこ!」
と、満面の笑みを浮かべた。
両手で大事そうにキーホルダーを包み込むと、まるで壊れ物を扱うかのように胸元にぎゅっと抱きしめる。
その素直な喜びように、弓箭も思わず小さく笑みをこぼし、そっとポケットから自分のキーホルダーを取り出した。
「これでリコさんともおそろいですね」
「うん!」
リコが嬉しそうに頷く。
「おめでとう」
そのタイミングで、隣からもう一人、ぽつりと声が上がった。
「ケーヒン、もらえてよかったね」
ゲコ太のぬいぐるみをぎゅっと抱えたまま、ドリーが穏やかな笑顔でお祝いの言葉を贈る。
その表情には、嫉妬の色などまったくなく、純粋な喜びだけが浮かんでいた。
「ありがとう。でも、残念だったわね。これ、あなたも欲しがってたよね…」
リコがどこか申し訳なさそうに言うと、ドリーはすぐに首を横に振った。
「きにしなくていいよ。たしかにわたしもとりたかったけど、まだまだじつりょくをみがかないとダメみたいね。つぎこそとれるように、がんばるよ!」
そう言うと、ドリーはパーカーのポケットからごそごそと探り、何かを取り出した。
「それと、わたしも、いっこもってたの」
ぱっと手のひらに広げて見せたのは、弓箭のものと同じデザインをした、通常バージョンのゲコ太キーホルダーだった。
「わあ、ほんとだ!」
リコは目を丸くして、嬉しそうに声を上げると、自分の金色のゲコ太をそっとドリーのキーホルダーを見比べてみた。
二つのゲコ太が、まるで仲良しのように寄り添っている。
ドリーもふわっと笑って、
「これで、わたしたちもおそろいだね」
そんな二人のやりとりを見守っていた弓箭と佐天も、自然と頬を緩める。
(あたしも、仲間外れにならないように……そのうち一個もらっとこうかな)
リコはふと顔を上げて、
「ねえ、お名前、聞いてもいい?」
と、素直に尋ねた。
「ドリーだよ。……(あれ、なのっていいんだっけ?)」
小声で何かボソッと囁くドリーに、リコはきょとんとした顔をするが、特に気にした様子はなく、
「私はリコ!」
ぱっと明るい笑顔で名乗り返すリコに、ドリーも安心したように微笑んだ。
「そっか、リコちゃん。いつかまたあえるといいね」
「うん、ぜったい!」
リコは元気よく応え、小さく握りこぶしを作って見せた。
ドリーはゲコ太のぬいぐるみを抱え直しながら、ふと何かを思い出して、
「あっ、そろそろもどらないと、みーちゃんにしんぱいかけちゃうから。またね、リコちゃん!」
小さな手をぱたぱたと振りながら、ドリーは小走りでゲーセンの向こうへと走っていく。
「またねー!」
リコも、同じように手を大きく振ってその背中を見送った。
「さて、残りの景品はどういたしましょうか」
射的で弓箭が5発全て命中したため、キーホルダーの他に4つの景品をもらうことができた。
2つは低レアのお菓子、3つ目はペンダント、4つ目は『多機能LED懐中電灯』だ。モード切替で『LEDライト』と『レーザーポインター』が選べる実用性の高い品である。
(お菓子はリコさんにあげるとして、懐中電灯は…入鹿ちゃんの能力に使えますし、今度会ったときにでも渡しましょうか。それで、ペンダントは…)
弓箭は少し考えた後、静かにペンダントを取り出し、佐天に向けて差し出す。
「佐天さん、もしよろしければこれを受け取っていただけませんか?さっきのお返しというか…」
手渡されたのは、小さな銀色のペンダント。ハート型に繊細に刻まれた花模様が特徴的で、中心には小さなブルーのサファイアが光を反射している。
弓箭はほんのり照れた様子で、
「ちょっと小さくて可愛いものですが、気に入ってもらえるといいな、と思って」
「おお、ありがとう!すごく綺麗です!」
佐天は目を輝かせてペンダントを受け取り、その小さなサファイアに見入る。
「こんな素敵なペンダント、本当にもらっちゃっていいんですか?」
手に取ったペンダントを嬉しそうに胸元で振りながら、
「これをつけたら、あたしもお嬢様っぽく見えちゃうかな~」
その顔には、弓箭への感謝と喜びが満ち溢れていた。
(よかった… 気に入っていただけて)
弓箭はほんのりと微笑んで、少し照れくさそうに視線を逸らすのだった。
(AM12:50)
ゲーセンの騒がしい人混みをすり抜けるように歩きながら、視線を周囲に走らせていた。すぐに、黒パーカーにツインテールの少女が、こちらに向かって歩いてくるのを見つける。
「あっ、みーちゃん!こっちこっち!」
ドリーは嬉しそうに声を上げ、手を大きく振ってその名を呼んだ。
と、そこで気づく。
警策の隣には、もう一人の金髪の外国人男性が並んで歩いているのが見えた。
「あれ、おじさんもあそびにきてたの?」
ドリーは目をキラキラさせながら尋ねる。
それに対し、警策はわずかに肩をすくめ、誤魔化すような笑みを浮かべる。
「まあ、カイツちゃんにはちょっと相談したいことがあって来てもらったワケ。そうでしょ?」
さりげなくカイツに目配せを送ると、カイツも軽く頷いた。
「そうだん?」
ドリーは小首をかしげ、不思議そうに二人を見上げる。
――本当は、ドリーと佐天たちのやりとりは最初から全部見ていたけれど。
それを言うのは野暮というものだろう。だから今は、ただ、何も知らないふりをしておく。
「……悪いがドリー、しばらくの間はカイツちゃんと一緒にいてもらえないかな?」
言葉を選ぶように、警策は少しだけ目を伏せた。
ドリーはぱちぱちと瞬き、それから小さく首を傾げる。
「えっ?みーちゃん、どっかいくの?」
無邪気な問いかけに、警策はわずかに苦笑を浮かべた。
「うん……ちょっと、やらないといけないことがあって」
それ以上は言葉を濁す。
ドリーには、まだ知らなくていい世界だ。
小さな沈黙のあと、ドリーはふっと顔を上げ、かすかに微笑んで、
「そっか…わかった。でも、ムリしちゃダメだよ?」
その健気な声に、警策の胸の奥がきゅっと締めつけられる。
それでも、顔には出さず、穏やかな笑みで応えた。
「ええ。すぐ戻るから、待っててね」
小さく手を振り、警策はドリーをカイツに託す。
その背中に、名残惜しさを押し殺しながら、さっきドリーが歩いてきた方へ歩き出す。
ふと、立ち止まって振り返ると、
「それとね、カイツちゃん」
少しだけ、親しみを込めた声で告げた。
「
カイツは黙って、しっかり頷いた。
それを見届けて、警策は静かに人混みの中へと消えていった。
(PM1:05)
ゲーセンの賑わいを背に、佐天たちは青空の下、観覧車へと足を運んだ。
日差しは高く、白い雲がぽっかりと浮かんでいる。風はまだ少し冷たいが、秋のにおいを運んでくる。
「わーっ、たかーい!」
ゴンドラに乗り込むなり、リコは窓にへばりついて、眼下に広がる遊園地を見渡した。
色とりどりのメリーゴーランド、子どもたちが歓声をあげるコーヒーカップ、遠くには小さなジェットコースターのレールが見える。
「リコ、そんなにくっついたら、落ちちゃうわよー?」
佐天が笑いながら軽く肩をつつくと、リコは振り返って、にぱっと笑った。
「だいじょうぶだよー!ガラスさんが守ってあげてるもん!」
両手でガラスをぺたぺたと叩きながら、リコは無邪気に答える。
「ガラスさんにも限界あるからね? ほら、座って座って」
佐天は軽く手招きし、リコを座席に引き寄せた。
リコは名残惜しそうにもう一度窓の外を見てから、素直に座った。
「でもすごいねー! あれ、なんだろ? くるくるまわってるー!」
リコが指を差す先には、大きな観覧車の隣に設置された、小型の回転ブランコがあった。
「あれはスカイチェアっていうんだよ。ブランコみたいに座って、空中でぐるぐる回るやつ!」
「うわぁー、たのしそう……!」
リコは目を輝かせ、頬をふくらませた。
ふと、佐天は視線を横に向ける。
「…………」
弓箭が静かに窓際に座ったまま、じっと外を見つめていた。
ふと気づけば、弓箭が静かに窓際に座ったまま、じっと外を見つめていた。
佐天は不思議そうに首をかしげ、わざとらしく手を振って呼びかける。
「弓箭さん? もしもーし、弓箭さん?」
しばらく間を置いて、弓箭はハッとなってこちらを振り返った。
「……あっ、すみません!ちょっと考え事をしてました…」
その顔には、ほんの一瞬だけ、何かを探るような色が宿る。
しかしすぐに、弓箭はいつもの穏やかな表情に戻った。
「なんか様子がおかしいですね。観覧車に乗ろうって言い出したの、弓箭さんじゃないですか」
佐天は肩をすくめながら、冗談めかしてそう言った。
弓箭はひと呼吸置いてから、ふっと柔らかく微笑んだ。
「まあ……たまには、こういうゆったりした時間も、悪くないと思いまして」
窓の外、秋空の下に広がる遊園地を眺めながら、静かにそう付け加える。
どこかぎこちないような、けれどごく自然な仕草で。
「そうか、確かに良い眺めですね」
佐天もまた、静かに外を見つめる。
言葉では流したふりをしながらも、胸の奥に小さなひっかかりを残して。
ふと、リコが無邪気にゴンドラの窓に再び顔を押しつけ、その目は突然、何かを捉えたように輝き出す。
「あれ、見て!風船がたくさん!」
リコが指差した先え、まさにその瞬間、空高くカラフルな風船が一斉に舞い上がった。
佐天も驚いて目を見開く。
「すごい! こういうイベントがあったんだ!」
無数の風船が空に昇っていく様子が、美しく広がる青空に溶け込んでいく。
観覧車の上から、遊園地全体が見渡せる位置で、その風船の美しい軌跡を追うことができた。
リコは胸を打たれたように叫ぶ。
「すごい! まるで夢みたい!」
佐天はその言葉に微笑み、少し感慨深そうに言った。
「本当に……素敵だね」
弓箭は黙ってその光景を見つめ、ふっと息をつく。
あの色とりどりの風船が空に浮かぶ様子に、わずかながらも、心が少しだけほぐれたような気がした。
その絶景に、三人はしばらく言葉を交わすことなく、ただ静かに時間が流れる。
やがて風船は空高く、無限の広がりへと飛び立ち、空の向こうへ消えていった。
(PM1:20)
観覧車を降りた佐天たちは、青空の下でしばらく心地よい余韻に浸っていた。
「観覧車、よかったですね」
佐天が微笑みながら言うと、弓箭は穏やかに頷いた。
「ええ、素敵な景色でした」
リコは目を輝かせて、すぐに声を上げた。
「また乗りたい!」
「また今度機会があったらね」
と、佐天が答えると、少し考え込むように周囲を見渡しながら、次に何をしようかと考えた。
「次は何しようかな」
リコはすぐに応じた。
「私、『すかいちぇあ』に乗ってみたい!」
「いいね!よーし、じゃあ行ってみよう!」
佐天も乗り気になり、歩き出そうとしたその時――
弓箭がふと立ち止まった。
「あの……突然ですみません」
弓箭は少しだけ目を伏せ、ためらいがちに言った。
佐天とリコは顔を向けて、弓箭を見つめる。
弓箭はしばらく黙ってから、少し躊躇いながら言った。
「急に外せない用事ができてしまって……せっかくお誘いいただいたのに、申し訳ございません」
その言葉には、かすかにではあるが、本心からの詫びの気持ちが込められていた。
佐天は目を見開き、思わず声を上げる。
「えっ、今から帰らないといけないんですか!?」
弓箭は小さく頷き、ふう、とひとつ息をついた。それから目を細め、静かに言った。
「リコさんのこと、お願いしてもよろしいでしょうか?」
視線を少しだけそらし、言葉を濁しながらも、どこかためらっている様子だった。
佐天はその表情を見つめ、何かを感じ取ったのか、少し沈黙が流れた。
そして、優しく微笑みながら言った。
「わかりました。じゃあ、また今度ですね」
リコも寂しげに手を振りながら、
「らっこ、またあそぼうね」
「ええ、ぜひ」
弓箭はやわらかく微笑み返し、二人に一礼すると、観覧車乗り場をあとにした。
佐天はその後ろ姿をしばらく見送った。
どこか、ほんの少しだけ、胸に引っかかるものを感じながら――。
(PM1:45)
スカイチェアを降りた佐天とリコは、秋の風を受けながら、遊園地の賑わいの中を歩いていた。
高く澄んだ空、子供たちの笑い声、甘いポップコーンの香り。
どこかぼんやりと、佐天は考えごとをしていた。
(弓箭さん、やっぱり少し様子が変だったな……)
弓箭の言動を思い返していると、ふとリコがいきなり立ち止まったのが目の端に映った。
「リコ?」
顔を向けると、リコは少し先で、カエルの着ぐるみに釘付けになっていた。
視線の先には、ゲコ太の着ぐるみが、赤や青の風船を子供たちに配っていた。
「大きいカエルさんだ!」
リコは歓声を上げ、無邪気に駆け寄っていった。
ゲコ太はリコに気付くと、大きく手を振り、一番大きな風船をリコに手渡した。
――その時だった。
「あの、すみません」
不意に背後から声がかかり、佐天は振り返った。
黒髪の少年が、少しくしゃくしゃになった園内マップを手に立っていた。
黒いジャージを羽織り、どこか所在なげな顔で。
「ワンダードームって、どこにあるか教えてもらえますか? 道に迷っちゃって……」
「えっと──」
リコに気を取られながらも、佐天は地図を受け取り、指でなぞりながら説明した。
「この道をまっすぐ進んで、二つ目の角を左に曲がったところです」
「ありがとうございます!助かりました」
少年は深く頭を下げると、マップを手に足早に去っていった。
佐天も軽く会釈を返し、すぐに前を向き直った。
――そこにリコの姿はなかった。
風船を配っていたゲコ太の着ぐるみも、跡形もなく消えていた。
「……リコ?」
辺りを見回す。リコの小さな影も、ゲコ太の着ぐるみの緑も、どこにもない。
胸が、ざわりと騒ぎ出す。
「リコ! リコーっ!」
佐天は叫びながら、人混みの中へと駆け出した。
人波をかき分けるようにして、必死に走る。
観覧車の近く、スカイチェアの乗り場、カフェテリア――。次々に周囲を探し回ったが、リコの姿はどこにも見当たらない。
焦りで胸が締めつけられる。
思わず立ち止まった佐天は、荒くなった呼吸を整えようと深く息を吸い込んだ。
(落ち着け……落ち着け……)
自分に言い聞かせながら、ふと足元に目をやる。
――そこに、ひとつだけ、ピンク色のゲコ太のぬいぐるみが転がっていた。
リコが、佐天から手渡されて、嬉しそうに受け取った、あのぬいぐるみだ。
それを拾い上げた瞬間、佐天の胸に、ぞわりと冷たい予感が走った。
脳裏をかすめるのは、第六学区にまつわる、あの都市伝説。
『――「実は地下に秘密のカジノがある」とか「見慣れないマスコットは誘拐犯がこっそり紛れ込んでいるのだ」などの、怪しい噂も絶えない……らしいです』
(まさか――)
喉の奥がひゅっと締まり、心臓が速く脈打つ。冷たい感覚が首筋を這い、じっとりと汗がにじみ出る。
恐怖が、じわじわと、確実に広がっていった。
(リコが……さらわれた……?)