シャインポスト 風にのって   作:陽HARU

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世界の直線と、崩れ落ちる光

ジャパンカップ当日——東京競馬場は国際色豊かな熱狂に包まれていた。芝2400m、世界的強豪が集うGⅠ。欧米のトップホースが何頭も参戦し、ブライトウィンドは3歳ながら日本代表の一頭として単勝6番人気。スタートから1コーナーまでの距離が長く、道中はゆったりとした流れになりやすいが、最後の525m直線で全てが決まる過酷な舞台だ。

 

高嶺厩舎の控室は重苦しい空気に満ちていた。

 

高嶺鉄平調教師は零の肩を強く握り、声をかけた。

 

「零……俺の過去を、繰り返すな。ブライトウィンドの気性が荒れ始めたら、無理に追うな。馬の命が第一だ。神崎さんの野心など、知ったことか」

 

佐伯厩務員がヘルメットを渡しながら、掠れた声で言った。

 

「先生の『疾風の覇者』と同じ目には遭わせねえ……零、頼むぞ」

 

神崎隆一馬主はパドックで冷たい視線を投げかけた。

 

「勝て。負ければ、ブライトウィンドの主戦は即刻替える。世界に俺の馬の価値を見せろ」

 

零は無言で頷き、ブライトウィンドに跨がった。馬の体は震えていた。ダービー、天皇賞と連続して走った疲労が、気性を限界まで追い詰めていた。

 

スタンドの特別席近く——変装した杏夏と理王が春を挟んで座っていた。春はライブ衣装のままコートを羽織り、ステージ袖から抜け出して新幹線で駆けつけた。カウントダウンライブの本番直前、わずか1時間半の隙間だけ。

 

杏夏が小声で言った。

 

「春……ステージに戻らないと本当にヤバいよ。でも、零くんのレース、ちゃんと見届けて」

 

理王は無言で春の手を握っていた。クールな瞳に、珍しく心配の色が浮かんでいる。

 

春はスマホを握りしめ、震える声で呟いた。

 

「零くん……ブライトウィンドくん……春、ここにいるよ……」

 

ゲートイン。

 

ブライトウィンドはスタートでややもたつき、零は後方待機策を取った。道中は世界の強豪たちがハイペースで飛ばし、零は馬を冷静にコントロールしながら脚を溜める。しかし、向こう正面でブライトウィンドの耳が異常に伏せ始めた。気性が爆発寸前だった。

 

3コーナーからペースが一気に上がる。

 

零が馬の首を叩き、外へ持ち出した瞬間——ブライトウィンドが突然暴れた。手綱が一瞬緩み、零の体が大きく傾く。過去のトラウマが零の脳裏を閃光のように駆け巡った。減量過多で暴走した馬、落馬して二度と乗れなくなった先輩の姿。

 

「ブライトウィンド……!!」

 

零は必死に体勢を立て直そうとしたが、馬の脚が乱れ、4コーナーで大きく外に膨れた。直線入口で前を行く外国馬と接触しかけ、零の右足が鐙から外れる。落馬の危機——観客から悲鳴が上がった。

 

スタンドの春はスマホの画面を凝視したまま、膝から崩れ落ちた。

 

「零くん……!!」

 

杏夏が素早く春を抱き止め、理王が周囲の視線を遮るようにコートを広げた。

 

「春、しっかり! 零くん、まだ乗ってる……!」

 

レースはクライマックスを迎えていた。

 

零は歯を食いしばり、ブライトウィンドの首に体重を預け、声を限界まで振り絞った。

 

「信じろ……! お前は春の風だ!!」

 

残り200m。ブライトウィンドは最後の力を振り絞り、猛然と伸びてきた。しかし、気性の乱れが致命傷となり、6着でゴール。優勝は欧州の強豪馬。零はゴール後、馬を止めてから肩で大きく息を吐いた。落馬は免れたが、右足を強く捻り、顔は蒼白だった。

 

高嶺調教師は控室で拳を壁に叩きつけた。

 

「……また、俺は守れなかった……」

 

神崎馬主は無言でスマホを握りしめ、厩舎変更の連絡を打とうとしていた。

 

控室に戻った零のスマホに、春から震えるメッセージが届いた。

 

『零くん……無事でよかった……春、ライブに戻らなきゃいけないけど……零くん、ブライトウィンドくん……ごめんね……』

 

その頃、東京ドームのステージでは、カウントダウンライブが始まろうとしていた。

 

杏夏と理王に支えられながらステージ袖に戻った春は、眼鏡を外し、笑顔を作った。しかし、目が真っ赤に腫れていた。

 

杏夏が耳元で囁いた。

 

「春、歌うよ。私たちがカバーするから……零くんは生きてる。次に繋げよう」

 

理王が無言で春の背中を押した。

 

春はマイクを握り、震える声で歌い始めた。いつもの「春ちゃんにお任せあれ!」の明るさは、どこにもなかった。三つ編みがスポットライトに揺れる中、春の心は中山の急坂でも、東京の直線でもない、遠い栗東の厩舎に飛んでいた。

 

ライブ終了後、春は控室で崩れ落ち、杏夏に抱きついて泣いた。

 

「零くん……春、もう限界かも……」

 

一方、零は病院で足の治療を受けながら、天井を見つめていた。

 

高嶺調教師が病室に入り、静かに言った。

 

「零……ブライトウィンドは無事だ。だが、神崎さんは本気で主戦交代を検討している。俺は……もう、馬主に逆らえなくなってきた」

 

零は拳を握りしめた。

 

「先生……春に、これ以上、苦しみをかけられない……」

 

すべてが、静かに、しかし確実に崩れ始めていた。

 

 

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