「ふーむ……。いつもに増して量が多いな」
久しぶりに教団の執務室で仕事をする教主の机に、大量の書類が積まれている。宴会場で料理を作ってばかりいたせいで、書類作業が疎かになっていたのだ。
「さてさて、どうしたものかな……」
そう考える教主の脳裏にフリックルの言葉が思い浮かぶ。フリックルと交流するようになった時、フリックルから手紙をもらったことがあったと、教主は思い出した。
「仕事を始める前の大事なポイントは仕分け、か……」
乱雑に積まれた書類に軽く目を通し、種類ごとに分けていく。その中でも優先順位が高いものを更に選んで分けていく。
やがて、小分けにして低くなった書類の束を見て、教主はいくらか落ち着くことができた。大量にあった書類の山も、こうして見ると意外と大したものではないと思えたのだ。
「はぁ……。この世界で教主になった頃はひたすら忙殺されてたのに、今ではただ面倒くさいとしか思えなくなるとは……。果たして喜ぶべきか……」
そう呟きながら、書類を一つずつ片付けていく教主。
ペンを走らせ、教団の印鑑を捺していく。冷徹な業務マシンと化した教主は、ただひたすらに書類作業に没頭するだけの機械となっていた。
やがて、そんな教主の頭に、一人の妖精の姿が浮かんできた。世界樹教団の司祭長、ネルである。
ネルはそこそこ仕事ができる教主に仕事を押し付ける教団のお局である。妖精王国では役職を持たない彼女も、実務に疎いエルフィンや教主に代わり実務をこなす、事実上のトップである。エルフィンも教主もネルに頭が上がらないのが、妖精王国の実情だ。
そのようなものだから、教主も宴会場で密造酒を造っているのがバレるのを恐れているのだ。職務を放り出して密造酒を造っていることがバレたら、どのような目に遭うかは明らかだ。
そして、どれくらい時間が経ったであろうか。黙々と仕事を片付けている教主の部屋に、廊下からの足音が聞こえてきた。
弱々しくパタパタと廊下に響く足音。それが教主の部屋の前で止まる。
不意に訪れる静寂。ペンを走らせる教主の手が止まる。教主の意識が部屋の外に向けられる。
不安定な息遣いが聞こえる。どうやら、扉を開けようか悩んでいるようだ。いるはずのない誰かがいることを期待して、一縷の希望に縋っている誰かの姿がそこにある。
教主は誰がそこにいるのか理解した。声をかけようかとも迷ったが、教主はそのまま待つことにした。
キィ……。
「…………」
部屋の扉が開かれる。そこには、小さな王冠を付けた、小さな女王様が立っていた。
「ぁ………」
「やぁ、エルフィン」
「きょ、教主……?本当に教主なの……?」
「ああ、そうだよ。久しぶりだね、エルフィン」
「う、うぅぅぅぅぅ……!もーーー!どこ行ってたのよーっ!!!」
そう言って、目にいっぱい涙を浮かべたエルフィンは教主に飛びついた。
「すっごい心配したんだからー……!私、嫌われたんじゃないかって思って……!」
「はははっ、まさか。どうして君を嫌い理由があるんだい?」
ポロポロと涙を流すエルフィンが教主に言う。エルフィンは、教主が自分を嫌って教団を出て行ったと思っていたようだ。
「だって……私のせいで王国は燃えるし、それでネルや教主にも迷惑をかけるし……存在の幽霊が現れた時にも、何も伝えてくれなかったでしょ……?やっぱり教主も……私の事を邪魔と思ってるのかなって思って……」
それだけを言うと、エルフィンはまた泣き出した。今まで不安定だったエルフィンの心が、教主が教団を空けたことで崩れてしまったようだった。
「ごめんよ、エルフィン。私も少し忙しかったんだ。心配かけてしまったようだね」
「うぅぅぅ……」
ポロポロと涙を流すエルフィンを頭を教主は優しく撫でた。教主の温もりに触れたエルフィンは、堰を切ったように泣き始めた。
その泣き声を聞きつけてか、教主の部屋に別の妖精が訪ねてきた。
「女王様?教主様の部屋でどうしたんですか?……って、教主様……?」
「やぁ、ネル。久しぶりだね」
「きょ、教主様……!?いつの間に戻られたんですか!?」
書類の束を抱えた妖精が驚いた顔で部屋の入り口で立ち尽くす。妖精王国の司祭長、ネルだ。
教主は、久しく会っていなかったネルに軽く挨拶すると、わんわんと泣くエルフィンををあやし続けた。対するネルは、久しぶりに見た教主の姿に茫然と立ち尽くしている。
「しかし、ネルもひどいね。私がいないというのに、変わらず私に仕事を投げ続けていたのかい?」
「あ、い、いいえ!こ、これはちょっと物置として使わせてもらってただけで……!」
「完成した書類じゃなくて、白紙の書類をかい?」
「あぁ……ええと……」
突然の出来事にネルがしどろもどろになっている。普段の言動からは想像できない姿に教主は面白がって、からかいの言葉をかける。
「そ、それよりも今までどこに行ってたんですか!?教団の仕事を放り出して家出をするだなんて……!私と女王様がどれだけ心配したか分かってるんですか!?」
「ネル、あまり教主を怒らないであげて……。教主も一人になる時間が欲しかったんだよ……」
「じょ、女王様……」
エルフィンの思いがけない言葉にネルが言葉を詰まらせる。そして、エルフィンは教主に向き直って、言葉を続けた。
「教主……。私、頑張るから……。みんなの足を引っ張らないように頑張るから……。だから、また教主の仕事をしてくれるよね……?」
「…………」
「ちょっと寄っただけで、またどこかに行っちゃったりしないよね……?」
不安とも切望とも言えないエルフィンの言葉に、教主が口をつぐむ。そんな教主の態度にエルフィンの顔が不安に染まっていき、目に涙が溜まっていく。
「な、ど、どうしたの?教主……。何か言ってよ……?また行っちゃうの……?私、何か悪いことした……?私がその……ダメダメだから……?」
エルフィンが今にも泣きそうな声で教主にたずねる。その声を聞いて、教主は冷徹にも答えた。
「すまない、エルフィン。私にも事情があるんだ。ここ最近、教団以外の事で忙しくてね。モナティアムやベリティエンとの調整もあるし、あまり教団に顔を出せなくなるんだ。理解してくれ」
「ぅぅ……ひっぐ……教主ぅ……。うぅぅぅぅ……!」
言葉にならない声で泣くエルフィン。その様子を見て、ネルも静かに涙を流し始めた。
「教主様にどういうご事情があるか知りませんが……。私たちも無理に教団の教主にしてしまった手前、無理に引き留める事もできません。ですが、たまにで良いので、お顔を見せに来てください。私たちも教主様がお戻りになるのを、待っていますので……」
「うん、分かったよ。極力見せに来るようにする。私のわがままのせいで申し訳ない」
「教主……。寂しいよぅ……!」
エルフィンの嗚咽が激しくなる。教主もその様子を見て、多少は悲しくなったが、心は至って動かないままだった。
「エルフィン。君にも心配かけるね。……そうだ、今日は一緒に遊ぼうか?ケーキも買ってあげるよ。ネル、これくらいは良いだろう?」
「はい……!ほら、女王様!教主様が一緒に遊んでくださるそうですよ!またしばらく遊べなくなるのですから、いっぱい遊んでおかないと!」
「……うん!えへへ!教主、行こ!」
教主とエルフィンが部屋を後にする。その後ろ姿は、どこか空虚なものに見えた。