第48話「ジョアン」
とある日の夜の宴会場。ここ、教主の運営する宴会場では、数名の妖精とエルフが飲んでること以外、束の間の平和な一日が過ぎていた。
この日の妖精王国は、バッドドリーム・シスターズとの争いで大半の戦闘員がモナティアムに行ったことで、いくらか落ち着きを取り戻していた。
そんな宴会場の片隅で、ピラとガヴィアと教主が話し合いをしている。三人は、ウィスキーの新たな原酒を作るための計画を、この場で決めようとしていた。
「ピラ、プランテーションの運営はどうなってる?」
「あ~、問題あらへんで。獣人たちもよう働いてくれとるわ。みんなこんがり日焼けして、シャワーを浴びる時にうるさい意外、特に問題もあらへん」
「そうか。では、財務はどうだ?」
「全然大丈夫や。そもそも、あいつらまったく対価を要求してきいひんしな。ウチがピンハネしてる事にも気付いてへんわ!」
そう言ってケタケタと笑っている。その言葉を聞いて、教主が少しだけ顔を顰めた。
「ピンハネ……。あまりそういう事はするなよ?私たちの関係は、お互いの信頼で成り立っている。正当な対価はちゃんと払ってやれ」
「はいはい。わぁーったわ」
適当に返事して、ピラはショットグラスを煽った。
「しかし、逆さに伸びた枝を切り落とすってどうするつもりなんや?世界樹を傷つけようってんなら、王国の司祭たちが黙っとらんのやないか?」
「大丈夫だろう。ジョアンが目を覚ました理由も、"逆さに伸びた枝を刈り取れ"という命令を世界樹から受けたからだ。今こそ、それを実行するというだけだ」
そう言って、教主はウィスキーが入ったグラスを一口煽った。
「ハッ!そう言って、世界樹で作ったウィスキーの原酒を作りたいってだけなんやろ?けど、それを言ったらここにいる精霊さんが黙っとらんのやないか?」
そう言って、ピラがガヴィアに視線を移す。ガヴィアは表情を崩すことなく、ただ静かに微笑んでいる。
「な、なんや……?別にええってのか……?」
「…………」
ガヴィアが瓶に手を伸ばし、グラスにウィスキーを注ぐ。氷を入れ、ライムを搾り、においを味わった後に、少しだけ口に含んだ。
「…………」
「な、なんか言うたらどうや……?」
「……いいとおもう」
「なんやて!?!?」
大声を出して驚いたピラに周囲の視線が集まる。ピラはそれに気付くと、おずおずと席に戻った。
「ほ、ほんまにええんか……?」
「せんていはだいじ……だから……」
(世界樹で作ったウィスキー……飲んでみたい……)
世界樹を維持するために産まれてきた精霊で、大地の上位精霊であるガヴィアが何のためらいもなくそう呟いた。
呆気にとられるピラだが、ガヴィアの言葉を聞いた教主がピラに告げた。
「まぁ、そういう事だ。これから君はガヴィアとも仕事をしてもらう」
「は、はぁ……」
「ガヴィア、石灰に骨材といったコンクリートに必要な材料の採掘を頼むぞ。大地の精霊である君なら、どこに何があるか分かるだろう?」
「…………」
ガヴィアは静かにうなずいた。
その時、宴会場の扉が開かれた。フリックルが久しぶりに宴会場に訪れたのである。
「やぁ、フリックル。久しぶりだね」
「ええ、久しぶりね。あなた」
そう言うフリックルの後ろに、もう一人の影が見える。長身で緑色の長髪をした、黒い司祭服に身を纏う上級司祭、ジョアンである。
「ジョアン……」
「外でボーってしてたから連れてきたの。なんだか様子がおかしくなってるみたいだから、少し話を聞いてあげたら?」
そう言って、フリックルはジョアンの手を引いて教主の前に連れてきた。
フリックルがジョアンを席に着かせる。周りも、世界樹教団正統派の上級司祭が、教主の運営する宴会場にやって来たと知って、チラチラと様子を窺っている。
「ふむ……。ジョアン?」
ジョアンは明らかに憔悴しきっている。そんな教主がジョアンの心を教主が覗き込むと、今にも壊れそうで、ヘドロのように濁っているジョアンの心が見て取れた。
心の中で無限に呟かれる教主様という言葉。ジョアンの心は壊れる寸前にまで追い詰められていた。
「教主様、スミノフのロックを一つお願い!」
「ああ、今出そう」
教主が席を立ち、カウンターの客にウォッカのロックを差し出した。ついでにカウンターに立ち寄った教主は、追加のウィスキーのボトルを持ってきた。
そうして、ジョアンの前にグラスを置き、グラスの中を琥珀色の液体で満たした。
「まあ、とりあえず飲みな、ジョアン」
「…………」
教主の言葉にも反応せず、光を失った瞳で机の一点を見つめるジョアン。
そうしてしばらくの沈黙の後、ジョアンは今にも消え入りそうな声で呟いた。
「いったい、どうしてしまったのですか……」
「うん?」
目にいっぱいの涙を溜めたジョアンが、教主を見つめて再度訊ねる。
「いったい、何をしておられるのかと聞いているんです……!!!」
そう言って、ジョアンは大声で泣き始めた。
上級司祭の見せる子どものような姿に宴会場の中がにわかにざわつき始める。ピラやガヴィアも、急に泣き始めたジョアンにどうして良いかわからずにオロオロしている。
やがて、ひとしきり泣いたジョアンは顔を上げると、再び教主に訊ねた。
「いったいどうしてしまったのですか、教主様……!教団に顔も見せず、宴会場に籠ってお酒を造ってばかりで……!司祭長が教主様を何と言ってるのかお分かりですか……!?教団の裏切り者、反逆者、賊徒だなどと……!私は、こうも変わってしまわれた教主様を見て、どんなに悲しい思いをしたか……!」
そう言って、ジョアンは再び机に伏して泣き始めた。
フリックルと教主は、その様子をただ黙ってじっと見ている。二人の冷たい視線がジョアンを見下ろし、ジョアンが泣き止むのを待っている。
そうして再び泣き止んだジョアンが顔を上げた。教主はそんなジョアンを見て、グラスのウィスキーを一口煽った。
「それで、君はどうしたいんだ?」
「え……?」
目を真っ赤に泣き腫らしたジョアンが教主を見つめる。
「もう既に私の悪行は司祭長から聞いているはずだ。私は今さら行いを改めるつもりはない。今ここにいるのも、世界樹の枝を切って、新たな原酒を作る計画を立てる為なのさ」
「なっ……!?」
教主の思わぬ言葉を聞いたフリックルが声を詰まらせた。
「あああ、あなたっ……!今なんて……!?」
「フ、フリックル……?」
「世界樹の枝を切り落とす、ですって……!?」
「ちょ、ちょっと待て……!」
フリックルの茨が教主を縛る。思わぬところからの攻撃に教主が苦悶の声をあげる。
「ま、待て……!話を聞いてくれ、フリックル……!」
「誰が話を聞く者ですか……!あなたの作るお酒は大好きだし、あなたの下でならエーリアスの統一も成せると思って付いて来たけど、世界樹に手を出すだなんて……!さすがにそれは許せないわ……!」
キリキリと茨が教主の身体に食い込む。教主は茨が身体に食い込む痛みに耐えながらも、フリックルとジョアンに諭すように語った。
「ジョアン!君は聞いたんだろう!?間違った方向に伸びた一番長い枝を切り落とせと!世界樹が君に語りかけたと言っていたじゃないか!?私はそれを実行しようとしているだけだ!」
「はぁ……!?」
フリックルは興奮したように聞き返す。
「フリックル!君たちは世界樹によって、その存在を管理するために創られたはずだ!私は外の世界から来たとはいえ、この世界に招かれた以上、その使命に携わる使命を帯びていると私は思っている……!私は間違った方向に伸びた枝を切り落とし、それを使って酒を造ろうとしているのは事実だが、その行い自体は世界樹にとっても害になるものでは無い筈だぞ……!」
「ぐっ……!」
教主を縛るフリックルの茨の力が弱まり、教主の身体にいくらかの自由が戻ってくる。
フリックルは教主を解放して、睨むような、軽蔑するような視線を教主に向けた。
「まったく……。君は少し激しいところがあるな」
「そりゃあ、世界樹に手を出そうとしてるんだからそうなるわよ!」
フリックルが手を大げさに振って怒っている。そんな言葉を聞きながら、教主はジョアンに訊ねた。
「それで、ジョアン。君はどうしたい?私の下から去るつもりか?」
「私は……」
今にも消え入りそうな声でジョアンが呟く。
教主の前にジョアンが跪く。光を失った瞳を静かに閉じて、ジョアンは教主の前で手を合わせた。
「私は、既に世界樹から見捨てられた身……。私が従うのは世界樹や教団ではなく、教主様、貴方だけです……」
「……そうか」
教主が屈み、ジョアンの肩に手を置く。
「その言葉を待っていたよ、ジョアン。これからも近くで私を補佐して、助けてくれないか?」
「……かしこまりました。私の祈りと身体は、御身の為に、教主様……」
ジョアンの虚しい祈りが教主の心を通り過ぎていく。ジョアンはこうして、教主の下へと戻ってきたのだった。