小学生に上がった頃、隣で笑い合ってた親友が、実は家庭内暴力で傷ついていた。
その事実を知ったとき、当時の私は「なんて悲劇だ」と――こんな難しい言葉で悲しんでいたかは覚えていないが――己の無力を呪った。
小学生にあがってから仲良くなった子が、実はイジメに遭っていて不登校になった。
その事実を知ったとき、当時の私は「もしかして」と笑うしかなくなった。悲劇はいつも私のあずかり知らぬところで進行する。そんなことも見抜けずに、私は年相応に笑って、家族に恵まれて、何不自由なく暮らしていた。
それのなにが悪いのだろう。開き直った私は、だったら踊ってやろうと、いつしか〝そういうこと〟を探す癖ができてしまった。それで、気付いていないフリをして、光陰のコントラストを強く刻んでいく。
世界を小さな劇場に詰め込んで、私はそこの座長として俯瞰する。
だけどいつしか、そんな自分にイラつき始めた。そうじゃないでしょう、と。
どうせなら光陰曖昧にしろ。闇啜る住人を、光浴びる場所に引き上げてやればいいのにと。
善し悪しなく、お前がみんなを笑わせてやれば、救われる奴もいるんじゃないか?
生真面目におさまって、気難しく眉間にシワ寄せて、そうじゃないだろ。
踊るなら踊り貫いてみせろ。なにを勝手につまらない劇場なんか作ってるんだ。
お前から笑え。それで、みんなを笑わせてやれよ。
なんで、なんでそれが――
――それが、君の望みか?――
◆――――◆
くい、とつまらなそうな仕草でイエロー・レディオは団員を下がらせた。
ネガ・ネビュラスの復活。よりにもよってこのタイミングで……? それに完全な飛行型アバター? これだ。いつもこれだ。道化のマスクを撫ぜてから、レディオはゆらりと立ち上がり、努めて明るい調子で団員に声をかけた。
「さて、団員諸君。完全な飛行型アバターということで興味のある方もいるでしょうが、ここはひとまず静観しましょう。もちろん、向こうからこのエリアにやってきて、それでも通常対戦を吹っかけるな、なんてことは言いませんがね」
小さな笑いが起こる。
それが治まるのを待ってから、レディオは続けた。
「目下の問題は大罪人ブラック・ロータスの復活です。状況から見て件の飛行型は彼女の《子》のようですが、まあそれも置いておきましょう。ブラック・ロータス、ああ、名前を聞くだにおぞましい……っ!」
レッド・ライダーの親友だったブルー・ナイトほどではない。
レッド・ライダーのことを愛していたパープル・ソーンほどではない。
イエロー・レディオはブラック・ロータスの取った不意打ちを、諦観の目で見ていた。
ああ、またか、と。
ブラック・ロータスと親しかったわけではない。むしろ嫌われていただろう。本人の口から聞いたわけではないが、少なくとも好意らしいものを感じたことはない。だが、それでも同時期にレベル9へと登りつめたライバルであることに違いはない。
そういう視点で見たとき、ブラック・ロータスのあの行動は不自然極まりない。あの戦闘大好きなロータスが、不意打ちで勝ちを得るだろうか? レディオの中の彼女は、迷いなく「NO!」と答える。
であるならば、ロータスが不意打ちした背後には、なんらかの思惑が絡んでいるとみるべきだ。ああ、またか、と、そう思ったのはこの部分だ。
「レベル9同士の戦闘は常にサドンデス。ならばこそ、お互いが覚悟を持ち、真剣勝負にて決着をつけるべきだと……そうは思いませんかねえ、みなさん。我々にはその覚悟がなかった、と言えば腑抜けて聞こえようものですが、あらゆる可能性を考慮しての停戦協定だったのです。どうしてもというのなら、頭を下げて決闘の約束を取れば良かったのでは……? 私はずっとそう思ってきました」
レディオがパン、と手を叩く。話をボーッと聞いていた《クリプト・コズミック・サーカス》のレギオンメンバーもレディオの方へ注意を向け、彼の言葉を待った。
「そう思ってきた裏側で、レベル10への興味もまた尽きなかった。ですが、それを成すにはレベル9er、つまり王たちを斃さなくてはならない。不甲斐ない話、黄色というカラーは、直接戦闘能力が決して高くない。タイマンとなれば、性能差が徐々に現れる」
そこでレディオは周囲を見渡した。黄に近い色を持つメンバーで構成されたレギオンらしく、彼の話に同意する声は多い。昔の対戦格闘ゲームでいえば、カラーサークルの「黄」に属するデュエルアバターは初心者向けのキャラではない。「使いこなすことができれば、そこそこ戦える」位置がお似合いのトリッキーなキャラだ。
「まったく……」
どうしてこんな色になってしまったのか。口には出さず、態度で示す。
レディオの言わんとしていることを周りのメンバーも察したのか、にわかにざわつく。
「……そこで、皆さんに頼みがあります」
ざわつきはレディオのこの一言で収束していく。
彼を中心に、波打つように広がっていく静けさ。全員が自分に注目したと確認してから、レディオは言う。
「時間をいただきたい。具体的にどれほどになるかはわかりません。もしかしたら、その時は来ないかもしれない。王として恥ずかしい限りですが、さいわい私にはピエロのマスクがあります。あ、笑うところですよ、ここ」
どちらかというと失笑が起こる。「ボケる場所間違えてるよ」と幹部クラス。
微妙な空気になったところで、レディオは肩をすくめておどけてみせた。重い話を、できる限り軽く話そうという彼なりの配慮だったのだ。
「私も、《子》を作ろうと考えているのです」
かんしゃく玉が一斉に破裂したような、強烈な音声がレディオに集まる。
ハウリングノイズすら聞こえそうな大音量の中、レディオはその騒ぎを両手で制する。一向に話が進まないことを内心で焦りつつ、その焦りが口調に出てこないよう、深呼吸をひとつ挿む。
「知っての通り、コピーインストールは失敗の可能性が0にはなりません。『こいつなら成功する』と確信した相手ですら失敗する。『こいつはダメだろうな』と思ってた人物が成功する。私に報告していないだけで、ここにいる誰かはもうすでにCI権を失っているかもしれない。まあ、報告の義務はありませんがね」
レディオ本人も、成否の結果を伝えるだけで《子》ができたとき、そのアバターを紹介する気はさらさらなかった。
さて、と区切りをつけて、レディオは切り出す。
「以上で、私からの話は終わりですが、他になにか議題にあげたいことはありますか?」
特になーし、と全会一致で声があがる。
通常対戦フィールドでの定期集会だ。残り時間もあとわずか。
ひとり、また一人とバーストアウトしてく様を見て、レディオは大きくため息を吐く。
明日、明後日、一週間、半月、一ヶ月、四半年、半年、一年……。ここにいる何人が同じように集まることができるのだろう。そう考えると、時折ひどく憂鬱な気分になってしまう。
この劇場の支配人は私。とレディオは心で唱える。
しかし、演出に口出しできても、先の見えない物語に口出すことはできない。
未来は誰にもわからない。ストーリーテラーは「運命」という名のふざけた神様だ。
「……さて、どうなることやら」
レディオはひとり呟いて、加速停止コマンドを発した。
定期集会の翌日、レディオは赤のレギオン《プロミネンス》の本拠地である、練馬区を訪れていた。目的は練馬区にある遺棄児童総合保護育成学校中等部の、男子寮だ。
集会が終わってすぐ、目的の人物には「明日、遊びに行く」とレディオはメールで伝えていたが、翌日、つまり今日の放課後になるまで返信はない。
「さて……」
グローバル接続を切ったニューロリンカーに手を添える。
ビーハイブ柄の溝が掘られた目にも鮮やかなイエローのそれは、ここ――学校正門から一歩でも踏み出せば学内ネットに自動接続される。もちろん、許可しない接続に設定すれば自動接続されることはないのだが、確かめておかねばならないこともまた存在する。
視界上に「学内ネット接続」の文字が浮かんだ瞬間、レディオは呟くように唱えた。
「バーストリンク」
バーストリンカーの間では加速音と呼ばれる、雷鳴に似た音が発せられると同時、視界が青くマスキングされていく。初期加速空間と呼ばれる、ソーシャルカメラの映像をハックし再構成した偽装現実だ。
「ほう?」
面白い名前を見つけた、とレディオの通常電脳空間におけるアバター《パイドパイパー》を模した道化が笑う。《スカーレット・レイン》に《ブラッド・レパード》。他にも赤のレギオンに所属しているだろうバーストリンカーが数名。
この分だと、もしかしたらレッド・ライダーも――。
そう思ったレディオは、どろりと心に黒い感情が湧き出したのを自覚した。ブラック・ロータスに向いていると思ったそれは、しかし、もっと向こう側――製作者に向いているのかもしれない、と彼は自己を客観視する。
らしくないことを考えているな、と頭を振り、雑念ごと拭う。いつもの飄々とした思考を取り戻しつつ、同時に現状を俯瞰していく。こうなると当初の予定は大幅に狂うことになる。だが、考えていなかったわけではない可能性だ。
ふと、このまま対戦を吹っかけてもそれはそれで面白いものが見れそうだが、そうなればプロミネンスとの全面戦争は免れないし、リアル割れの危険性もある。一団の長として軽率な行動は慎むべきだ、と考えてから、レディオは思わず自嘲の笑みを漏らした。
ここはすでに敵地の真っただ中。軽率な行動もクソもあったもんじゃない。
「ですが、まあ、これは大きな収穫と言えますか……」
偶然ではあるが、赤のレギオン《プロミネンス》――そのマスターである二代目赤の王がこの学校の生徒だと知れたのは大きい。初代プロミネンス解散後の戦国時代もしっかりと遠目で観察してきた甲斐があったというものだ。
「初心者に大役を押し付けてしまうかもしれないっていうのには気が引けますが……」
たった一秒半程度とはいえ、誰がこの瞬間に加速するかもわからない。加速しなければ考えられないわけではないのだ。
バーストアウト、と唱えてからレディオはすぐさま学内ネットから切断する。
そのまま男子寮に足を向け、受付前でまた学内ネットに接続。校門前の受付で渡されたインスタントパスとネームタグを飛ばす。入寮の許可が降りてすぐ、また学内ネットから切断。
「ふう……」
思わず大きく息を吐いてしまう。
たった数秒のことに汗がどっと噴き出す。
「まったく、これで説得に失敗しようものなら……」
皆に顔向けできないな、とは口には出さない。顔向けもクソも、イエロー・レディオはピエロの仮面をつけている。
エレベーターで五階まで上がり、レディオは目的の部屋の前に到着する。
迷っていても仕方ない、と立ち止まるよりも早く、レディオは脊髄反射的にインターホンを押した。
「…………」
数秒から数十秒、一分と経過するが反応はない。一度押したからか、レディオは抵抗なく二度目のインターホンを押す。今度は数十秒と待ったところで三度目、四度目、五度目と押していく。
やはり反応はない。というところで、レディオはふと思う。
「もしかして、フルダイブ中?」
だとしても、ここは学生寮だ。インターホンを押せばフルダイブ中であろうと視界端に「訪問者あり」の表示が現れるはずだ。考えたくもないことだが、目的の人物がそのシステムすらハックして表示されないようにしていたら、ほとんどお手上げだが。
「さて……」
六度目のインターホン。
ピンポーン、と空しい音だけが廊下に響く。
仕方ない、と思うと同時、レディオの心音が跳ね上がる。このタイミングでスカーレット・レインやチェリー・ルークに加速されたら終わりだな、と半ば諦め、まずは自分のニューロリンカーとインターホン下部に設置されたメンテナンス用接続口とを有線接続する。様々な警告が発せられ、最後にパスワード窓が表示されたところで、意を決してレディオは呟く。
「バーストリンク」
一秒もかからず、バーストアウト。と同時に、カチリとドアのロックが解除される。
ブレインバーストの〝加速〟と呼ばれる機能は、世界基準で見ても難攻不落のシステムであるソーシャルカメラをハックして行われるものだ。
であるならば、加速を用いてドアを開錠することなど造作もない。
内心悪いとは思いつつ、ドアを開けてレディオは部屋の中へと進む。
件の人物の性格を思えば、だらしなく汚れているかと思っていた部屋だったが、レディオが思っていたようなものではなかった。汚れとは対極というか、汚れる余地のない部屋だった。
ベッドとデスクセット、照明。机の上に数枚のゲームパッケージが置かれていることだけが、かろうじてここに人が住んでいると思わせる。
そして――。
「比嘉くん、久しぶりですね」
ベッドの上に横たわり、目を閉じている少年にレディオは声をかける。
彼――比嘉光樹とレディオの出会いは、小学校の入学式にまでさかのぼる。
何の変哲もない出会いだった。ただ座席が隣で、自然と仲良くなって一緒に遊ぶようになった。親友、と言っても良かった。
ただ、子供ながらに不思議に思っていたことがある。それは、彼の父親だ。
外で遊んでいると、コウキの父親はいつも彼を迎えにきていた。これだけなら不思議に思うこともなかったろう。彼の父親は、レディオの家や、他の友達の家で遊んでいても、必ず迎えに来たのだ。
どこにいても、いつでも、絶対に。
羨ましいと最初は思っていた。でも段々不思議に思うようになっていった。
でも、それをコウキに訊くようなことをレディオはもちろん、友達全員がしなかった。
そして、ある時レディオはふと気付いたのだ。父親の目が、どこか淀んでいることに。
時間は進んで夏。それは発覚した。
「急なお知らせになりますが、比嘉君は家庭の事情で転校をすることになりました」
昨日まではしていなかったギプスと三角巾をしたコウキが、レディオたちクラスメイトの前に現れたのだ。いつも笑っていた彼とは違う、沈んだ表情をレディオは今でも忘れられずにいる。
比嘉光樹は、家庭の事情――家庭内暴力が原因で、遺棄児童総合保護育成学校に転校していったのだ。もちろん学校の先生がそれをレディオらに教えたわけではない。知っているのは、転校後、現在に至るまでメールのやり取りを続けたレディオくらいのものだろう。
「さて、いつ頃起きるんでしょうかね……」
これでもレディオとコウキは同じゲーマーだ。ゆすって起こすことも考えたが、大事な局面でそれをしてしまったとあれば、これから話すこともまともに聞いてくれなくなるだろう。
何もない部屋で、レディオはベッドに背を預け、ぼうっと窓の外を眺めていた。
しっとりと夕暮れていく空を見て、「時々ならこういう時間もいいものだ」とレディオは思う。加速世界という凝縮された時間の中をゆく己を、今だけは忘れてもいいような気がしたのだ。
茜空が淡い藍色に染まり始めた頃、レディオの背後で電子音が響き、ギシリとベッドが軋んだ。
「おはよう、比嘉クン」
「お前……どうやって部屋に入った」
立ち上がり、レディオはコウキと向き合う。
コウキの質問には答えず、微笑みで返す。レディオはそのまま自分のニューロリンカーに端子を差し込み、もう片方をコウキに差し出すのみだ。
「その答えはここにあります。遊びに行くって連絡したでしょう」
「まさか本当に来るとは思わなかったんだよ。許可取るにも大変だったろ、ここ」
「ええ、まあ。久しぶりに君と遊びたいと思ったら、なんでもないことでしたが」
「そういうこと言うなよ。その端子受け取りづらいだろうが」
と、言いつつ、コウキはレディオの差し出した端子を受け取り、抵抗なくニューロリンカーに差し込んだ。ワイヤード・コネクション警告が視界に表示されるが、些事と気にせずレディオは続けた。
「思考発声は?」
「できるに決まってんだろ。何年ゲームしてっと思ってんだ」
『それは失礼』
『……で、何の用だよ。遊ぶったってお前、俺はFPSしか持ってねーぞ。今からDLしようにも小遣いカツカツだし』
『なら、これなんかいかがです?』
そう言ってレディオは、《BrainBurst2039》のアイコンからメニューを開き、コピー圧縮。数十秒と長い時間をかけ、出来上がったそれをコウキのニューロリンカーに送信する。ひとまず解凍し、表示された警告を見て一瞬訝しんだ顔を浮かべた後、コウキは尋ねた。
『こりゃなんだ? 話の流れからして、ゲームみたいだけど』
『詳しい話は省きますが、言ってしまえば格ゲーですよ。ただし、ただのゲームじゃありません。――先ほどの答え、ここからが本題です』
『あン?』
『このプログラムのインストールが無事完了後、一夜を過ごせば《加速》と呼ばれる機能を使うことができるようになります。加速とは思考を現実の一千倍にまで引き延ばす機能のことで……』
『おい、ちょっと待て。いきなりなんだ、わけわかんねーよ』
『私は事実しか話していないと、今は信じてください。その後、このプログラムを解凍、インストールするか否か、決めていただければ結構です』
『……わけわかんねーけど、わかった。とりあえず黙って聞いてやる』
その言葉に思わず笑顔を浮かべて、レディオは事務的に説明を続ける。
ブレインバーストとは、現実を舞台にした遭遇型の対戦格闘ゲームであること。
マップは、元は監視目的で取り付けられたソーシャルカメラをハックして作成されたもので、多種多様な属性・性質を持つフィールドが形成される。
そこで《デュエルアバター》と呼ばれる対戦専用のアバターを用い、格闘ゲームを繰り広げるわけだ。格闘ゲームと銘打ってはいるが、実質なんでもありのサバイバルゲームと思った方が近い、とレディオは注釈する。
それというのも、一昔前のスティック&ボタンで操る格ゲーではなく、己の感覚ですべてを操る体感型の操作であることが理由のひとつに挙げられる。
『格ゲーなんて久々に聞いたぜ』
『VRゲームが普及し始めた20年前後から、格ゲーの衰退はより激しいものになりましたからね。スティック&ボタンならやり込めば初心者でもガチ勢に食い込むことができましたが、体感型ゲームになってしまえば、ちょっとやそっとのやり込みではどうしようもない差が出来てしまう』
『だってのに、そのブレインバーストだかは格ゲーとして売り出してんだな?』
くっくっ、と苦笑いに似た表情を浮かべる。
『続けます』
ブレインバーストをプレイ――加速するためには、バーストポイントと呼ばれるポイントを消費しなければならない。このポイントは対戦の勝敗、エネミーオブジェクトの撃破によって増減し、またアイテムがあれば譲渡も可能。
このBP、初期値は100。一回加速する度に1ポイントを消費し、その他の機能によっても規定されたポイントが消費される。
『つーことは、そのポイントを手に入れようとするなら、対戦で勝つか、エネミーオブジェクトを撃破するしかないわけだな?』
『基本的にはその通りです。そして、そのポイントを貯めて、アバターをレベルアップさせること。それがブレインバーストの至上目的です』
『あ? 聞き間違いか? アバターのレベルを上げる?』
『おかしいでしょう? プレイヤーの称号としてのレベルではなく、アバターのレベルですよ』
『それ、確認すっけど、エネミーオブジェクトと戦うときにだけ適用されるんだよな?』
『いえ、全対戦で適用されるものです』
『カッ、馬鹿じゃねーの。聞いてるだけでクソゲー臭プンプンすんだけど』
そうなのだ。
アバターのレベルを上げる、というシステムは格ゲーとしての建前を破壊している。
ブレインバーストのプレイヤー、すなわち「バーストリンカー」と自称する彼らの間では『同レベル同ポテンシャル』などと言って誤魔化されてはいるが、格ゲーというのはそのキャラ性能のバランスでクソゲーか良ゲーかのほとんどの判断がつく。
それでも、格ゲーには潜在的な強キャラ弱キャラが存在するものだ。
ともかく。
アバターの初期レベルは1。レベルアップには先ほど説明したバーストポイントの消費が必要で、レベルが上がるにつれ、必要になるポイントも膨れ上がっていく。現在の最高レベルは9で、そこに到達したバーストリンカーはわずか8名。
『そのうちの一人が、私です』
『はあ~。こんなクソゲーよくやり込んだな』
『まったく同感です』
お互いに笑い合って、話を続ける。
レベル9からはレベルアップの条件が変わる。レベル9同士でのサドンデスルールだ。
レベル9同士での対戦は、勝った方が生き残り、負けた方がBP強制全損。レベル10になるには、これを五回――つまり五人のレベル9を斃さなくてはならない。
『ふうん。レベル10がひとつの区切りっぽいな』
『区切り、ですか?』
『だってそうだろ? サドンデスルールじゃあるけど、全員殺せってんじゃないんだから、そこで終わりってのはまずねーよ。まあ、開発がそう思ってるかは知らねーけど』
『言われてみれば、確かに。レベル10になる可能性は一人じゃないわけですもんね』
『そういうこったな。……そういや、さっきからポイント全損とかって聞くけど具体的にはどうなるんだ? 全損ってことァ、加速だっけか? それができなくなるんだろ?』
『ええ。バーストポイントがゼロになった瞬間、ブレインバーストは強制アンインストール。噂によると、ブレインバーストに関わる記憶もすべて消されてしまうとか……』
『はあ? オカルトやってんじゃないだから』
それはレディオも思っていることだった。この目で実際に確認したことがあるわけじゃないから、本当に記憶を失うのかどうかはわからない。
『まあ、そういう噂もあるという話ですよ』
次に、とレディオは切り出す。
散々っぱら貶したデュエルアバターのことだ。
デュエルアバターはバーストリンカー本人の欲求や渇望などの深層心理から形作られ、そのためにインストール後最初の睡眠時には《ランウェイ・スリープ》と呼ばれるトラウマを抉るような悪夢を必ず見る、と言われている。
そうして作られたアバターは《色名・固有名》という命名構造を取って加速世界に生れ落ちる。これに例外はなく、またすべてが英名に固定され、システム上はアルファベットで表示される。
『ふうん……』
コウキはARデスクトップに表示されているだろうインストールするや否やの警告文を睨みつけている。この時点で、レディオは確信した。コウキはすでに、インストールすることを決意したのだと。
だが、なぜ? インストールしてくれるというならば、その成否にかかわらずレディオは嬉しく思う。しかし、今まで概要を話してきただけで散々クソゲーと罵ってきたゲームを、なぜ?
説得が必要かと思っていたレディオとしては、気になるところだった。
『ひとつ、いいですか』
『なんだよ』
『間違っていると恥ずかしいんですが、私の目には比嘉クンがすでにインストールを決意しているものとして映っています。なぜです?』
レディオの質問にきょとんとした顔で答えたコウキは、次の瞬間薄い笑みを浮かべて言った。
『悪夢を見るって言ったよな? それってさ、全員見るんだよな? で、その悪夢ってやつから掬い揚げられた欠落だか欲望だかが、ブレインバーストをプレイするうえでのアバターを形作るわけだよな?』
『そういわれていますね』
『それが見たい』
薄い笑みは、最後の言葉と共にイビツで無機的な笑みに変わった。
軋む音さえ聞こえてきそうな、硬く、底意地の悪い笑みだ。
レディオの背に冷汗が浮かぶ。お前のキズはどんな深さと形をしているんだと、コウキの視線は狂気に濡れている。言葉が続けられなかった。
『俺さ、人間観察が趣味なんだよね。ていうか、処世術っつーの?』そんな視線を浮かべたまま、コウキは軽い調子で語り始める。『表面だけでもそいつを知ってりゃ、負わなくていい傷を負わずに済む。絶対に俺の懐には入らせないし、俺も相手の懐には入らない。お前は別だけどな』
『どうしてですか?』
『そりゃお前、俺がこういう考え方する前からの親友だからだよ』
『それは……恥ずかしいですね』
正面切ってこれだけのことを言ってしまうコウキに、レディオは嬉しさと気恥ずかしさを同時に胸に抱く。もしこの親友が、今すぐにでも人間観察をやめれば、大層モテるに違いない。
先ほどまでの狂的な笑顔と雰囲気はすでに成りを潜め、今更自分も恥ずかしくなったのか、コウキは赤らめた顔半分を手で覆いながら、思考発声で続ける。
『ともかく、だ。俺は深入りさせすぎたから、親父があんなになったと思ってる。お前には話したけど、親父は、元はすげー真面目で優しい男だったんだ。でもお袋は違う。あいつ、離婚を決定付けた口喧嘩したとき親父になんて言ったと思う?』
『……さあ』
『「こんなつまらない男だと思わなかった」だってよ! 退屈だから、つまらないから、じゃあ不倫が許されんのかって話だよな? 俺がいるのも構わず言ったぜ、「不倫相手の方が情熱的に愛してくれる」ってな』
『お父様は?』
『喧嘩にも慣れてないような人だったから、そういわれた瞬間、なにもかもを諦めた顔をしてヘロヘロになってたよ』
『それから、ですか』
『あの女の血が混じってるってだけで、どこかしら憎かったんだろうな。俺自身だってそうなんだから、親父の気持ちなんて想像を超えてるぜ……』
『でも、それでもお父様は、比嘉クンを捨てなかった』
『それが嬉しかったんだ。暴力に訴えても、最後には俺に謝ってくれるんだ。夕飯だって美味いもんいっぱい食わせてもらった。欲しい物だって、なんでもってわけじゃないけど買ってもらえた。でも、それでも、どうしようもなく、ふと俺にあの女の面影を見ちまうんだろうな』
『……それで、遅くまで遊んでいるといつも迎えに来たんですね』
『うん』
窓の外へ視線を投げ、コウキの顔に影が差す。
レディオは、なんとなく、コウキが言いたいことを理解する。
人間観察。コウキが処世術と言ったそれは、見極める力だ。たとえ時間がかかろうとも、相手を分析し尽くし、致命を突く。あるいは、突かれぬよう躱す。腹のうちに溜め込み、吐き出すべき時に吐き出す。
『そんな趣味だからさ、クソゲーだろうがすげー楽しみなんだよな。そういう心の瑕を剥き出しにした鎧で、心を守ってるっつー矛盾が楽しみで仕方ない。それが対戦して楽しんでって、おかしくねえか? そうじゃねえだろって思わねえ? ――ああ、そうだ。もうひとつ、見つけたことがあるんだよ』
『それは?』
『親父にDVされててさ、気付いたんだよ。逆らえねえんだなって。でもよ、そんな親父が今は俺に会うこともできねえんだぜ? 考えてもみろよ。親父はなにか悪いことをしたのか? 俺に暴力を振るってて、俺以外の誰かに迷惑かかってたのか? 親父の躾方は間違ってねえよ。ああいう女には引っかかるなとか、ああいうくだらねえ人間にはなるなとか、暴力を振るいながら俺に教えてくれたんだ。そいつは今も俺の中で教訓になって生きてる』
レディオはそれを、否定することはできない。
それが正しいとか間違っているとかではなく、そこに至るまでの過程をレディオは知っているからだ。メールや電話という細い繋がりだったけど、今までずっと繋がっている。繋がっているから、今ここにいる。
今ここにいる比嘉光樹を否定することは、繋がり続けた己まで否定する。
『親父最後のインストラクションは【理不尽には勝てない】だ。俺は親父が好きだったのに、何も知らねえ、どこのどいつかもわからねえボケ共は「もう大丈夫」だとか「頑張ったね」とか知った風なこと言いやがった』
ああ、それは。
レディオはぎゅっと拳を握りしめ、口をきつく結ぶ。今にも泣いてしまいそうな目元に力を入れて、コウキの言葉をじっと待った。
『そりゃ偉い奴らの言い分だろ。俺の世界を返せよ。親父がいて、俺がいて、暴力にまみれても幸せで、お前とだって毎日会えて! なにがいけない? 試しにやたら懐いてきてたクラスメイトに同じことやってやったんだ。そうしたら、そいつは喜んでたんだ。でも、教師共はそうじゃなかった! あいつの世界を、俺を隔離してぶち壊しやがった。俺もあいつも言ったんだ。「一緒にいさせてくれ」って。なのに、あいつらは!!』
そこから先も、レディオは知っている。
そのクラスメイトは結局、精神鑑定の末に学校ではなく病院へと送られてしまったこと。
コウキはその後、表面上は改心していること。
『学校じゃもうどうしようもないなって思って、俺はゲームに潜ったんだ。とびきり暴力的な奴がいいって思って、いろいろ試して、FPSに落ち着いた。そこで、面白いものを見た』
光樹の淀み切った瞳から、めら、と炎が立ち昇る。
ずっしりとした重油に火が灯るような、芯を焦がす威圧感がコウキから放たれる。ただの中学生が、加速世界において数十年と記憶と経験を積み重ねてきたイエロー・レディオを圧倒しようとしている。
これが、リアルの経験値。ゲームでは決して得られない、心の瑕から溢れる力。
『至高の暴力――〝理不尽〟だ。成立しちまえば誰にも逆らえない。理不尽に逆らえるのはご都合主義と奇跡だけだ。だが、そんなもんは物語の中にしか存在しない。ここは現実で、ゲームをプレイしてるのも現実の人間。そんなもん、憧れずにいられるか? その力があれば、今度こそ俺は腹の底の底に溜め込んだ怒りを燃やせる。たとえそれがゲームの中だろうと、いや、ゲームの中だから! 相手が人間ならそれでいい!』
理性ある狂気。レディオの目にはコウキの姿はそう映った。
それはつまり、ある事象への帰依者、あるいは信仰者であることに他ならない。
転じて、彼らは貫くべき我を持つ、強者なのだ。
『相手の心の瑕が丸見えで、俺の怒りを受け入れてくれて、形を成してくれる。なら、クソゲーだろうがなんだろうが、喜んでインストールするぜ』
語り尽した風に、コウキはベッドに倒れ込む。
あとは任せた、という風にレディオに譲った。
『エウレカ』
『なんだ?』
『我、ついに見出したりとね。人は、ここまで熱狂できるものかと心が躍った』
『なん……おい、なんで泣いてんだ?』
『思考発声があって良かった。きっと、私が今口を開けば、もう泣くことしかできない』
『答えになってねーよ、馬鹿』
『あなたの暴力が、加速世界すべてを焼き尽くすことを夢見てしまった。と、それでは不満ですか?』
『……いいや、充分だぜ』
また、あの笑みだった。
ぎしり、ぎしり。イビツで無機的と思っていた笑みだったが、今もう一度見て、レディオは「違う」と感じた。具体的にどうとは言えないが、ぎこちないものではない。あれは過剰でありすぎるからだ。
自身の筋肉に意識して力を込めると、関節ひとつ動かすのにも苦労する。
溢れ出す狂喜に、笑顔では表現が追いつかないのだ。
それを見て、レディオもひとつ決意を新たにする。
この作戦で、赤のレギオンを屠るのだ。コウキの怒りにあてられて、レディオの中に眠っていたひとつの想いが顔を出す。
《純色の七王》――現在六王と呼ばれているそれは、バーストリンカーの頂点たる称号に他ならない。だが、それを汚す存在が今、一人だけ存在している。
スカーレット・レイン。
ブラック・ロータスに並んで、レディオの心にしこりとなって居座る悪性腫瘍。
切磋琢磨してきた仲間を、わけのわからない思惑で裏切った《ブラック・ロータス》。
その仲間の後釜として、偽王に祀り上げられ、座し続ける《スカーレット・レイン》。
この二人を、欺瞞を振り撒く黄の王《イエロー・レディオ》は許せない。
これは、ゲームであっても遊びではない。
VRMMORPGの魁《ソードアート・オンライン》の生みの親、茅場晶彦の言葉だ。
すでに二十年以上の時が経ち、忌まわしきSAO事件もネットの海に沈んでしまった今になって、《BrainBurst.2039》というゲームプログラムが、まだ成人してもいない青少年らの心を育て、あるいは蝕んでいる事実。
レディオは胸が苦しくなる。
そう、このブレインバーストというプログラムはゲームなのに。
ゲームという以上の価値を、バーストリンカーらに与えている。
単純に〝加速〟に魅入られた者、ブレインバーストによって絆を育んだ者。善し悪しの側面はあるだろうが、千人に近い小中学生がこのゲームの歯車となって、加速世界を動かしている。
これからもこの世界は回るだろうか。そう考えた時、レディオは停戦協定を結んだことをいつも後悔する。今からでも遅くはない、と何度も考えた。一人、また一人と王を打倒し、レベル10の高みへ。
夢見た景色は、己のアバターの性能ゆえに叶うことはないと自覚もしている。
とはいえ、これでもレベル9。格闘戦は領分ではないが、張り合うことはできるくらいには腕を磨いてきた。――しかし。直接対決となったとき、装甲の色、属性の違い、そのアバター性能の差は如実に現れてくるだろう。
『では、インストールする前の、最後のインストラクションです』
『おう』
だから。
毒を刺す。
『前提として、ブレインバーストの対戦表は接続しているネットによって表示状況が変わります』
『……まさかと思うけど、この学校にはもうそのバーストリンカーがいるのか?』
『結論から言うと、います。さらに説明すると、加速世界内には便宜的にレギオンと呼ぶプレイヤーギルドが存在しています』
『ますます格ゲーらしくねえな。オープンワールド系の戦記ものってとこか』
『言い得て妙ですね。話を戻しますが、加速世界には無数にレギオンが存在しているわけなのですが、中でも特に強い六つの勢力があります。それが、レベル9率いる巨大レギオン』
『あん? レベル9ってのは八人いるんじゃなかったか? どっかの勢力に二人か三人レベル9がいるのかよ?』
『レベル9に到達した人物は確かに八人です。ですが、うち一人はすでに全損、加速世界から退場しているのです。過去、七大レギオンの一角を担っていた巨大レギオンのひとつは解体され、最近復興し始めたばかりなのですよ』
『それで六つなわけだな。続けてくれ』
『ええ。そしてこのレギオンは、領土と呼ばれるテリトリーを手に入れることができます。ちなみに私のレギオンの持つ領土は足立、荒川、台東区です』
『……練馬区は?』
『六つのレギオンのうちのひとつ、赤のレギオンの領土です』
『敵地じゃねえか!』
『そしてこの保護学校にいるバーストリンカーが赤のレギオンのマスターです』
『RPGでもそんなことしねえよ馬鹿! なんで目の前にラスボスがいるんだ!!』
『ご心配なさらず。五人いるラスボスのうちの一人です』
『そういわれるとなんか大丈夫そうだ・け・ど!』
これからもっと無茶なことを言うことを思うと、レディオは苦笑を禁じ得ない。
その苦笑を見てコウキもなにかを察したのだろう。黙ってレディオの話を待った。
『それで、最初の話に戻るのですが、いずれかのネットに接続していれば、バーストリンカーはお互いの名前が見えるわけです』
『つまり、俺がこの学校にいて学内ネットに繋がってる限り、敵に丸見えだってことだよな?』
『そこを逆に利用します。はじめは疑われ、排斥する動きが出るでしょうが、そこは比嘉クンのVRゲーム経験者としてのロールプレイに期待します。我々のレギオンが長期に渡ってこのあたりの動向を調査した結果、一定以上の信憑性を持つ仮説を立てましたので』
レディオはそう言って、作戦内容をコウキに伝えていく。
作戦の成否はコウキのロールプレイがうまくいくかどうかにかかっている、と前置きしてから続けられた作戦内容は、彼の顔をしかめさせるのに充分なものだった。
『……やってやろうじゃねえか』
『それはよかった。では、肝心のインストールといきましょう』
『おう!!』
――ファイルダウンロード セキュリティの警告
――BB2039を実行しますか?
――名前:BrainBurst2039
――種類:On-line type waging-war fighting game – Application
―― 【 実行 】 [ キャンセル ] ――
息苦しささえ覚える、灼熱の視界。
今までの現実すべてを呑み込んでいく炎が、コウキの淀んだ瞳にも飛び込む。
瞳から身体へ潜り込んだ炎は、コウキの心にも燃え移っていく。
全身が焼けるような感動に包まれた瞬間、コウキは声を大に笑い出していた。
理不尽に抑えつけられていた暴力を、この景色すべてが肯定してくれているようで、その炎に浮かぶ親友の姿に、どこまでも救われたようで――。
――BRAIN BURST――
WELCOME TO THE ACCELERATED WORLD
はたして。
比嘉光樹は、インストールに成功した。
◆――――◆
神様なんていない。
優しかった親父が、初めて俺を理由もなしに本気で殴ったときにそう思った。
いや、理由はあったんだ。だけど、俺にはきっと関係ない。
俺のお袋はクズだった。育児の簡略化といえば聞こえはいい。ニューロリンカーを生まれてすぐにつけられて、必要最低限にも満たない世話しかされなかった。かろうじて生きていられたのは、きっと親父の愛情があったからだ。
親父は本当に優しい人だった。仕事も真面目で、家に帰ってきたら俺にもお袋にも変わらず愛情を向けてくれた。そんな親父は、俺が小学校に上がる頃、昇進した。養育費も馬鹿にならない中、タイミングがいいと彼は喜んでいた。
でも、仕事は忙しくなる一方で、家にいる時間も少なくなっていった。
小学校から帰ってくると、お袋は家にいないことが多くなった。決して働いているわけじゃなかった。何度か、家から出てくる男を見たことがあった。その男は俺を見かけると、いつも笑いかけてくれたのも覚えている。
なんとなく、その頃の俺は、その男は親父の友達だと思っていた。
口で説明するのが難しいから、視界スクショを撮って、親父に見せた。
それが正しかったのか、間違っていたのか。
「どうして、こんなことを」
「あなたが悪いのよ! あなたの愛は、おとなしすぎるの。もっと情熱的に私を愛してほしかったのに、あなたが悪いの! こんなに、こんなにつまらない男だと思わなかった! こんなことなら、結婚なんてするんじゃなかった!! あの人の方が、ずっとずっと、情熱的に私を愛してくれるの!!」
「…………そう、か」
離婚した。
裁判もなにも起こらず、俺を煩わしく思ったお袋は親権を放棄した。
親父は仕事を控えるようになった。俺が帰る頃にはもう家に帰ってきていて、夕飯の支度なんかもしていたりした。ほろろと崩れてしまいそうな笑顔をいつも浮かべていた。
それからしばらくして、門限を過ぎて帰ってしまったことがあった。
申し訳なさそうに「ただいま」と扉をくぐると、親父は必死な表情を浮かべて俺に駆け寄ってきて、力強く抱きしめてくれたのだ。どうしたの、と訊くと、親父は一変、見たこともないような形相で怒り始めた。
はじめて殴られた。それも、本気で。
胃液が逆流して、喉を焼いた。骨が軋んで、痛みで動くこともできなかった。
意味がわからず、暴力を受け入れるしかなかった。
その嵐が終わる頃、親父は泣いていた。ごめん、と俺をもう一度、優しく抱きしめてくれた。この頃にはもう、親父が壊れ始めていることに、俺は気付けなかったんだ。
逆らえるはずもない。怖い。痛い。どうしようもなく逆らえない。
何度も何日も、そんな関係がずっと続いた。
俺の中にお袋の面影を見た親父は、いつも、俺の向こうの女に怒鳴っていた。
あんな女に引っかかるな。本当に愛してくれる人を、お前は見つけろ。
心配をかけるな。ちゃんと帰って来てくれ。お前だけなんだ。僕が愛せるのはもう。
だから、だから! ごめんな、殴って、蹴って、お前しかいないのに。
でも、怖いんだ。だから、もう、こんなことをするしか、ごめんな。ごめんな……。
あれだけ言ったのに!! お前はまた!!
やめてくれ、ちゃんと帰ってきてくれ。おかえりって言わせてくれ。ただいまって言ってくれ。ごめんな。殴るぞ、蹴るからな。ごめんな、ごめん、ごめん……。痛いよな、怖いよな。俺も怖いんだ。痛かったんだ。だから、わかるんだけど、ごめんな。ごめん。
親父には、逆らえないよ。だってこんなにも愛してくれてる。
痛いけど、怖いけど、逆らえないけど、でも、俺は親父が大好きなんだよ。
俺もそうなんだ。暴力って形だけど、それでも、親父の愛はちゃんと届いてるよ。
――だから!! 連れて行かないで!! 俺を、独りぼっちになんかしないで!!
「大丈夫よ。もう、大丈夫だから」
――なにが!! なにが大丈夫なんだ!! 親父と一緒に暮らしたいだけなのに!!
「こんなになって……。頑張ったね、偉かったね」
――違う!! 頑張ってたのは親父だ!! 俺は、親父になにもしてやれなかった!!
知ったようにいいやがって、どうしてみんな親父を悪者にするんだ!!
誰が悪いんだ。お袋だろ!! あのクズだろ!! あの色ボケだろ!!
こんなに深い愛をくれる親父を捨てて、クソッタレ! くそったれ!!
こんな理不尽ってないだろ。違うだろ。そうじゃないだろ……?
「今日からみんなのお友達になる、比嘉光樹君です。仲良くしてあげてね」
俺の何に惹かれたんだろうな。
転校先の学校で、えらく懐いてくる奴がいた。最初は、もう一回やり直せるんじゃないかって、一緒に遊んだり、勉強したりってしてたんだ。でも、いつも物足りなさそうに俺を見てくるアイツをみて、「ああ、そうなんだ」と自然と理解してしまったんだ。
そういう繋がりなんだって、俺も、あいつに惹かれていったんだ。
「なにをしてるの! 比嘉君、やめなさい!」
やめろ。やめろ、離せ。泣いてるじゃないか。ほら、ちゃんと殴ってやらないと!
あいつの全部を受け入れてやらないと、あいつは壊れちまうだろ! 好きなんだ、大好きなんだ。だから、連れて行かないで。あいつは、俺をちゃんと愛してくれたんだ。親父にも負けないくらい、愛してくれたんだ。
小学生がって馬鹿にするのか? お前らにわかるのか?
いつだって俺たちから愛を遠ざけようとするお前らに、理不尽になにがわかるんだ?
「コウキくん、ばいばい」
なんで……。
なんでなんだよ……。
なんでそうなるんだよ……。
なんで、なんでこの
もっと遠く、理不尽に遮られたそのもっと先まで届くような、暴力を俺が持っていれば。
理不尽さえ撃ち砕く、暴力があれば。
親父と一緒に暮らしていけたのか?
あいつの手を握って、好きだって言ってやれたのか?
この暴力を、届けたい。理不尽に対するこの怒りを、燃やしたい。
この想いが届かないのなら、この想いが悪と断じられるのなら、それでもいい。
だが、邪魔をするな。
邪魔をするというのなら、この純愛に燃やし尽くされるがいい。
届け。届け、届け――この愛! もっと、もっと遠くへ。
あいつの元へ――!!
――それが、君の望みか?――
◆――――◆
「……おい、冗談はやめろよ」
最近なんだか、やたらと付き合いの悪い二つ年上の《親》と話しをするべく、放課後の寮、自室にて上月由仁子がBBのインストメニューのマッチングリストを立ち上げたところ、見慣れないバーストリンカーの名前を見つけたのだ。
ここは相手の出方を待つべきか、それとも《親》は誰だと質すべきか。
十数秒ほど逡巡したのち、まずは全員で話し合うべきだと結論を下す。
元の予定通り、チェリー・ルークの名前をクリックし、デュエルを選択。青いフィルターのかかっていた視界が波打つように姿を変えていく。
素っ気ない自室が、一神殿の一室のように真っ白く造り替えられていく。荘厳な雰囲気を漂わせつつも、どこか物寂しい。窓からは青白い光が降り注ぎ、空の半分も埋め尽くすほどの大きな月が浮かび上がった。
「月光ステージか。ちょうどいいや」
窓から外に飛び出して、空に向かって腰にマウントさせていた銃を、リズムを取りつつ撃ち放つ。緊急会議のサインだ。
音がよく響く月光ステージだ。観戦者もすぐに集まりだし、対戦相手の方向を示すガイドカーソルも細かくゆれている。全員が集まりのを待っていると、近くの影からするりと出てくるアバターがあった。
「レイン、どうしたの?」
「パド。いや、二度手間はお前も嫌いだろ。みんな集まったら話す」
「K」
レインの対戦を常に観戦予約しているブラッド・レパードだった。
ぞろぞろと集まりだす、学校在籍中の赤のレギオン《プロミネンス》のメンバーたち。その中でも最後に広場に現れたのは、チェリー・ルークだった。アイカメラの奥に、レインは動揺の光を見た気がした。
「レイン、どうしたんだい? てっきり最近の態度のことで怒られるかと……」
「自覚してんならちゃんと構え馬鹿。さっきまでそのつもりだったけど、事情が変わった」
「?」
「チェリー、お前朝からマッチングリストは見た?」
「いいや。今日は触らないつもりだったから全然」
「他に見た奴」
「見てないよー」「同じく」「右に同じ!」「今日は観戦だけのつもりだったんで」
ふむ、とレインは顎を撫でる。
ということは、現状を把握しているのはあたしだけか。都合がいい、とアバターの奥でひとつうなずく。
「昨日、誰か《子》を作った奴」
レインのその言葉に、集まった全員の空気がぴしりと張りつめた。
まだまだ低レベルのバーストリンカーもいるとはいえ、レインの言葉の意味を察せないほどのニュービーはいない。全員が一様に黙り込み、レインの言葉の続きを待った。
「誰もいないんだな? じゃあ、単刀直入に状況報告すんぞ。今さっき、マッチングリストを見たら見たこともない名前があった。ちなみにあたしは今、学内ネットにしか接続してないからな」
ざわつきが広がる。
つまり、《親》不明のバーストリンカーが突然現れたことになる。逆説的に、この学校の中にまで、良くてプロミネンスの構成員、最悪他の王のレギオンからの刺客が入り込んだことになる。
学校を訪ねてまでBBをインストールするのなら、もちろん学内ネットに存在するバーストリンカーも確認したはずだ。まったくのニュービーならいざ知らず、少しでも長く加速世界に入り浸っていたのなら、スカーレット・レインの名を知らぬわけもあるまい。
――最悪、他の王にこの学校の生徒の誰かが《スカーレット・レイン》だとバレたと考えた方がいい。事態は思った以上に深刻だ。
「レイン、私がいく」
「ま、待てよパド。お前がせっかちなのは知ってるけど、まあ待てって!」
「こういうのは早いうちにハッキリさせておいた方がいい。NP、心配ない」
「……お前がそうそう負けるとは思ってねーよ」
「TH。バーストアウト」
観戦途中退室扱いで、レパードがバーストアウトする。
そこから全員に視線をやってから、レインはため息を吐いた。
「そんじゃ、あたしらも観戦しに行くぞ」
◆――――◆
洋菓子店「パティスリー・ラ・プラージュ」に向かう途中だった掛居美早は、校門前で一度目の加速音を聞いた。スカーレット・レインとチェリー・ルークの対戦だった。
「ああ、これは口喧嘩になるんだろうな」と様子を見ていると、レインが緊急会議を知らせるリズムの発砲を行ったのだ。何事かと駆けつけ事情を訊くと、どうやらこの学校に《親》なしバーストリンカーが現れた、という話だ。
「バーストリンク」
BRで加速できないものかと美早は常々思っているが、ボイスコマンドは省略できない。マッチングリストを開き、見覚えのない名前を探し、見つけた。
《BURNING CREED》
直訳で、燃え盛る信仰、と言ったところか。
バーニングといかにも赤系統のバーストリンカーだが、実際に見てみないとその特徴もわからないだろう。美早はバーニング・クリードの名前をクリックし、デュエルを選択する。
通常対戦フィールドが形成されていく中、果たして相手は姿を見せるだろうかと不安が湧き起こる。もちろん、姿を見せないのであれば自分から近付いていくつもりではあるのだが。
先ほどまでの月光ステージとは打って変わって、風化ステージが選ばれた。
あまり美早――ブラッド・レパード好みのステージではない。なによりグリップが効きづらいのが最悪だ。
しばらく立って待っているが、やはり近づいてくる様子はない。
ガイドカーソルに従って対戦相手に近づいていくと、ちょうど、先ほどの広場あたりを指していることがわかった。とはいえ、今の時間、そこには生徒が多くいる。誰が正体かなんてわかりっこない。
「ブラッド・レパードさん、でいいですか?」
「!」
広場の中央にそのバーストリンカーはいた。
全体的なシルエットはのっぺりしている。というのも、アバターの素体がフード型の装甲に覆われているからだ。強化外装の類ではない。アバター自身を構成するパーツのひとつだろう。なるほど、信仰者と名付けられたわけだ、とレパードは心の中でうなずいた。
フード型装甲の下には、逆関節型の足――つまり、半獣タイプのアバター素体がある。隠者や信仰者といった印象からはかけ離れた、猛々しいシルエット。と思えば、頭部はそのどちらとも違う、機械的な印象を受けるヘルメット型だ。奇妙なアバターだ、とレパードは警戒を密にする。
そしてなにより、想像していた色からはかけ離れている。
バーニング。レパードはてっきり黄混じりの赤系統かと予想していたのだが、実際には純粋な黄色に近い。彩度としては高すぎず低すぎず、名前に反して炎のような鮮やかさはないが、ウイスキーやはちみつのようなとろりとした色合いだ。
「あなたが、バーニング・クリード?」
「そうみたいですね。それで、これは? 突然ゲーム画面に移されたんですが、これ、現実の俺大丈夫ですか? 倒れたりしてません?」
「NP。今は加速中。ここの一秒は、現実の0.001秒にすぎない」
「…………」
のっぺりとしたヘルメット頭には表情は浮かばないが、その奥で怪訝そうな顔を浮かべているのをレパードは幻視した気がした。
「このゲームは今はじめて起動したの?」
「はい。……体力ゲージに、カウント。この下の空っぽのゲージは必殺技ゲージってところかな。そういや、インストールするときに警告文にファイティングゲームって出てたな」
「K。そこまでわかっているなら話は早い。これは格闘ゲーム」
「キャラセレクトは?」
「昨日の夜に終わっている。それが君の持ちキャラ。バーニング・クリード」
「コマンドもわからない」
「バー下部の名前をクリックして」
レパードの指示通りに動くクリード。虚空をプッシュする動作の後、「お」と声を漏らす。
「インスタントメニューが出たはず」
「フムン。ステータス確認」
クリードがステータス画面を表示させる。しばらくスクロールさせるなどして確認する様子を見せてから、クリードは口を開いた。
「通常技と必殺技がひとつずつ。アビリティとやらが二つですね。アナログコマンドじゃなくて、モーションとボイスコマンドなんですね。今風だ」
「強化外装は?」
「強化……なに?」
「武器」
「ああ。……これかな。《ミス・カイル》」
「ミス・カイル? ……アビリティ型か、強化外装型のビルドには間違いなさそう」
「ともあれ結局は格ゲーなんだし、勝てばいいんでしょう?」
「K。――最後に、ひとつ確認したい」
「なんです」
「あなたの《親》――このゲームをインストールした張本人は誰?」
「僕の友達ですけど。なんか引っ越すとかで、最後にこれを渡したいって」
「……それじゃあ、あなたはこのゲームについて何も知らない?」
「ブレインバーストって名前と、ジャンルが格ゲーってくらいしか知りませんよ」
「……K」
それだけ言って、レパードはドロー申請をクリードに提案する。
最後に「わからないことがあれば、マッチングリストの私の名前をクリックして」とだけ伝え、お互いに減速する。
校門前に立ったままでいる美早は、ふとクリードのいた方向を振り返る。さっきまでの態度からして、彼の言葉が嘘である可能性は高いとみている。が、単にロールプレイで口調が変わっているだけの可能性もある。
曖昧な態度だった。
それに無防備だった。
美早は十秒近くクリードがいただろう方向を睨んでから、ため息と一緒に緊張で強張っていた肩から力を抜く。大げさに凹んだようにも見える脱力をして、美早は洋菓子店へと足を向けた。
今、これ以上の詮索は無意味だ。
簡潔に「親は不明。FoF判別不可。ただし、態度は比較的友好」とだけ書いたメールをレギオンマスターである由仁子に宛て、発信する。数秒後、「様子見」と一言だけ書かれたメールを受信して、美早は顔をあげた。
つまり、対戦を吹っかけてもいいが、全損はさせるなということだろう。
情報も拡散するだろうから、このままバーニング・クリードが友好的な態度を取り続けていれば、プロミネンス入りも考えられる。不審な点はいまだ多いが、関係を築いていくのならそれが明らかになるのも近いだろう。
――だが、それでも。
そう思わずにはいられないのは、掛居美早/ブラッド・レパードがバーニング・クリードのデュエルアバターを見たせいなのかもしれない。異形とまでは言わずとも、どこかチグハグなデザインのアバターを。
美早は考える。
信仰者のような、あのフード姿は「なにかを信じている」ことを暗喩しているのだろうか。そしてあの猛々しい獣の躰からは、信仰のうちに流れる強烈な〝力〟を感じた。最後に、あの機械的なヘルメット。本性を隠す仮面なのか、それとも、己自身を封じるための拘束具なのか。
あのヘルメットの割れる日が来ないよう、美早には祈ることしかできなかった。
◆――――◆
バーニングゴールド。
それが、バーニング・クリードのカラーサークル上の設定色だ。
ゴールドと名がついているが、メタルカラーではない。――のだが、名前で判断されたのか、ブレインバーストのメインシステムからは微弱ながら腐食耐性を付与されていることに加え、打撃属性への耐性も強化されている。
とはいえ、本物のゴールドの比にはならないであろう、弱弱しい補正だが。
ブラッド・レパードが対戦を仕掛けてくるより前、コウキは自身のアバターの特性をステータス画面で飽きるほど眺め続けていた。色から見る属性としては、間接特化の遠距離系――ぶっちゃけると〝間接射撃型〟アバターだ。
つまり、敵を肉眼で捉えられないほどの超長距離攻撃が得意と、そういうことである。
『対戦を仕掛けられるまで、こちらからは決して動かないことです。その方が、あなたも本当が入った演技をすることができるでしょう?』
イエロー・レディオの言っていた通りだった。ブラッド・レパードなる女性バーストリンカーに対戦をふっかけられたコウキは、その時点でようやく自身が《バーニング・クリード》という名前のデュエルアバターになったことを知ったし、ブレインバーストがどういう性質を持つゲームなのかも理解した。
――と、同時に呆れてものも言えなくなる。どうやらお互い学内ネットにしか接続していなかったようだが、だからこそブラッド・レパードのリアルがわかってしまった。いやわからざるを得なかったというべきか。
「あんな喋り方するの、隣のクラスの掛居しかいねーだろ」
男子曰く、おっぱいおっぱい!
そりゃあんなのがくっついてたら中三男子にはたまらんですよ、とコウキもうなずく。
そんなわけで、他人を覚えることに頓着しないコウキもあのおっぱいを覚えているのだ。じゃあ実際にお世話になったのかと言われるとそうでもなく、好きなのかと言われても別段気にしたことはない。
今はじめて、コウキは掛居美早という少女を意識したのだ。
それはもちろん好意という意味ではなく、どういう相手なのかという意味でだ。
「さてと、次の作戦に移るか」
とはいえ、ここからが一番長いフェーズになっている。
できる限り早急に、しかし慎重さは失わず、かつ大胆に。コウキは「何言ってんだコイツ」と、作戦をレディオの口から聞いているときに思ったものだが、それくらい無茶なRPでもしない限り達成できないだろう。
まずは美早に頼ってみよう、とコウキは決める。今日対戦して、レディオほど詳しくなくとも簡単な概要を説明してくれた手前、コウキには彼女を頼る理由がある。
「まあ、それも明日まで対戦吹っかけられなければ、だけど」
学内ネット限定での対戦となると、コウキに勝ち目はない。
デュエルアバターにはレベルがあり、この学校に所属しているバーストリンカーが所有するアバターの平均レベルが4を超えているから――というのもあるが、コウキのデュエルアバター《バーニング・クリード》にも原因がある。
それは、クリードが間接射撃に特化した超長距離攻撃型アバターだからだ。
このアバターの有効射程は、ドーナツ型をしている。懐に潜り込まれてしまえば、為す術もなく惨敗してしまうだろう重大な欠点を抱えている。それを解決するための策は、コウキにはない。
朝のうちにアバターの概要はレディオにメールで知らせてある。
そろそろなにかレスポンスがあってもおかしくないとは思っているのだが、コウキのメーラーには一通のメールも届いていない。まだかまだかと無為な視線をメーラーに注いでいると、ぽん、という軽快な電子音と共にメールの受信を知らせるアイコンがメーラーに灯った。
『対戦は極力避け、仮にレベル2に上昇できるポイントが貯まったとしても絶対にレベルアップはしないでください。レベルアップしない理由を聞かれたときの理由は任せます。君のアバターは通常対戦フィールドに立つべきではなく、また目立つべきではない』
なるほど、とコウキはうなずき、その頭の中では今後の行動がカチカチと音を立てて組み立てられていく。明日、美早に接触するのは変更なしとして、こちらから対戦をふっかけるようなことは絶対にしないと厳に誓う。
それに最後の文章にはコウキも全面的に同意する。バーニング・クリードが通常対戦フィールドではまともに戦えないのは、ステータスやアビリティ、導き出される戦法からコウキも感じ取っていた。もちろん初見殺しは充分可能だが、対策を取られた途端、勝てなくなる可能性が飛躍的に上昇する。
「そいじゃ、今日のところは明日のための予習復習をして、いつも通りFPSに潜って、飯食って風呂入って歯磨いて、寝るとしますか」
そういえば、別のゲームをやっているところに乱入されたらどうなるんだろう? とコウキの頭に疑問が浮かんだが、昨日の今日、それもあれだけ警戒した動きを見せた集まりが易々と対戦を仕掛けてくるとは思えない。
FPSにおける1.8秒は生死を分ける。それだけの時間、戦闘中に棒立ちなら確実に殺される。うまく隠れていれば問題なかろうが、移動中に乱入されたらたまったもんじゃない。レースとか、RTSとか、リアルタイム進行のゲームが好きな奴は安心してプレイできないんだな、とコウキは今更ブレインバーストの不便さを知る。
たった百回の思考加速装置と考え抜けるか、百回を経験するまでに加速に憑りつかれるか。たぶん、多くのバーストリンカーは純粋に格ゲー(笑)を楽しんではいないだろうとコウキは予想する。
むしろ、格ゲー(笑)自体が大きな枷になっている者もいるはずだ。
だが、コウキは同情しない。運がなかったな、星の巡りが悪かったんだ。そう諦めた風にトリガーをただ引くだろう。所詮はゲームだ。できないのならやめればいい。加速が惜しい? 知ったこっちゃない。
「ま、いいや。明日明日……」
コウキは今まで進めてきた思考の一切を放り出し、机に向かう。
なにもない机の上には、ゲームのパッケージだけが置かれている。それを何の感情も映らない瞳で一瞥して、コウキは予習と復習を始めるのだった。
◆――――◆
「掛居さん、隣のクラスの男子がきてるよ」
バーニング・クリードの騒動の翌日、美早の元を男子が訪ねてきたらしい。
中学三年生になるまでに言い寄ってきた男子は一通りフッてきた覚えのある美早だが、あの騒動から昨日の今日となれば、その鉄面皮もわずかに強張る。
「誰?」
「ええと、比嘉って言ったかな」
「K」
立ち上がり、教室から出るとその男子は窓際に寄り添って待っていた。
背は高い。女子の中でも飛び抜けて長身な美早よりも、さらに頭半分は高いだろうか。だが、すらっとした体格で、そこまで威圧感を覚えない。顔立ちは男らしさの出てきた少年といった風で、少し優男っぽい。
だけど、その眼は。
「君が?」
「比嘉光樹です。呼び出して悪いね」
「要件は?」
「ブレインバーストのことで聞きたいことがあったから」
「……あなたが、バーニング・クリード?」
「驚かないんだね」
そもそも、現実と加速世界とで美早は口調を変えるなど煩わしいことはしていない。
加えて、リアルでも「パド」と愛称で呼ばれているのだから、聞く人が聞けば、すぐに気付かれるだろう。コウキの前では呼ばれたことはないが、きっとそのうち聞かれただろう。
そのなにもかもを許容したうえで、掛居美早はバーストリンカーをしている。
「まさか接触してくるとは思わなかったけども。それで、なに?」
「放課後、俺を紹介してくれないか」
「レギオンメンバーに? どうして」
「そりゃ、郷に入れば郷に従えって諺もあるだろ? 昨日の掛居さんの態度を見てればわかるよ。俺のことを警戒してる。ただのゲームなのに、どうしてそんなにビクつくのかはわからないけど」
「ただのゲームなら良かったけど」
「ふうん」
美早――ブラッド・レパードは知っている。
このゲームは、深みにハマってしまえばただのゲームでなくなることを。その最たるものが《加速》だ。どうやら目の前の比嘉某はその有用性を理解していないようだが、美早はもう、その酸いも甘いも知ってしまっている。
「茅場晶彦って知ってるよね、掛居さん」
「ゲーマーに知らない人はいない。近代史における、サイコパス筆頭。大量殺人者」
「『これはゲームであっても、遊びではない』。このゲームも、つまりそういうこと?」
「……ゲームオーバーになったからって、別に死にはしない」
「でも、必死になるだけの理由がある。そうだよね?」
む、と美早は眉根を寄せる。なぜかその仕草にコウキの方が驚いて、その驚きにまた美早も驚く。とことんこちらのリズムを崩してくる男だな、と美早は内心で毒づく。なにに驚いているのかには興味がないので、話の続きを促す。
「それはもうどうでもいい。レギオンメンバーに紹介して、なにがしたいの」
「なにってそりゃ、対戦だったり、チャットだったり? これ格ゲーでしょ」
「もうそれでいい」
言って、美早は踵を返す。要件はこれだけ、他にあっても付き合いたくないと態度で示す。なのに、コウキはしつこく声をかけてきた。
「せっかくだしさ、お昼一緒にどうかな」
「口説くなら他の子にして」
「残念。あ、一応席は取っとくから」
「行かない」
「それじゃ、またお昼ね」
美早が振り返ると、隣のクラスへと入っていくところだった。
なんなんだあの男は。軽薄。軟派。美早の中で、コウキのリアルでの第一印象が平均以下の格付けとなる。できれば関わりたくない。校内ですれ違うのも遠慮したい。そんなところだ。
美早が自席に戻ると、メッセンジャーをしたクラスメイトが近寄ってきた。
「なに話してたの?」
「なにも」
「なにもってことはないじゃない。掛居さん、あんなに誰かと話すことって少ないから」
「え?」
はっとして口元を抑えてしまう。クラスメイトは意外そうに驚いてから、くすくすと笑った。それがなぜか悔しくて、気持ち渋い表情になる。
「それで、なんだったの?」
「しつこい。昼食に誘われただけ。断った」
「えー、もったいなーい。カッコいい子だったじゃん」
だからどうした、じゃああなたが行けばいいじゃないか。とは口に出さない。美早は一秒でも早くこの面倒な会話を終わらせたかった。美早の表情がだんだんと険しくなってきたのを感じ取ったのか、クラスメイトの子は苦笑いを浮かべて彼女から離れていった。
カッコいいか、と聞かれれば、確かに平均よりも顔面偏差値は高いように思えた。だが、だからといって心動かされているわけではないのだ。確かに、くだらない理由だとわかった瞬間に切り上げて立ち去ってしまえばよかったのだ。
ブレインバーストの話題の内はまだよかった。昼食の誘いになった瞬間、有無を言わさず立ち去れば――。
「……」
考えても仕方がない。昼食は――まあ、購買で適当なパンでも買おう。
いつも食堂を利用する美早の、なけなしの反抗だった。
「せっかく席取ってたのに」
「あれは断った。それより、早く」
「これで全員? じゃあ、改めて。昨日からブレインバースト始めました、バーニング・クリードです。このゲームやる前は主にFPSやってました」
まばらな拍手が巻き起こる。
コウキは首を右に左に動かし、全員を観察する。
昼休みに美早――レパードを待っている間に、イエロー・レディオとまた連絡を取り合っていたのだ。彼によると、コウキのアバター《バーニング・クリード》の弱点は移動能力だという話だ。
そのため、まずは移動能力の高い、最低でも移動能力にアドを持つアバターと組めるよう行動しろ――とアドバイスを受けたのだ。しかし、この中で移動能力が見た目から高いと思えるのはブラッド・レパードだけだ。
彼女のアバターが持つ猫科特有のしなやかなラインは、いかにも力強く素早そうだ。
「あ、あれー? あんまり歓迎されてない?」
「歓迎しにくいっていうのが、正直なところかな」
そう答えたのは、おとなしい赤色をメインカラーとした小柄なM型デュエルアバターだ。声はまだ変声期を迎えていないのか、少女のような響きも含んでいる。
その声に、わざとらしいと自分でも思うほどコウキは首をかしげてみせる。情報を寄越せ、と言外に言い放っているのだ。その言葉は彼に届いたのか、苦笑いの気配を感じさせつつ、話を続けた。
「ブレインバーストっていうゲームは、ゲームであってゲームじゃないんだ。もしかしたらパドさんから聞いてるかもしれないけどね」
「加速だっけ。それってそんなに大事なものなのか?」
「人によっては、死に物狂いになっても無くしたくないものだよ」
「……ふうん。ゲームなのにな」
説明を聞くに、クリードの精神性では理解できそうにない。
思考・体感速度が千倍に加速される景色を、第三者の目で見ることができる。そう聞けば、なるほどすごい力なんだろうなというのはクリードにもわかる。だけど、それを実際手に入れたからといって、〝加速〟を利用してなにかを為してやろうという気にはならない。
仮になにかやろうと思えば、やはりゲームだ。1.8秒を三十分に引き延ばせるのなら、その時間をゲームに捧げたいとクリードは思う。
「ああ、名乗り遅れちゃったね。チェリー・ルークだよ。よろしく、クリード」
「よろしく、チェリー」
「ああ、うん。できればルークの方でお願いしたいかな」
「なんでさ、チェリー。可愛いじゃないかチェリー。なにかあるのかチェリー?」
「わかってやってるだろ、君」
「クカカっ」
主に女性陣が首をかしげているが、レパードは思い当たることがあったらしく、クリードの脇を小突いていた。もちろん、この二人がスターターではないのでダメージ判定にはならない。
「ルーク、あなたに世話を任せる」
「え、ちょっと、いきなりなにパドさん」
「今朝から付きまとわれて迷惑してる」
「ちょ、ちょちょちょ! パドさんリアル割れしちゃったの!?」
一日の対戦制限から「付きまとわれている」の意味を察したルークは血相を変えてレパードに駆け寄る。慌てふためく彼とは対照的に、レパードの方は落ち着き払っている。
柳に風とルークの勢いを受け流すと、レパードは続けた。
「新人教育は任せた」
「パドさんだって古参じゃないか!」
「私は教導役には向いてない」
「だからって、そんな、僕は……」
クリードの様子を窺うように視線をやりながら、ルークは歯切れ悪く何事かを呟く。
なんらかの事情で教導役を引き受けたくない、というところだろうが、そうですかと諦めるのも締りが悪い。どうせならとクリードはひらめいたことをそのまま口に出す。
「対戦しよう」
「ああもう、次から次へと! なに、クリード!」
「だから、対戦しませんかって。それで、俺がチェリーから教えてもらいたいって思ったら改めてお願いするよ。それでもまだ断るっていうなら、レパードにこれからも付きまとうことにするよ」
「そういうことをいう!? 勝っても負けても、断っちゃ僕の負けじゃないか!」
煽っても良かったが、クリードはこれ以上の口出しをやめておいた。
先ほども「チェリー」の一件でからかったばかりだ。変声期を迎えていないと予想したことと、レパードを「パドさん」と呼ぶことから年下だと見当をつけてはいるが、クリードの中では確信は得られていない以上、むやみやたらにからかうものではない。
根拠としては変声期が来ずに声が高いままの男性もいるらしいし、パドさんっていうのも単なる愛称かもしれない、という余地が残っているからだ。
「それで、対戦してくれます? 俺のデビュー戦はレパードがドロー申請してきたからまだ戦ったことないんですよねコレで」
「あーもー、わかったよ。バーストアウトしたらすぐ僕が対戦持ちかけるから、それでいいでしょ? でもクリードの色からして、僕はあんまりアドバイスとかできないだろうから、そこは期待しないでよね」
「K、K」
「マネしないで」
「K」
「……」
レパードのアイカメラが気持ち吊り上がったようにクリードには思えた。
元が獣っぽい頭部なので、その迫力たるや間に檻がない猛獣を前にしたかのよう。
呆れたようにため息を吐くルークは、いい? と確認をしてから続けた。
「それじゃ、クリードの歓迎会ってことで。スターターした二人はドロー申請しといて。乱入できないからさ」スターターだった二人はルークの言葉にうなずき、ドロー申請を行う。「うん、アリガト。じゃ、クリード、どうかカウントが三桁になるまでは粘ってよね。期待してるよ」
「善処するよ」
バーストアウト、とルークの姿が消える。
呼び出されるまではもうしばらく時間がかかるだろう。今のうちにチェリー・ルークの情報を集めようとさっそく隣に立つレパードへとクリードが視線を向ける。からかってしまったが、それでへそを曲げてなにも言わないほど彼女は子供じゃないだろうと思ってのことだった。
「ルークのこと?」
「そういうこと。アンフェアじゃない?」
「素人同然にベテランがって意味なら、確かに。だけどこれはあなたが吹っかけた勝負」
「そこを突かれると……痛いな」
「負けてもポイントは少ししか減らない」
「あ、負ける前提なんだ」
「ルークが強いだけ」
「見た目じゃわからんのも格ゲーの醍醐味だよな」
実際、ルークを年下と見てからかったクリードだが、嘗めてはいない。
ブレインバーストというクソゲーをやり続けてきただけの実力はあるはずだし、加えてそこでベテランと評されるほどには勝ち続けてきた実績もあるはずだ。相手の攻撃手段は見えないままだったわけだが、クリードにとってもそれは同じだ。
チェリー・ルークはバーニング・クリードを知らないし、バーニング・クリードはチェリー・ルークを知らない。とすれば、間接射撃を得意とするバーニング・クリードにいくらか分があるとみていい。
クソゲーの最たるゆえんであるレベルの差が、どれほどのものかは知らないが。
あと不安な点があるといえば――とクリードが自己評価を下していた時だった。
――HERE COMES A NEW CHALLENGER
視界上に体力ゲージと必殺技ゲージが現れ、カウント【1800】の文字。
格ゲーにしちゃ制限時間多すぎィ! と毎回思うことだが、画面端――つまりフィールドの限界点と限界点で対戦が始まった場合、まず合流するだけで半分近く使うことだろう。そう思えば、親切なのか不親切なのかわからない制限時間だ、とヘルメットの下でクリードは苦笑いを浮かべる。
組み立てられていく視界上部のゲージ集合体の他に、景色も変わり始める。
先ほどまでいたのは、カラカラに乾燥した大地が続く《荒野》ステージ。バーニング・クリードにとって保護色となる黄土色や褐色の多いステージの、まずは空が変わっていく。
まるで切り裂かれたように、黄砂覆う空が雲一つない晴天へと姿を変える。
そのまばゆさは乾いた地に降り注ぎ、時折吹く突風すら呑み込み、あとは波紋が広がるように碧く大地が潤っていく。
――FIGHT!!
《水域》ステージ。
水属性値の高い、比較的レアなステージだ。
バーニング・クリードの足首あたりまで冠水した地面は、ずっと遠くまで続いている。建造物のほとんどは陽に晒され、コンクリートフレームが白く変色してしまったものの集合体へと成り果てた。
――まずい。
クリードは直感する。相手の位置を知らせるガイドカーソルを頼りに狙撃に移らなければと視線をカーソルに向けた瞬間、視界の端に赤く浮き上がったシルエットを捉えた。
諦めてはいないが、バーニング・クリードとしての戦いは負けも同然に落とされてしまう。それというのも――
「さあ、粘れよルーキー」
「調子に乗って!」
その瞬間、クリードに逡巡が生じる。
間接射撃型だと、おそらくまだ気付かれてはいない。《ミス・カイル》という強化外装名はレパードに教えているが、それがどういった代物なのかまでは教えていない。というよりも、イエロー・レディオの計画を進行させるには知られない方がいい。
もちろんそのうちバレてしまうことになるだろうが、こんなにすぐバレたのでは!
結論として、クリードは強化外装を抜かなかった。FPSで鍛えたクリード唯一の近接格闘手段であるサバットも、逆関節持ちのクリードでは練習なしに繰り出せない。万策尽き果てた。
構えだけは作り、交戦の意思をルークに伝える。
赤属性は遠距離型。その攻撃手段は多岐にわたると聞いているが、さて。
「いくぞ!」
「性格変わりすぎだろっ……!」
足元を掬う水も気にせず、ルークは身体を左右に振りながら思い切り踏み込んできた。
空手――!! それに気付いた瞬間、クリードは構えを改める。キックボクシングじみたサバットの構えの一つである【ボックス・フランセーズ】から投げや関節技を主体とする【パリジャン・レスリング】へ。
ぐっと腰を落とし、体当たりの構えを取る。それに反応してルークが迎撃の構えを取ってくれるのがクリードとしては理想だったが、お構いなしに彼は突っ込んでくる。
「お前赤系だろ!!」
「全員得意分野で戦ってるわけじゃないんでね!」
クリードが遮二無二突進すると、ルークはそれをアッサリと避けてみせ、交差際、巨大な鋏じみて肘鉄と膝蹴りを放つ。腹部と腰部を同時に打ち据えられ、クリードの身体は一瞬空中に留まってしまう。
「ズェあ!!」
無抵抗に停止したクリードを前に、ルークはずっしりと構え、美しささえ覚える型を披露し、次の瞬間、強烈な衝撃がクリードの全身を襲った。腹に穴が開いたんじゃないかという、痛みというよりも虚無感に似た打撃。
「んぶぐばっ!?」
「まだだ……」
ザカッ! と勢いのある三戦の型。
呼吸を整えたルークの掌底あたりに、なにかが閃く。と同時、胸の一点に違和感を覚えたクリードは、ここからの一方的な展開を幻視する。
「はァッ!!」
ルークの気迫に吸い込まれるように、吹き飛んでいたクリードの身体が不自然に赤い衝撃へと近づいていく。あまりに強い牽引力に身体は反らされ、防御も、まして回避などできようはずもない。
「ごぼぶっ――かぱっ!?」
鳩尾への正拳突きからの、首筋への手刀打ち。
倒れ込みそうになるクリードの身体を、またしても不自然な牽引力がルークへと引き寄せていく。その勢いのまま、二度目の肘鉄がクリードの胸部装甲を抉った。自身を抱きかかえるようにたたらを踏むクリードの視界に、逆さにしたカマキリの鎌が――ルークの蹴り上げが迫る。
「せぇヤッ!」
ぱかーん、と間抜けな音を上げて、クリードの首と身体が撥ね上げられる。
空中で伸び切ったクリードへ、さらなる追撃をしかけようとルークの必殺技ゲージががくんと消費される。構えは正拳突きによく似たものだが、重心を後ろへ下げている。これが立ち上げモーション。そして――
「ゼロ距離だ! 《フルインパクト》ォッ!!」
左右の拳を、同時に打ち込む。
ライトエフェクトで視覚的に強化されただけではなく、この技は〝飛び道具系〟らしい。拳が命中する衝撃に遅れること一瞬後、エネルギーの塊が追撃する形でクリードの胸を強打する。
吹き飛んでコンボも終わりかと思われたその瞬間。
今度は二ヶ所に違和感が走り、と同時に気味の悪い浮遊感がクリードを襲った。
「これでぇ――ラストお!!」
遠心力で強化された強烈な〝叩き付け〟。
綺麗なアーチを描いて、バーニング・クリードは頭から地面に叩き付けられた。
もう悲鳴をあげる余裕すらない。一撃ごとに体力ゲージは吹き飛び、最後の最後、この叩き付けで締めて、クリードの体力ゲージは半分強消し飛ばされてしまった。
「ぐが……っ。なんだその手首のやつ!」
「気付いたんだ。赤で空手だから、初見だとこっち見る人少ないんだよね。まずは空手に対応しようとしてくれるから」
「この学校のどこで空手なんて習ったんだよ、くそったれ!」
「加速して動画見て……まあ、通信空手だよね」
「通信空手であんなになるわけないでしょ!!」
「まあ、そこは加速サマサマってところかな。それに現実じゃあんな動きできないよ」
これでルークのアバターが青系だったりすれば、クリードのステータスもあっておそらく十割コンボだったろう。ルークが赤系アバターだったことがさいわいしたとみていい。
と、そこでルークがあることに気付いた。クリードがダメージを負って動けないのをいいことに、そのことについて考察している様子だ。しばらく考えてから、ルークは確認するようにクリードに声をかけた。
「必殺技か、アビリティか。僕にはどちらかを使ったようには見えなかったんだけど、実際はどうなのかな?」
「どっちも使ってはいないよ」
「……アビリティってことだね」
――この洞察力。
クリードは改めて千倍に加速された世界、という存在を認識する。
おそらく現実ではクリードより年下だろうチェリー・ルークだが、その精神年齢はずっと年上だ。年相応の反応を見せてはいるが、それも半分以上演技が入っているに違いない。クリードは、彼自身の身に起きている出来事をさきほどのやり取りだけで――おそらくクリードの発言だけで――「アビリティの仕業だ」と看破したルークに対してそう結論付けた。
「必殺技ゲージが貯まらないアビリティなんて聞いたことないよ。希少なアビリティだ」
「なにそのレア嬉しくねー……」
そう。体力を五割強吹き飛ばされたバーニング・クリードの必殺技ゲージは、必殺技を使ったわけでも、消費発動型のアビリティを使用したわけでもないのに空っぽのままだったのだ。
あらゆる行動に付きまとう必殺技ゲージの蓄積率が0%。
必殺技ゲージが使えないデュエルアバター。それが《バーニング・クリード》。
「でも、それじゃシステム的に欠陥が過ぎるよね。つまり、君はある一定の行動でのみ必殺技ゲージが貯まり、その必殺技ゲージが生命線である以上に、必殺技ゲージを使えば戦況を一気に覆すだけのポテンシャルを秘めているデュエルアバターってことだ」
「よく回る頭と口じゃないの」
言外に「ご明察」と告げるクリードの態度に、ルークはどこか自慢げに胸を張った。
実際、その通りなのだが、正解しているのは三分の二だけだ。だが、それをぺらぺらとしゃべるほどクリードの中の人――比嘉光樹という人物は考えなしではない。間違えた認識を持ったままなら、それはそれで構わない。
――どうせ、敵になる奴らだ。
イエロー・レディオ配下のレギオンに所属しているわけではないのだが、イエロー・レディオはクリードの心からの親友であり、そして志を同じくしたバーストリンカーだ。
上を征く。そのために立ち塞がる障害は、倒すし、潰す。
「ってことで、俺はもう降参なんだよな」
「あ、そうなの? もうここからじゃ条件を満たしてゲージ貯めらんない?」
「まあね」
クリードが想像した通りのアビリティだかをルークが持っているのなら、彼にとって至近距離のチェリー・ルークは天敵の類だ。なまじ真似ただけの格闘術では対応できない通信空手を扱うルークはもちろんだが、距離が離せないというのは致命的だからだ。
「そういうことで、俺の負けってことだな。カウントも三桁まで減ってないし。悪いね」
「ああ、いや。いいんだ。それで対戦してどうだったかな、ブレインバースト」
「まあ、悪くはなさそうだな。苦労するだろうけど、まあ、ポイントなくならないように頑張ってみるかな」
制限時間はまだまだ残っている。
ルークはさっそくドロー申請をしてきたが、それを一度断ってから話を続けた。
「時間はあるんだしさ、もうちょっと話そうぜ」
「そう? じゃあ話そうか」
他愛のない話を続けることになったのだが、クリードの目的はそこではない。
ブレインバーストをインストールした最大の理由。心の瑕の観察である。
イエロー・レディオ曰く、デュエルアバターの外見や特徴からある程度、その人物の心の瑕は見抜ける――という話だったが。さて、とクリードはチェリー・ルークのアバターに注目する。
色はおとなしい赤色、名の通りチェリーレッド、あるいはチェリーピンクか。
赤の主張が強い紫、といった色だ。そう思えばルーク自身の戦法もあながち間違いじゃなさそうなのが怖いところだ。
そのアビリティ、あるいは必殺技か、強化外装なのか。
システム的な位置づけがクリードには判然としないが、あの不自然な牽引力の正体にはなんとなく察しがついている。
磁力、とまでいくと遠距離攻撃に傾倒した赤の能力らしくない。アンカーのようななにかを射出している、と考えた方が赤属性として幾分自然だろう。問題はそれが目立たないほど小さいという部分で、そこが彼の強さの芯を成しているのだろう。
次に名前だ。チェリー・ルークという名前から真っ先に連想したのはチェスの駒だ。
城、戦車などといった意味を持つ四隅に配置される駒だが、この《チェリー・ルーク》の外見からして「城」や「戦車」といった雰囲気は感じられない。小さな体に、翼を模して造られたのだろう肩装甲など、鳥のようなイメージが先行する。
つまりミヤマガラス。英名が「ルーク/Rook」のカラスだ。
絶賛アレな時期にクリードも知的好奇心を満たすためにいろいろと調べた中で、印象に残った結果、現在では雑学として持つ知識のひとつだ。カラスにはレイヴンとクロウという大枠があるのだが、ミヤマガラス一種だけが「Rook」という英名を与えられている。
他にも分類学上の属で呼び名が違う種類もいるのだが、一種だけなのに名称が違うのが、このミヤマガラスだけなのだ。
ひとつだけ違う、という部分に惹かれて覚えていたことだが、こんなところで思い出すとはクリードも思っていなかった。
そしてルーク自身の能力、何かを射出したうえで引き寄せる能力だ。
心の瑕は、ここに集約されているのではないかとクリードは見ている。遠くのものを引き寄せる。あるいは、この対戦でみた牽引力ならば、自ら近寄っていくこともできるのかもしれない。
引き寄せ、引き寄せられ――そして自身の赤という色属性。
「うん。やっぱりチェリーに教導役してもらいたいかな」
「ええ!? だってパドさんに付きまとってたんでしょ? 諦めちゃうの?」
「いや、諦めるとかじゃないから。ただ、気が合うっつーか、やりやすいっつーか」
「パドさん、一見不愛想だもんねえ。面倒見はいいんだよ、あの人」
それに、移動能力も申し分ない。
この対戦では見せていないが、引き寄せるのではなく近寄る力を使えば、アバターを一人抱えていても問題なく移動してみせるだろうとクリードは期待している。ルークの移動能力が本物なら、バーニング・クリードは十全に力を発揮することができる。
「まあ、いろいろあったけど今後ともヨロシクってことで」
「うん、クリード。こちらこそヨロシク」
バーニング・クリードが差し出した手を、チェリー・ルークは疑いもせず握り返す。
長い時間を加速世界で過ごしてなお、ルークが純粋である証左ではあったが、敵を前にその態度は致命的であることに彼は気付けないでいる。
疑う者はいる。
排斥したいと考える者もいる。
その中でもルークを選び取れた幸運を、クリードは喜ぶ。
ヘルメットの下で笑う比嘉光樹の顔を、誰が知れただろう。
ぎぎぎ、と軋む笑顔を、誰が予想できただろう。
◆――――◆
――THE YELLOW RADIO
これは、やがて《黄衣の皇》と呼ばれる道化師と、共に踊った者の物語。
黄衣の皇の佩刀。あるいは弾丸。尽きぬ怒り。沸き立つ憤怒。
舞台は選ばれ、幕はあがった。
踊り狂う道化師を、誰が疑うだろう。
やがては転がり笑われる。物語に華を添え、静かに役を降りていく。
そんな道化を、誰が見るだろう。
いざ、狂おう。
そう、ここは加速世界。
刹那に刻まれる、ゆめまぼろしの世界です。
はたして――。
「お集りの皆々様、ようこそおいでくださいました。そう、ここは《
踊っているのは、本当にあの道化師でしょうか。
次回、最終回。
更新未定。
K?