桃太郎による鬼討伐。
それ自体は成功裡に終わった・・・はずだった。
だが天上では新たな問題が持ち上がる。
鬼として討伐された丑と寅。
桃太郎に協力した申、酉、戌。
須弥山、円卓の間で十二支の会議は、神をも巻き込み、紛糾していく。
その結末とは・・・


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第1話

人間界と天上界の狭間にある須弥山、円卓の間。

普段は静謐な場であるが、今ここはかつてない緊張と、無念の唸り声で満たされていた。

時は下界で桃太郎による鬼討伐が終わり、人間界の復興が進もうという頃。

大きな円卓にはそれぞれ十二支たちが座っている。

このような会議には本来、十二支全員の出席することとなっているが、辰は今回も欠席。

そして北東側では、丑と寅が鎖によって縛り上げられ、唸り声をあげている。

 

その異様な状況の中で申が立ち上がり、芝居がかった声を上げる。

「今回の騒動、丑、寅の両名は鬼門の守護役にありながら、自ら鬼門を開き、民に大いなる災いをもたらした! その姿、まがまがしい角、牙を見よ! 神の使いとしての十二支の役割を捨て、鬼と成り果てた証である!」

その告発に、丑は角を振りかざし、寅は牙をむいて唸り声をあげる。

すでに二人とも、鬼門から溢れる幽鬼の怨念と邪気に侵され、正気を失っているようだった。

酉も立ち上がる。

「我ら申、酉、戌の三支は桃太郎と共闘し、裏鬼門として命懸けで鬼を下し、彼らを鎮めた! その我々は彼ら二支の処分を提議する!」

確かに下界では、直接鬼を討った桃太郎はもちろん、その手助けをしたとして、申、酉、戌も英雄視されていた。

申は「智」を、酉は「仁」を、戌は「勇」を徳目として与えられ、信仰が始まっている。

今回の会議は、その「英雄たち」からの提議であり、無視できるものではなかった。

続いて戌も立ち上がる。

「神の使いという立場でありながら、人を襲った罪は許しがたい。我々は十二支の名誉、秩序のためにも彼ら二支の追放を要求する」

戌が静かに言った途端、円卓の間にはざわめきが走る。

今の丑と寅が闇に落ちているのは明白だった。

だが長年、共に十二支としてやってきた仲間でもある。事実として人を襲っているだけに、何らかの処分が提議されることは予想できていたが、追放などとは考えられないことだった。

そのざわめきの中で、申が隣の未に視線をやる。

「さぁ、未も声を合わせて、彼らを糾弾しよう。裏鬼門の一員として、鬼門を開けたことは許せないだろう」

そう言われ、今まで黙って三支の発言を聞いていた未がゆっくりと顔を上げる。

「『裏鬼門の一員として』、ですか・・・」

未はゆっくりと、申、酉、戌を見渡した。

「ではなぜ、今回の討伐において、私にだけは声をかけなかったのですか?」

ずっと強気だった申が、ぐっと言葉を呑むのが分かった。酉と戌も、どう答えるべきか顔を見合わせる。

「鬼門の対称位置に裏鬼門を置くのなら、正規の担当は私と申のはず。鬼門の力を受け流すなどの理由を付けて、中立であるべき酉と、天門を守るべき戌を引き抜いたのは、まぁ、良しとしましょう。鬼門はそれだけ強力な力を持っているということなのでしょうからね」

未は円卓の向こう側で唸りをあげる丑と寅を見て、皮肉気に言う。

「ですが、本来の裏鬼門である私が呼ばれなかった理由とは?」

「そ、それは・・・」

申は答えに窮して酉と戌の方を見るが、彼らにしても答えることなどできない。

そして未も、彼らの答えなど求めてはいなかった。

すでに理由は察していたからだ。

「この角のせいでしょう?」

未は深く被っていたフードを外し、その大きな角をあらわにする。

「角のある私は鬼の同類と見られたのでしょう?」

未の発言に、その場の空気が凍り付く。

「そ、そんなことは、ない・・・」

酉が絞り出すように言うが、その弱々しい口調は未の言葉を認めたも同然だった。

「丑や寅が鬼と化したのは、彼らの怠慢でも力不足でも、ましてや故意でもない。大きな角や牙を不吉なものと決め付ける、あなたたちの偏見が彼らを鬼にしたのです。糾弾されるべきはあなたたちだ」

未はそう言って席を立つと、円卓をぐるりと回り、丑と寅の背後に立つ。そしてその二人をなだめるように、彼らの肩に手をやった。

丑と寅の唸り声が、憂いを持って響く。

「私は裏鬼門を抜けます。あなたたちが不吉だと追いやったこの二人と共に、鬼の名を背負うことにします。そして、あなたたちの偽善を糾弾します!」

「そんな勝手なことが通るわけがないだろう!」

戌が声を上げるが、それに返したのは未ではなく、巳だった。

「未の言うことも尤もなのではないですか?」

「巳まで、何を言うんだ!」

新たな離反の気配に申が声を震わせる。

「あなたたちはいいでしょう。裏鬼門として大活躍して英雄となり、智、仁、勇という徳目まで得られた。ですがそれは、丑と寅を鬼にして成し遂げた成果だ。そのようなものに価値があると思っているのですか?」

巳は他の干支たちを見回して言う。

「皆さんに問いましょう。丑と寅は悪逆な『鬼』ですか? それとも長年の『仲間』ですか?」

巳の言葉で丑と寅への処罰感情は急速に冷めていく。

さらに巳は続ける。

「私も丑と寅の味方です。あなた方が不吉なものとしてこの二人を排除しようというのなら、私も排除される側でしょうからね。古くから不吉なもの、忌むべきものとされてきましたから」

そうして申、酉、戌に対峙するように、丑、寅、未、巳が並ぶ。

酉と戌の焦りからは、丑、寅の二支を申、酉、戌に未も加えた四支で押し切ろうとしていた思惑が透けて見えた。

だが申だけは本気で焦っているようには見えない。

『自分は糾弾される側でも構わない』

そんな余裕さえ感じられた。

「丑にも寅にも責任はないと言うのか! だがその両名が人間界で暴れたのは事実だ! 二人が責任を取らずにだれが責任を取るというのだ!」

申は『追放』という強いカードを出した以上、簡単に引くことはできないのか、挑発的に声を張り上げる。

そこに、小さいがはっきりした言葉が響く。

「申、酉、戌。もうやめませんか」

そう切り出したのは子だった。

「私には四正の一人として、隣り合う鬼門と天門のバランスをとる役割があります。鬼門の暴走を招いたことには私も管理責任を感じます。ですが・・・」

子はその場のみんなに訴えるように立ち上がった。

「ですが、丑も鬼門の管理で苦しんでいたのです。あまたの幽鬼をそのまま通すわけにもいかない。でも完全に遮断するような権限もない。私はそんな丑をすぐそばで見ていました。でも私は何もできなかった・・・」

「苦しんでいたのは寅も同じです」

子に続いて卯も声を上げる。

「寅もいつも幽鬼と戦うべきか融和すべきか悩んでいました。あの牙は決して自分のための武器ではありません。いざという時に人間界を守る牙です。私ももっと寅に寄り添うべきだった・・・」

子と卯は申、酉、戌の鬼討伐を否定はしなかった。だが二人は丑と寅に同情的だ。

おのずと視線は残った午と亥に集まる。

そして午が口を開く。

「・・・私は南の四正として、誰かに加担するということはできない。ただ、一つ聞かせてもらえないか」

そうして午は酉に目を向ける。

「あなたも西の四正のはず。それがなぜ裏鬼門に加わった?」

「それならば私も問いたい」

今度は亥が声を上げる。

「戌には私と共に天門を守護するという重要な役割がある。今回の討伐は、人間界と天界をつなぐ天門の守護よりも重要なことだったのか?」

「それは桃太郎からの要請だ」

酉や戌が口を開くよりも早く、申が答える。

「桃太郎が鬼討伐の要員として、我ら裏・・・、いや私と酉、戌を指名したのだ」

申が未を意識してか、裏鬼門と言いかけて、そう言い直す。

「・・・それはおかしな話ですね」

そう未が口を挟む。

「ただの人間である桃太郎が、どうして神の使いである我々十二支を指名できるのです?」

その疑問は当然のものだった。

桃太郎が助力を乞い願い、申たちがそれに応じて人間界に降りたというのならば、話は分かる。

むしろ立場的にはそうでなければならない。人間が神の使いに対して指示を出すことなどあってはならないことだ。

「桃太郎は歳神の委任状を持っていたのだ。今回の鬼討伐は歳神の指示であり、その要員の人選は桃太郎に一任する、とあった」

申はことさらに歳神の存在を強調した。

「それで十二支の理を知らない桃太郎がこのような采配ミスをした、と?」

「それにしてはあまりにも出来過ぎでは? 申から始まり横並びで三人を選びますか?」

未と巳が口々に言う。

「それは私の方では何とも言えぬ。我らは桃太郎の指名、つまり歳神の委任状に従ったまで。そこは歳神に確認してはどうだろうか」

申は再び歳神の名前を出す。

「・・・このような事態になった以上、歳神の判断を仰ぐのは当然か」

午は左右に分かれた干支たちを見てため息をつく。このような異常事態を長引かせれば、人間界にどのような悪影響が出るか分かったものではない。

「皆もそれでいいだろうか」

午が見回すと、正気を失っている丑と寅以外の干支たちが頷く。

「よし。では天門を開けるぞ」

今や一人で天界と須弥山をつなぐ天門を守っている亥が、背後の重厚な扉をゆっくりと開けた。

 

「これは何事だ! 何の騒ぎだ!」

天門から円卓の間に降りてきた歳神は、開口一番にそう言った。

多くの干支が自分の席を離れ、左右に分かれているのだから、それも当然の反応だった。

そしてそれは、今の今まで、事態を把握していなかったという証でもあった。

「歳神様。確認したいことがございます。今回の桃太郎による鬼討伐の件です」

未が一歩進み出て、歳神に問いかける。

「歳神様は桃太郎に鬼討伐を命じたのでしょうか」

「鬼討伐? それはすでに達成され、人間界は平穏に戻ったはずだ。なぜ今更そのようなことを聞く」

巳はその歳神の面倒そうな態度を見逃さなかった。

「歳神様。討伐された鬼とは丑、寅の両名です。今はここに拘束されておりますが、これも歳神様の命なのでしょうか」

「人間界で暴れたのだから、拘束は当然だろう。それよりもお前たちは何をしている。ここは円卓の間だぞ。席に付かぬか」

歳神は干支たちの無礼を咎めるように言うが、素直に動く者はいなかった。

「歳神様。この両名の処分はどのようになさるおつもりですか」

未は丑と寅を庇うようにして尋ねる。

「処分は追って下す。いいから席に付かぬか」

「つまり、今はまだ考えていないということですか?」

「うるさい! 口を慎め!」

歳神は未に痛い所を突かれたのか、ついに怒鳴りだす。

「干支を管轄するのは私だ! お前たちが口を出すことではない! お前たちはただ指示に従っておればよいのだ!」

「・・・丑と寅は命令違反を犯したわけではありません。ただ与えられた役割を果たし、鬼門を守っていただけです。それでも処分されるのですか」

巳もその場から動かずに言う。

「私は鬼門を守れとは言ったが、人間界で暴れても良いなどとは一言も言っていない! 当然、処分だ!」

歳神がそう断言すると、それを待っていたかのように申が進み出る。

「そうなると、歳神様にも責任が及んできますが?」

「なに?」

申は自分の忠実な駒だと思っていただけに、そこからの口出しに不審なものを感じ取った。しかも申の知恵は、歳神も認めていた。

「丑、寅の両名は歳神様の命によって鬼門を守り、その結果、図らずも鬼となってしまった。そしてそれを桃太郎に命じて、私と酉、戌に誅させた。その上で、『干支を管轄するのは自分である』と歳神様はおっしゃられた」

「そ、それがどうした」

「任命責任ですよ。歳神様は自ら地上に降りて、鬼となった両名を治めるでもなく、干支の力で干支を誅するということをされた。これは干支というシステムの矛盾なのでは?」

申が鋭く迫ると、途端に歳神は慌てだす。

「そんなことはない。私は代理として桃太郎に任せたのだ。その桃太郎が鬼を討ったのだから問題あるまい!」

「桃太郎一人で討てていれば、問題はありません。ですが桃太郎は私たちを指名した。歳神様の委任状を使ってです。歳神様が私たちを指名したのと同じですよね?」

申がそう言うと、酉と戌も『確かに桃太郎は歳神様の委任状を提示して指名して来た』と口を添える。

「わ、私は桃太郎に騒ぎを収めろと言っただけだ! 鬼を誅しろとは言っていない!」

歳神は苦し紛れに言うが、申は溜息をつく。

「そのような理屈が通るとお思いですか」

冷静さを欠いた歳神に、議論の勝機はもうなかった。

静まり返った円卓の間で、丑と寅の唸り声だけが響く。それは自分たちを鬼とした歳神を恨む声でもあった。

干支たちの冷たい視線が歳神に向けられる。

申は歳神ではなく、干支たちに向かって言う。

「歳神様がこのような行いをされた以上、誰かが責任を取らねばなるまい」

「責任だと!? 一介の干支の分際で・・・!」

歳神はなおも高圧的に出ようとするが、干支たちの反応は冷めたものだった。

申は歳神には取り合わず、声を張った。

「改めて提議する。今回、人間界をおびやかしたのは丑、寅の個人か、それとも歳神様の作り上げたこの体制そのものか。丑、寅両名を追放して歳神様に従うか、両名の行いを不問とし、歳神様の任命責任を問うかだ」

「もちろん丑と寅の行いは不問です。彼らを鬼にしたのは、この歪んだ体制なのですから」

未が真っ先に言う。

「ですが、あなたたちの仕打ちまで不問にするつもりはありません。場を改めて、しっかり追及しますからね」

未はそう釘を刺すが、申、酉、戌は揃って頷いた。今は歳神の責任問題で足並みをそろえようということなのだろうか。

そしてその未の言葉に異を唱える者はいなかった。

歳神本人を除いては。

「お前たち・・・ 誰がお前たちに力を与え、干支の座に引き上げてやった!? とんだ恩知らずどもだ!」

歳神がそう叫ぶ中で、午が進み出る。

「歳神様・・・ ここまで事態が紛糾した以上、もうただでは済みますまい。ここは一つ、折れていただくわけにはまいりませんか」

午に続いて、十二支の均衡を保つ役割である他の四正、子と卯、そして酉も頭を下げる。

「何が折れるだ! 私を誰だと思っている! 人間のために鬼を討つのは、平穏を守る歳神の役割だ! 干支の分際で口を出すな! お前たちは全員クビだ! 代わりなんぞいくらでもいるんだ!」

歳神は脅すように言う。

だが干支たちは誰も動かない。

動かない以上、歳神には物理的にどうすることもできない。

緊迫した空気の中、睨み合いになってしまう。

その時、激しい雷鳴が鳴り響き、須弥山と地上とをつなぐ地門が向こう側から開かれる。

そこから入って来たのは、会議を欠席していた辰だった。

 

歳神や干支たちの視線が一斉に辰に向かう。

歳神は辰が干支の中でも一目置かれていることを知っていた。円卓の間での会議で欠席が黙認されているのは辰だけだからだ。

「辰よ、今までどこにいた。いや、それは今はよい。早くこの者どもを治めよ!」

歳神は丁度良い助けが来たと、すぐに辰に命じるが、彼は歳神を一瞥しただけだった。

「今は干支の辰として来たのではない。控えよ」

そう言うと、彼の体から途方もない神気が溢れ出す。

その神々しい姿は、正しく天の支配者たる龍だった。

干支たちが一斉に平伏するのを見て、歳神も慌てて平伏する。

『今までただの出自の分からない干支の一人だと思っていた辰が、まさか龍だったとは・・・』

歳神の背に汗が流れる。

「随分と騒がしいことになっているな」

そう言って龍は円卓の間の惨状を見渡す。

丑と寅は鎖で拘束され、そのそばには未と巳がついている。その反対側には申、酉、戌が対峙し、他の干支たちも全て席を離れている。

そして本来ならば場を治めるはずの歳神は何もできていない。

だが歳神は、現状を恥じるような責任感を持ち合わせてはいないようだった。

「龍よ、ご覧ください! この干支たちは人間界どころか須弥山にまで混乱をもたらし、私の仲裁にも従おうとしません! 何卒、あなた様よりの裁きを!」

干支たちが平伏している中、歳神が顔を上げて訴える。

「裁きか。よかろう」

龍がそう応えると、干支たちは体を震わせた。

龍とは、自分たちを管理する歳神よりも遥かに上位の存在。

歳神には反抗できても、龍に対してはそのようなことは考えられない。

そもそも、地上の動物出身の自分たちが容易く声をかけられる相手ではない。

干支たちが覚悟を決めるが、龍の裁きは意外なものだった。

「お前は現時点を持って、歳神の任を解く。三百年ほど謹慎しておれ」

「は・・・ え・・・?」

龍に面と向かって言われた歳神は、すぐには状況が把握できなかったようだ。

「あ、いえ・・・ 今回の混乱はこの干支たちが原因でありまして、私はそれを治めようと・・・」

「何も知らないと思うてか」

歳神の言い訳を龍が遮る。

「そもそもの発端は、後の対応も考えぬ干支の恣意的な配置にある。干支を各方面に配置した後、お前は何をした。少しでも干支たちの動向に気を配ったか?」

龍のその言葉に、干支たちはさらに平伏する。やはり龍は歳神よりは自分たちを見てくれている、と。

「そして問題が起きれば吟味もせずに、桃太郎とか言う人間に丸投げだ。これで歳神としての役割を果たしていたというつもりか。歳神だと言うなら、今からでもこの場を治めてみよ」

「そ、それは・・・」

歳神は円卓の間の現状を見渡す。龍の登場で干支たちは静かに平伏しているが、歳神に対して平伏しているわけではない。

歳神はその到底不可能な指示に対し、黙り込む。

「・・・亥よ。そこの者を天界へ見送ってやるがよい」

「はっ」

天門の前に控えていた亥が大きな扉を開けると、『元』歳神はこの場から立ち去るしかない。

せめて自分の足でこの場を去ることだけが、元歳神に残された矜持だった。

そして亥はその背中を見送ると、静かに天門を閉ざした。

 

「さて、次は混乱を招いたお前たちの裁定だが・・・ 一つ聞いておかねばならぬことがある」

龍は静かに言うと、拘束されている丑と寅に神気を吹き付けた。

その神気にあてられ、縛り付けていた鎖はばらばらに砕け、二人は解放される。その瞳には、今までなかった知性の光が戻っていた。

一瞬、呆けたように辺りを見回すが、目の前に龍がいる状況に気付き、訳が分からないまま、慌てて平伏する。

「丑、寅よ。人間界で酷い目に合ったようだな」

龍がそう声をかけると、二人はなお一層、額をこすりつける。

「滅相もございません! 私たちの力不足で幽鬼を抑えておけませんでした!」

「のみならず、幽鬼に侵され、人間界であのような暴挙を・・・ 申し訳ございません!」

二人の言い方からすると、鬼として振舞っていた間にも、いくらかの理性は残っていたようだ。

あるいは体を幽鬼に支配され、それを歯噛みしながら見つめるしかないような状況だったのだろうか。

「お前たちに一つ、聞きたいことがある。お前たちを討ったのは申か、酉か、戌か?」

その問いに申がピクリと反応する。

「いいえ、私たちを討ち取ったのは桃太郎でございます」

丑がそう答える。

「ほう。桃太郎とかいう人間が、神の使いであるお前たちを討ったというのか」

「面目ありませんが、その通りでございます」

丑と寅が声を合わせて応える。

「なるほど。随分と強い人間がいたものよ」

龍は申に視線を向けるが、申は固まったまま動けない。

「そういえば、つい最近、天の果樹園で蟠桃(ばんとう)が一つ、無くなっていると騒いでおったが、その蟠桃を人間に食べさせたら、どの程度の力を発揮するものかの」

そこまで言われ、申は全て見通されていると観念する。

「恐れながら・・・」

申がそう顔を上げるが、龍はそれを遮った。

「まぁ、よい。修行の果てに神の使いをも討つ力を手に入れた人間が、鬼が暴れるのを好機と見て、歳神に自分を売り込んだのであろう」

全てを知っていると思われる龍がそう言えば、申も言葉を呑み込まざるを得ない。

「ではお前たちの裁定を下す」

その言葉に干支たちは息を呑む。

「お前たちは全員留任し、本来の務めを果たせ。逃げることは許さぬ。今回の騒動に対し、自分で答えを出し、実行してみせよ」

「・・・ははっ」

干支たちが頭を下げ、声をそろえる中、申だけが声を発しなかった。

「申よ。我の裁定に不服か?」

「・・・恐れながら、私も留任なのでしょうか。私にはより一層の責任があるように思われます」

「勘違いするな。今回の一件、不問に付すとは言っておらぬ。より一層の責任があると思うのならば、より一層の成果を挙げよ。罪滅ぼしとは楽な道ではないぞ」

「・・・はっ」

そうして申も裁定に承服して頭を下げる。

「・・・して、次の歳神にはあなた様が着任なさるのでしょうか」

一呼吸おいて、未が尋ねる。

公平で俯瞰的な視点を持ち、天とのつながりも深く、辰として干支の実務も十分に把握している。干支の管理者としては理想的に思えたからだ。

「いや、我は歳神にはならぬ」

『え?』と干支たちが顔を上げる。

「今回の一件の原因には、歳神は干支を自由に差配できるという傲慢さがあった。我がそうならぬと誰が断言できる」

「それではどなたが・・・」

「すでに次の歳神はお呼びしてある」

干支たちの間にかすかにざわめきが走る。

そうして龍が再び地門を開く。

「さぁ、こちらへ」

そう呼びかけると、これから絶大な権力を担うとは思えないような軽い足音がした。

 

「にゃ~ん・・・」

干支たちが息を呑んで見守る中、地門から現れたのは一匹の三毛猫だった。

猫は干支たちには目もくれずに歳神が座る玉座に飛び乗ると、伸びをして、大きなあくびをした。

「・・・猫、でございますか」

巳が思わず口に出してしまう。

「そうだ。この方が新たな歳神となる」

龍はそう言うが、干支たちは顔を見合わせてしまう。

「人間界の猫は決して管理せぬし、命令もせぬ。だが人間は猫に従う。これが真の支配というものだ。そして、それは須弥山でも同じである。歳神はもう管理も命令もせぬ。自ら考え、自ら行動せよ。歳神に管理責任を問うことは出来ぬぞ」

龍がそう言っているそばから、猫は玉座で丸くなって眠り始める。

「・・・はっ」

干支たちは自らに責任を持たされたことに気付き、平伏する。

そして龍はかすかに震えている卯にも声をかける。

「卯よ、案ずることはない。猫はあくまで歳神として招いたのだ。卯年は卯年のまま変わらぬ」

「・・・ははっ」

そう聞いて卯は心底安心し、他の干支たちもやはり龍は全体を見ていると感服する。

そして龍は干支たちを見回し、発言がないことを確認すると神気を吐き、小さな辰の姿に戻って、席に付く。

「さて皆さん、これからの干支のあり方について話し合いでもしましょうか。それとも、新しい歳神さまの就任式の方が先かな?」

龍が辰に戻り、聞き慣れた感じで話し始めると、円卓の間の空気も緩んでいく。

「いや、歳神様は寝ていらっしゃるが・・・」

「我らも人間のように、歳神様のお世話をした方がよいのか?」

「二人ともすまなかった・・・」

「いや、龍のおっしゃったように、成果で見せてもらえれば、謝罪などいらぬ」

「お前たちも干支のことを考えてのことだったのだろう」

「さて、何から手を付けるべきか・・・」

「これから本当に忙しくなりそうだ」

そんな低いざわめきが流れる中、猫がかすかにヒゲを震わせたことには誰も、辰でさえ気付かなかった。

そして猫は何事もなかったかのように寝息を立て始めた。

 


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