ヒロイン「店長、このお店本当に大丈夫なんですか?」店長「大丈夫じゃない」 作:日常もの増えろ
私は今や第二の実家みたいになったこの喫茶店で、退屈な時間を過ごしていた。
穏やかながらどこか浮世離れしている雰囲気の店長と、私の二人で経営する個人店。
お店は一切広告を出さず、入り口に立て看板すらないという徹底ぶり。
扉も階段を下った先にある癖に、入り口は見ずらい。初見の人が見たら、ここが喫茶店だなんて思うはずないだろう。ただの家である。辛うじて、扉に『OPEN』と『CLOSED』の表があるくらい。
そんなお店だから、お客さんも全然来ない。
常連さんはもはや見知った人だし、お客さんというより年の離れた友達のような感覚になるほど。
初見さんは常連さんに紹介されて恐る恐るこのお店の扉を開くような人ばかり。
そんな職場だから、対人関係が苦手な私には都合がいい。
*
私は人と接することがあまり得意ではない。というのも、他人の視線に過度に反応して不安になってしまうのだ。
人からどう見られているか、どう思われているのか。そういった不安から、人と接する場を忌避してしまう。一時期は酷く、外にも出られなかった時があるくらい。
母は私のこれをひどく嫌って、どうにか人前に出そうとしてきた。父は無関心を貫き、全てを母に任せる。
母はどうやら私に過度な理想を抱いているようで、私を難関大学へと進学させるべく小学校時代から厳しい教育を受けさせられてきた。私はそれに応えようと、あらゆることを完璧に熟すべきだと考えるようになっていた。
だからだろうか。
ある日、友人に何気なく言われた一言。
『なんか顔、白くない?』
という言葉がきっかけで、私は他人の視線に敏感になった。
彼女にとっては何の含みもない。ただの指摘。いや、心配すら含んでいた。
日々の生活が大変だったのか、寝不足気味だった私の顔が青白かったのだと思う。
今思い出しても、彼女に悪意がなかったことは分かる。
でも、本当に些細なことなのに、翌日からは少し自分の容姿におかしなところがないか鏡で見るようになったし、友達と話していてもふと『今の私は大丈夫か』と思うようになり、それが段々とエスカレートしていった。
やがて誰かから見られていること自体が怖くなり、今では学校にも行けなくなってしまった。
今では、多少良くなっている。
信頼できる人と出会えたというのもあるし、自分なりに対処していこうと思って向き合っているから。
でも、やっぱり初対面の人と話すときは怖い。酷いときは外にも出られなかった。親は無理やり外に出そうとして、無理だと言っているのに頭ごなしに否定するから喧嘩になる。
店長と初めて会った日は、私が学校に行けなくなった日のことだ。
親とも喧嘩し、人も怖い。どうにもならない状況で、どうしたらいいのかも分からなくなって一人蹲っていたところを拾ってくれたのが店長だった。
あの時の私は、やっぱり全然安心できなかった。
店長と二人きりの室内は、逃げ場もない。知らない人が目の前にいる。誰かの視線が怖い私にとって、その場所はあまりにも大きな恐怖の対象であった。
動悸は激しくなるし、不安は大きくなる。
でも、店長は私のことを最低限にしか見なかった。
彼は必要最低限のことをすると、椅子に座って一人の世界へと旅立ってしまう。
静かに本を読み、私のことを一瞥もしない。
変に話しかけることもしない。同じ空間にいると思えない、別々の世界で生きているのではないかと思うくらいに奇妙な世界だった。
そうすると、私はやがて落ち着いた。
見られているかもしれないと考えないようになってきたのだ。だって、目の前の人は私を見ていないのだもの。出された温かいココアを飲んで、深呼吸して心を落ち着け、そして私は一言声をかけて帰った。
帰宅した後の家の中は、やはり居心地が良くなかった。
翌日からは学校に行くふりをして、私は昨日の記憶を頼りにあの喫茶店を毎日訪れるようになった。
朝早い時間からやっている喫茶店は、やっぱり人はいなかった。でも、昨日よりもかなり明るく感じられる。
私はただ、昨日の居心地の良さを求めてやってきた。
それが、私の変化の第一歩だった。
本当にここなのかと、昨日の記憶を疑いたくなりながらやってきた喫茶店の入口。扉には『OPEN』という札が掛けられている。
少なくとも何らかのお店であることは確実となった。
そうして──三十分くらいお店の前で逡巡した──恐る恐る扉を開く。
扉を開いて最初に感じられたのは、穏やかなコーヒーの香りとテレビから流れる小さな音。昨日の記憶が一気に連想され、間違っていなかったのだと一応安堵した。
「いらっしゃ……。おや」
開店してからそう時間が経っていなかったのか、その時の店長は忙しなく、というほどでもないが仕事をしていた。意外そうに入口を見て、そして目を見開く。
昨日の今日でやってきたためだろう。
やっぱり怖い。心臓がバクバク鳴り響く。この不安を失くそう失くそうと考えてしまう。それで余計に考えてしまう。悪循環に陥っている。
高鳴る心臓の音と、消費されていく体力。段々と足に力が入らなくなって、全身が震える。
何かを言わなければと思うが、言葉が出てこない。それでも何とかしなければと強迫観念じみたものに駆られ、私は口を開く。
「あ、えっと……。あ、あの私、す、すいませ。ちょっとはなせっ……」
「うん、まずは少し落ち着こう。深呼吸だ」
今思うと、酷い有様だ。
話そう話そうと思うと言葉が出てこなくなる。これほどまでに酷かったのかと自分で自分が嫌になりそうで、涙すら出てきそうになった。
しかし店長は、こんな私にやさしく対応してくれた。
深く息を吸ってと言われるとおりに吸い、吐いてと言われる通りに吐く。
やがて動悸がマシになり、目を合わせることはできないながらも会話が成立するようになった。私は昨日のお礼を言い、そしてなんとなく来てしまったことを謝る。
「うん。とりあえずいらっしゃい。好きな席に座って、何か注文するでもしないでも、そこら辺にある本を読んでもらっても、テレビを見ていても構わないから。何かあったら俺を呼んでね」
そうして、静かな一日が幕を開けた。
私はテーブル席に一人小さくなって座る。
小難しそうな本が本棚を埋め尽くしている。その隣の棚は馴染みのある漫画類が棚を埋めている。
私は落ち着かずに視線をきょろきょろとお店の中に巡らせる。
店長は何やらカウンターで何かを用意していた。
ずっと見ているとやがて店長はこちらにやってくる。右手に銀のプレートを持ちながら。その上に乗っているのは、お皿に乗った食パンと小豆。そしてカプチーノだった。
「はいこれ。食べられなかったら残してくれてもいいから」
「……こ、これって……?」
「モーニング。喫茶店だとよくあるじゃない? サービスだよ。ちょっとこういうの憧れてたんだよね」
無邪気に言う店長の表情は、いつもの浮世離れした人というよりもよっぽど子供らしかった。
そうして、また各々の時間がやってくる。
私は差し出された食パンを齧り、カプチーノを恐る恐る口にする。温かなカプチーノが内側から私を温める。どうにもそれが、固まった心を解していくように感じられ、その日の私はただ一日中その席に座っていた。
*
「店長、カプチーノ作ってくださいよ~」
「いいけど、新庄さんはカプチーノ好きだね」
お客さんのいない店内で、私は我が儘にも店長に商品をねだる。店長も店長で全く断ることをしない。
私はカプチーノの味は特別好きという訳じゃない。私には少し甘すぎるのだ。
でも私は、このカプチーノが好きだ。それは、私の雪解けの象徴でもあるから。
そして、それを作っている店長の後ろ姿が安心するから。
「はい。できたよ」
「わーい。ありがとうございます!」