ヒロイン「店長、このお店本当に大丈夫なんですか?」店長「大丈夫じゃない」 作:日常もの増えろ
偶にやってくるお客さんをさばき、雑談をして時間を潰す。
その繰り返しだが、意外と苦ではない。俺にとって、天職と言えるものなのだろう。
この喫茶店に来るお客さんの年齢層は様々である。
主婦の方からサラリーマン、OLに学生、お年を召した方々。最初は叔母さんや祖父の知り合い、母の友人などといった方々が紹介されてやってきて、そしてその方々に気に入ってもらえてじわじわと口コミが広がり……と言った感じ。だから、最初はご年配の方が多かった。
まあ、お客さんの数は少なく、誰も彼も顔見知りだ。
口コミが広がったというと聞こえは良いが、それは経営が順調であることの裏付けではない。とはいえ、少ないながらもこの店を気に入ってもらえていること自体は嬉しい限りである。
お客さんが退店して、再び誰もいなくなった店内で新庄さんと二人きり。
ここ半年くらいで見慣れた光景である。
「店長、才能ってなんだと思います?」
突然、新庄さんがなんかすごいことを聞いてきた。
俺はぼーっと見ていたテレビから視線を外し、カウンター席でカプチーノを嗜んでいる新庄さんの方を見る。
「……急にどうしたの?」
「ちょっと聞いてみたくなったんですよ。今暇ですし」
確かにお客さんはいないけれど。
現役の高校生に『才能とは何か』という中々難しい質問をされるとは。俺はそこまで人生に含蓄があるわけではないんだがねぇ……。だって、まだ二十代後半だし。
しかし聞かれたからには答えなばなるまい。
そう考えて、俺は新庄さんの問いに答えるために思考を巡らす。
「うーん……」
悩む。
『才能』とは何か。一般的なイメージだと、さほど努力をしなくても成果を出せてしまう分野のことだろうか。
なんか知らないけどやってみたらできた、とか。天性のセンスを駆使して人並み以上の成果を出すことというイメージがある。
パッと思いついた今の考えを新庄さんに伝えようと口を開き、止める。
いやしかし、それは果たしてそうなのだろうか。
例えば、大谷翔平や藤井聡太など、今の日本でとてつもない偉業を成し遂げている彼らは努力をしなかったのか。そう聞かれたら、そんなことは絶対にないと言える。
アインシュタインは努力をしなかった? そんなことはあり得ないだろう。レオナルド・ダ・ヴィンチは?
あらゆる分野で天才と呼ばれる人間はいるが、では彼ら彼女らを思い浮かべたとき、そこに努力はなかったと言えるか。
それは努力を努力と認識しないほど、のめり込めたからなのではないだろうか。
世間で才能と言われるのは、輝かしい成果を出せる分野にだけのような気がする。SNSで拡散され、天才だなんだともてはやされている者は確かに天才だけれど、それだけが才能ではないと思う。
俺は一つ、結論を出した。
「……やってて苦じゃないこと、じゃない?」
「やってて苦じゃないこと?」
「うん。俺の場合、この喫茶店経営に才能があったのかもしれない」
やっていて苦ではないこと。
そこに成果が出るかどうかは後回しにして、兎に角やってて苦痛じゃない。つまりは継続できることに才があるの言えるのだと思う。
これが正解だとは思わないし、これが正論だとも思っていない。だけど、新庄さんに問われて改めて色々と考えてみた結果、俺なりに才能とは何かという問いに対する答えが出た。それがこれである。
「店長の十八番、『人には向き不向きがある』ってやつですか?」
「……ああ、確かに。まあ、最終的にはそこに行き着くのかもね」
言われて思う。
確かに、俺がいつも言っている『人には向き不向きがある』に近しい理論かもしれない。
「よく、努力も才能って言われるけど、それってちょっとおかしいというか、納得できないんだよね。努力にも才能が必要なんじゃなくて、自分が努力できる分野に才能があるって言えるんじゃない?」
「……もっと詳しく教えてください」
新庄さんはどうやら俺の主張に興味を持ったようで、やや前のめりになっている。
若い子に頼られるのはおじさん嬉しくなってしまうので、俺は調子の乗って語り始める。
とはいえ何をどうすればよい説明になるのか……。
それを考え、どうやって俺の主張を新庄さんに伝えるべきか悩んだ結果、例え話から入ることにした。
「RTAって知ってる?」
「えーっと、すいません……」
「いや、謝ることじゃないよ。知らないことは当然なんだから。まあ簡単に言うと、ゲームの話になるんだけど……」
RTAとは、リアルタイムアタックの略称。
ゲーム開始からクリアまでの実時間を競うことであり、ゲーム内時間を競うものとは異なり、ゲームをクリアするまでにかかった現実の時間を競うもの。
その旨を新庄さんに説明する。
「……それって、何か違うんですか?」
「うーん……。いや、今はただ単にゲームをどれだけ早くクリアできるかどうかを競うものだと思ってくれればいいよ」
RTAの定義はこの話にそこまで重要じゃないし。
謂わば、ただのゲームをどれだけ早くクリアできるかどうかに執着する人々がいるということだけ知ってもらえればいい。
「新庄さんはさ、如何に好きなゲームとはいえ、そのゲームをどれほど早くクリアするかということに熱心になれる?」
「……多分、無理だと思います。一度クリアできたら、もう一度やることはあっても早さを競おうとはならないんじゃないですか?」
「まあ、大多数の人はそうだろうね。でも、世の中にはそれを熱心にプレイできる人もいるわけだよ。彼らは努力をしている。ゲームを如何に早くクリアできるかどうかという点で、俺には理解できないほどに努力を繰り返しているわけだ」
でも、彼らはそれを努力だと思っていない。
楽しいから、好きだから突き詰めただけであって、努力であるとはあまり考えていないのではないだろうか。
「新庄さんもさ、誰かから『よくそんなことできるね』って言われて、『え? まあ、うん。別に大変じゃないし、まあなんとなく?』みたいな経験ってない?」
「あります!」
「でしょ? つまり、それが才能なんじゃないかなぁって俺は思う」
自分では些細なことだと思っていても、他人からするとそうではないことがある。
無論、似たような才能を持っている人もいるけれど、才能っていうのは別に特別である必要はないのだろうし。
「やってて苦じゃないこと……ですか。参考になりました!」
「いえいえ。まあ、何事も継続できるかどうかが鍵になるんだろうと思う。とはいえ、モチベーションっていうのは波があるから、ずっとそれを続けられるかどうかはまた別の話だろうけどさ」
そう考えると、俺にある才能とは何だろうか。
この喫茶店の経営が俺にとっては苦ではないことである。だから、俺の考えで言うと俺はこの喫茶店の経営者として才があると言えるのかもしれない。
お客さんもいなければ、赤字続きのこの店を経営することが『才能』と言えるかどうかは、議論の余地がありそうだけれど。