僕こと、シャーレの先生は今は合コンにいた。
そろそろアラサーと呼ばれる年頃なので親からは彼女はいるかと聞かれるが、それは既読無視を続けいる。
もし何か言われても、形式上出ていれば何も問題がないと思ったのだ。
そうして合コンやって来ると、そこには見覚えのある顔が一つ。
「!...先生」
そこには大学生となって前より少し大人びているミサキがいた。
あの後、僕とミサキは直ぐに合コンを抜け出してシャーレ来ていた。
どうやらミサキも数合わせだったらしく、ならばちょうどいいとして一緒に抜け出したのだ。
最初の方こそ問い詰められたりはしたが。
カップにコーヒーを入れていると、ミサキはこんな事を聞いてきた。
「先生、先生は恋愛とかって興味はないの」
その言葉に多少戸惑いながらも僕ははっきりと告げた。
「ないね。今のところは。それで、どうしたの急に」
「いや、先生ももう歳だから恋愛とか結婚に興味があるのかなって。合コンにもいたし。昔はないっていて一蹴してたから」
「あぁ、今もないよ。ただ親がうるさいかね。そういうミサキは興味はないの?」
「どうせ付き合っても意味はないから。...気になっている人はいるけど」
そう言った彼女の言葉は最後の声が小さくて聞き取れなかった。
「どうしてそう思うの」
疑問を声に出してぶつけると、彼女の目がこちらを見てくる。
荒野が映し出されたようなその目は現実のものを何も反射していない。
不意にミサキはポケットからナイフを取り出して、その腕に傷を。
既にそれを止めてナイフを没収することができた。
「もし今先生が止めなくても傷は数日経てば消える。それと同じ。人との関係も生きることも結局は無に帰るだけ」
「本当にそう思うのかい」
「どういうこと」
話をする前に出来上がったコーヒーを口に含む。
その苦みは今目の前にいる生徒を表しているように思えた。
「もし今ここで僕が君を傷つけてもその傷はいずれ消えるだろう」
「当たり前。だから私は」
彼女が何かを発する前にそれ以上の言葉で遮る。
「だけどね、事実というのは消えないんだ」
「事実?」
その言葉に困惑を見せるミサキを前に僕は先程取り上げたナイフで自分の腕を切り裂いた。
「っつ」
「ちょっと、急に何してるの!」
傷口からはジワジワと赤い宝石が出てきている。
キヴォトス人であるミサキを傷つける事が出来るナイフはとても鋭利だったらしい。
傷はきれいに切られているのがわかる。
「例えばこの傷も君が言うようにいつかは消えてしまう。けれど、このナイフが僕を傷つけた、という事実は死ぬまでつきまとう。もしかしたら死んでもなお付きまとうかもね」
ミサキは近くに包帯がないかを確認してから、自分に巻き付けてある多少血で滲んだ包帯で僕の傷を塞いだ。
「それはわかった。だけど、二度とこんな真似はしないで」
「わかったよ」
「...私は、事実だけは残るとしても全て意味を見いだせない」
「だろうね。そんな事を出来るようになったら君はもう神になっていると思うよ」
「だから私は恋愛には惹かれないし、誰が何をしようとも何も感情が湧かない」
「アリウススクワッドの皆には?」
「あくまで形式上にやるだけ」
「それは、...君が後悔をしなければいいと思うよ」
その言葉を最後にしてコーヒーを飲み干す。飲み干して見えたコップの底が自分は無力であると訴えて来た。
せっかくシャーレに戻ってきたので仕事をしようと椅子に座る。ミサキは大学のレポートに取り掛かる。
幸い、二人ともお酒は飲んでいない。
ただ、先程の会話のせいか、その空間には昼下がりの様ないつもの和やかさというのはなかった。
ある程度の仕事を終えて伸びをしていると、ちょうどミサキが帰り支度をしていた。
ふと、昔話を思い出して、話してみようと彼女を誘ってみる。
「ミサキ、帰る前に少し屋上へ行かないかい」
「なに、急に」
「いや、昔話をしたくなってね」
「...少しだけなら」
そういった彼女は手に持っていた鞄を置く。
屋上で僕は手すりに腰をかけて、ドアを閉めたミサキと対面する形で話を始めた。
「さっきの恋愛の話、覚えてる」
「さすがに。で、先生は恋愛に興味ないんだっけ」「そうだね。昔、馬鹿な奴がいたんだ。そいつは傲慢でね、皆に迷惑かけていたんだ。勿論止める人もいたけれど、彼は馬鹿だった。いつしか彼が現実を見て芯がポッキリ折れたときには誰も助けてはくれなかったんだ。唯一、彼を救ってくれたのは、いつも彼の暴動を止めるいつか親友と呼べる間柄になるやつだった。彼はその子に救われたんだ。自分がいじめてきた人物に」
「で、だから?その話がどうかしたの」
「それで彼は親友に心酔をしてね。いつしか彼の隣にいれるように身も心も削り取っていた。その子中心の生きたをしていた彼はとうとう自分というものに戻れないところまでに立っていたんだ」
爽やかな風が通り過ぎた後、空は表情を変えてザアっと大粒の涙を流してくる。それはいつしか僕の目にも当たって涙のようになっていた。
ミサキは雨に対して反応を示さず、ただ彼女の髪の先端からは一滴、二滴と雫が落ちている。
「そしてその子は大学受験のときに交通事故で死んだんだ。彼はどうすればいいのかわからなくなって、自分の存在から周りを疑って、そして今はシャーレの先生になっている」
「先生...」
「笑いたかったら笑っていいよ。いや逆に、誰か僕を笑ってくれ」
屋上から見える景色は色とりどりに咲いた花とヘッドライトをつけた車がうごめいている。
乾いた笑いはこの雨では潤いそうもなかった。
「だから、僕は今を常に疑い続けてる。親友が消えたのは本当なのかとか、机に並べられている書類の山は現実なのかってね」
「...から、だから恋愛に興味がないの」
「そうだよ。理由は違うけど、ある意味ミサキとは考えが似ているかもしれないね」
そう言うと彼女は顔を上げてこちらを見る。いまだ虚空を見ているその目は先程とは違い、僕という存在を景色とは別に輪郭を持って映し出していた。
「だから、ミサキ。君はまだ若い。僕のようにはならないでね」
「先生はこの後、どうするの」
それはこの後の人生の事を言っているのか、今日の仕事のことを言っているのか、それは考えるまでもなかった。
「僕は、現実を疑えなくなったら、それから恋愛とか老後のことを考えるかな」
「ふーん、その時ここで過ごしている生徒は目に入ってる?」
「どうだろうね、それはわからないかな。ただ一人というのは辛いから一緒の目線で会話ができる相方が欲しいけど」
そう言うと不意に手を掴まれる。ドア先にいた彼女は気づけば目の前に来ていて、どうやら昔話に集中しすぎて目の前にいる生徒のことを忘れてしまったらしい。
「私なら先生と同じ目線で、話せはしないけど...だけど、話し相手ぐらいには成れるとは思う」
ミサキは夕焼けのように頬を赤らめて、けれど目の中は恐怖や不安、ほんの少しの虚無が現れていて冷たい。
きっと、僕という存在はどこか彼女と似ているのだろう。どこかで生きる選択肢を間違えたものと、生きること自体が無意味と思う者。
いつしか激しかった雨も止んでいる。
だから私は彼女言葉に対して...。
「それじゃぁ、死ぬまでになるかもだけど...お願いできるかな」
「わかった」
なに事もなく了承をしたミサキは、いつもの変わらない顔でそうつげる。ただ口角はいつもより少し上がっていた。
夕焼けが二人の体を包み込んで、この時間、この場所にいる僕とミサキは存在を疑うことなく、また無意味だあるとも思えはしなかった。