虚構の法廷   作:森野夜

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日車術式発現〜結界移動まで
なんで日車の術式がガベルなのかとかの捏造入れてます



不当利得の境界線
死滅回遊参戦前


崩壊した領域が消え、静まり返った法廷跡。日車に肩を掴まれたまま泣きじゃくる遥と、荒い呼吸を繰り返す日車。その重苦しい沈黙を切り裂いたのは不快で機械的な音だった。

 

「ハロー!プレイヤー諸君!随分と情熱的な法廷劇だったねえ!」

 

二人の視線の先に現れたのは、奇怪な姿をした式神――コガネだった。日車の肩先と遥の目の前にそれぞれ一匹ずついる。

 

「なんだ、これは」

 

日車が眉を潜め警戒を強める。遥も涙を拭い、反射的に検事の鋭い眼差しを取り戻そうとしたがコガネの放つ異様な迫力に気圧された。

 

「ボクはコガネ!死滅回游のナビゲーターだよ!君たちはたった今、覚醒した泳者として登録されたんだ。おめでとう!」

 

コガネは空中でくるくると円を描きながら、無機質な声を響かせる。

 

「登録?何のことだ」

 

「話は簡単!日本各地に展開された結界の中で呪術師たちが殺し合いをするゲームさ。ルールはシンプル、他のプレイヤーを殺してポイントを稼ぐ。それだけ!」

 

遥はその言葉に凍りついた。殺し合いという事実が自分たちを飲み込もうとしている。

 

「ポイントを稼げばルールを追加することもできるよ。例えばそう、特定のプレイヤーを救うなんてルールもね」

 

コガネは遥の顔を覗き込み、嘲笑うように告げた。

 

「北見遥、君はさっき私を裁いてくれって言ったよね?残念!君の組織は君を裁かない。無敗の看板を守るためにね。日車寛見、君もだ。司法は君を不可解な事故として処理する。君たちは正しく裁かれる権利すら奪われたんだ!」

 

日車は自分の隣で立ち尽くす遥を見た。彼女の目の前に突きつけられたのは、言い逃れのできない現実だ。

 

「コガネ、と言ったね。もしかしてこの妙な力は君のせいか。ルールについて教えてくれ」

 

遥は内心の動揺を隠しながら口を開く。コガネは空中で不気味に静止し、その単眼のような器官をチカチカと明滅させた。

 

「力かい?君の脳の構造を少し弄って、呪力を扱えるようにアップデートさせてもらったよ。感謝してよね!詳しいルールが知りたい?OK、プレイヤーには説明義務があるからね。しっかりメモしてよ!」

 

コガネの口からこの血塗られたゲームの総則が、無機質な法典を読み上げるような声で告げられていく。

 

1:泳者(プレイヤー)は術式覚醒後十九日以内に死滅回游への参加を宣誓しなければならない。

2:違反者は術式を剥奪(死)する。

3:非泳者は結界に侵入した時点で参加を宣誓したものと見做す。

4:他泳者の生命を絶つことで点(ポイント)を得る。

5:術師は5点、非術師は1点。

6:100点消費でルールを1つ追加できる。

7:管理者は永続に障る場合を除き、ルール追加を認めなければならない。

8:十九日以内に得点の変動がない場合、術式を剥奪する。

 

「聞き直したいときは、いつでもボクを呼び出してよ。君たちの専属ナビゲーターなんだから!」

 

コガネが空間の歪みの中に消えても、法廷跡の空気は凍りついたままだった。日車の意識は混濁の極みにあった。つい先ほど、自らの手で人を殺めたという手の感覚。信じてきた司法の崩壊と、死滅回游というシステム。その現実が日車の思考を停止させていた。そして脳内に直接書き込まれた術式という未知の異能。そこに追い打ちをかけるように現れたコガネが告げた死滅回遊というシステム。

 

(ああ。そうだ。もう、何もない……)

 

日車はコガネが示した狂ったルールを無意識に受け入れ、その枠組みの中でどう終わるかという絶望的な思考に支配されそうになっていた。

 

「……ふざけている」

 

掠れた声だった。日車が彼女を覗き込むと、そこには先ほどまでの絶望した顔はもうなかった。遥はゆっくりと指先を床から引き剥がし、自らの汚れたスーツをなぞる。

 

「19日以内に殺し合い?ポイントで命の価値を査定?……日車くん、聞いたかい。この、吐き気がするような茶番を」

 

彼女は日車の胸ぐらを掴み力任せに揺さぶった。その瞳には今まで全ての澱みを凝縮したような、どす黒い正義の炎が宿っている。

 

「誰が、何の権限があって……!私がこれまでどれだけの嘘を積み上げ、どれだけの人生を切り刻んで、この法の形を守ってきたと思っているんだ!?」

 

彼女の怒りは被害者への同情ではない。自分が人生をボロボロに汚してまで君臨し続けた法という盤面を横から現れた素人に台無しにされたことへの、狂気的なまでの怒りだった。

 

「憲法も、刑法も…この死滅回游は人類が積み上げた法秩序に対する最大級の侮辱罪だ!私はこんな無能な法は許せない!」

 

日車は呆然と彼女を見つめた。自分は人を殺した罪に震え、世界が終わったことに絶望していた。だがこの女はどうだ。彼女は今自分の罪を悔いることよりも、目の前の不当なルールが自分の美学に反することに激昂している。20年以上嘘で人を裁いてきた女が今さら法秩序への侮辱を叫ぶ。そのあまりの厚顔無恥さと、同時に、その瞬間だけ彼女が北見遥という検事としての輪郭を完璧に取り戻したという事実に日車は戦慄すら覚えた。

 

(ああ、そうだ。この女は、こういう奴だった。……泥を啜れといったのは、俺の方だったな)

 

日車はふっと息を漏らした。かつての法廷でもそうだった。彼女は自分の指先の震えを隠し、冷徹な仮面を被って勝利を掠め取っていった。

 

「…はは、ははは」

 

日車の喉から乾いた笑いがこぼれた。自分が犯した罪、死滅回游の不条理。それらすべてを実務上の問題として起訴しようとする彼女の身勝手なまでの正義感。

 

「北見。君は本当に、救いようのない検事だな」

 

「何か言ったかい、日車くん!」

 

「いや。君があまりに正気なのでな。絶望している暇がなくなった」

 

日車は自分の上に置かれた彼女の手を、大きな掌で包み込んだ。

 

 

 

 

 

 

法廷を後にした二人は降りしきる雨の中をあてもなく走り、ようやく場違いに明るい看板を掲げたビジネスホテルへと滑り込んだ。チェックインの手続きすら記憶にない。エレベーターの中、密室の沈黙を支配していたのは、脳を直接灼くような呪力の奔流と、互いの存在を事実として確かめたいという、暴力的なまでの衝動だった。部屋に入るなり、どちらからともなく浴室へと転がり込んだ。

 

「熱い…、脳が、沸騰しそうだ…っ!」

 

遥は呻き声を上げ、着慣れた黒のパンツスーツを着たまま、浴室のシャワーを全開にした。冷水が叩きつけられるが熱を帯びた皮膚はそれを瞬時にぬるま湯へと変えてしまう。日車もまた、ネクタイを乱暴に引きちぎるようにして脱ぎ捨て、遥を追うように浴室の床に膝をついた。

 

「脳の、書き換え。コガネの言っていたことは、これか」

 

日車は顔を両手で覆い、荒い呼吸を繰り返す。術式。内側から何か食い破られそうな、まるで脳に直接手を突っ込まれ、かき乱されているかのような痛みだった。

 

「日車くん見てくれ、私の手…。止まらないんだ」

 

遥が差し出した右手からは、黒い火花のような呪力がバチバチと音を立てて爆ぜている。彼女は自分の指先を見つめ、泣き笑いしたような表情で笑った。

 

「私の嘘が形を持っている。怖いよ。この力に飲み込まれそうだ」

 

遥は床に座り込む日車に這い寄った。彼女の瞳は正気ではなかった。シャワーの飛沫に濡れながらもそこか怪しい色をしている。

 

「日車くん」

 

遥の声は水の音に混じりひどく熱を帯びていた。彼女は日車の濡れた腕を掴み、強引にその顔を上げさせた。

 

「な…んだ、北見。君は、少し頭を冷やした方がいい」

 

日車は自分の内側に湧き上がる守らなければならない一線を必死に繋ぎ止めようとした。だが、目の前の遥の瞳に映る知的な検事の光を失った飢えた獣のような輝きを見て、その一線が脆くも崩れ去るのを感じた。

 

「冷えてるさ。芯までね」

 

遥は日車の胸元に掌を押し当てそのまま彼を冷たい壁際へと押し込んだ。濡れた生地同士が擦れる不快な音がかえって二人の本能を逆撫でする。

 

「言葉はいらないって言っただろう。君の正義も、私の罪も、全部この熱で塗りつぶして。私を、君の一部にして」

 

彼女は日車のネクタイが消えた首元に手をかけ、その唇を奪った。それは慈しみなどではない。術式覚醒という劇薬によって狂わされた脳が、唯一の確かな現実として目の前の相手を求めている、窒息を伴うような略奪だった。日車は彼女の細い肩を突き飛ばすべきだと理解していた。だが彼の手は彼女の濡れたジャケットの背中を、指が食い込むほど強く掴んでいた。

 

「狂っている、君も。俺も」

 

日車が喘ぐように漏らすと、遥は彼の首筋に顔を埋め、震える声で笑った。

 

「そうだよ。正気でこの世界を裁けるわけがない。ねえ、日車くん。私を壊してくれ。君が、私を見ててくれるんでしょ」

 

遥は日車を押し倒すようにしてその上に跨った。服の生地越しに互いの心臓の鼓動が、暴力的な速さで重なり合う。ただ激しい呼吸音と絶え間なく降り注ぐシャワーの音だけが、二人の正気を削り取っていった。

 

数分後。

ふとシャワーの飛沫が遥の目に入り彼女は激しく瞬きをした。視界が開き、自分が日車の胸ぐらを掴み、彼を床に組み伏せているという事実が脳に突き刺さる。

 

「…………っ!」

 

遥の顔が一瞬にして赤く染まった。彼女は弾かれたように日車から飛び退き、壁際に背中を預けて顔を覆った。

 

「あ、今の、は。その、呪力の、暴走というか。脳の構造が、変えられた影響で…」

 

「……だがそれを拒まず、同調した俺はそれ以上に醜悪だ。君に謝る資格すらない」

 

日車もまた耳元に隠しきれない赤みを差しながら立ち上がった。濡れたシャツが重くまとわりつくのを、彼はひどく不器用に正そうとする。遥は膝を抱え、床の水滴を凝視していた。

 

「最悪だよ。脳を書き換えられただけでこんな獣みたいな真似」

 

自分の声が震えているのが分かった。北見遥という理性が、どろどろとした呪力の奔流に溶かされていくことへの根源的な恐怖だった。遥は上目遣いで、日車の剥き出しの首筋に残った自分の指跡を見つめる。

 

「ねえ、日車くん。今の私、すごく醜かっただろう?」

 

問いかけは消え入りそうで、それでいて相手を道連れにするような鋭利さを孕んでいた。日車は彼女から視線を逸らし、壁に頭を預けて短く答えた。

 

「ああ。吐き気がするほどに正気ではなかった」

 

彼は自らの掌を固く握りしめる。彼女を突き放すどころか、その狂気に同調してしまった自らへの激しい蔑みが宿っていた。

 

 

浴室の冷たい水の中で、二人の間に沈黙が流れた。日車はそう答えたものの、視線は浴室のタイルに落ちたまま動かない。水に濡れて重くなったシャツで床に縛り付けたようだった。あるのはただ一線を越えてしまった者同士が共有する、濁った共犯意識だけだ。

 

「日車くん。君に拒む気がないって言うなら、利用させてもらうよ。その罪悪感。……私を一人で、この化け物の道に行かせないで」

 

遥は濡れた髪をかき上げ、冷え切った瞳で彼を射抜いた。

 

「もう法なんてどこにもないだ。私たちが法を殺したんだ。だから、私が君を裁いてあげよう。判決は終身刑。……私の隣で、死ぬまで泥を啜り続けて」

 

日車は、その瞳の奥に助けてという悲鳴と逃がさないという執着が同居しているのを見た。彼は諦めたように、濡れた彼女の髪にそっと手を置いた。その手つきは共に奈落へ落ちる覚悟を決めた、重い封印のようだった。

 

「厳しい判決だな。だが不服申し立ての権利は最初から捨てている」

 

 

 

 

 

浴室の湿った熱気から逃れるように部屋へ戻った二人は、どちらからともなくサイドテーブルに置かれたままだった遥のスマートフォンに手を伸ばした。

 

「日車くん。見て」

 

遥が震える指先で画面をスワイプする。表示されていたのは大手のニュースサイトのトップページだった。

 

『T県M地方裁判所にて爆発事故 老朽化したガス管から漏洩か』

 

そこには自分たちがつい数時間前までいた法廷が、無残に焼け落ちた写真とともに掲載されていた。記事を読み進める日車の目が険しく細められる。

 

「死亡したのは、担当裁判官と検察官の二名。弁護人の日車弁護士および、傍聴席にいたと思われる数名は現在行方不明…。なお、現場からは爆発物や事件性を示す証拠は見つかっておらず、県警は不慮の事故として処理する方針だと?」

 

日車は鼻で笑った。自分は確かにあの場所で二人を殺した。返り血の熱さも断末魔の声も、今なおこの掌に生々しく残っている。それなのにこの国のシステムは、自らの聖域で起きた凄惨な殺人事件を、古びた建物の事故という一行の嘘で塗りつぶしたのだ。

 

「傑作だ。ねえ、日車くん」

 

遥がスマホを床に放り投げた。乾いた音が静かな部屋に響く。

 

「昔、君との裁判で。私はあの日自分の嘘を暴いてほしくて君にあのデータを渡したのを覚えてるかい。でも結果はどうだ?司法は今日、君の犯した罪さえも消してしまったよ」

 

遥の瞳には先ほどの涙とは違う、底冷えするような暗い光が宿っていた。

 

「私たちはもう自首することさえ許されない」

 

「ああ。この国に俺たちを裁ける法は、もう存在しない」

 

日車はゆっくりと立ち上がり、窓の外、降り続く雨の中にぼんやりと光る東京の夜景を見据えた。

 

「北見。我々を裁かないというなら望み通りにしてやろう。法という名の墓場から這い出し、この理不尽な世界を壊す。それが俺たちに残された唯一の方法だ」

 

二人の視線が鏡越しに重なる。そこにあるのは互いの罪を隠蔽したシステムへの静かな怒りと、二度と戻れない日常への決別だった。

 

ビジネスホテルの硬いベッドに並んで座り、二人は現状の分析、まずは術式のすり合わせを開始した。

 

「……おかしいとは思わないか、日車くん」

 

遥は湿った髪をタオルで拭いながら、自分の右手のひらをじっと見つめた。先ほどまで暴発していた呪力の残滓が渦巻いている。

 

「脳を直接かき回されて沸騰するような熱に浮かされて。それなのに冷めるにつれて脳の隅に仕様書が浮かんでくる。一度も読み込んだことのないはずの、血塗られたゲームの操作マニュアルがね」

 

日車は重い瞼を上げ、遥の視線に答えた。

 

「ああ。術式の開示の完了といったところか。脳の構造を書き換えられた代償に、この力――術式の使い方が当たり前のように脳に居座っている」

 

日車は手元のメモに、自嘲気味な線を引いた。

 

「だが、これはあくまで基本知識に過ぎないだろう。我々が今からやるべきなのは、この頭の中にある知識を正しく再構築することだ」

 

二人はビジネスホテルの硬いベッドに並んで座り、現状の分析、まずは術式のすり合わせを開始した。脳内の熱が引くにつれ、互いの能力が驚くほど噛み合わず、むしろ致命的な欠陥を抱えた鏡合わせのような対になっていることに気づき、二人の間に冷徹な戦慄が走る。

 

「……まずは、俺の領域 誅伏賜死だ」

 

日車は安物のメモ帳に、自らの式神――ジャッジマンの絵を不格好に描いた。

 

「これは必殺ではないが、必中の術式。領域内では暴力が禁じられ、ジャッジマンによる裁判が行われる。……だが、ここに実務上の大きな壁がある」

 

日車は眉間を指で押さえ、忌々しげに言葉を吐き出した。

 

「ジャッジマンが提示する罪状が完全にランダムだ。あいつの独断で、俺の意思は一切反映されない。法学的には予測可能性ゼロだ」

 

日車はメモのジャッジマンを、黒いペンで激しく塗りつぶした。

 

「目の前の相手が大量虐殺の現行犯でもジャッジマンが10年前の万引きを罪状に選べば、判決によるペナルティは微々たるものになる。……重罪を引き当てるか、微罪で終わるか」

 

「笑えない冗談だね」

 

遥がガウンの襟元を寛がせ、ベッドに寝そべりながら日車のメモを覗き込んだ。その瞳にはかつて法廷で日車を追い詰めた時のような、冷徹な計算が宿っている。

 

「法は予測可能性のためにあるはずなのに、執行される刑罰が運任せだなんて。正義がサイコロを振っている」

 

遥は跳ね起きると日車のペンを奪い取り、メモの余白に自らの術式回路を殴り書きした。

 

「なら、私の公訴執行はどうだい?客観的な証拠がある罪を、私が起訴できる力だ。嘘をつけばそのまま自分に跳ね返ってくる縛りはあるが、この死滅回游というゲーム自体が、証拠の山みたいなものだろ?」

 

遥は掌を広げ、空中に漂う淀んだ呪力の残滓を指し示した。

 

「相手が放った呪力の跡、破壊された街並み。それらすべてを私は物証として固定し、相手に挙証責任を負わせることができる。でもね、日車くん。こっちにも厳しい縛りがある」

 

遥は自嘲気味に指を折り、術式の解釈を脳内で精査する。

 

「私の術式は嘘を許さない。私が対象を起訴する際、その罪状に客観的な証拠がなければ、術式は私自身に跳ね返り呪力を没収される。…つまり私が勝手な想像や、過去の余罪で相手を訴えることはできないんだ」

 

「なるほど。君が現場にある証拠を物証として固定し、その瞬間の行為を即座に罪として定義する。だがそれはあくまで今、この場の出来事に限られるわけか」

 

日車は目を細め、遥の指先を見つめた。

 

二人の術式。

片方は過去の罪をランダムに裁くが、証拠の真偽を争われるリスクがある。

もう片方は現在の罪を確定させるが、過去の罪には触れられない。

欠けていたものがまるで補い合っているかのような能力だ。

 

「なるほど。つまり、こういうことだ」

 

日車はメモ帳に先ほどの議論を整理するように二つの円を描いた。

 

「君の術式 公訴執行は嘘を許さない。だがその縛りがあるからこそ、君が定義した罪は絶対的な真実として世界に固定される。一方で俺のジャッジマンは過去の罪を裁くが、提示される罪状はランダムで相手の言い逃れを許す隙があった」

 

日車はペンを回し、二つの円が重なる部分を鋭く指した。

 

「だがもし君が領域外で相手の現在の行動を罪として確定させ、その証拠をジャッジマンの鼻先に突きつけたらどうなる?ジャッジマンは領域内の情報をすべて把握している。君によって逃げ場を失い、証拠を突きつけられた被告人を俺が領域に引きずり込めば、あいつはわざわざ10年前の余罪を掘り返す手間を省き、目の前の鮮度抜群の重罪を優先して受理するはずだ」

 

「君がリールを止め、俺が判決を下す。最高に悪趣味なイカサマだね」

 

遥はベッドに寝そべったまま、クスクスと肩を揺らした。だがその瞳には、確信に近い光が宿っている。

 

「その可能性は高い。いや、ほぼ確実と言っていいだろう」

 

日車は法廷跡で起きたあの瞬間を思い返していた。

 

「皮肉な話だ。術式が発現した瞬間俺は君を裁判にかけた。あの時、俺の手には君の人生の記録が握られていた。だが君はそれを拒むどころか、自らの術式で上書きするように展開し、自白という名の証拠を俺に差し出してきた」

 

「ああ。あの時君の領域に溶けるように馴染んだ。まるで、最初からそうなるようにデザインされていたみたいにね」

 

遥は自分の右手のひらを見つめた。

 

「君のジャッジマンが用意したファイルと、私の公訴執行が確定させた自白。あの二つが重なった瞬間、法廷の重圧は跳ね上がった。私たちが敵対していた時ですら、術式は共犯を求めていたんだよ」

 

日車は短く息を吐いた。

 

「……併合だな」

 

「え?」

 

遥が首を傾げると日車はメモ帳にさらに太い円を書き加えた。

 

「本来刑事裁判では別々の事件でも、被告人が同じなら一つにまとめて審理することができる。これを併合審理という。北見、君が公訴執行で今この瞬間の罪を固定し、俺がジャッジマンを呼び出す。すると術式上、二つの事件は一つの法廷に引きずり出されることになる」

 

日車はペン先を机にトントンと叩き、思考を加速させる。

 

「北見が現在を撃ち、俺が過去を暴く。二つの罪を併合罪として同時に裁く形を作れば、ジャッジマンの天秤は逃げ場を失う。罪が重なればその分だけ判決も重くなる。バラバラにやるよりも確実に相手の息の根を止めるペナルティを引き出せるはずだ」

 

「なるほど。当たりくじを二枚同時に引かせるようなものか。最高に悪趣味なイカサマだね」

 

遥はベッドに寝そべったまま、クスクスと肩を揺らした。だがその瞳には確信に近い光が宿っている。

 

「嘘をつけない検事と、過去を暴く弁護士。俺たちが対峙したあの日あの法廷で噛み合ってしまった歯車が、今度は武器として再構築されるわけか。運命と呼ぶにはあまりに泥臭いな」

 

「はは、運命?光栄すぎて涙が出るよ。でも正義がランダムなら、私が当たりしか入っていない箱に変えてあげる」

 

遥は不敵に笑い、そのまま日車の肩に頭を預けた。日車はその重みを拒まず、ただ静かに二人で堕ちていく地獄の底を見据えた。

 

日車はホテルの使い捨てスリッパを脱ぎ捨て、ベッドの端で腕を組んだ。対照的に遥は備え付けのティーカップにティーバッグの紅茶を注ぎ、その香りを嗅いで「泥水よりはマシ」と毒づいてから口を開いた。

 

「さて、整理しよう。この死滅回游というゲーム。法的に見て、あまりに突っ込みどころが多すぎるぜ」

 

「ああ。まず契約ですらないからな」

 

日車は総則を、一つずつ反芻するように答えた。

 

「第一条、参加の宣誓。これを拒めば術式の剥奪――つまり死だ。これは民法で言うところの強迫による意思表示であり公序良俗にも反する。本来なら取り消しどころか、初めから無効だ」

 

「その通り。でもこのゲームの恐ろしいところは、その無効を訴えるべき裁判所も、執行を止める行政も存在しなってとこ」

 

遥はカップを置き、空中に指で円を描いた。

 

「結界という名の治外法権。ここに踏み込んだ瞬間、私たちは日本国民としての権利を剥奪される。これ憲法が保障する基本的人権の完全な蹂躙だよ。憲法第十三条の幸福追求権、そして第三十一条の適正手続の保障……それらすべてが、この総則という名の暴力によって上書きされている」

 

日車が鋭く指摘すると、遥はクスクスと肩を揺らした。

 

「そう。だからこそ面白い。法が死んだ場所であえて法を武器にする。日車くん、このポイント制についてはどう思う?」

 

「点数を命とした、極めて悪趣味なゲームだな」

 

日車はメモに「点数=命」と大きく書き殴った。

 

「人を殺せば5点。本来は刑法第百九十九条の殺人罪だ。だがこのシステム内では、殺人という行為が加点対象という評価に変換されている。つまり悪行を奨励し、それを報酬で釣るという、法秩序への全面的な宣戦布告だ」

 

「しかも、その稼いだポイントでルールを追加できる。これが一番タチが悪い。立法権の私物化だよ」

 

遥は日車のメモを奪い、天秤のイラストの横に「立法・司法・行政の混濁」と書き加えた。

 

「100点稼げば誰でも王様になれる。殺せば殺すほど、自分に都合の良い法律を作れる。これ、私たちが守ってきた法の下の平等に対する最大の皮肉だと思わないかい?力がある者が法を支配する。原始時代の弱肉強食に戻っただけだ」

 

日車は黙って彼女の言葉を聞いていた。かつての法廷では、彼女はこのルールの穴を突いて日車を追い詰めていた。だが今、彼女はその卓越した知性を、この不条理なゲームを解体するために使っている。

 

「だが、北見。我々にはこれがある」

 

日車は自らの掌を広げた。ゆらり、とジャッジマンの影が後ろに出る。

 

「このゲームが法を無視した暴力なら、我々もまた法を超えた執行人として振る舞うしかない。ルールという名の暴力に対抗できるのは、より厳格な法だけだ」

 

「かっこいいねえ」

 

遥はベッドに寝そべり、天井を見上げた。

 

「いいよ、日車くん。君がそのガベルを振り下ろすための訴状は私が完璧に書き上げてあげる。相手が何だろうが関係ない。死滅回游という名の被告を、引きずり出してやろうじゃないか」

 

「ああ」

 

ふと遥が顔を上げた。視線の先には、日車の術式が具現化させるあの木槌――ガベルがある。

 

「ねえ、日車くん。ずっと気になってたんだけど」

 

遥はペンを回しながら、どこか茶化すような色を瞳に浮かべた。

 

「そのガベル……裁判で使う木槌ね。日本の裁判所じゃそんなの使わないだろう。法廷ドラマの見すぎか?実は形から入るタイプだったりする?」

 

日本の司法制度にガベルは存在しない。図星を突かれたと思ったのか、日車は一瞬だけ言葉を詰まらせた。そして視線を泳がせるようにして、ひどく不器用に、けれど噛み締めるように口を開いた。

 

「……そうだな。日本の法廷にはないものだ。自分でもなぜこの形になったのか不思議だったんだが、今ならわかる気がする」

 

日車は一度言葉を切るとベッドに寝そべる遥を真っ直ぐに見つめた。その瞳には、常に論理と証拠を積み上げてきた男が、初めて直感という名の不条理を肯定したような、妙に晴れ晴れとした光が宿っていた。

 

「あの時。法に絶望し、すべてを壊そうとしたあの瞬間。俺の脳裏に浮かんだのは、かつて法廷で対峙した君の姿だった。君の経歴も背負ってきた闇も、当時は何も知らなかった。だが君が完璧な嘘で俺をねじ伏せながら、その瞳の奥で誰よりも深く、この司法そのものに絶望しきっていることだけは直感的に理解できてしまった」

 

日車は自らのガベルを見つめ、静かに言葉を継ぐ。

 

「俺はあの日、負けたことに絶望したんじゃない。この法という歪なシステムに、吐き気がしたんだ。……論理的な根拠なんてなかった。だが君の輪郭が、あの日俺が目にした絶望として焼き付いて離れなかったんだよ」

 

日車はそこで言葉を止め、視線を落とした。

 

「君を倒そうともがいていた時の記憶と、君がかつて身を置いていたはずのアメリカのイメージ。それらが俺の絶望と混ざり合ってこの形を成した。論理を重んじる俺が最後は君という一人の人間に抱いた直感に縋ってしまった。皮肉な話だな」

 

「…………」

 

予想だにしない回答に遥は声を失った。この男は、自分を地獄から引きずり戻したその時と同じ熱量で、自分の絶望を術式の核として、そして自らの迷いの答えとして肯定してしまったのだ。彼女が偽りの栄光として捨て去りたかった過去のイメージが、日車の握るガベルとなって、この不条理な世界を裁くための唯一の武器になっている。

それは彼女にとって、どんな判決よりも残酷で、そして眩しすぎる光だった。

 

「……大真面目に何を言ってるんだい、君は。本当、救いようがないのはどっちだよ」

 

遥は顔が熱くなるのを隠すように、乱暴に枕に顔を埋めた。

暗闇の中で、日車のそのあまりに実直な高潔さが、自分の胸の空洞をじりじりと焼くのを感じていた。その痛みこそが、自分がまだ人間であることを証明しているようで、遥は震える手でシーツを強く握りしめた。




自分たちの行為が司法への最大の裏切りであることを知った上で、それでも目の前の死滅回游を潰すために、自分たちが守ってきた正義を自ら汚す覚悟を持っていますが、そのあたりの深掘りはあとの話で出す予定です
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