世界一悪い子と監視役   作:クリ坊

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訓練兵団入団前
嫌われ者の少女


三重の壁の最も内側、ウォールシーナ内の北部にある牧場。

ここは人類を脅かす巨人の恐怖からは最も遠く、同時に「世界の残酷さ」という点では、ある意味で最前線のような場所だった。

 

レイス卿の所有地であるその広大な牧場は、世界の真実を知らない家畜と、世界から存在を否定された少女が緩やかな死を待つための檻だ。

 

「……あー、面倒くせえ」

 

十歳になったばかりの俺、アルフレッドは、牧場の古びた柵に腰を預けて、何度目かも分からない欠伸を噛み殺した。

空はどこまでも高く、青い。だが、その広大さがかえって俺には息苦しかった。

 

俺の胸ポケットには、親父から手渡された一冊のノートがある。

革表紙でもなければ、上質な紙でもない。どこにでもあるノートと、安物のペン。

だが、その中身は決して人に見せられる代物じゃない。あの一人の少女の、この牧場での行動を監視。異常があれば漏らさず記録し、中央のレイス卿へと報告する。

それが、家臣の息子である俺に与えられた、この退屈な人生の対価だった。

 

視線の先、砂埃が舞う。

数人のガキどもが、農作業の合間を縫って「遊び」に興じていた。

中心にいるのは、この界隈で一番声のでかいガキ大将だ。

 

「おい、無視すんなよ! 汚ねえんだよ、お前! 話しかけてやってんだから何か言えよ!」

 

ガキ大将が拾い上げた石を力任せに放る。

乾いた音を立てて、それが少女の肩に当たった。

少女――ヒストリア・レイスは、悲鳴すら上げない。ただ、ビクッと動物のように肩を震わせ、俯くだけだ。

彼女の手元には、ぼろぼろになった本が抱えられている。衝撃で地面に落ちた麦わら帽子を拾おうとして、彼女の指先が土に汚れた。

 

「……外したな」

 

俺は柵の上から、その光景を冷ややかに眺めていた。

あの少年は、本能的に彼女の美しさに惹かれているのだろう。だが、関わり方が分からないから、こうして石を投げて「異物」を排除しようとする。実に稚拙で、反吐が出るほど子供らしい振る舞いだ。

 

だが、傍観しているわけにもいかない。

もしあんな風に石を投げて、彼女の顔に一生残るような傷でもついたら、親父はレイス卿から「管理不届き」の烙印を押される。そうなれば、家臣としての地位も、明日のパンも、まとめて消えてなくなる。

この「平和」を守るためには、彼女の鮮度を保たなきゃならない。

 

「おい、お前ら。いい加減にしとけ」

 

俺は柵から飛び降りた。砂埃が舞い、ガキどもの視線が俺に集まる。

 

「なんだよアルフレッド。お前もこいつを苛めに来たのか? 混ぜてやるよ」

 

少年がニヤついて俺を誘う。その目は、罪悪感の一欠片もない純粋な悪意に満ちていた。

 

「いいや。さっき牧場のおばさんが、お前らを探してたぞ。手伝いサボって遊んでるのがバレて、相当カンカンだった。今すぐ戻って謝らないと、今日の晩飯抜きじゃ済まないだろうな。お前んちの親父さんも、今日は不機嫌みたいだったぞ」

 

「げっ……マジかよ」

 

子供にとって、抽象的な正義感よりも、具体的な「食事の欠如」と「大人の拳」の方がよほど堪える。

ガキどもは顔を見合わせると、蜘蛛の子を散らすように母屋の方へ走り去っていった。

 

静寂が戻った牧場。

残されたのは、泥だらけで立ち尽くす少女と、仕事としてそこに立つ俺だけだ。

彼女は震える手で、帽子の砂を払っていた。

 

俺は大きな溜息を吐き出し、重い足取りで彼女の前に歩み寄る。

 

「……大丈夫か。怪我は」

 

「……あ、……うん。平気」

 

ヒストリアがおずおずと顔を上げた。

逆光の中で輝く透き通るような金色の髪と、潤んだ青い瞳。

実の母親に無視され、周囲から石を投げられ、世界中から「生まれてこなければよかった」と呪われていてもなお、彼女の美しさは損なわれない。

それが、俺には酷く不気味で――何より「面倒な管理物」の象徴に見えて仕方がなかった。

 

「本、……汚れちゃった」

 

彼女が大切そうに抱えていたのは、一冊の古い物語の本だった。

 

「そんなもん、読んでどうする。腹も膨らまないし、お前の現状を良くしてくれる魔法も書いてないだろ」

 

「……でも、これを読んでるとね、不思議な気持ちになるの。いつから持ってたのか、誰にもらったのかも、よく思い出せないんだけど……」

 

「この本の女の子みたいになればみんなに愛される子になれる……そう、誰かに教わった気がして」

 

 

「ふん、おめでたいな。現実ってのは、そんなに都合よくできてねえよ」

 

俺は冷たく突き放しながら、ノートを隠すように開き、走り書きをした。

 

*【〇月〇日】。対象、近隣児童より不当な接触(投石)を受ける。外傷は軽微。精神面において、依然として既存の物語への過度な没入、現実逃避の傾向が見られる。管理上の異常なし。*

 

「ねえ」

 

不意に、鈴を転がすような声で呼ばれ、俺は反射的にノートを閉じた。

 

「……なんだよ」

 

「……さっきは、ありがとう。……お名前、教えてくれる? あなたも、やっぱり私のこと……嫌い?」

 

彼女の瞳に、かすかな「期待」が宿る。

暗闇の底で、初めて自分に触れてくれた光を求めるような、飢えた渇望。

俺は一瞬、言葉に詰まった。

 

俺は味方じゃない。俺は、お前がいつか死ぬまで、あるいは殺される日まで、その一挙手一投足を報告し続ける「見張り」だ。お前という家畜が、柵を壊して逃げ出さないかを確認する番犬だ。

 

だが、ここで名前を教えないのも、幼馴染を演じる「監視役」としては不自然だろう。

そう自分に言い訳をして、俺は口を開いた。

 

「……アルフレッドだ。……長いから、アルフィでいい」

 

「アルフィ……」

 

彼女は、まるで失くしてはいけない宝物の名前を覚えるように、その響きを何度も反芻した。

そして、今日初めての、崩れそうなほど小さな笑みを浮かべた。

 

「私はヒストリアっていうの……また、明日もお話ししてくれる? アルフィ」

 

「……仕事の邪魔にならなきゃな。俺も暇じゃないんだ」

 

俺はわざとぶっきらぼうに背を向けた。

歩き出した足取りが、いつもよりわずかに速い。心臓の鼓動が、不必要にうるさく耳の奥で鳴っていた。

 

ただの管理物だ。

名前を教えたのも、懐柔して情報を抜きやすくするためだ。

そう自分に言い聞かせながら、俺は胸ポケットにノートをねじ込んだ。

 

――これが、俺の一生を捧げることになる、「嘘」の始まりだった。




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