深い森の中、立体機動装置のアンカーが樹木を噛む鋭い音が連続する。
キース・シャーディスは、巨木の枝から眼下を飛び交う「雛」たちの挙動を冷徹に記録していた。その手元の記録板には、兵士としての素質、技術、そして精神性を測る評定が刻まれていく。
「ミカサ・アッカーマン。……あらゆる科目を完全にこなす。歴代でも類を見ない逸材との評価は妥当。
エレン・イェーガー。……突出した特技はないが他ならぬ努力で成績を伸ばした。そして,人一倍強い目的意識を持つ」
キースは次々と有望な志願兵たちの名を確認していく。だが、ある一角に視線を移した瞬間、彼の筆がわずかに止まった。
「……アルフレッド・ローマイヤ―」
そこには、他の訓練兵とは明らかに「質」の異なる動きをする男がいた。
エレン・イェーガーのように咆哮を上げることも、ジャン・キルシュタインのように派手な噴射音を響かせることもない。アルフレッドの立体機動は、不気味なほどに静かだった。
ガス噴射は必要最小限。アンカーを打ち込む位置は、常に最短の旋回半径を描く一点。
そして何より、あの「目」だ。木々の合間、死角に設置された巨人の模型を、彼はまるで最初から配置図を知っているかのように正確に、かつ機械的に捉えていく。
「並外れた観察眼。敵の予備動作を先読みし、状況を掌握する能力は104期でも随一。人類への献身の姿勢が見られない点が玉に瑕…」
キースは、アルフレッドが模型のうなじを削ぎ落とした直後、彼が描く「軌道」の末端に視線を走らせた。
アルフレッドの数十メートル後方、必死の形相でその背を追いかける小柄な少女――クリスタ・レンズ。
「クリスタ・レンズ。……献身性や協調性という面では評価に値する。馬術以外に突出したものはないが、訓練には堅実に適応している。本来なら、この成績で上位に食い込むには不十分だが……」
キースの視界には、その少女の周囲で不自然に失速し、わざとらしく獲物を譲るもう一人の影が映っていた。
「……ユミル。実力を隠し、あからさまにレンズへ点を与えているな。本来なら不正として切り捨てるべきところだが……」
その少女の前方で不自然に失速し、後方へ道標を残すアルフレッドの姿が映っていた。
「奴が自ら得た『人徳』ならば、戦場で奇跡を起こす種になるやもしれん。……咎める必要はあるまい」
【最終評定:アルフレッド・ローマイヤ―】
極めて高い状況把握能力。戦場全体を俯瞰する『目』を持つ。すべての科目で優秀な成績を残す。
だが、兵士としての忠誠心ではなく、何か別の目的のために動いているように見える。
……その実力、上位10名に相応しい。
【最終評定:クリスタ・レンズ】
基礎能力は平均以上。馬術・規律・協調性は高水準であり、命令遵守および集団行動において安定した成果と信頼性を示す。
だが、その行動は自己の意思というより、他者の期待に応えようとする方向に偏っているように見受けられる。状況次第では、それが過度な自己犠牲へと繋がる危険性を孕む。
……それでもなお、現時点での実力は上位10名に相応しい。
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深い夜の静寂を、激しく爆ぜる篝火の音だけが切り裂いていた。
整列した訓練兵たちの顔を、揺らめく炎が赤黒く照らし出している。
三年前、罵倒を浴びながら始まった泥塗れの日々が、今この瞬間、終わろうとしていた。
檀上に立つキース・シャーディスの眼光は、相変わらず慈悲というものを知らない。だが、読み上げられる名簿の重みだけが、彼らが地獄を生き延びた証明だった。
「では,これより、成績上位十名を発表する! 呼ばれた者は前へ出ろ!」
静寂が場を支配する。誰もが息を呑む中、キースの枯れた声が響いた。
「主席、ミカサ・アッカーマン!」
「次席、ライナー・ブラウン!」
「三番、ベルトルト・フーバー!」
「四番、アニ・レオンハート!」
誰もが納得する怪物たちの名が続く。そして、その次に呼ばれた名に、同期たちの間にわずかな緊張が走った。
「五番、アルフレッド・ローマイヤー!」
アルフレッドは表情一つ変えず、軍靴の音を鳴らして一歩前へ出た。
「六番、エレン・イェーガー!」
「七番、ジャン・キルシュタイン!」
「八番、マルコ・ボット!」
「九番、コニー・スプリンガー!」
残るは、最後の一枠。
列の中で、サシャ・ブラウスが祈るように拳を握りしめ、顔を強張らせていた。狩人としての勘と野生の機動力を持つ彼女は、本来ならここに名を連ねるはずの逸材だ。
だが、キースの口から出た名は、残酷なほどに別のものだった。
「十番、クリスタ・レンズ!」
その瞬間、サシャの肩が小さく震え、力が抜けたように項垂れた。周囲に微かなざわめきが広がる。クリスタ本人が、信じられないといった面持ちで目を見開いた。
「……以上、十名! 貴様らには、憲兵団への入団を志願する権利が与えられる!」
キースの言葉と共に、卒業生たちの敬礼が揃う。
「解散! 各自、希望する兵団へ進め!」
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食堂の喧騒は、サシャの豪快な咀嚼音と「美味しいです!」という泣き笑いの声で、ようやく少しだけ明るさを取り戻したようだった。
私があげた肉をとてつもない勢い平らげていく彼女の姿を見て、胸の奥で小さく息を吐く。「いい子」でいられた。誰かの役に立てた。その事実だけが、空っぽな私の心をかろうじて繋ぎ止めてくれる。
「クリスタ、あんた本当にお人好しだねぇ」
隣でユミルが呆れたように笑う。私はそれに曖昧な笑みを返しながら、ふと対面の席に目をやった。
そこには、さっきまで不機嫌そうにスープを啜っていたアルフィの姿がなかった。自分の分の肉を、半分に切り分けて私の皿に放り投げた、あの不器用な男。
(……また、一人で外に行っちゃったのかな)
彼はいつも、私が誰かのために自分を削るたびに、嫌そうな顔をする。まるで、私の内側にある「死に場所を探している自分」を、その鋭い目で見抜いているかのように。
「――俺は、調査兵団に入って……この世から巨人を一匹残らず駆逐してやる!」
突然、食堂に響き渡ったエレンの叫び。
その言葉は、熱に浮かされた少年の妄執のようでいて、今の私には酷く眩しく、そして誘惑的に聞こえた。
(……いいかもしれない。私みたいな人間には、それが一番お似合いだよね)
エレンの叫びは、私の胸の奥に眠っていた「何か」を激しく揺さぶった。
壁の外。巨人のいる地獄。
そこで戦って、誰かのために命を捧げることができたなら、こんな空っぽな私でも、生まれてきて良かったと思えるかもしれない。エレンの熱に浮かされるように、私の心は急速に調査兵団へと傾いていく。
けれど、そう決意しようとした瞬間、脳裏に一人の男の顔が浮かんだ。
(……私が死んだら、アルフィはどんな顔をするんだろう)
あのアイスブルーの瞳。いつも冷めていて、私の「いい子」な振る舞いを「反吐が出る」と切り捨てる、あのぶっきらぼうな男。
「……怖いな」
ふと、そんな言葉が漏れた。
巨人に喰われることが怖いんじゃない。
私が戦場で「立派な死」を遂げたとして……それを報告された時、彼がどんな顔をして、どんな風に絶望するのか。あるいは、何の感情も見せずに、ただ沈黙するのか。それを想像するのが、たまらなく怖かった。
もし彼が、あの冷たい瞳を悲しみに歪ませたりしたら。
もし彼が、自分の守ってきたものが無意味だったと自嘲したりしたら。
(私は……彼に、そんな顔をさせたくない)
食堂の入り口に目を向ける。アルフィの姿はもうない。
調査兵団に行きたいという「死への憧れ」と、彼に悲しい顔をさせたくないという「生への執着」が、私の中でぐちゃぐちゃに混ざり合う。
「クリスタ? 震えてるよ、大丈夫か?」
ユミルの心配そうな声に、私はいつもの「いい子」の笑顔を作ることができなかった。
私は、アルフィを追いかけなきゃいけない。
エレンの演説に当てられた熱を抱えたまま、私は夜の静寂へと歩き出した。彼が一人で立っているはずの、あの冷たい闇の中へ。
サシャごめんよ...
順位発表は本当は10番からっぽいけど許してください